◆第四話『見えない光』
七大王暦一七三六年・七月九日(ロンドの日)
「訓練だからといって遠慮はいらんぞ、ベルリオット!」
「おらぁ、本気でかかってこいや、蒼翼の!」
「これでもっ、充分本気だって、のっ!」
リヴェティア大陸東部。
いまでは訓練区画として割り振られた荒地の上で、ベルリオットは両手に持った青の剣を振るっていた。相手にしているのは、いまも前方から迫り来る、ジャノ・シャディンとオルバ・クノクスだ。
ジャノは刃が厚く幅広の大鉈、オルバは巨大化した拳形状の武器を手に、息つく間もなく攻撃を繰り出してくる。ベルリオットは地面すれすれを飛び、後退しながら彼らの攻撃をいなしていく。
二人とも、すでに飛閃を使いこなしているため、遠距離戦においての有利はほぼない。しかもオルバに関しては拳を突き出すという短い動作での発動が可能なため、厄介なことこの上ない。
だからと言って近距離戦のほうが有利なのかと言えば、そうではない。ジャノもオルバも、一撃一撃に全力を込める戦い方を得意としているため、彼らの攻撃を受けるたびにベルリオットは全身の骨が軋むような感覚に見舞われた。
「ぬぅんっ!」
「おらぁっ!」
ジャノたちが得物を振り上げた。おそらく渾身の一撃が襲いくる。受けきれない。とっさに速度を上げ、大きく飛び退いた。直後、轟音が鳴り響く。見れば、ジャノたちの攻撃による衝撃によって、眼前の地面に大穴が出来上がっていた。
おいおい、訓練ってこと忘れてんじゃないだろうなっ!?
身の危険を感じたベルリオットは、条件反射でいったん距離を置こうとする。
「余所見か、小僧」
背後から声が聞こえ、とっさに振り返った。
剣の切っ先が、すぐそばまで迫っている。その奥には白髭をたくわえた老人騎士――アヌ・ヴァロンの姿。彼もまた、ベルリオットの相手として訓練に参加している。
ここで来るかよッ!
「ほんと、いやらしい爺さんだな!」
振り向きざまに、自身の剣でヴァロンの剣をなぎ払い、砕いた。小気味よい破砕音を響かせながら結晶の破片が飛び散っていく。
ヴァロンの体がすぅと色をなくした。
それはヴァロンを模ったものであり本物ではない。あたかもそこに本物がいるかのように錯覚を抱かせるヴァロンが得意とする技、《幻影結晶》だ。
かつてラヴィエーナの家系に仕えていたヴァロン家が、代々受け継いできた秘技であり、彼が《幻影騎士》と呼ばれるゆえんだ。
本物はどこに行ったッ!?
ベルリオットは己の勘を信じて上を向くと、ヴァロンの姿を見つけた。彼はこちらに突撃することなく、剣を後ろへ流している。ほのかに光った剣の切り刃から察するに、飛閃を放とうとしているようだ。
まだ回避は間に合う。
ベルリオットはいま浮遊している場所から移動しようとする。が、周囲でアウラの乱れを感じ、すばやく頭を振った。左右の少し離れた場所で、ジャノとオルバが飛閃の構えを――いや、すでに放とうとしている。もう逃げられない。
どうする――ッ!
