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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
第六章【運命の時】
127/161

◆最終話『剣を手に、いざ、始まりの地へ』

 七大王暦一七三六年・十月一日(リーヴェの日)


 まぶた越しに柔らかな日差しを感じる中、穏やかな風に肌を、髪を優しく撫でられる。

 訓練区から少し外れた丘陵地帯にて、ベルリオットは仰向けになって寝転んでいた。


 鼻に届く花や草の香り。

 いまは目を閉じているため、香りの元をうかがうことはできない。

 ただ、何度も訪れたことのある場所だ。

 草花が生い茂る鮮やかな光景は、思い通りに脳裏に浮かべることができる。


 とはいえ王城騎士になってからは、あまりこの場所を訪れていなかった。

 機会が作れなかったこともあるが、本当の理由は別にある。

 訓練生時代、アウラを使った実技訓練に出るのがいやで、そのたびにこの場所を訪れていた。つまり、自分の中で〝逃げるための場所〟として確立してしまっていたのだ。

 この場所を訪れなかったのは、そうした負の意識が生まれるのを危惧してのことだった。


 だが、いまは違う。

 シグルとの決戦を明日に控えた、今日――。

 単純に懐かしさを感じるために来た。

 心を落ちつかせるために来た。


 草花の揺れる音。

 風が流れていく音。

 すべてが自分という存在を包んでくれている。

 そんな気持ちにさせてくれる。


 昔よりもずっと遠くの風を感じられるようになった。

 訓練生時代のときとは比較にならない。

 アウラを使えるようになったからだろうか。

 わからない。

 ただ、風ともう少しで同化できるのではないか。

 そう思うほど感覚が鋭敏になり始めた、瞬間――。


 周囲の空間になにかが割りこんできたのを感じた。

 跳ねるようにまぶたを開けると、純白の法衣に身を包んだ何者かが映った。

 日差しを遮るように、彼あるいは彼女が空から真っすぐこちらに向かって落ちてくる。

 ただ、手ぶらというわけではない。

 その手には一本の長剣が握られ、切っ先がベルリオットの顔面に向けられている。


 ベルリオットはとっさに横へと身を投げ打った。

 直後、ぐさりと小気味良い音が聞こえてくる。

 見れば、先ほどまで自分が寝ていた地面に襲撃者の剣が突き刺さっていた。

 ベルリオットは転がる勢いを殺さず、足の裏を地面に叩きつけた反動で勢いよく立ち上がった。そばに置いていた剣を足先で蹴り上げる。目の高さでくるくると舞いはじめた鞘に収まった剣。ちょうど横向きになったところを見計らって柄を握り、勢いよく鞘から剣を引き抜いた。


 ベルリオットは右手だけで剣を持ち、腰を深く落とす。

 切っ先が目の高さに来るように構える。

 襲撃者は両手でしっかりと剣の柄を握った格好で、切っ先をこちらに向けている。

 言葉を交わすことはせず、しばらくそのまま対峙した。

 相手はフードを目深に被っているため、その顔の大半はうかがえない。

 ただ口だけははっきりと見える。

 相手が不敵な笑みを浮かべたのがわかった。

 それを見た瞬間、ベルリオットも同様の表情をしてしまう。


 襲撃者がふっと静かに手の位置を上げた。

 いつの間にか足を踏み出し、間合いを詰めてきている。

 動作の始まりがどこにあったのかわからないほど、ひどく綺麗な動きだ。

 気づけば、襲撃者の剣がベルリオットの眼前に迫ってきていた。


 ベルリオットは瞬時に剣の腹を相手の剣にぶつけた。ただ、相手は力が充分に篭った振り下ろしの一撃だ。対して、こちらはろくに踏みこんでもいないし、そもそも右手だけで剣を支えている。このままでは押し負ける。


 残していた左手を前方へ振り、その勢いで体の左半身を追随させた。左足で地面に半円を描きながら相手の右手側につける。相手の一撃を受け流しながら、ベルリオットは自身の剣を引いた。切り刃を相手の喉もとに突きつけようとするが――。


 襲撃者も地面に円を描きながら右足を引き、ベルリオットのほうへと無理やりに体を向けてきた。そのまま体の回転を利用し、流れるような動きで振り下ろした剣を切り返すと、上へと突き上げてきた。

