◆第十三話『絵心』
八月二十日(シェトの日)
暖かな陽の光が窓から差し込む。
急激な眠気に襲われ、思わずベルリオットはあくびをもらす。
目じりに涙を溜めながら、室内を見回した。
しんっと静まり返った室内では、生徒たちがカンバスに向かっている。
「自分の絵を描きなさい。最低限、自分の全身と武器。そして翼を描くように」
という課題を冒頭に告げられ、絵画授業が始まったのはつい先ほど。
想像すること。
アウラを使うにあたって、それはもっとも重要なことである。
というのも上手く想像できなければアウラを結晶化させたとき、武器の形を模れないからだ。
想像力が高い人間は結晶武器の形が綺麗だし、なにより結晶化したときのアウラの密度も高くなるのだという。
となれば切れ味もやはり違ってくる。
そうした理由から、想像力を豊かにするため、こうした絵画授業は重んじられている。
とはいえアウラを使えないベルリオットにはどうでもいい話である。
適当に絵筆を滑らせながら、つい先日のことを思い出していた。
ガリオンの襲撃を受けたあの日から一日が経った。
同件についてはすでにエリアスに詳細を報告していた。
エリアスは初め、にわかには信じられないといった様子だったが、他ならぬリズアートが軽症ではあるが傷を負っていたのだ。
それだけで彼女が信じるには充分すぎる理由だった。
さしあたって王都内の巡回を強化しつつ、今後の対応を協議していくことで騎士団内でも決まったそうだ。
もちろん白外套の人についても伝えた。
どちらかと言えば、こちらの方がエリアスにはとっては受け入れがたいことだったようだ。
リヴェティア騎士団の中では序列第三位の実力を持つ彼女のことだ。
強さ、という点に関して思うところがあったのだろう。
とにもかくにも、白外套の人が見せた赤のアウラや技能については不確定要素が多い。
そのため公にはせず、騎士団団長であるグラトリオに相談するだけに留めるという。
エリアスは諸々の件の処理に追われているそうで、リズアート護衛から外れていた。
明日からはふたたび彼女が就くそうだが、それまでは二人の王城騎士が護衛を任されていた。
今も教室の後ろで待機している。
ガリオンの襲撃。
白外套の人が見せた未知の力。
どちらも世間を騒がせるには充分な話題だが、それよりもベルリオットの頭の中は違うことが支配していた。
あの日、ベルリオットはガリオンを斬った。
それも不可能だと言われていた、ただの剣で。
感覚は残っている。
だが――。
錯覚だったのではないか。
夢だったのではないか。
もちろん実際にあったことなのだが、そうした疑念が自分の中に付きまとった。
だから昨晩は、ガリオンを斬った感覚を忘れまいと一心不乱になって剣を振り続けた。
結果、疑念を払えたかといえば、正直、微妙なところである。
やはり今夜もまた剣を手に取り、振り続けるのだろう。
そんなことを考えていたベルリオットの思考に、リズアートの声が割って入ってくる。
「へー。絵、上手なのね」
言いながら、リズアートがカンバスを覗き込んできた。
このとき初めて、ベルリオットは自分が描いていたものを絵として認識した。
というのも考え事をしていたせいで、ほとんど無意識に描いているに等しかったのだ。
一面に咲きほこる黄色の花びらの上、ひとりの少年がこちらに背を向けて空に浮いている。
脳が課題を意識して描いていたとすれば、これはベルリオット本人ということになる。
そして少年の背から放出されたアウラが造る翼。
人一人など簡単に包み込んでしまいそうなほど巨大で、まるで生きているかのような躍動感を見せる、勇壮な翼。
背景の紺碧の空よりも、少し白みがかった色をしている。
「ちょっと意外」
「意外ってなんだ、意外って」
「だって、ベルリオットってアウラを使えないじゃない? だからあなたの性格なら、この授業どうでもいいとか思ってそうだな、って」
どうでもいい、と思っていたのは間違いないけれども。
「でも、この翼……」
「ベルが描く光翼っていつも青色なんですよ」
と、口を挟んできたのはナトゥールだ。なぜかくすくすと笑っている。
リズアートが訊いてくる。
「ふーん。どうして青色なの?」
「……なんとなく」
「なんとなくって」
はぁっと息をつきながら、リズアートが呆れていた。
なぜ光翼の色を青にしたのか。
理由があるようで、ない。
本来、アウラを使えない立場からしてみれば、使えるようになったときのことを想定して、最下位のウィリディエ・クラスの緑色を選ぶのが妥当だろう。
しかし、“最下位”という言葉の響きが癪だったので却下した。
アウラを使えもしないのに、一丁前に誇りが阻んだのだ。
なら訓練生にとって上位の証であるフラウム・クラウス――黄色ではどうか。ということになるが、これを選ぼうものなら、恐らく周囲から“アウラも使えないのに”と罵倒されてしまうだろう。
同じ理由でヴァイオラ・クラスの紫色も却下だ。
では何色を選べばいいのか。
その問いに改めて行き着いたとき、本当に、自然と選んだのが青色だった。
だから“なんとなく”という答えも存外嘘というわけでもなかった。
とはいえ、こんな負の感情が多く込められた理由を話すわけにもいかない。
「別にいいだろ。文句あるのか?」
「ないわよ。でも、まっ……」
目を細め、リズアートはベルリオットが描いた絵を見つめた。瑞々しい唇が、続きの言葉を紡ぐ。
「こんな綺麗な翼で空を飛べたら、きっと気持ち良いんでしょうね」
その姿を頭の中で想像しているのか。
心地良さそうに顔を緩めていた。
彼女の横顔に、ベルリオットは思わず見とれてしまった。
自分でもはっきりとはわからない。
少なくとも、顔が綺麗だからという理由だけではないと思う。
自分の絵を見て、笑わずに、ただ純粋になにかを感じてくれた。
その結果、生まれた微笑みを、本能的に目に焼きつけようとしていたのだと思う。
授業の終了を知らせる合図が鳴った。
はっとなってベルリオットはリズアートから視線をそらした。
「よし、そこまで。各自、他の者が描いたのも見ておくように」
教師の声で、生徒たちは席を立ち始めた。
その足で、室内をうろつき始める。
室内が喧騒に包まれる中、教師がこちらに向かってくる。
「リズアート様。あの件について団長から許可が出ました。あとで騎士団本部の方へ来て下さい、とのことです」
「わかりました、先生。わざわざありがとうございます」
言って、リズアートはにっこりと微笑んだ。
いったいなんの話だろうか。
少しだけ気になったが、王族であるリズアートのことだ。
訓練校の中でも最底辺の実力に位置する自分には関係のない話だろう、とベルリオットは好奇心を断ち切った、そのときだった。
「よーしっ! ベルリオット、トゥトゥ。行くわよ」
は? と思わず声を出してしまった。
ナトゥールも目を見開き、唖然としている。
教師が渋面を作る。
「あー……ベルリオット・トレスティング。くれぐれも、足を引っ張ることがないようにな」
「いや、足を引っ張るもなにも、意味がわからないんだが」
「とにかく一緒に来ればわかるわよ」
言うや、リズアートは軽い足取りで教室の外へ向かった。
その背を見送りながら、ベルリオットとナトゥールは顔を見合わせ、小首を傾げる。
「どうするの、ベル?」
「どうするもなにも、行くしかないだろ……」
王女殿下を前にしては、ベルリオットたちに拒否権はなかった。




