◆第六話『送りの儀』
七大王暦一七三六年・八月二日(ファルの日)
「いい? 絶対に壊さないでよ? 言っとくけど、次壊したら料金増しましだからね!」
「わ、わかってるって。大体、前も壊したくて壊したわけじゃないからな……」
リヴェティア・ポータスにて。
まなじりを釣り上げたルッチェを前に、ベルリオットはたじろぎながら答えた。
そばにはアミス・ティリアが置かれていた。
一度、帝国との戦争中に壊してしまったが、ルッチェがあらたに造ってくれたのだ。
「ほんとかなー。なーんかきみって信用ならないんだよね」
ルッチェからじろりと疑心に満ちた目を向けられる中、ベルリオットはあちこちで発着を繰り返す飛空船の姿が目に入っていた。
静かなときは一切ない。
空気を細かく震わすような音がつねに耳に届いている。
輸送用の飛空船から下ろされる、多くの木箱。
おそらくファルール大陸から運びこまれた物資が大半を占めているだろう。
明日、ファルール大陸が落とされることになっている。
ベルリオットにとって大陸を落とすことは負の印象が強かったのだが、陽気なファルールの民は違ったらしい。本日、送りの儀のついでに祭りを行なうというのだ。
ファルール王から正式な招待を受けたこともあり、ベルリオットはメルザリッテとともにこれからファルール大陸に向かうところだった。
見送りには、ティーアが来てくれていた。
彼女に向かって、メルザリッテが丁寧に頭を下げる。
「ティーアさま、屋敷のことよろしくお願いいたします」
「ああ、任せてくれ。掃除は得意だからな。すべての埃を駆除し、常に最高の状態を保ってみせよう」
「ふふ、頼もしいですね」
自信たっぷりに胸を叩いたティーアを見て、メルザリッテが微笑んでいた。
同じメイドとして、いまや二人はすっかり仲良くなったようだ。
「メルザ、そろそろ行こう」
「はいっ」
ベルリオットは、メルザリッテとともにアミス・ティリアに乗りこんだ。
メルザリッテの細い腕が腰に回されたのを機に、アウラを流しこみながら左手側の取っ手を軽く回した。ふわり、と機体がかすかに浮き上がる。
「それじゃ行ってくるな」
「行ってきます。ティーアさま、ルッチェさま」
「ああ」
「無事に帰ってきてね、あたしのアミス・ティリアちゃん!」
あくまで心配するのは機体のほうなんだな、とベルリオットは苦笑しつつ、左手側の取ってをさらに回した。機体下部からアウラが噴出し、アミス・ティリアが一気に上昇する。
瞬く間に大陸との距離が離れ、ティーアやルッチェの姿が視認できなくなる。
もう少しで大陸圏外といったところか。
ベルリオットは正面中央にある槓杆を引いた。
足もとの辺りから現れた覆いに搭乗席が包みこまれる。
充分な高度に達したところで右側の取ってを回し、機体を前進させる。
ふと、メルザリッテが鼻歌を唄いだした。
「えらくご機嫌だな」
「当然です。ベルさまと二人きりでおでかけなんて、本当に久しぶりなんですから」
「そういえばそうだったな。訓練生になる前に行ったきりか」
「はい。あれ以降は他人に見られると恥ずかしいからと一緒に外を歩いてくれなくなってしまいましたから。あのときはもう、本当に悲しゅうございました」
言いながら、メルザリッテがぐすんと泣きまねを始めた。
ベルリオットは当時のことを思い出しながら、はぁ、とため息をつく。
「所構わず抱きついたりキスしようとしたりするからだろ」
「正常な愛情表現です」
「間違いなく過剰だ! あと、その服だと余計に目立つんだよ」
「はっ、脱げと仰るのですか?」
「誰がそんなこと言った!」
「そう言っていただけてほっとしました。ベルさま以外の方には裸を見せたくありませんから。あっ、そうです! 久しぶりに一緒にお風呂に入りましょう! そうすればベルさまだけに、メルザのあられもない姿を見せられます! 名案です!」
「言っとくけど絶対にしないからな」
「もう、ベルさまったら。いまは人目がないんですから照れなくてもいいのですよ」
「ああもう、くっつきすぎだ! 操縦できないだろ!」
メルザリッテが腰に回した腕に力を込めてきた。ぎゅぅ、と密着され、彼女の胸が背中に強く押し当てられる。エリアスやクーティリアスほどではないにしろ、それなりに大きな部類である胸だ。その弾力、柔らかさともに並ではなく、ベルリオットの意識を否応なく背中に集中させる。
さらにメルザリッテは左肩に顔を近づけているのか。少し青みがかった髪が視界の端で見え隠れしていた。心を落ち着かせるような彼女特有の甘い匂いが鼻をついてくる。