 ベルリオットの剣と襲撃者の剣がつんざくような音をたてて衝突。弾きあった剣と同様に互いの身も引き、距離を空ける。


 綺麗に見えて大胆な剣さばき。ったく、変わらないな……。


 ひとり笑いながら、ベルリオットは襲撃者に声をかける。


「ここまでは、あのときと同じだな」


 襲撃者から言葉はない。

 ただ、やはり口もとは楽しそうに笑っている。

 余裕を感じているのか。

 それとも本当にただ楽しんでいるだけなのか。

 どちらにせよ、負けるつもりはない。


 ベルリオットも口をにやつかせながら、正眼よりも少し下目に剣を構えた格好で迎える。

 襲撃者が剣を上段に構えながら、すり足でにじり寄ってきた。

 初めは十歩程度だった彼我の距離が、すでに三歩程度といったところだ。

 やがて剣の切り刃が触れるか触れまいかの距離まで迫る。

 かきん、とかすかな金属音が鳴った、直後――。


 襲撃者の剣がわずかに上へと振れた。予備動作か。ベルリオットは即座に前へと強く踏みこみ、自身の剣を相手の剣と接触させながら追った。これならば相手は振り下ろしの勢いを利用することはできない。


 このまま前に踏みこんで押し切る!


 そうベルリオットが思ったとき、相手が残した足で大きく後退した。

 押しつけようとしていた体重が行き場をなくし、ベルリオットは思わず前のめりに体勢を崩してしまう。


 くそっ、さっきの、わざと上へ振ったのか!


 初めに剣を交えた時点で、あそこまであからさまな予備動作を見せるような相手ではないことはわかっていたはずだ。完全に判断を間違えた。


 襲撃者が充分に剣を引き絞り、突きを放ってくる。真っすぐに顔面に向かってくるそれをベルリオットは剣をぶつけることで辛うじて防ぐが、相手の体勢を崩すことはおろか、自身の体勢を直すこともできない。

 連撃が襲いくる。

 薙ぎから薙ぎ。振り下ろしから、勢いを殺さずに切り返しの振り上げ。角度を変えての突き、突き、突き――。


 ベルリオットは無様に足を動かし、後退しながら相手の剣をいなしていく。

 いなす箇所を選び、次の一手を限定することで、体勢を立て直す隙を作ろうとするが、相手もそれをわかっているようだ。多彩な連携をさらに組み合わせ、なかなか攻撃を絞らせてくれない。


 このまま戦い続ければ負けるのは必至だ。

 この戦いに負けること。

 それが死に繋がるわけではないとわかっている。

 だが、単純に負けるのはいやだった。


 ベルリオットは目だけを動かし、鞘が落ちている場所を探った。

 鞘の場所を確認し終えると、そこへ向かうよう少しずつ調節し、後退していく。

 単純に剣代りにし、双剣で戦おうという算段だったのだが……。

 鞘の近くまで来たとき、相手から突きが飛んできたため、ベルリオットは考えを変えた。


 ここだッ!