逡巡している間に三方向から飛閃が放たれた。襲いくる異なる形状の飛閃に対し、ベルリオットは本能的に体を動かした。両腕を交差させながら、二本の剣を左右に投げ、ジャノとオルバの飛閃を相殺。次いで、上方から迫るヴァロンの飛閃を、瞬時に生成した障壁で受け止めた。体に伝わる衝撃はあまり強くない。
衝突の余波が砂を巻き上げ、煙を作った。
ふぅ、と息を吐きながら、ベルリオットは障壁を消滅させる。
ほどなくして辺りを包んでいた砂煙が晴れた。まったくの無傷で凌いだベルリオットの姿を見てか、ジャノたちが驚いた声をあげる。
「おいおいマジかよ」
「あれを受けるか」
「やってくれるのう。その戦闘感覚、さすがは奴の息子といったところか」
「いや、かなり危なかったよ。結晶もなかなか壊れないし、以前とはまるで大違いだ」
ちょうど四ヶ月前ぐらいだろうか。この訓練区画が用意された初日に手合わせをしたとき、ベルリオットは三人が相手でもなんとか勝利したのだ。
「間違いなく先生のおかげだろうよ」
「あ、ああ。あの辛く苦しい日々を乗りこえたからこそ、ようやくここまで来られたのだ」
「ぬぅ……思い出すたびに皺が増えるわい」
三人の顔が一気に青ざめる。
四ヶ月で見違えるほどに実力をつけた彼らだが、個人で訓練を続けていただけではない。
強くなるため、ある人物のもとへと教えを乞いにいったのだ。
その人物というのも――。
「みなさま、良い調子ですよー! ですが、ベルさまに傷ひとつでもつけたらどうなるかわかってらっしゃいますねー!」
遠く離れた場所で、メルザリッテが手を振っていた。
何を隠そう、彼女こそがジャノたちを鍛えなおした本人である。
基礎としては結晶の質を上げることで簡単には折れない武器を作り上げ、応用としては遠距離攻撃である飛閃を使えるようにと訓練を施したという。
ただ、ジャノたちの青ざめた顔を見るからに、かなり厳しい指導だったようだ。
大方、メルザリッテとの模擬戦を経験したのだろう。
顔を引きつらせたジャノが、メルザリッテのほうをこっそり指さしながら言う。
「お、おいベルリオット。あの過保護すぎるのはどうにかならんのか」
「たぶん無理だ」
彼女はたいていの頼みなら聞き入れてくれるが、ことベルリオットへ向ける愛情に関して譲ることはない。だからもう諦めている。
全員が地に足をつけ、武器を消滅させた。
「さて、どうすっか。少し落ちついちまったし、休憩すっか?」
そうオルバから提案されたとき、ベルリオットは視界の端でこちらに向かってくる二つの人影をとらえた。
正体はすぐにわかった。どちらも禿頭で、服を着ていない。
裸族……ではなく、ナド族のマルコとハーゲンだ。
彼らはベルリオットの近くに下り立つと、纏っていたアウラを霧散させた。
「もう終わってしまったか。我々もトレスティング卿と手合わせをお願いしたかったのだが」
「いや、いまどうするかって話してたところなんだ」
「そうか、ならばぜひともお願いしたい」
「俺はべつに構わないけど」
ベルリオットは、マルコ、ハーゲンの二人と手合わせを承諾したつもりだった。
だが、先ほど手合わせした三人の騎士はそうはとらなかったらしい。
「五体一か。それならさすがに一撃ぐらいぶん殴れそうだぜ」
「それは面白そうじゃのう」
「あまりに多すぎて気が引けるが、ベルリオットが相手なら問題ないだろう」
悪人のような面を浮かべながら各々が得物を再生成しはじめる。
この人ら、やる気だ。
「いやちょっと待ってくれっ。さすがに俺ひとりであんたら五人相手はいくらなんでも――」
ベルリオットが後ずさった、そのとき。
メルザリッテの近くに飛空船が着陸しているのが見えた。
通常の飛空船よりも小奇麗な印象だ。高貴な者が乗っているのは間違いない。
中からひとりの少女が出てきた。
法衣に身を包み、濃淡のある緑髪をなびかせる彼女は――。
あれ、クティ?