相手はメルザリッテだというのに、思わず変な気持ちにさせられてしまう。
このままでは色々とまずい。
離れてもらうためにも、「遊びじゃないんだぞ」と注意するほかないだろう。
さっそくとばかりにベルリオットは振り返り、口を開ける。
が、すぐに口を閉じた。
「ベルさまと二人きりでおっでかけ、おっでかけっ」
メルザリッテの顔が、まるで無邪気な子供のようだったのだ。
彼女がここまで浮かれているところは初めてかもしれない。
他人が見てもわからないほど些細な違いかもしれないが、長く一緒にいたベルリオットにははっきりとわかった。
視線を前に戻し、澄み切った空を見ながら思う。
……ま、今日ぐらいはいいか。
/////
「まだかかりそうか? できれば急いでくれると助かるんだが……」
「あともう少し、もう少しの辛抱ですんで!」
ベルリオットの問いに、年のころ三十ほどの男が焦りながら答えた。男は木箱に座った状態で、画布と睨み合いをしてはふとした瞬間に右手に持った筆を滑らせる。
ファルール大陸に到着したのち、すでに賑わっていた王都を歩いていたときだった。大通りから少し外れた道端で、いま、目の前にいる画家に半ば強引につかまったのだが……。
――格好は好きにしてもらってかまわない。ただ、なるべく笑顔で頼むよ。
という画家の要望に対し、メルザリッテが嬉々としてベルリオットの右腕に抱きついてきたのだ。しかも、その体勢で画家が絵を描き始めてしまったため、断る間もなかった。
「ベルさま、気遣ってくださっているのなら大丈夫ですよ。このメルザ、まったく辛くなどありませんし、むしろずっと、永遠に、息絶えるまでこのままでも問題ありません」
「問題大有りだろっ。ていうか気遣ってるわけじゃなくてだな――」
「ああっ、もう動かないでくださいよ!」
「ベルさま、叱られてしまいましたね」
「ぐっ」
ベルリオットはやりきれない気持ちをなんとか押しとどめた。
なにもくっつかれていることだけに不満があるのではない。
問題があるのは、周囲の状況だ。
「あれってベルリオットさまだろ」
「そういえば、今日いらっしゃるって言ってたものね」
「しかし、あの隣にいる綺麗なお姉さんは誰だ? 恋人か?」
時間が経つにつれ、人周囲の注目を集めていたのだ。
おかげで居たたまれないことこのうえない。
「ベルさま、メルザが恋人ですって」
おまけにメルザリッテがずっと浮かれた調子だ。
ベルリオットは頭が痛くなる一方だった。
「よし、できた! こんな感じだが、どうだ?」
画家が画布を画板から取り外し、こちらに向けてくる。
絵具に泥を混ぜているという話を彼から聞いたが、たしかに土に近い色合いだ。
一色しか使っていないにも関わらず、明暗がくっきりとうかがえるのは繊細な筆づかいが成せる技か。
訓練校でも絵画の授業はあるものの、ベルリオットではこうもいかない。
さすがは本職といったところか、感嘆せざるを得ない。
ただ――。
「上手い、上手いんだが……俺、こんな顔してたか?」
「はいっ。ずっと照れ照れしてらっしゃいましたから」
どうやら思っていた以上に、羞恥心に襲われていたらしい。
もう少し上手く隠せるようにしないとな、とベルリオットはひとり頭をかく。
「あの、代金はこれぐらいでよろしいでしょうか?」
メルザリッテが差し出した貨幣は少し多めだ。
画家が見るからに口もとをにやつかせた。
「へへ、やっぱり貴族さまは違うね。毎度ありっ。待ってくれよ。いま、包むからな」
画家は、くるくると画布を丸めると、そばに置いていた紐でくくった。
「ほら、どうぞ。お姉さんが喜んでくれたみたいで良かったよ」
「それはもうっ! いただいたこの絵、家宝にいたしますっ」
「ははっ、そいつは光栄だな!」
メルザリッテの喜びように気をよくした画家が、辺りに響き渡るほど快活な笑い声をあげた。
恥ずかしい思いはしたが、こうして誰かの笑顔を見るのは悪い気はしない。
「あ、そういえば。これ」
ベルリオットは胸元から細身の小枝を取り出した。
木肌は凹凸があまりなくさらさらした感触で、葉は先端に手の平よりも小さなものが一枚だけついている。
これはキノカリと呼ばれる樹木の小枝だ。
燃えやすいこともあり、よく松明代わりに使われている。
ベルリオットが持ってきたわけではない。
ファルール大陸に入国した際、渡されたのだ。
なんでも祭りの一環らしく、出逢った人とキノカリの小枝を交換していくのだという。
「おー、忘れてた忘れてた。ほらよ、俺のだ」
