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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
終章【光満ちる空】
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◆第一話『運命の輪の崩壊』

 七大王暦一七三六年・十月二日。


「トレスティングさま、やはりほかもまだ動きがないとのことです」

「やっぱりか……ありがとう、下がってくれ」


 報告を終えた聖堂騎士を見送ったのち、ベルリオット・トレスティングは大陸の外縁部へと目を向けた。

 防壁上からとあって広い範囲を見渡せる。外縁部にシグルが現れればすぐにでも察知できるが、目に映る空はいまも青いままだ。


「不気味だな」

「ああ」


 ぼそりと呟いたベルリオットの言葉を拾ったのはティーア・トウェイルだ。

 彼女は狭間胸壁に右手を乗せながら、外縁部へと険しい目を向けた。


「すでに通常の《災厄日》と同等か、それ以上に高度が下がっている。にも関わらずシグルが一体も現れていないとは、さすがに勘ぐりたくもなる」

「運命のときが近いのはシグル側もわかってるだろうしな。こっちの動きをなんとなく察知してるのかもしれない」

「だとすれば厄介だな」

「とにかく警戒は怠らないよう再度通達しておいてくれ」

「了解した」


 うなずいたティーアが濃紫のアウラを纏い、飛び立った。

 聖堂騎士にはベルリオットが直接指示を出しているが、アミカスの末裔にはティーアを通して指示が伝わるようになっている。


 ベルリオットは周囲の様子をうかがった。

 大陸のもっとも外側に位置する場所には誰も立っていない。

 全員が防壁にほど近い場所に陣取っている。外縁部に近すぎるとシグルの急襲を受けた際に対応できないため、一定距離を置いているのだ。


 防壁上にはサジタリウス部隊が配置されている。

 多くが帝国騎士軍の者だ。帝国本体の担当は北側だが、帝国が擁するサジタリウス部隊だけは各防衛線に配置されることになった。神の矢を使える者が増えたとはいえ、決して多いわけではない。そんな状況下で、遠距離戦においての優位性を確保するためだ。


 ベルリオットは外縁部から目をそらした。

 そのまま南方防衛線の本部がある尖塔へ向かおうとしたが、すぐに足を止めた。

 目の前にナトゥール・トウェイルが立っていたのだ。

 彼女は瞳に宿した不安の色を隠そうともせず、こちらを見つめてくる。


「……ベル、大丈夫なのかな」

「戦う前から不安な顔するなって。一応、ここの責任者は俺なんだ。その俺のそばにいるやつが、そんな顔してたらほかのみんなも不安になるだろ」

「うっ、ごめん」


 彼女はばつが悪そうに俯いてしまった。

 その姿に覇気を感じられず、ベルリオットはつい思ったことを口にしてしまう。


「恐くなったら下がってもいいんだぞ」

「こ、恐がってなんかないよ。ベルと一緒に戦うって決めたんだから、いまさら下がるつもりなんてないよ」

「わかってる」


 むきになって抗議してくるナトゥールにそう返しながら、ベルリオットは止めていた歩を進めた。彼女とともに本部へ向かう。

 ベルリオットは北西の空を見やりながら思う。


 まあ、《運命の輪》が壊れれば敵も動くと思うんだけどな……。


 そこには大陸に近いほどの大きさを持った白銀の球体が浮遊している。

 太古、創造主より授けられたという《運命の輪》だ。昨日がリヴェティア大陸にとって《運命の輪》がもっとも近くなる《安息日》だったため、距離はそう離れていない。


 約二千年前。


 大陸が浮遊しはじめてからのち、ずっと大陸を支えてきた《運命の輪》。


 それが、本日をもって最期を迎える。



   ◆◇◆◇◆


「お、おい、イオル! もっと落ちつかせてくれ!」

「ごちゃごちゃうるさいぞ。いまやっているところだ」

「それ言うの何回目だよ! おまえ操縦ヘッタクソだな!」


 ジン・ザッパは飛空船の中で、操縦者のイオル・ウィディールに向かって大きな声で悪態をついた。

 視界の中では、巨大な白銀の球体――《運命の輪》が、ぐわんぐわんと目まぐるしく動いている。《運命の輪》自体が動いているわけでも、ジンが視線を動かしているわけでもない。