間違いない。クーティリアスだ。
メルザリッテのそばに立った彼女が、ベルリオットに向かってしとやかに微笑む。
きっとほかの者がいなければ、子どものように手を振っていたことだろう。
「みんな、ちょっと待っててくれ。すぐ戻るから」
そう言い残して、ベルリオットはクーティリアスのもとへと向かった。
「今日は教会の用事があったんじゃないのか」
「予定より早く終わったから、ベルさまの訓練を見学しにいこうと思って。だめだったかな?」
「いや、だめじゃない。むしろちょうどよかった。クティ、ちょっと手伝ってもらっていいか? あの人ら全員が相手だと、さすがに素のままだときつくてさ」
「ぼくは別にかまわないけど」
「よし、じゃあ頼む」
言って、ベルリオットは手を差し出した。
クーティリアスの小さな手がゆっくりと重ねられる。彼女の体が輪郭からまばゆく光りだした。その光が全身に巡ると、彼女は無数の燐光へとその姿を変える。燐光はベルリオットの手から腕を伝い、背中へと到達。ただ放出するだけだったアウラの翼が、羽の一本一本までうかがえる本物の翼――精霊の翼へと変貌する。
目に少しかかっていた髪がすぅと音もなく黒から青白い色へと変わった。
「ベルさま。ほどほどに、ですよ」
「わかってる」
メルザリッテの忠告にそう答えたあと、ベルリオットはジャノたちのもとへと戻った。
「待たせて悪かった。これで五人相手でも問題ない」
なにやらジャノたちはそろってきょとんとしていた。
思い返してみれば、髪が青くなるようになってから、彼らの前で精霊の翼を纏ったことはなかった。驚くのも無理はないかもしれない。
「髪が青くなるとは聞いていたが」
「まさかここまで雰囲気が変わるなんてな」
「これは心してかからねば、やられそうじゃな」
「「我々もわざわざ正装で来た甲斐があったというもの」」
ジャノたちは気を引き締めなおし、武器を構えた。
狭間の世界でも十本の指には入るだろう騎士たちを一度に相手にする。
これほどの機会はそうそうない。
いまの自分の実力を試すにはちょうどいいだろう。
『ベルさま、最初から行くの?』
「ああ、頼む」
ベルリオットが胸の前で構えた右手に、突如として生まれた光が弾け、収束。やがて一本の剣が生成される。
翼を模った飾りが施された柄。
荒々しくも静かな風を纏う、煌く刃。
精霊が造る、アムールのための剣――天精霊の剣だ。
ベルリオットは天精霊を両手に持ち、五人の騎士たちへと向かう。
「じゃあ、行くぞ! みんな!」
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訓練区画では、多くの騎士たちが国を超えて合同で訓練を行なっている。
ジャノたちとの模擬戦を終えたベルリオットは、クーティリアスを伴って訓練中の騎士たちの脇を通り過ぎながら、ある場所へと向かう。
そこでは複数対一の模擬戦が行なわれていた。
複数側が着ている騎士服には統一性がない。本当に各国の騎士が入り混じっているといった印象だ。全員が神の矢を戦闘に組みこんでいるが、流れに淀みが見られない。もはや慣れさえ見られるほどに使いこなしている。
そんな彼らが包囲するように戦っても、相手にするひとり側の騎士には一撃も加えられていない。
ひとり側の騎士は、露出度の高い赤基調の騎士服をまとった格好。赤みの強い髪をなびかせながら、目が片方しか開いていないとは思えないほど四方から襲いくる攻撃に落ちついて対応している。
「扱ってる空間が狭い。もっと広く」
「くぅ、これでも無理かっ!」
「そこの人、さっきから攻撃が読みやすい」
リンカ・アシュテッド。
彼女が神の矢の訓練指導に当たっている。
複数側の騎士が扱っている神の矢がせいぜい二、三本の中で、リンカは二十ほどの神の矢を扱いながら戦っている。もともと彼女は細かい芸当に優れていたこともあるが、いまではメルザリッテも認めるほどの神の矢の使い手となった。
ちなみに模擬戦で使われている神の矢は刃の形状ではない。
当たっても大怪我をしないよう、丸みを帯びている。
だが、それでも何度もぶつけられれば損傷は少なくない。