ベルリオットは画家と小枝の交換を行なった。
これになんの意味があるのかはわからない。だが、小枝を交換することで不思議と相手との距離が少しだけ縮まったような、そんな気がする。
これが交換の目的なのだろうか、などと思いながら、ベルリオットは画家と別れた。
「メルザは交換しなくて良かったのか?」
「はい。ベルさまと交換したので、これは最後までメルザが持っておきます。絶対に誰にも渡しません」
「ま、まあ、メルザがそれでいいなら俺はかまわないんだが」
大通りへと戻ると喧騒が大きくなった。
道端の大半を露店が占めている。
中でも家庭的なものを売っているところが多い。
商売人だけでなく、一般人も参加しているようだ。
おそらく大陸が落ちることもあり、無駄なものを処分しようとしているのだろう。
仕方ないこととはいえ、食べ物が売られていなかった。
これからのことを考えると、いま、がつがつと食い漁るようなものではないのは確かだが……ベルリオットの中では祭りと言えば食べ歩きという印象が強かったため、少し寂しい気がした。
そんな暗い気持ちを吹きとばすような音楽がふと耳に届いた。
拍が短く、跳ねるような音を使った陽気な演奏だ。
見れば、ひとりの青年が銀笛を吹きながら近づいてきた。音楽の調子にあわせて踊りながら、笑顔を向けてくる。さらに彼だけでなく、手風琴を演奏する白髭の男、木製打楽器を演奏する若い女性が追加でやってくる。
ベルリオットは初めこそ驚いたものの、いつの間にか表情をゆるめてしまっていた。
メルザリッテも、「あらあら」と口にしながら楽しそうに笑っている。
こちらを遠巻きに見ていた者たちも、気づけば音楽に合わせて手を叩いていた。
中には唄う者や、踊る者までいる。
こうした突発的なものでも、盛り上がった雰囲気にうまく順応できるのはファルールの民ならではだろう。
ひとしきり演奏し終えると、初めに現れた青年が声をかけてきた。
「ベルリオットさま、俺たちこれから広場で演奏するんだけど、良かったら聴いてってよ!」
「あんた、ちょっと話し方雑すぎでしょ! 相手はアムールなのよ!」
「いいじゃないか。今日は無礼講なんだから気にすんなって、ファルール王も言ってただろ」
「だ、だからって!」
青年たちの勢いに圧倒され、ベルリオットは思わず唖然としてしまう。
その様子を見ていたらしい白髭の男が注意を促す。
「痴話喧嘩はそのぐらいにしておきなさい。ベルリオットさまが困っているだろう」
はっとなった青年が、こほんと咳をひとつ。佇まいを直した。
「挨拶が遅れました。俺、カインって言います。で、こっちのうるさいのが一応、俺の妻でセシルで」
「誰がうるさいよ!」
「で、こっちのじいさんが俺の祖父のモラドです」
「お目にかかれて光栄です。ベルリオットさま」
演奏家たちがそろってお辞儀をする。
仰々しくはないが、さまになっている。
きっと普段から練習しているからだろう、とベルリオットは感心した。
「よろしく。えーと、知ってるみたいだけど、俺はベルリオット・トレスティングだ。こっちはうちのメイドの、メルザリッテ・リアン」
メルザリッテが丁寧なしぐさでぺこりと頭を下げる。
その姿を見たセシルが目を輝かせる。
「ほわぁ~。メイドさんがいるなんて、さすがです。すごく綺麗な方だったので、てっきり恋人さんなのかと」
「あら、ベルさま、聞きましたか? わたくしのこと、綺麗ですって」
「そうだな、綺麗だな」
「もう、人前だとすぐ照れるんですから」
メルザリッテが拗ねたように口をとがらせる。
下手に否定しても同じことを言われるので、ベルリオットはもう適当に相槌を打つだけに留めた。
カインが手に持った銀笛を軽く持ち上げながら話す。
「えと、俺たち見ての通り演奏家です。このファルール大陸を拠点にずっと活動してきたんですけど……」
「今日で終わり、なんだよね」
セシルが静かな口調でそう続けた。
「うん。生まれも育ちもファルールだから……家族を失ったような、そんな気持ちだよ」
そう口にしたカイルの顔は、悲しみと悔しさが入り混じったような複雑なものだった。
ただ、どうにも出来ないことは理解しているようだ。
その瞳はどこか達観したように、遠くを見ているような気がする。
「シグルとの戦いが終わったあと、どんな世界が待ってるかわからないけど。全部終わったら、俺たち、世界をまわりながら演奏しようって約束してるんです」
「カインってば体力ないからすぐへこたれそうだけどね」
「う、うるさいな。やっぱりうるさいよ、おまえ」