 足先で蹴り上げた鞘を掴み取り、襲いくる剣へと穴のほうを向けた。

 攻撃が放たれたあとの軌道は、ずっとはっきりと見えていた。

 剣の切っ先がどこを突こうとしているのかも――。

 勢いよく向かってきていた相手の剣が、すぽっと鞘に収まった。

 あまりにすんなり入ったため、ベルリオットも思わず目をぱちくりとしてしまう。


「思った以上に簡単に入ったな」

「え、ちょっと、え!?」


 襲撃者が、すっぽり鞘に収まってしまった自身の剣とベルリオットのほうを交互に見やる。どうやらなにが起こったのかわからず、混乱しているようだ。

 襲撃者へと剣の切っ先を向けながら、ベルリオットは相手のフードを取った。

 あらわになったのは、肩の辺りで二つに結われた黄金色の髪。それに包まれた小さくてひどく整った顔。そして、とても剣を振るう者とは思えないほど透き通った肌。

 この世の者とは思えないほどの美しさを持つ、襲撃者の正体は――。


「俺の勝ちだな、リズ」

「あー、もうっ。あと少しだったのに」


 リズアートは少し頬を膨らませながら拗ねたように口を尖らせた。

 そのまま糸が切れたように全身から力を抜くと、その場にどさりと座りこんだ。

 ベルリオットはそばの地面に剣を突き刺し、話しかける。


「いやでも驚いた。いつの間にここまで腕を上げたんだ? 以前とは段違いっていうか、正直、剣の扱いだけなら俺以上だったぞ」

「さすがにそれは褒めすぎよ」

「いや、でもそんな姑息なことしないと勝てなかったしな」


 言いながら、ベルリオットはリズアートの手に持たれた、鞘に収まった剣を指差す。


「たしかにこれには驚かされたけど、戦いで姑息もなにもないでしょ。それに、剣が見えてなかったら戦闘中に相手の剣を鞘に収めるなんて芸当、できるはずもないしね」


 その言葉には少し棘を含まれていた。

 たしかに殺し合いだったならまた違った結果だったのかもしれない。

 ただ、それは明確な敵とするものだ。

 彼女は敵ではない。

 リズアートは鞘に収められた剣をそばに置くと、勝ち気な目を向けてくる。


「ま、いいわ。いつか絶対に一本とってやるんだから」

「一応俺も騎士だからな。やるなら手加減するつもりはないぞ」

「当然。手を抜いたりしたら一生恨むから」

「そいつは恐いな。……って、そうじゃなくて、さっきの答えだよ。誰に習ったんだ? エリアスだけじゃないだろ」

「本当はわかってるでしょ?」

「……メルザか」

「当たり」

「やっぱり」


 ベルリオットは純粋な剣の腕ならば大抵の者よりも勝っている自信があった。

 そんな自分と互角に近い域まで、リズアートを上達させられる人物となれば自然と限られてくる。

 いま、狭間でもっとも剣術に長けているであろう人物。

 メルザリッテ・リアンだ。

 リズアートが人差し指を立てながら、得意気に語りはじめる。


「対峙してからの初手もメルザさんの助言からよ。彼女曰く、あなたは目が良すぎるせいで相手の挙動に惑わされるところがある、ってね」

「メルザのやつ……」


 主の弱点を教えるとはいかがなものか。

 しかし、自分でも気づいていなかった癖を知ることが出来たのだ。

 ベルリオットは若干の悔しさを覚えつつも、心に留めておこうと思った。


「でも、剣を振るう時間なんてあったのか?」

「帝国との戦争中、一時期わたしの護衛についてくれていたでしょう? あのときにも教わってたんだけど、終戦後もこっそり時間を見つけては教わってたの」


 ベルリオットはメルザリッテとともにトレスティング邸で暮らしてはいるものの、常に一緒にいるわけではない。彼女の行動を逐一把握しているわけではないが、まさかそんなことをしていたとは思いもしなかった。


「おかげで自分でもわかるぐらい強くなれたわ」

「たしかに強くなった。強くなったよ。でも、どうしてそこまでして」

「わたしも戦うつもりだから」


 リズアートがさらりと言ってのけた。

 しかし、そこに揺るがぬ意思を感じ、ベルリオットは恐怖にも似た感情に襲われる。

 とっさに声をあげてしまう。


「それはっ!」

「わかってる。わたしは王だもの。シグルとの決戦を生き抜いたあと、人々を導いていかなくちゃいけない。新たな世界の中で、国を国として確固たるものにしなくちゃいけない。だから最前線には出るつもりはないから安心して」

「おどかすなよ……」


 ベルリオットはほっと息をついた。

 ただ、リズアートの表情はいまだ晴れないままだ。


「ただ、戦ってくれる騎士たちを信用していないわけじゃないんだけれど、相手は未知の存在だから。どんな手を使ってくるかわからない。気づけば目の前にいるかもしれない。そんなとき、対抗できないなんてことにはなりたくないの」

「たしかに最低限の自衛はできたほうがいいかもしれないが」


 リズアートがふっと下向いた。

 自身の太腿の上に置いた右手を強く握りしめ、震える唇で言葉を吐き出す。


「本当はわたしだって戦いたいのよ。みんなと、あなたと一緒に戦いたい……」


 多くの騎士が命をかけて戦っている中、自分だけ安全な場所にいる。

 それが許せないという思いが、彼女には強くあるのだろう。


「その気持ちだけで充分だ」


 言いながら、ベルリオットはリズアートの隣に座った。

 彼女の顔は見ずに、頭上に広がる紺碧の空を視界いっぱいに収める。


「役割っての、リズは俺よりもよくわかってるだろ。外のことは俺がみんなとなんとかするからさ。リズは俺たちの帰る場所で待っててくれよ。帰って来たときに誰もいなかったら困るだろ」