攻撃、飛行速度をさらに上げたリンカが次々に騎士たちを倒していき――
ついには、ゆうに五十は超えていたであろう周囲の騎士たちを地につけてしまった。
「情けない」
リンカは憮然とした表情で地上に足をつけると、アウラを解放した。
相変わらず容赦がないな、と思いながらベルリオットは彼女のもとへと向かう。
「よっ」
「来てたの?」
「ああ。少し前から見させてもらったよ。調子良さそうだな」
「個人的には、物足りない感じ」
言って、リンカが周りの騎士たちを見やった。
彼らはみっとも無く尻をついて、肩で息をしている。
リンカの相手とはいえ、それだけではない疲れ方だ。
「……いったいどれだけ長時間やってたんだ」
「一刻ぐらい」
「長すぎだろ」
「実際の戦闘はもっと長いし」
「そうは言っても訓練なんだし」
「だからこそ。本当は実戦より厳しくするべき」
そう口にするリンカは、まったく息を乱していない。
ベルリオットが知る限りでは、帝国との戦争終結後、もっとも剣を振り続けていたのは彼女だ。さらに彼女には生まれ持った才もある。いまでは並の騎士が束になったところで敵う相手ではなくなってしまっている。
「ちょうどいいし、ベルが相手してよ」
「え、俺が? 勘弁してくれ」
「あたしじゃ相手にならないってこと?」
「いやいや、そうじゃなくて。さっきまでおっさんたちと手合わせしてて、くたくたなんだよ」
言いながら、ベルリオットは自分が歩いてきたほうを指さした。
その先では、五人の騎士たちが簡易の休憩場で腰を下ろして休憩している。
「結果は?」
そう無表情で訊いてくるリンカに、いままで静かに控えていたクーティリアスが嬉しそうに答える。
「ベルさまの圧勝だよ」
「かなりの手練揃いなのに」
「実際はそんなに余裕なかったけどな。クティの助けがなかったら勝てなかったよ」
クーティリアスが両手を腰に当てながら、えっへんと胸を張る。
それを冷めた目つきでいなしたあと、リンカがはぁ、と息を吐く。
「あのむさくるしい集団にも勝てちゃうなら、まだまだあたしには早いか。しかたないから今回は見逃してあげる」
「そうしてくれると助かる」
「でもいつか相手してもらうから」
「ああ。必ず」
アウラの質を鑑みれば、ベルリオットの有利は変わらない。
だが、リンカの成長速度は恐ろしいものがある。
これは俺も頑張らないとな、と若干の焦りを感じつつも、ベルリオットはその〝いつか〟が来るのが楽しみだと思った。
「それで、これからどうするの? 見学?」
「昼からちょっと用事があるんだが、それまで少し時間があったから、どうせならリンカに挨拶しとこうと思ってさ」
「そ、そう……」
リンカの視線がわずかに泳いだ。
それを目ざとく見ていたのか、クーティリアスがじっとりした目を向けながら言う。
「嬉しそう」
「うるさい、ちんちくりん」
「だ、誰がちんちくりんだよ! きみのほうが小さいのに!」
「またそんな希望を口にして。現実を見るべき」
「ぬぁー! もう怒った! ずっと言わないでいたけど今日こそ言うよ! きみのほうが圧倒的に胸ちっさいよね! ていうか胸ないよね!」
言いながら、クーティリアスが自身のたわわな胸を掴み、持ち上げながら強調する。
リンカは反論しなかった。
代わりに無造作にアウラを纏うと、その両手に剣を造り出す。足音をたてず、静かにクーティリアスとの距離を縮めていく。
「うわわ、ベルさま助けてっ」
「おい、クティ!? なに勝手に――」
突然、抱きついてきたクーティリアスの体が光点へと変化し、そのままベルリオットの体を包みこんでくる。気づけば、ベルリオットは精霊の翼を纏ってしまっていた。
目の前に立ったリンカが、無表情で剣を突きつけてくる。
「剣、持って。じゃないとその翼、斬り落とす」
どうやら〝いつか〟はすぐにやってきたようだ。
「結局こうなるのかよ……」
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訓練でかいた汗を流し、すっきりたからだろうか。