「あんた、ほんとうるさいしか言えないよね」
「う、うるさいな」
「ほら、また」
カインとセシルのやり取りを見て、メルザリッテがくすくすと笑う。
「お二人は本当に仲が良いのですね」
「子どもの頃からずっとこの調子なんですわ。相手が好きだからこそ、いじめてしまうんでしょうな」
「じ、じいちゃん!」「お、おじいさま!」
カインとセシルがそろって顔を真っ赤にしてモラドに詰め寄る。
その光景もまた、二人の仲の良さをよく表していた。
ベルリオットがメルザリッテとともに笑うと、カインたちは恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「て、ていうか俺たちのことはいいんです!」
カインが羞恥心を取っ払うように声をあげた。
ベルリオットのほうを真っすぐに見ながら話してくる。
「俺たち戦闘じゃまったく役に立てないけど、せめて戦ってくれるみんなを最高の気持ちで送り出せるように、また帰ってきてくれたとき、おかえりって言ってあげられるようにしたいんです。だから、ぜひ、ベルリオットさまにも俺たちの音を聴いて欲しくて!」
彼の申し出に、ベルリオットは心が温かくなった。
断る理由などない。
メルザリッテと頷きあったあと、カイルに向かって言う。
「こちらからもお願いするよ」
「よおしっ!」
カインとセシルが弾けるような笑顔を見せながら、互いの手を叩き合った。
「それじゃあ、すぐ近くに演奏するのに良い場所があるんで、そこまで案内します!」
興奮冷めやらぬといった様子でカイルが声をあげた、そのとき――。
遠巻きに見ていた人たちがぞろぞろと駆けよってきた。
気づけば、ベルリオットは二十人ほどに周りを囲まれ、あちこちから声をかけられる。
「次はわたしたちの踊りを見てってよ!」
「いや、次はわしらと賭け腕相撲だろ!」
「少しなら食事出せるんで、俺の自慢の料理を食べてってくれ!」
「握手、握手してください! してもらえたら一生洗わないので!」
初めこそ恐る恐るといった様子だったのが、ひとりが接触してきたのを皮切りに服を引っ張られはじめた。アムールだから、という前提条件があったとしても、一応は慕ってくれているからこそだ。下手な対応はできず、ベルリオットはしどろもどろになってしまう。
「わかった! わかったから、みんなあんまり引っ張らないでくれっ!」
「ふふっ、ベルさま人気ですね」
「の、のん気なこと言ってないで助けてくれっ!」
/////
「ベルリオットさま、今日はわたしたちの演舞を見てくださってありがとうございました! またどこかでお会いできたら、そのときはもっとすごいのをお見せできるよう、がんばります!」
「ああ。楽しみにしてる」
薄い布地を纏っただけの、露出の多い格好をした女性と別れたあと、ベルリオットはふぅ、と息をついた。
「ようやく落ちついたか」
「疲れましたか?」
隣を歩くメルザリッテが訊いてきた。
すでに日が落ちはじめ、空に黒味が混じりはじめている。
「そりゃあ、あんだけ連れまわされたらな」
「ですが、楽しそうでした」
「否定はしない」
言って、ベルリオットは顔をゆるめる。
今日一日だけで色んな人と出逢い、言葉を交わした。
彼らが得意とする芸を見せてもらったり、身の上話を聞かせてもらったり、と新鮮な気持ちを何度も抱かせてもらった。
自分が生きてきた、ただ剣を振り、戦いに明け暮れてきた世界。
それとはまた違った世界。
ベルリオットは心の中に生まれた空虚な穴が埋まっていくような、不思議な感覚に満たされる。
ふと気づけば、メルザリッテが微笑みながらこちらを見つめていた。
「な、なんだよ」
「なんでもありません」
こたえながら、メルザリッテは笑うのをやめない。
妙な恥ずかしさに見舞われ、ベルリオットは頭をかきながら彼女から目をそらした。
「あ、ベルさま。あそこで少し休みませんか?」
言って、メルザリッテが指さしたのは川を挟んだ先に建っている木造家屋だ。
ファルールではお馴染みの急勾配の坂に整備された石畳。そこに沿うように並ぶ店の中で、唯一喧騒とともに光が漏れている。
母屋から突き出した屋根のない場所では、いくつかの卓が並び、それを囲むように立った者たちが陽気にグラスを掲げている。
上気した頬から察するに、彼らが飲んでいるのは果実酒だろう。
つまり酒場だ。
メルザリッテの提案のもと、ベルリオットは酒場に入った。
外から見るよりも中は広かった。
丸型の卓と椅子が二十組ほど置かれている。
ざっと見た感じではあるが、席はほぼ埋まっている。