 気恥ずかしさを隠すため、少しおどけながら話した。

 そんなこちらの心情を悟ってか、リズートがくすりと笑みをこぼす。


「ええ、任せておいて」


 もう顔は強張っていない。

 ただ心の底から笑っているのかと言えば、そうではなさそうだ。

 そのことにベルリオットは気づいてはいたが、話を蒸し返すことを彼女が望んでいないと思ったため、触れないようにした。


「で、いまさらなんだが……いま式典の準備中だろ。抜け出してきていいのか?」


 シグルとの決戦を明日に控えた、本日。

 王都にて、狭間に生きるすべての者を招き、王ならびに主要な騎士の演説が行なわれる。

 当然、ベルリオットも参加する予定だ。

 リズアートがあっけらかんとこたえる。


「大丈夫じゃないんじゃない?」

「大丈夫じゃないのかよ」

「わたしがみんなを振り回すことなんていまに始まったことじゃないし、大丈夫よ」

「すごい理由だな」

「それに、いまはもっと大事なことがあるもの」


 ふいに彼女は困ったような表情を浮かべた。

 こちらを気遣うように優しく告げてくる。


「重みになるのならやめていいのよ」


 きっと彼女は、その言葉を伝えるために来たのだろう。

 以前、行なわれた会議の中で、ベルリオットは《空の騎士》の団長に指名され、答えを保留にしたことがあったのだが……。


 どうやらリズアートは、その保留の理由を、ベルリオットが人々の希望を背負うことに重みを感じているからではないか、と思ったようだ。

 彼女の気遣いは嬉しい。

 ただ、ベルリオットの悩みは別にあった。


「いや、アムールだって立場を利用して散々かき回してきたんだ。俺がやらないといけないってのはわかってるし、実際それが一番なんだと思う」

「じゃあ、どうしてあのときすぐに受けなかったの?」

「なにかが胸の奥で引っかかっててさ。ただお願いされて簡単にうなずくだけじゃだめだって思ったんだ」


 思い返せば、それはナトゥールとともに訓練校へ顔を出したときからくすぶっていたのかもしれない。


「でもこの前、ファルールで送りの儀をしたときに、引っかかってるものの正体がはっきりとわかった」


 ベルリオットは空を見上げてから目を伏せた。

 すると、夜空に浮かぶ無数の天灯の光景が蘇ってくる。


「大陸には沢山の人がいて、その数だけ違った生活がある。繋がりがある。そして……想いがある。それをしっかりと胸に刻まなくちゃいけない。そうしてやっと俺はみんなの希望を背負えるんだって」


 目を開けた。

 青く澄んだ空へと広げた右手を伸ばす。

 ファルール大陸が落ちてから折、許す限りの時間を使って大陸中の人と話し、手を合わせてきた。

 もちろん、すべての人とはいかない。

 それでも数え切れないほどの多くの者と出逢うことができた。


 右手をぐっと握りしめ、胸元に引き寄せる。

 騎士に憧れる少年ドミや彼の母、ココッテ売りのクダラ。演奏家のカインやセシル、モラド。彼らに続いて、次々に出逢ってきた者たちの顔が浮かび上がってくる。

 ふと視界の端に、リズアートの顔が映った。

 彼女は慈しむような笑みを浮かべ、こちらを見つめている。


「本当、変わった」

「そうか?」

「ええ。最初なんかただのひねくれ者だったもの」

「ひどいな」

「だって本当のことだし」


 くすくすと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 逆にリズは全然変わらないな、とベルリオットは思う。

 二人きりのときは王族の風格なんてまったくない。

 どこにでもいる、少しやんちゃな女の子だ。

 そして、一緒にいると心を落ちつかせてくれる。

 やはり悪くない。

 そう思った瞬間、心がくすぐったくなった。

 生まれた感情を誤魔化すように、ベルリオットは勢いよく立ち上がる。


「よし、行くか」



   /////


 リヴェティア王城の第三階層に位置する、玉座の間。

 そこに通じる唯一の階段前で、ベルリオットは空の騎士に任命された者たちとともに待機していた。


 本日、空の騎士の披露目とともに、その代表者による最後の演説が行なわれることになっている。

 いまごろ前庭には多くの人が集まっていることだろう。

 目にしなくとも聞こえてくる喧騒が、その数の多さをいやおうなしに伝えてくる。


 ベルリオットは空の騎士たちの姿を確認した。

 希望の象徴であることを強調するためだろう。

 空の騎士に任命された者たちには、新たな騎士服が贈られていた。とはいえ大半がもとの騎士服の色合いはそのままに、模様を少し変えただけといった感じだ。


 ひとつ特徴があるとすれば襟元に縫われた紋章だろうか。

 ルッチェが描いたものを元にしたというそれは、羽根を剣形状に見たてた単純なものだが、ひどく洗練されている。

 さすがは、ラヴィエーナの子孫といったところか。

 ベルリオットは、そばに立つメルザリッテの全身を収めながら言う。


「いつもメイド服ばっか見てたから違和感があったけど……よく似合ってる」

「ベルさまにそう言っていただけてほっとしました。なにぶん、このような服を着るのは久しぶりでしたので……」


 そう言いながら、メルザリッテが不安な面持ちで自身の騎士服を見下ろす。

 彼女の騎士服は白と水色を基調としていた。

 おそらくとも言わず、彼女の青みがかった髪色を意識して作られたのだろう。

 肩や太腿が露出しているが、いやらしさはいっさいない。

 むしろ驚くほど白く、キメの細かい肌が触れてはならないと思わせるほど、神聖な雰囲気をかもし出しているぐらいだ。


 メルザリッテはいつも片側で結った髪を胸元に垂らしていたが、いまは後ろで結い上げ、背中へ流している。普段とは違う彼女の姿を前に、なんだか不思議な気分だ、とベルリオットは思った。