昼過ぎだというのに突き刺さる日差しは心地良く、満ちる空気は涼やかに感じた。
ベルリオットはひとり、リヴェティア王城前の階段を上がる。城門を守る騎士たちに軽く手を挙げて挨拶をすると、大げさに敬礼を返された。
何度味わっても慣れないが、その気持ちを顔に出すようなことはしない。
いまの自分は、そうされるだけの立場にあるのだ。
城門を左に折れ、城壁を沿うように延びる道を歩く。
訓練生時代は、いつも通っていた道だ。
最近は訓練校を訪れていなかったこともあり、本当に久しぶりだった。
思っていた以上に時間が過ぎてるんだよな。
足もとの石畳を見下ろしたり、左手側に広がる王都の景色を眺めたり、と。
押し寄せてくる懐かしい気持ちに浸りながら、ベルリオットは歩を進める。
気づけば、訓練校の正門近くまで来ていた。
門に背中を預ける格好で、ひとりの少女が立っていた。
日差しを受け、白味を増した銀の髪。後ろへそるようにぴんと尖った耳。そしてこんがりと日焼けしたような茶味の強い肌、とベルリオットは一目で彼女がナトゥール・トウェイルだとわかった。
ナトゥールはこちらを見るなり、ぱっと表情を明るくすると、浮かれた様子で駆け寄ってくる。
「ベルっ!」
「久しぶりだな、トゥトゥ」
「うん。二ヶ月ぶりぐらいかな?」
「悪いな、あんまり見舞いに行けなくて」
「ううん。ベル、ずっと忙しかったもんね」
「……もう大丈夫なんだよな」
ナトゥールの全身を視界に収めながらベルリオットは言った。
帝国との戦争中、彼女は姉のティーアをかばう形で大怪我を負ったのだが、アウラの力をもってしても、すぐに治すことができなかった。そのため、ずっとベッドの上で過ごすことになっていたのだが……。
つい先日、医師から普通の生活に戻って良いとの許しを得たという。
本日、ベルリオットがナトゥールに会いに来たのも彼女の無事な姿を確認するためだ。
「うん。昨日、ちょっとだけ槍振ってみたけど、全然問題なかったよ」
「だからってあんまり無茶はするなよ」
「わかってるよ。ベルじゃないんだから、そこはわきまえてます」
「俺だってそれぐらい――」
「傷だらけでずっと戦ってたのはどこのどなただったかな~?」
まじまじと観察するような目で、ナトゥールが顔を覗きこんでくる。
記憶を辿ると思い当たる節が幾つもあったため、ベルリオットは情けないことに言い返せなかった。
そんな心情を見透かされているのだろう。
ぷっ、と噴き出すようにナトゥールに笑われてしまった。
「ありがと。心配してくれて。でも本当に大丈夫だから。むしろ、前より体が軽くなった感じもするし。これもベルの眷属になったからかな?」
「どうだろうな」
「ま~、とにもかくにも、これならなんとか間に合いそうで良かったよ」
「間に合う?」
「シグルとの決戦だよ。わたし、ベルと一緒に戦うから」
あっけらかんと口にするナトゥールを前に、ベルリオットは目を瞬かせる。
「なに言って……俺が戦う場所、たぶん最前線になるんだぞ」
「だってベルのそばじゃないと眷属の力、活かせないし」
「べつに無理して活かす必要は――」
「わたし、あのときはたしかに力が欲しくて契約したけど、それだけじゃないんだよ」
言って、ナトゥールがぐいと顔を近づけてきた。
眉尻を少し吊り上げつつ、真剣な目を向けてくる。
「相手がベルだから。この力があれば、これからもずっとベルのそばで戦えるって思ったから契約したんだよ」
「……トゥトゥ」
軽い気持ちで言ったのではないことが、ひしひしと伝わってくる。
出来るなら、ナトゥールには安全な場所にいて欲しい。
だが、生半可な理由では彼女を納得させられないだろう。
どうしたものか、と悩んでいると、ナトゥールの顔がみるみる赤くなりだした。
尖った耳の先まで赤らんだ瞬間、彼女は背を向けて座りこんでしまう。
さらに、なにやらボソボソとつぶやきはじめる。
「う、うぁ~! わたしなんか恥ずかしいこと言っちゃったよ。あ、あれじゃまるでっ」
「お、おい、トゥトゥ。丸聞こえだぞ」
「ひゃっ」
ナトゥールが跳ねるように直立したあと、すばやく振り返った。一瞬、目を忙しなく動かしたあと、恥ずかしさを誤魔化すように怒った顔で詰め寄ってくる。