各席の間に余裕があることもあってか、歩きながら酒を飲んでいる者も少なくない。
完全に客が自由に振舞っている。おかげで馬鹿騒ぎといった様相を呈していた。
接客をしているのは、白と緑の二色を基調とした制服に身を包んだ女性店員だ。
客の注文を聞いては品を運び、忙しなく動いている。
「あの方々、なかなかやりますね……!」
ひとり対抗心を燃やしているメルザリッテをよそに、ベルリオットは店内を歩きながら空席を探す。
この感じじゃ空いてなさそうだな……。
そう思いながら視線を巡らせたとき、奥側の隅の卓で、ひとり席についている男を見つけた。
男は少しくすんだ白外套に身を包んだ格好。
グラスを口に運ぶたびに、つんつんに跳ねた髪をわずかに揺らしている。
「イオル?」
イオル・アレイトロス。
元リヴェティアの騎士訓練生であったが、あるときを境にリヴェティア大陸を離れ、いまでは流浪の騎士として過ごしている。
イオルはグラスを机にゆっくりと置くと、かすかにまぶたを跳ね上げた。
「ベルリオット? 来ていたのか」
「あ、ああ。ファルール王に招待されてな。……まだファルールにいたのか」
「きさまには関係ないだろう」
「相変わらず愛想がないな」
こちらの言葉に、イオルは放っておけと言わんばかりに、ふんと鼻を鳴らした。
この態度に昔は苛立ったものだが、いまではなにも感じない。
むしろ、こうでなければイオルではない、と思えるほどになった。
「少し外に出ないか」
「……かまわないが」
イオルがちらりとベルリオットの後ろのほうへ目を向けた。
そこにはメルザリッテが控えている。
「メルザ。少しイオルと二人で話してもいいか」
「かしこまりました。そちらの席で待たせてもらってもよろしいでしょうか?」
「ああ」
イオルの了解を得て、メルザリッテが席のほうへと向かう。
「待っててもらうのもなんだし、先になにか飲んでてくれ」
そう言い残し、ベルリオットは歩きだす。
あとに続いてきたイオルが、かすかに戸惑うような声で訊いてくる。
「いいのか?」
「なにが?」
「い、いや……あのメイド、あからさまに嫌な顔してるんだが」
ベルリオットは目を動かし、肩越しに振り返った。
と、メルザリッテが頬をぷっくりと膨らませ、イオルを睨んでいるのが目に入った。しかしこちらと目が合った瞬間、彼女は何ごともなかったかのように満面の笑みを浮かべる。
ベルリオットは嘆息しながら、イオルのほうへ向き直る。
「あー、気にしないでくれ。いつものことだから」
「そ、そうなのか。おまえも大変だな」
/////
川のほうへ突き出した屋根のない場所へとやってきた。
ここも酒場の中であるため、近くにはいくつかの卓が置かれている。
騒ぐ男たちの声が絶えず聞こえてくるが、四方が壁で囲まれていないこともあり、音がこもらず、気になるほどではなかった。
ベルリオットはイオルとそろって欄干に両腕を置き、身を預ける。
眼下には、さらさらと静かな音を立てながら川が流れている。
日が完全に落ち、すっかり空は暗くなったが、星の輝きが川面に反射し、いたるところでぼやけるように煌いている。
「やっぱりリヴェティアには戻りにくいのか?」
「どうだろうな。俺自身、よくわからない」
「まあ、明日にはいやでもリヴェティアに来ることになるんだろうけどな」
「きさまが言っているのは、そういうことではないのだろう」
「まあな」
ただ、リヴェティアという大陸に戻るだけではない。
リヴェティアという国の民として、騎士として、戻るということだ。
「イオルが思ってるほど、お前に戻ってきて欲しいって奴は、いると思うぞ」
「俺はリヴェティアの王を……陛下を暗殺しようとした者たちに加担した大罪人だ。そんな者、いるはずがないだろう」
「その陛下とやらが、一番戻ってきて欲しいって思ってると思うんだけどな。おまえだって本当はわかってるだろ」
リズアートはイオルのことを恨んではいない。
むしろ、グラトリオ・ウィディールが企てた事件に巻きこまれた側として、気を遣っているようにさえ思う。
イオルは目線を深く落とし、両の手に拳を作った。
「たとえそうであっても俺は簡単には戻れない。だが、陛下は俺という存在を認め、救ってくれたお方だ。いつか必ず恩を返したいと思っている」
ほんと変わらないな……。
昔もいまも、イオル・アレイトロスという男はずっと強い意志を持ち、行動している。
それは自分にはないものだ、とベルリオットは思う。
訓練生時代、イオルに抱いていた劣等感の正体は、きっと単純な武力の差だけではない。