 リンカがぼそりとつぶやく。


「お姫さまみたい」

「そんな、お姫さまだなんて。お世辞とわかっていても嬉しくなってしまいます」


 メルザリッテはすっかり気をよくしたらしい。

 少し上気した頬に手を当て、照れていた。


「みなさま、そろそろお願いいたします」


 ラグの声が聞こえてきた。

 彼は階段のほうから顔だけを覗かせている。


「もうそんな時間か。ラグさん、悪いけど少しだけ待ってくれないか」

「はい、大丈夫ですよ。まだ少しだけ余裕がありますから」

「ありがとう」


 ベルリオットはラグに断りを入れたあと、空の騎士たちに向き直った。

 大衆に顔を見せる前に、全員と話しておこうと思ったのだ。

 まずは、空の騎士序列七位。

 ジャノ・シャディンの前に立った。


「ジャノのおっさん。もう自分から死ににいくなんてこと、絶対にしないでくれよ」

「ったく、ここでそれを持ち出してくるか。当然だ。ヴェニ、ドルーノ、カルージのためにも、わたしは《四騎士》として生き抜いてやる」

「五騎士じゃないのか?」

「いまさら入る気になったのか」

「冗談。おっさんにはやっぱ《四騎士》が似合ってるよ」

「……ああ」


 話し終えたあと、右手でがっちりと握手をした。

 次に、序列六位。

 リンカ・アシュテッドの前に立った。

 相変わらずの無愛想な表情だ。しかし初めて会った頃に比べれば、心なしか柔らかくなっているような、そんな気がした。


「リンカ。傷、触ってもいいか」

「い、いきなりなに?」

「だめか?」

「好きにすれば」


 リンカが眉を逆立てながら目をそむけた。

 彼女を知らない人が見れば、怒っているだけに見えるかもしれない。

 だが、それが照れ隠しであることがわかるほどには、ベルリオットは彼女を知っていた。

 リンカの左頬に手を添え、その閉じられた左眼を親指でそっとなぞる。

 と、彼女の体がかすかに震えた。

 気づけば、耳もほんのりと赤くなっている。


「ごめんな」

「過ぎたこと。それにもう気にしてない。でも、そっちが気にしてるなら、ひとつだけお願いを聞いて」

「聞ける範囲なら」


 こたえながら、ベルリオットは彼女から手を離した。

 リンカが一呼吸置いたあと、真剣な顔を向けてくる。


「あのときみたいな戦い方はもう二度としないで」


 重い一言だ。

 あのとき、とは。

 彼女が眼に傷を負う原因となった戦い――。

 ベルリオットが、自身の力におぼれたまま戦ったときのことだ。


「胸に刻んでおく」


 そうこたえると、リンカは満足そうにうなずいてくれた。

 彼女と握手をしたのち、次の騎士の前へと向かう。

 目の前に立つ騎士は序列五位。

 エリアス・ログナートだ。

 彼女はこちらが言うよりも早く、少しいかめしい顔つきで口を開いた。


「初めの頃、正直に言ってあなたの騎士としての評価は最悪でした。それが、まさかここまで来るとは」

「本人が一番そう思ってるよ。アムールの力なんてものがなけりゃ、間違いなくここに立っていないだろうしな」


 アムールでなかったら。

 ただの人間だったら。

 そんなことを考えたことは一度や二度ではない。

 考えるたびに、自分の力とはなにか、と悩まずにはいられなかった。

 ふとエリアスがゆっくりと首を振った。


「いえ、それは違うと思います。いまのあなたを知っているからこそ言えますが、アムールの力は関係なく、あなたはここに立っていたと思います」

「エリアス……」

「それだけの力を、強い意志をあなたは持っています。このエリアス・ログナートが保証します。どうか自信を持ってください」


 エリアスは優しく微笑みながら、そう言ってくれた。

 規律に厳しく、曲がったことを嫌う彼女だが、こうした気遣いの出来る心の持ち主だ。

 初めこそ面倒な人だと思っていたが、いまではその見方は完全に逆転している。

 自分にとって頼れる仲間である、と言い切れる。


「ありがとう」


 そう述べながら、ベルリオットはエリアスと握手を交わした。

 続いて、序列四位。

 ティーア・トウェイルの前に立つ。

 と、違和感を覚えた。

 普段、堂々とした振る舞いを見せる彼女に、どこか落ちつきがなかったのだ。


「なんだ、緊張してるのか?」

「緊張というわけではないが……わたしがこの場に立って良いのか、といまさらになって思ってな」

「そんなことか」

「そ、そんなことはとはッ――」

「俺だって後ろめたい気持ちはいっぱいある。その気持ちから逃げるべきじゃないとも思ってる。ただ、いまは、こうしてティーアと仲間でいられるってことのほうが重要だ。ティーアだけじゃない。これまでに戦った相手とも共に戦える。いや戦わなくちゃならない」