 それほどに飛空船が揺れているのだ。


 イオルとは何度かともに大陸間を渡ったことがあったが、いつも飛空船を操縦するのは自分のほうだった。単純に飛空船の操縦が嫌いではなかったからだ。

 ただ、今回に限っては飛空船に乗りながら射撃を行なわなければならないため、操縦ができなかった。そこで操縦を申し出てくれたイオルに任せたのだが……。


「自信満々に『俺がやってやろう』なんて言うもんだから信用したらこれだよ。おまえ、細かいアウラの調節苦手だったんだな」

「いつも全力を出しているだけだ」

「ったく、これならほかの奴に頼むんだったぜ」

「文句を言うなら船からたたき出してもいいんだぞ」

「へいへい。俺が悪かったよ」


 ジンは大げさに肩をすくめながら嘆息した。

 船内に舌打ちが響いたが、聞こえないふりをする。

 別段、喧嘩しているわけではない。

 イオルとはいつもこれぐらいの距離感で接している。


 ジンは補助席から乗り出し、飛空船の後部座席へと移動した。

 この飛空船はルッチェ・ラヴィエーナによって改造されたものだ。

 形体こそ通常の飛空船とほぼ同じだが、後部座席右側の窓を貫くように人の胴体ほどの太さを持った円筒が取りつけられている。言わずもがな、これこそが《運命の輪》を破壊するためだけに造られたサジタリウスだ。

 すでに中には一発の弾が込められている。

 あとは引き鉄を引くのみだ。


 ジンは後部座席の上に自身の体をすべて乗せるように座った。

 左膝を立てて円筒に添え、右の足裏を円筒が接合された窓付近に押しつけて固定する。

 ある程度の射界を取れるようにして欲しい、というこちらの注文にルッチェは応えてくれた。窓と円筒の接合には軟性の高いものを使ったらしく、ほぼ自由に射線を変えられるような造りになっている。

 おかげで動く射撃地点であっても、不自由をあまり感じなかった。


 目をつむった。

 ゆっくりと息を吸い込んでから、細く長く息を吐き出す。

 金のために色んな人間を殺してきた自分が、いま、多くの人間の未来を担っている。

 償いの気持ちから動いたわけではない。

 そもそも、自分でもどうしてこんな大役を引き受けたのかよくわからない。

 一緒に育った子どもたちと、ドンのいなくなった世界。

 そんな世界に未練はないはずなのに――。

 ジンは目を開け、ちらりとイオルのほうを見やる。


 なんかコイツ、危なっかしくて放っとけないんだよな。


 そう思いながら、小さく鼻で笑った。

 こちらの視線を感じとったのか、イオルが前を向いたまま告げてくる。


「なにをしている。さっさとしろ」

「わかってるっての」


 口が悪いのが難点だけどな。


 ジンは心の中で愚痴をこぼしながら、《運命の輪》へと視線を戻した。

 軽口を叩いたからだろうか。

 不思議と余計な力が抜け、腕が軽くなっていた。

 指先の感覚も良い。

 頭もすっきりしている。

 悪くない。

 そう思ってから行動に移すまで、自分でもおどろくほど早かった。


 円筒の側部に取り付けられた単眼鏡を覗きこんだ。

 青い空はいっさい映っていない。

 映っているのは拡大された《運命の輪》のみだ。

 表面には白い光を纏った風の衣がうねるようにまとわりついている。


 拡大されたからこそわかるが、白の光はひとつなぎではなかった。

 小さな燐光がいくつも集まって出来ている。

 さらに言えば、白の燐光を乗せた風の衣はまんべんなく《運命の輪》を回っていなかった。一周している箇所もあれば、二周、三周の箇所もあり、ばらつきがある。

 一周しかしていない薄い箇所はかなり少ない。

 だが、そこを狙えば弾が抜ける可能性は高いはずだ。


 狙いを定めた。

 目と、指先だけに意識を集中させる。

 多少の揺れはあるが、もう気になるほどではない。

 聞こえていた音が徐々に遠くなっていく。

 心臓の鼓動が聞こえるほどに耳から入ってくる音がなくなった。

 頭に響きはじめた、きーんという耳鳴りのような音。

 それが弾けるような音を鳴らした、瞬間――。

 ジンは引鉄を引いた。


 砲口から弾が飛び出た。紫の光を引きながら空を走っていく。抵抗はあるようだが、その勢いが止まる様子はない。うねるように突き進んだ弾は狙いを定めた風の衣にいっさいのずれなく触れる。