きっと彼の生き様だったのだろう、といまさらになって気づくことができた。
ベルリオットは欄干に背を預け、天を見上げた。
満天の星空を目にしながら、口を開く。
「ま、色んなこと、整理がついたらもう一度考えてみろよ。俺もあいつと同じで一応はおまえに戻ってこいって思ってるんだ」
「きさまに言われると、逆に戻りたくなくなるな」
「……おまえな」
人がせっかく素直になってやったのに、とベルリオットは心の中で悪態をついた。
でもま、イオルらしいっちゃイオルらしいか。
そう自己解決し、ベルリオットはひとり苦笑する。
「なにを笑っている?」
「なんでもねーよ。そういやジンは一緒じゃないのか?」
「ひと足先にリヴェティアに渡った。あれの訓練をすると言っていたな」
「《運命の輪》の破壊に使うってやつか。まさかジンが選ばれるとは思ってなかったな」
「あいつ以上に適した奴がいないからな。まあ、ああ見えて訓練熱心のようだから心配はいらないだろう」
ルッチェが開発した水晶玉を撃ち、《運命の輪》を破壊する。
その大役にジン・ザッパが選ばれた。
元暗殺者であり、レヴェン国王を殺した男だ。
当然、反対者は出たが、リズアートが了承したことですべての意見が封殺された。
彼女曰く、「最高の使い手なのだから当然でしょう」と。
たしかにそうなのだが、信用するかしないかの問題をすっ飛ばす彼女の肝には恐れ入る。
もし自分が選ぶ立場にあるのなら、確実に別の人間に任せていただろう、とベルリオットは思う。
「ジンのこと、イオルも信頼してんだな」
「ただの腐れ縁だ」
そう、イオルが吐き捨てるようにこたえたとき――。
ふいに屋内のほうから悲鳴が聞こえてきた。
いったいなにが起こっているのか。
異変を感じたベルリオットは、イオルと険しい顔を見合わせる。
と、メルザリッテが屋内から出てくるなり、こちらに駆け寄ってきた。
「ベルさまっ」
「メルザ、なにがあったんだ?」
「それが……」
メルザリッテは困惑した表情を浮かべる。
明言を避けた彼女を置いて、ベルリオットは急いで屋内へと向かった。
中では、多くの女性店員たちが手で目を覆っていた。
そのうち何人かは指の隙間から眼前の光景を目にし、顔を赤らめている。
ベルリオットはいやな予感がしつつも彼女らの視線を追い、騒ぎの中心へと目を向けた。
思わず天を仰いだ。
ああ、そういうことか。
ファルール大陸に住まう裸族……もといナド族の男、マルコが全裸で立っていたのだ。
彼は身振り手振りで抗議しはじめる。
「無礼講だと聞いたのに、なんだこの仕打ちは! 解せない!」
「いやいや、いくら無礼講でも真っ裸で歩いてたら、そりゃ引かれるって!」
ベルリオットが呆れつつ反論すると、マルコがこちらに気づいたようだ。彼は険しい顔つきから一転、安堵したように表情を柔らかくし、こちらに歩み寄ってくる。
「おお、トレスティング卿! 捜しましたぞ!」
「俺を?」
「ええ。もうすぐ送りの儀が執り行なわれるので、それにあわせてファルール王がお会いしたいと申しております」
送りの儀のことについて、いまだなにも聞かされていない。
が、今回、この地に訪れたのはもともとファルール王に招待されたからだ。
断る理由はない。
「わかった、行かせてもらうよ。イオルはどうする?」
「俺はいい」
「そうか」
ふとベルリオットは、自身の胸元のポケットから覗いているキノカリの小枝が目に入った。それを無意識に取り出し、イオルに見せるようにかかげる。
「これ持ってるか」
「あったとしても、きさまに渡すつもりは――」
「お、あったあった。もらってくな」
イオルの右腰に刺さっていた、キノカリの小枝を抜き取った。
「なにを勝手に取っている!」
「ほら、これ俺のだ」
ベルリオットはこれまで自分が持っていた小枝を放り投げた。
文句を言いつつも、反射的に体が動いたらしい。小枝を落とすことなく掴み取ったイオルを見てから、ベルリオットは店の出口へと向かう。
「じゃあな、イオル。行こう、メルザ、マルコ!」
「ま、待てベルリオット!」
後ろからイオルの怒りの声が聞こえてくる中、ベルリオットはしたり顔を浮かべながら酒場をあとにした。
/////
マルコの案内のもと、ベルリオットはメルザリッテとともにファルール王宮の前庭にやってきた。
前庭では、あちこちで篝火がたかれていた。
それを囲みながら民や騎士が酒を飲み、談笑している。
「陛下、トレスティング卿をお連れしました!」
マルコが大きな声をあげると、周囲のざわつきが一斉に収まった。