「と、とにかく! なんと言われようとわたしは眷属として、ベルのそばで戦うつもりだから!」
「わかった。わかったよ。ただし、無茶だけはしないでくれよ」
「うんっ」
弾けるように笑みながら彼女はうなずいた。
普段はあまり強く主張しない代わりに、こうだと決めたら絶対にゆずらない。
ナトゥール・トウェイルとは、そういう人物だ。
「少し中を歩くか」
「久しぶりだから、なんだか不思議な感じ」
ベルリオットはナトゥールとともに門をくぐった。
訓練校の敷地内をあてもなく歩きはじめる。
大陸落下の問題もあり、各国の騎士訓練生が、このリヴェティア騎士訓練学校に集まっているという。
そのため相当数の訓練生がいるはずだが、まだ誰とも遭遇していない。
訓練区で実技訓練を行なっているのだろうか。
ナトゥールがなにかを思い出したように「あっ」と声をあげた。
「そう言えば眷属で思い出したけど……お姉ちゃん、迷惑かけてない?」
「迷惑ってどうして?」
「だ、だってお姉ちゃんだよ。槍一筋で、家事なんてほとんどしてなかったんだよ。その、優しいんだけど、少しがさつなところがあったし……ベルのところに住まわせてもらう代わりにお手伝いさんをするって聞いてから、ずっと心配で」
「迷惑どころか、かなり助かってるよ。メルザがきっちり教えてるのもあるだろうけど、覚えるのも早いしな。それになんか意外と楽しんでるみたいで、いまじゃすっかり馴染んでるよ」
「な、なんだか想像できないかも」
「もともと向いてたのかもな。メイド服姿も様になってたし」
思い返してみても、ティーアのメイド服姿に違和感を覚えることはない。
むしろ最近では騎士服よりも着ている時間が長いので、そちらが正装とさえ思えてくるぐらいだ。彼女自身にもそうした意識が強くなっているらしく、一度、メイド服で訓練に向かおうとしてしまったことがあった。
珍しくティーアが赤面した良い思い出だ。
ナトゥールがなにやら難しい顔で自身の服を見下ろしていた。
ちなみに彼女が着ているのは訓練生用の騎士服だ。紺色基調といった地味な色だが、白線を幾つか引くことによって単調ながら良い具合に全体が引き締められている。
唐突に顔をあげたナトゥールが、期待と不安が入り混じったような瞳を向けてくる。
「わたしも似合うかな?」
「ん、なにが」
「もうっ、メイド服だよ。わたしもベルの眷属だし、寮を出たら、その……ベルのところでメイドさんしないとかなって」
「眷属がメイドしなきゃいけないって決まりが――」
あるわけじゃない。
そう言おうとしたが、途中で止めた。
むぅ、とナトゥールから無言の抗議を受けたからだ。
先ほどの続きを言うことがどれだけ無粋か、さすがにベルリオットでもわかった。
ナトゥールの全身を視界に収めた。いつも目にしているメイド衣装を思い出し、彼女に着せるように重ねてみる。
じっと見つめられて照れているのか、彼女は頬を赤く染めながらもじもじとする。
そんな表情もあいまって、仮想ナトゥールのメイド服姿は可愛らしさが存分に出ていた。
ベルリオットは顔をそらしながら言う。
「まぁ、似合うんじゃないか」
「……そっか。似合うんだ。楽しみだな」
ちらりと目だけを動かし、ナトゥールの様子をうかがう。
彼女ははにかみながら、頬をゆるませていた。
どうやら恥ずかしい思いをした甲斐はあったようだ。
ふいに大歓声が遠くから聞こえてきた。
正確な数はわからないが、相当数の人間の声が重なった声だ。
ベルリオットは声が聞こえてきたほうを見ながら目を瞬かせる。
「すごい歓声だな……」
「闘技場のほうからだね。もしかしたらみんながいないのって誰かが決闘してるからかな?」
「せっかくだし観に行ってみるか」
「うんっ」
/////
「こんな数、見たことないよ」
「はぐれるなよ」
「う、うん」
ナトゥールとともに闘技場に入ったベルリオットは訓練生の数の多さに驚愕した。
五階層もある観客席がぎっしりと埋め尽くされていたのだ。
当然、彼らから発せられる歓声も相応に大きかった。まるでお祭り騒ぎだ。