 弾がかすかに減りこんだのを目にした瞬間、ジンは単眼鏡から目を離した。

 ぐっと握りこぶしを作りながら、思い切り叫ぶ。


「俺が外すわけないよなぁッ!」


 弾が風の衣を貫いた。

 直後、《運命の輪》に着弾したと思われる箇所で光点が瞬いた。そこを中心に、まるで大樹の根のように亀裂が走っていく。中に入っているであろう大量のアウラのせいか。亀裂からはまばゆい光があふれ出ている。


 やがて亀裂が白銀の球体すべてに伸びた、そのとき――。


 ジンの視界が真っ白に染まった。



   ◆◇◆◇◆


 ベルリオットがナトゥールとともに本部のある尖塔へと足を踏み入れようとしたとき、北西の空で光が迸った。

 弾かれるようにそちらへ目を向けると、視界にまばゆい白光が飛びこんできた。

 源が《運命の輪》であることはすぐにわかった。

 激しく明滅しているのだ。

 と、《運命の輪》からほの白い光を乗せた風が放たれた。

 それはまるで波打つようにうねりながら凄まじい勢いを持って襲いくる。


「ベルっ!」

「掴まれ、トゥトゥ!」


 そばにいたナトゥールの手を掴み、そのまま抱き寄せた。

 胸壁を背にする格好でその場に伏せる。

 瞬く間に光の風は防衛線に到達した。

 立っていたら吹きとばされていたに違いない。

 激しい風に体を叩かれる。

 切り裂かれるのではないか、と思うほど風の音は強く、耳が痛かった。


 早く終わって欲しい。

 実際には三呼吸程度の時間だったが、ただ待つしかないという状況によって長く感じてしまったらしい。

 光の風が止んだ。

 ベルリオットは目を開け、周囲の様子をうかがった。


 ほかの騎士たちも防壁を支えにすることで、なんとか光の風を凌いだらしい。

 中には不恰好に転がっている者もいるが、大事はないように見える。さすがに日ごろから訓練を行なっているとあって、この程度でくたばるほどやわではないらしい。

 ベルリオットは立ち上がり、北西の空を見やる。


「ついに壊れたのか」


 《運命の輪》の残骸が浮いているのか。

 あるいは、沈みかけているのかと思ったが、すでに空には《運命の輪》の姿がなかった。

 映っているのは紺碧の空だけだ。


「ベルさまっ」


 クーティリアスが険しい顔つきで本部のほうから飛び出てきた。

 彼女は《運命の輪》が破壊されたのを機に、シグルがなんらかの動きを見せることを危惧しているのだ。

 そしてそれは、ベルリオットも同じ考えだった。


「クティ、頼む」

「はいっ」


 ベルリオットは駆け寄ってきたクーティリアスと手を合わせた。無数の燐光と化した彼女を纏い、精霊の翼を具象化させるやいなや防壁上から飛び立つ。


 防壁周辺に陣取る騎士たちの中には、いまだ崩れた体勢を立て直していない者も見られた。これまで神より授けられた物としてずっと身近に存在していた《運命の輪》。それが壊れたことに驚きを隠せないのはわかるが、いまはそれを引きずっている場合ではない。


「運命の輪が壊れたいま、シグルが一気にくる可能性が高い! 全員、警戒を怠るな! 気を引き締めろ!」


 そう警戒を促しながら、ベルリオットはひとり外縁部へと向かった。

 仮にシグルの襲撃が来ていた場合、いち早く知るためだ。

 大陸の縁に下り立ったのち、地上を見下ろす。

 瞬間、目を瞠った。

 これまで大陸の下には雲海が広がっていたが、それがなかったのだ。

 先ほどの光の風で吹き飛んだのかもしれない。

 視界には黒で埋め尽くされた光景が映っていた。


「これが地上……なのか?」


 ベルリオットは息をのんだ。

 ただ闇が広がっているとしか思えない。

 浮遊大陸とは比べ物にならないほどの広さを持った大地が黒色で染まっているのだ。


 これが、かつて人が住んでいた地上だというのか。

 たとえ、人が生き残ったとしても、こんな場所で生活できるとは思えない。

 そんな悲観染みた考えが脳裏を過ぎったとき、闇が蠢いたのを見て取った。

 しかもそれは一箇所ではない。

 よく見れば、すべての箇所で闇が動いている。


 いや、違う。地上じゃない……これはっ!


「みんな構えろッ! 来るぞッ!」


 そうベルリオットが叫んだとほぼ同時――。


 数え切れないほどのシグルが大陸の縁に舞い上がってきた。

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