中央のひと際大きな篝火のほうから、ひとりの女性がこちらに向かってしゃなりしゃなりと歩いてくる。
女性が身を包んだドレスは、暗がりの中でもはっきりとわかるほど豪奢なものだ。
格好もさることながら、その堂々とした振る舞いから、ベルリオットは一目見ただけで彼女がファルール王だと認識できた。
すぐ後ろには股間を布で覆い隠しただけの、露出の多い男が続いている。
ナド族のハーゲンだ。
彼を伴って近くまで来たファルール王と、ベルリオットは握手を交わす。
「悪かったね、こっちから呼んだのに出迎えられなくて」
「気にしないでください。あんまり仰々しいのは苦手なんで」
「その様子だと楽しめたようだね」
「疲れましたけどね。ファルールならではって感じの賑やかさを堪能できましたよ」
「うちの奴らはみんな陽気だからねえ」
言って、ファルール王が得意気な顔で辺りを見回す。
と、近くで話を聞いていた民や騎士たちから声が飛んでくる。
「陛下には負けますわ!」
「違いねー!」
「言ったねぇ、おまえらっ」
ファルール王が声をあげた瞬間、周囲の者たちが一斉に笑った。
本当に賑やかな人たちだ。
見ているだけでも、明るい気分にさせられる。
「ったく、少しは王ってのを持ち上げて欲しいねえ」
ファルール王がやれやれとばかりに息を吐いた。
ただ、表情とは相反して困ったような印象は受けない。
「それだけ好かれてるってことじゃないですか。それに、今日は無礼講なんでしょう?」
「そうなんだけどね」
「陛下っ、無礼講なのに酒場に入ったら悲鳴をあげられました! これはどういうことなのでしょうか!」
そう叫んだのはマルコだ。
彼は真剣な顔をしているが、その姿は全裸である。
ファルール王がそっぽを向きながら、あっけらかんとこたえる。
「相手が生娘だったんじゃないか。てか普通に考えれば引かれるぐらいわかるだろ」
「しかし、全裸でもいいんじゃないか、と仰ったのは陛下で」
「そんなこと言ったっけねぇ。言ったか? あー、覚えてない」
「へ、陛下!」
焦るマルコを前に、ファルール王は知らぬ存ぜぬを貫いている。
が、笑いをこらえるように、口もとがかすかに震えているのが見えた。
……この人、絶対わざとやったな。
マルコ、不憫な人だ。
「ほら、時間もないんだから、さっさと送りの儀を始めるよ」
やるせない表情を浮かべるマルコをよそに、ファルール王が掛け声をあげた。
周囲の者たちが一斉に動きだす。
「キノカリの小枝は持ってるね」
ファルール王の問いにうなずきながら、ベルリオットは胸元からキノカリの小枝を取り出した。
「何人と交換したか覚えてるかい?」
「えーっと……五十人を超えたあたりから覚えてないですね」
「そんなにか。思った以上に満喫してくれたみたいだね」
「なし崩し的というか、なんというか」
ほぼ連れまわされ、そのついでに交換したという感じだったことは否めない。
ファルール王がドレスの腰辺りに差していた、キノカリの小枝を手に取った。
「良かったら最後にあたしと交換してくれるかい?」
「もちろん」
ベルリオットは小枝の交換を行なう。
ふとファルール王が受け取った小枝をじっと見つめていた。
「キノカリは見たことあるかい?」
「いえ。名前はもちろん知ってましたけど」
「キノカリはファルール南部の渓谷にある湖のほとりにしか生えない特殊な大樹でね。高さは王宮ぐらいあって枝の数も相当数あるんだよ。今回、みんなに配った小枝もすべてが一本のキノカリから取ったものだ」
そう語るファルール王の瞳は慈しむような優しさをたたえている。
「キノカリには昔から人と人を繋ぐ力があるって言われててね。だから今回、キノカリの小枝を祭りの一道具として採用したんだ。ファルール大陸で育った者、ファルール大陸を訪れた者。みんなが、この大陸で作った人と人の繋がりを忘れないようにってね」
彼女は、かすかに浮き上がった葉脈をなぞるようにキノカリの葉に触れた。
キノカリの小枝を交換する意味。
それを明かされたことで、ベルリオットの脳裏に、本日、出逢った者たちの顔が次々と浮かびあがってきた。カイン、セシル、モラドの演奏家たちを始めとし、踊り子たちや筋骨隆々とした屈強な男たち、舞踊を見せてくれた若い男女の集団。酒場では予想外にも知己であるイオルとも出逢った。
ベルリオットは、なんだか胸の中が不思議な気持ちで満たされていた。
窮屈なものではない。すぅと風が駆け抜けていくような、さわやかな感覚だ。
「素敵ですね」
メルザリッテが微笑みながら言った。