 ベルリオットが手にかけた騎士は少なくない。

 それに対し、戦争だったからしかたなかった、なんて言葉で済ませられないことなどわかっている。とはいえ、報いを受けるべきだ、と言われても、こたえるわけにはいかない。


 自分が守りたい者のために戦った。

 そしてこれからも、自分が正しいと思うことのために戦う。

 足を止めるわけにはいかない。

 都合が良いと言われればそれまでだ。

 しかしいまは、目を向けるべきことがほかにある。

 それに向かって、自分はただ進むしかない。


「主……」

「だから、一緒に前を向こう」


 言って、ベルリオットは手を差し出した。

 その手をまじまじと見つめたあと、ティーアがゆっくりと握手に応じる。


「やはり主に仕えて良かった」

「これから数え切れないくらい苦労かけると思うぞ」

「承知の上だ」


 互いに控えめに笑いあいながら、握った手を離した。

 次に序列三位。

 アヌ・ヴァロンのもとへと向かう。


「じいさん」

「本当に奴の目に似てきよったわ」

「奴って、親父のことか?」

「そうじゃ。ひどく憎たらしい目だ」

「に、憎たらしいって」

「じゃが、馬鹿正直にただ真っすぐに前を向いている。嫌いではない」


 にたり、と笑いながら、ヴァロンは垂れたまぶたを持ち上げる。少しひねくれてはいるものの、やはりそこには長年生きてきた者特有の余裕を感じられた。


「しかし残念じゃな。息子の晴れ舞台、奴も見たかっただろうに」

「どうかな。親父は色々適当だから、こういうのすっぽかしてどっかいってそうだ」

「かっか! 違いない」


 ヴァロンが廊下中に響き渡るほどの大声をあげて笑った。


「まぁ、わしが死んだらあっちで伝えておこう」

「お、おい。縁起でもないって」

「あ? ああ、寿命が来たらに決まってるじゃろうが。シグルなんぞにやられてたまるか。意地でも生き残ってやるわ」

「は……はは。じいさんらしいな」


 たしかにこの人は殺しても死にそうにない。

 そう思えるほどのしぶとさを持っている。

 どうやらほかの騎士たちも同じことを思っていたようだ。

 彼らとそろってベルリオットは苦笑した。


 そして、最後に――。

 序列二位。

 メルザリッテ・リアンの前に立つ。


「メルザ、本当に色々待たせたな。ようやくここまで来られた」

「信じておりました」

「いままで、ずっとそばで支えてくれてありがとう」


 礼を言うことに恥ずかしさは感じなかった。

 素直な気持ちだった。

 ふいにメルザリッテの目から涙があふれた。

 つぅと頬を伝ったそれは静かに床へと滴り落ちる。


 彼女自身に動きがいっさいなかったため、ベルリオットはなにが起こったのかすぐに理解できなかった。彼女の姿を前に、ただぼう然としてしまう。

 メルザリッテがなにかこみ上げてくるものを抑えつけるように、震える唇を噛んだ。


「その言葉だけで、わたくしはっ……」

「お、おいっ、泣くなよ!?」

「申し訳……ありません……ですが、涙が止まらなくて……っ!」


 どうやら堪え切れなかったらしい。

 彼女は口もとを抑えながら嗚咽を漏らしている。

 いったいどれだけのときをひとりで過ごしてきたのか。

 どのような思いで、このときを待っていたのか。

 それらを推し量ることなどできはしない。

 だが、もう孤独はない。

 待つことはない。

 ベルリオットは彼女の頭を右手で引き寄せた。

 自身の胸で抱きながら、優しく告げる。


「ったく……泣くのはまだ早いだろ。全部、終わって、ちゃんとみんなで帰ってきたら、そのときみんなでみっともなく泣いて、そんでもってみっともなく笑おうぜ」


 言いながら、ベルリオットは周りに立つ騎士たちを見やると、全員がうなずき返してくれた。

 少し落ちつきを取り戻したのか、メルザリッテの嗚咽が徐々に収まっていく。

 何度か鼻をすすったのち、彼女はゆっくりと深呼吸をした。

 そして勢いよく顔を上げる。


「……はいっ!」


 目もとは赤くなっていたし、目尻にはたくさんの涙がまだ見える。