吹き抜けの天井から入ってくる新鮮な空気がなければ、きっと熱気だけで何人もの訓練生が倒れていたに違いない。
「ちょっと通してくれ」
五階層の中、ベルリオットは訓練生をかぎわけながら前へと進む。
各国の訓練生が集まっているからか、騎士服には色や柄に統一性がない。
時折、リヴェティアの訓練生服を見かけたが、全員が知らない顔だった。
もしかすると同期の連中は最上級生ということもあって、最前列に陣取っているのかもしれない。
ベルリオットは、ようやく最前列に到達した。
ナトゥールも無事にあとに続いていたらしい。
二人して欄干に手を置き、身を乗り出すようにして下の決闘場に目を向ける。
立会人である教師を挟むようにして、二人の訓練生の姿を見つけた。
ひとりは手足を伸ばしながらひれ伏し、もうひとりは、その倒れた訓練生を見下ろしている。ベルリオットは倒れている訓練生のことは知らないが、立っている訓練生のことはよく知っていた。
左手には巨大な盾を、右手には無骨な戦斧を持った巨体の男。
彼はベルリオットの同期であり、《怪物の盾》と呼ばれる――。
立会人の教師が高らかに宣言する。
「勝者ッ、リヴェティア訓練学校代表、モルス・ドギオンッ!」
「うぉおおおおおおおおおおッ――――!」
モルス・ドギオンが戦斧を掲げながら雄たけびをあげる。
直後、場内に大歓声が沸き起こった。
天井が吹き抜けになっているとはいえ闘技場は周りを囲まれた造りだ。
音の反響が凄まじく、ベルリオットは思わず耳をふさぎたくなった。
この騒ぎ方から、今回の決闘がどれだけ注目を集めていたのかがうかがい知れる。
「まじかよ、モルスが優勝しやがった」
「いや、強いけど。でも、なあ? あのモルスだぜ」
「モルスが初代とか完全に黒歴史だろ」
中には嘆くような声もあがっていた。
きっとその多くがリヴェティアの訓練生だろうな、とベルリオットは思う。
それにしても〝優勝〟やら〝初代〟やら、ただの決闘とは思えない単語が飛び交っているが、いったいなんのことだろうか。
「悪い、ちょっと訊きたいんだが、これってなんの決闘なんだ?」
ベルリオットはちょうど隣にいたリヴェティアの訓練生に声をかけた。
その訓練生はこちらに顔を向けず、決闘場のほうを見ながらこたえる。
「なんだ? ここにいるのに知らないのかよ?」
「最近、顔出せてなくてな。いま、来たところなんだ」
「なんだ、不登校だったのか」
不登校ではなく、王城騎士に任命されたことで一応は卒業した形なのだが……。
説明をするのも面倒なので放っておくことにした。
「まあ、そんなところだ。それでどうなってるのか教えてもらえないか?」
「端的に言えば、各国の騎士訓練生の中で誰が最強かを決める戦いをしてたんだよ。こういう場があれば、みんな励んで訓練するだろうっていう理由から開催されたんだ」
「それで優勝したのがモルスってことか」
「そうなんだよ。でも、なんだかなあ。たしかにあいつ強いんだけどさ、なんかこう、理想の騎士像からかけ離れてんだよな。なあ、お前もそう思うだ……ろ……」
ようやく顔を向けたと思ったら訓練生は硬直してしまった。
彼は口をあんぐりと開けながら、ベルリオットを指さしてくる。
「……ベルリオット? おまえ、ベルリオットじゃないか!」
よく見れば、彼は同期の訓練生だった。
同じ教室になったことはなかったうえ、話したこともなかったので、いまのいままで気づけなかった。
久しぶりの再会といった場面とは少し違う。
どう返したものかとベルリオットが悩む中、いつの間にやら闘技場内を満たしていた歓声がどよめきへと変わっていた。
「ベルリオット!?」
「うそ、トレスティングさまが来てるの!?」
「トレスティングってあのリヴェティア王城騎士の?」
「ばかおまえ、様を付けろ様を。相手はアムールだぞ!」
訓練生の心情は興味半分、恐れ半分といったところか。
彼らはこちらから充分に距離をとったあと、まじまじと見つめてくる。
ひどく居たたまれない。
ナトゥールが周りの光景に瞠目しながら言ってくる。
「すっかり有名人だね」