「陛下は見かけに寄らず、夢想家ですから!」
「見かけは余計だよ、マルコ。あと全裸に見かけのことを言われたくないね」
「ひ、酷いです、陛下!」
相変わらずのやり取りを行なっていたファルール王のもとに、ひとりの政務官が近寄ってくる。
「陛下、送りの儀の用意ができました」
彼は上部が空いた円筒形の容器を両手で抱えていた。中には液体が入っているようだが、漂ってくるにおいで、それが油だとベルリオットは一瞬でわかった。
政務官にうなずいたファルール王が、前庭全域に響くような大声をあげる。
「さーて、祭りの仕上げだ!」
彼女に応じる声が重なり合い、歓声となった。
荷車を使って、一風変わった紙袋が運びこまれてくる。
上部が少し膨らみ、底が空いているという変わった形状だ。底面がなにかで固定されているようで、紙袋は空気を送り込まずとも膨らんだ状態を維持している。
ベルリオットはひとつ手に取りながら、そばに立っていたハーゲンに訊く。
「これは?」
「天灯と言われるもので、中で火を灯すことで空へと飛ばすことができるのです。本来は我らナド族が、十二月の終わりにその年に感謝する意味合いで上げるものだったのですが、陛下がちょうどいいからと今回の送りの儀で使うことにされたのです」
「そんなものがあったのか」
「まあ、ここ数年は出来ていませんでしたし、そもそもあまり有名ではありませんからね。あ、一度キノカリの小枝をお預けてもらえますか」
言われるがまま、ベルリオットはキノカリの小枝を渡した。
受け取ったそれを、ハーゲンは感触を確かめるように何度もくねらせた。
思った以上に軟性が高いようだ。折れる気配がない。
ハーゲンが手もとに置いていた針金に、慣れた手つきで小枝を結んだ。次いで針金を持って吊るすようにし、先ほど政務官が持ってきた油の中に浸す。
充分に染みこんだと判断したのか、取り出したそれを針金ごと、紙袋の内側から中に差し入れ、吊るした。
どうやら完成のようだ。
天頂部分を持ち、天灯を差し出してくる。
「これであとは火をつけるだけです。どうぞ」
「ありがとう」
「リアン殿も」
「はい、よろしくお願いいたします」
ハーゲンはメルザリッテの分もこなしていく。
見れば、周りでも同様のことが行なわれていた。
なんだかベルリオットは不思議と気分が高揚してきた。
しばらくして全員に完成した天灯が行き渡ると、ファルール王が声をあげる。
「全員、準備はいいかい?」
周囲の者たちが天灯を掲げて応じた。
全員が、火付け用の松明を空いた手で持っている。
ファルール王が、ベルリオットに訊いてくる。
「最初の天灯を上げてみないか?」
「勘弁してください。ここはファルール大陸なんですから。ファルール王を差し置いて、さすがにそれは」
「そうかい。じゃあ、一番もらうよ」
言って、ファルール王がキノカリの小枝に火をつけた。
紙袋に厚さがほとんどないからか、外からでもゆらめく火の灯をうかがことができた。
空へ向けて天灯がそっと放られる。ふわりと浮かび、ゆるやかに空へと昇っていく。
あとを追うようにベルリオットも火をつけ、天灯を空へと放った。メルザリッテやマルコ、ハーゲン。それに周りの者たちも次々に天灯を飛ばしていく。
一瞬にして多くの天灯が舞い上がり、暗い空を明るく照らした。
いつもは夜空の主役である星が、いまだけは天灯の飾りとして瞬いているような、そんな風にも見える。
「綺麗ですね、ベルさま」
「ああ」
ベルリオットはメルザリッテと並び、無心になって空を見上げた。
ふと気づけば、視界の端で多くの天灯がさらに加わっていた。
それは留まることなく続く。
前庭で上げられた数の比ではない。
本当に無数にあるのではないか、と思うほどの数の天灯が天へと昇っていく。
どうやら前庭で上げられた天灯を合図に、王都のあちこちから天灯をあげることになっていたようだ。
「……こんなに多いんだな」
何千、何万、と。
数を口にするだけでは漠然としていてわからない。
こうして目で見ることで、初めてその多さを実感できる。
ファルール大陸に生きる者、関わった者だけでこの数だ。
狭間に生きるすべての者となれば、いったいどれほどになるのだろうか。
やはりまったく想像できない。
だが、いま、目に映る光景が、ここ最近、心の中で生まれ、そして理解できなかった感情の正体を教えてくれた。
そうか。そういうことだったんだな……。
天灯という名の、人の光。
それらが彩るファルールの夜空を、ベルリオットはしかと目に焼きつけた。