 だが、これまでに見たことのない、最高の笑顔だった。


 本当に色々ありがとな、メルザ。


 そう心の中で彼女に伝えたあと、ベルリオットは階段のほうへと目を向ける。


「ラグさん、待たせた」

「いえ、大丈夫です。では、上へ参りましょう! みなさまがお待ちです!」



   /////


 玉座の間には天井も壁もなかった。

 以前、帝国から襲撃された際、飛空戦艦(ドストメギオス)白煌砲(ラディス・ヴィア)をまともに受け、吹き飛んでしまったためだ。

 もちろん修復案も提示されたが、リズアートがこれを拒否した。

 大事な資材、労力を使うべきではない、と。

 見かけにこだわらないところは、本当に彼女らしいな、と当時のベルリオットは思ったものだ。


 破損した壁が綺麗に取り除かれた状態になっているため、どこを向いても空を眺めることができた。高い場所にいることもあり、吹きつける風は少し強めだ。ただ、荒々しさを感じることはない。


 空の騎士の全員が階段を上がり終え、玉座の間に足を踏み入れた。

 ベルリオットが中央に位置する格好で、天空の間へ向かって横に並ぶ。

 少し先には、こちらを向いて待つ、七人の王の姿。

 彼らは鞘に収められた模造剣を持っている。

 序列七位のジャノから順に、ひとりずつ模造剣が渡されていく。

 剣を受け取り、腰に佩いた者から天空の間へと向かい、その姿を大衆の前へとさらす。

 そのたびに割れんばかりの歓声があがる。


 剣の贈与は順調に進み、ついに残るはベルリオットのみとなった。

 目の前に立つ、リズアートの前へと歩を進める。

 彼女が持っているのは模造剣ではない。

 ベルリオットが普段から身に付けていた剣だ。

 アウラ以外の剣を持つならば、やはり自分にはこの剣しかない。

 そう思い、あらかじめ渡していたのだ。

 リズアートが両手で剣を捧げるように差し出してくる。

 同時に、目をそらすことなどできない、強い意志のこもった瞳を向けられる。


「必ず帰って来て」

「ああ」


 ベルリオットは力強くうなずいたあと、剣を受け取った。

 彼女の脇を通り過ぎる、その一瞬。

 視界の端に映った、なびく金の髪に名残惜しさを覚えたが、振り切るように前へと進み、天空の間に立った。


 ベルリオットは目をむいた。

 眼下の前庭が数えきれないほどの民で埋め尽くされていたのだ。

 城壁上も開放されているようだが、まったくといっていいほど収まりきっていない。

 ストレニアス通りやレニス広場。そこに近い路地裏までも人の列が延びている。

 王都のいたるところに押し寄せているのではないか。

 大げさではなく、そう思えてしまうほどの人が、いま、目に映っていた。


 心が震えた。

 連鎖的に足も震えた。

 まさか緊張しているのだろうか。

 いや、違う。

 これは――。


 ベルリオットが顔を出した瞬間から、さらに歓声が大きくなっていた。

 それが地鳴りのように響き、足を震わせていたらしい。

 これほどの歓迎を受け、嬉しくないわけがない。

 思わず口もとを緩めてしまいそうになったが、すぐに引き締めた。

 ベルリオットは軽く右手をあげる。

 沸いていた歓声が次第に小さくなっていく。

 やがて完全に収まったわけではないが、声を出せば響くほどには小さくなった。

 ベルリオットは手を下ろしたあと、小さく深呼吸をした。

 視界いっぱいに民の姿を収めながら、ゆっくりと、しかしたしかな力をこめて言葉を紡ぎはじめる。


「俺の名はベルリオット・トレスティング。もう知っている者もいるかもしれないが、新たに発足された、この空の騎士の団長を務めることになった」


 聴衆は、静かに耳を傾けてくれている。

 突き刺さる視線は数え切れないほど多い。

 それでもベルリオットは不思議と心が落ちついていた。

 横に並んだ空の騎士たちを一度見やったあと、話を続ける。


「ここに並んだ者たちはいずれも屈強な者たちばかりだ。彼らを差し置いて、なぜ俺が団長を、という気持ちはいまでも拭いきれない。というのも、俺は一年前までアウラが使えない、おちこぼれ騎士だったからだ」