「昔を思い出していまの立場をすっかり忘れてたな」
失敗したな、と思いながら、ベルリオットが後ろ髪をかいていると、決闘場のほうからひと際大きな声が聞こえてきた。
「ベルリオット? ベルリオットが来てんのかっ!」
モルスだ。
彼は五階層の高さまで飛んでくると、決闘場側から欄干を乗りこえて観戦場に下りたった。纏っていたいたアウラを散らし、ベルリオットの前までやってくる。
遠くからでははっきりとは見えなかったが、その体は傷だらけだ。
片目も大きく晴れ上がっている。
相当に苦しい戦いだったことがうかがえる。
「よ、モルス。優勝したんだってな」
「おうよっ、ま、みんな大したことなくて俺さまの余裕勝ちだったけどな」
言って、モルスが得意気に胸を張った瞬間、あちこちから怒号が飛んでくる。
「なにが余裕だよ!」
「その格好でよく言うぜ!」
「せこい真似ばっかしやがって!」
「調子に乗んな!」
「モルスのくせに!」
「どんだけ叫んでも、おめぇらが俺さまより下って事実は変わらねぇんだよ!」
モルスが周囲に向かって叫ぶと、不満の声がさらに強まった。
自業自得とはいえ、えらい嫌われようだ。
どうやらほかの国の訓練生が加わっても、この構図は崩れなかったらしい。
「無駄に煽るのはやめないか、ドギオン」
「げ、ボバン先生っ」
訓練生の間から初老の男が出てきた。
禿頭に厳格な顔つきが特徴的な彼の名はボバン。
リヴェティア騎士訓練学校の教師だ。
「久しぶりだな、トレスティング卿。いや、いまは様のほうがふさわしいか」
「勘弁してください。そういうの苦手なんで、できれば昔と同じ感じでお願いします」
簡単な挨拶をしながら、ベルリオットはボバンと握手を交わした。
なんだか訓練生時代のときとは違い、彼の雰囲気が柔らかくなったような気がした。
目尻の皺が増えたからだろうか。
「ではそうさせてもらおう。トレスティング、今日は突然訪れて、どうしたんだ?」
「とくに用事はなかったんですけど久しぶりに訓練校の様子を見たくなって。こんなことやってるなんて知らなかったんで、ちょっと驚きましたが」
「実力を試す機会を設けることで、いっそう訓練に励んでくれるだろうと思ってのことだったが、我々教師が思っていた以上に盛り上がってしまってな」
「みたいですね」
「この調子ならば、シグルとの決戦までに最低限の力を身に付けられるだろう」
「訓練生は有志で民の護衛……でしたよね。どれくらいの人数が」
「全員だ」
そうボバンは即答した。
ベルリオットは思わず目を見開いてしまう。
周囲を見回すと、訓練生の生き生きとした目が飛び込んできた。
「当然だろ!」
「負けたら死ぬんだし」
「やるしかないっての!」
訓練生の誰もが正義感に満ちあふれているわけではない。
単に騎士の家系に生まれたからだったり、富や名声を得るためだったり、と訓練生になった理由はさまざまだ。ひとりぐらい辞退する者がいてもおかしくはない。
そう思っていたのだが、全員が要請に応じたという。
それがどれほどの意味を持っているのか。
ベルリオットは言葉では理解できない代わりに、ずしりと重いなにかが体にのしかかったような、そんな感覚に見舞われた。
「そしてすべての訓練生を束ねんのが、この俺さま。モルス・ドギオンだ!」
「モルスは引っ込んでろ!」
「おめぇら、あとで覚えてろよ!」
モルスがほかの訓練生から罵声を浴びせられる中、ボバンがベルリオットに真剣な表情を向けてきた。
「もちろんわたしも戦うつもりだ。老いたが、まだまだギガント程度ならば引けをとりはしない」
ボバンは元王城騎士で、序列三十二位まで上り詰めた経歴を持つ。
彼が言うとおり現役から退いたものの、シグルとの戦いではその力を多いに発揮してくれるだろう。
「人の未来を守るため、ともに戦おう。トレスティング」
告げられる、ボバンの言葉。
それを追うように、周りから注がれる訓練生の目。
ただすがるだけではない。
一緒に戦おうという、言葉通りの気持ちが伝わってくる。
それはとても心地の良いものだったが――。
なにかが胸の中で引っかかったような、そんな気がした。