 腰に携えた剣の柄尻に、手のひらをそっと添える。

 ひんやりとした冷たさを感じたが、不思議と胸が温かくなった。

 こみ上げてくる懐かしさが原因だろうか。


「いつも実剣を持ち歩いていたせいで、帯剣の騎士なんて呼ばれ方もしていた。親父が《剣聖》と呼ばれるリヴェティアの英雄だったこともあって、ことあるごとに比べられた。そうしたこともあって、あの頃の俺はこの狭間の世界があまり好きじゃなかった。世界が小さく見えた。……けど、そんなときだった。どこぞのおてんば姫がやってきたのを境に、俺の世界が変わりはじめたんだ」


 おてんば姫とは、リズアートのことだ。

 振り向くことは出来ないが、今ごろ彼女は焦り、困った顔をしていることだろう。

 そう思うと急に楽しくなり、自然と声が弾んだ。


「シグルとの初めての戦闘。正直、死ぬかと思ったけど、ずっと振り続けてきた剣が俺を救ってくれた。そしてある戦いをきっかけにアウラが使えるようになった。最初はその力を持て余して、色んな人に迷惑をかけたりもした。けど、この力がなんのためにあるのか。それを知ることで、うまく扱えるようになったんだ」


 周囲を見返してやりたいと思う気持ちが先立ち、本当になにも見えていなかった。

 大事なものが見えていなかった。

 いや、見ようともしなかったのだ。

 だが、周りの者たちのおかげで気づくことができた。

 アムールの力。

 それは守るためにあるのだ、と。


「それからいまのいままで。様々な理由で大陸が次々に落ちていった。その様を間近で何度も目にしてきた。そのたびに大切な人をなくしたような……家族をなくしたような、そんな思いが胸をついた。どうしてなのか。答えは簡単だった。俺が経験してきた、これまでの時間。決して良いことばかりじゃなかったけど、数え切れない人と出逢った。そんな彼らと過ごした大陸に、知らない間にたくさんの思い出が詰まってたんだって。そして……気づいた」


 ベルリオットはゆっくりと周囲を見渡した。

 眼下に映る人々だけではない。

 王都の建物や草花。

 広がる大地や青空。

 それらすべてを目に収めた。

 自身の右手を見つめ、そこに詰められた人々の出逢いを思い出し、強く握り締める。

 そして、大きく息を吸い込んだ。


「俺の世界はもう小さくない。こんなにも広いんだって。いまなら胸を張って言い切れる。俺は、この狭間の世界が大好きだ! みんなが生きるこの世界が大好きだ!」


 拍手の混ざった歓声が沸き起こった。

 初めは前庭だけだったそれが、徐々に外側へと広がっていき、さらに音を大きくする。

 これほど多くの者たちが同調してくれている。

 目に映る光景を前に、ベルリオットは気持ちが昂ぶり、心臓の鼓動が早まった。

 歓声が収まりきらないうちに話を続ける。


「明日をもって《運命の輪》が壊され、運命のときを待たずして大陸は落下する。シグルは強大だ。辛く苦しい戦いになることは間違いないだろう。だが、絶望しないで欲しい! 諦めないで欲しい! 狭間の生きるすべての者が手を取り合えば、俺は勝てると信じてる! いや、必ず勝てる! だからどうか、みんなの力を貸して欲しい!」


 ベルリオットは静かにアウラを纏った。

 青の光翼を放ちながら、腰に携えた剣を抜き、天へと剣を突きたてる。


「纏え、光を! 掲げよ、剣を! その身に宿した狭間の意志を、黒き闇に突きたてろ!」


 民衆が、騎士が咆えた。

 まるで大陸が咆哮を上げているのではないか。

 そう思うほどの凄まじい歓声だ。

 骨だけではない。

 心すらも震えているような感覚に襲われる。


「勝ち取ろう、平和な日々を! 取り戻そう、始まりの地を! そして――」


 目に映るすべての者たちもアウラを纏い、光の剣を掲げる。

 視界が光で満ちあふれていた。

 空の騎士が生み出した光が、希望になるのではない。

 狭間の生きるすべての者が生み出し、合わさった光こそが希望になるのだ。

 そう、ベルリオットは確信した。


「帰って来よう、この場所へ」




 七大王暦一七三六年・十月二日。



 大陸が浮遊しはじめてから、約二千年のときを経て――。



 ついに、シグルとの決戦が始まる。






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