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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
第六章【運命の時】
122/161

◆第二話『小さな剣士』

 朝食後、少しばかり雑談のときを過ごしたベルリオットたちは、そろって屋敷の庭に出た。朝のひんやりとした空気の中、日が照りはじめているが、べつに日向ぼっこをしようとしているわけではない。

 単にメルザリッテを除いた全員がこれから出かけるところだ。


「ラグさんは王城に行くんだったよな」

「はい。今日も執務のほうを」

「ほんとお疲れさまだ。俺には出来ないことだから頭が下がるよ」

「たしかにベルリオットには縁遠そうな仕事ね」

「脳筋で悪かったな」


 冗談交じりのリズアートの相槌に、ベルリオットは少しふて腐れながら応えた。

 ラグが微笑みながら言葉を添えてくれる。


「ベルさんにはベルさんにしか出来ないことがありますから。それに最近はユングさんが手伝ってくれているので大分楽をさせてもらっています」


 彼の言うとおり、最近のユングは騎士団長の仕事をこなしながら政務官の仕事も手伝っている。元々、剣を振るよりも筆を取るほうが似合っていたが、デュナムとの戦いで重傷を負ったときを境に、その色を強めた。

 ベルリオットとしては、ユングがそれで良いのならと思う反面、あのときもっと速く到着できていればという思いもあり、複雑な気持ちだった。


「で、クティは大陸の教会回りだっけ?」

「このような時期ですから。叶うならば、わたくしもご一緒させていただきたかったのですが」


 本性を隠したしとやかな状態のクーティリアスが、ちらりとリズアートを見やった。

 朝のことを引きずっているのか、二人は笑顔で視線をぶつけ合っている。


 ……意外と相性悪いんだな、この二人。


 などとベルリオットが思っていると、エリアスがリズアートに向き直り、姿勢を正した。


「それでは姫さま。わたしは訓練区画へ行って参ります」

「あまり厳しくしすぎないようにね」

「それは騎士たち次第ですね」


 言って、彼女は控えめな笑みを浮かべる。

 本当に初めて会ったときとは雰囲気が変わった。

 昔のエリアスなら、きっといかめしい顔でこたえていたんだろうな、と思う。

 その場面を想像してみると、ベルリオットはなんだか面白くなった。


「なにを笑っているのですか」

「べつに笑ってないぞ」

「なにか馬鹿にされていたような気がするのですが」

「気のせいだ」

「ならいいのですが……」


 エリアスは釈然としない様子だったが、どうやら見逃してくれたらしい。

 彼女は気持ちを切り替えるように息を吐いた。


「まあ、いいでしょう。ベルリオット・トレスティング、本日は姫さまをよろしくお願いします」

「ああ。明日は俺もそっちに顔出すから」

「ぜひそうしてください。きっとあなたが来れば騎士たちの士気も上がると思いますから」

「手合わせとか言って斬りかかってくる、の間違いだろ」

「強い者と闘いたいと思うのは騎士として当然でしょう。わたしも楽しみにしています」

「程ほどにしてくれよ」

「善処します」


 エリアスは「それではお先に失礼します」と言い残し、屋敷をあとにした。

 クーティリアス、ラグもそのあとに続く。


「わたしも買い物に行ってくるとするか。今日は当番なのでな」


 言って、ティーアが得意気に麻の手提げ鞄を持ち上げる。

 すっかり所帯じみたその姿にベルリオットが言い得ぬ安堵感を覚えていると、そばに立つリズアートが目をぱちくりとさせた。


「ちょ、ちょっと待って。あなた……その格好で行くの?」

「おかしいか?」


 言いながら、ティーアは自身を包むメイド服を見下ろした。

 きっとリズアートは、ティーアがメイド服を着ているということに違和感があり、それを拭えずにいるのだろう。かくいうベルリオットも初めの頃は同じ気持ちだったが、いまではすっかり慣れてしまった。

 リズアートが困ったようにこたえる。


「いえ、べつにそういうわけではないんだけれど」

「なぜかはわからないが、この服を着ていたほうがおまけしてくれるのでな。買い物がしやすいんだ」

「メルザさんのときもそうなの?」

「ええ。みなさま、笑顔で一つ二つとおまけをしてくれたり、ときおりお菓子もくださいます」

「そ、そうなの……」


 少しばかり考える素振りをしたあと、リズアートが訝しげな顔でベルリオットに訊いてくる。


「もしかしてベルリオットも好きだったりするの? ああいう格好」

「そういう趣味はない。メルザとティーアがメイド服を着てるのだって俺の指示じゃないしな」

「リズアートさま、ベルさまは照れてらっしゃるのですよ。いつもはメルザのメイド服姿を見て、心の中ではしゃぐように喜んでいますから」

「おいメルザっ、なに勝手なこと言って――」

「やっぱり」

「って、リズも信じるなよ!」


 あらぬ誤解をされてベルリオットがひとり焦っていると、リズアートがくすくすと笑い出した。


「冗談よ冗談。でも、そうね。わたしも少し興味が出てきたかも」

「よろしければ、リズアート様のメイド服もご用意しますよ」

「本当にお願いしちゃおうかしら」

「はい、かしこまりました。きっと似合うと思いますし、ベルさまも興奮なさると思いますよ」

「それは楽しみね」


 しれっとおかしなことを言うメルザや、それに動じず余裕の笑みを浮かべるリズアート。さらに傍らで「そうか。主はメイド好きだったか」と口にするティーアに囲まれ、ベルリオットは頭痛がしてきた。

 半ば呆れ気味にため息をつくと、この居たたまれない空気をどうにかせんと話を切り替える。


「そういえば、メルザは今日どうするんだ?」

「屋敷の掃除をしたあと、外に出る予定です。その、少し用事ができましたので」


 一言で答えないということは内密な話なのだろう。

 訊けば教えてくれるだろうが、ベルリオットはあえて訊かないことにした。


「そうか。気をつけてな」

「ありがとうございます」


 そこにはきっと問い詰めなかったことへの感謝も含まれている。

 多くを語らなくても分かり合える。それが自分とメルザリッテの関係であり、家族であることの証明でもあるような気がした。

 ベルリオットは言い得ぬ安心感に包まれながら屋敷に背を向けると、メルザリッテへと肩越しに告げる。


「それじゃ行ってくる」

「行ってきます、メルザさん」

「途中までわたしも一緒させてもらおう」

「みなさま、行ってらっしゃいませ~!」


 メルザリッテに元気な声で見送られ、ベルリオットはリズアート、ティーアとともに屋敷をあとにした。



   /////


 途中でティーアと別れた後、ベルリオットとリズアートはレニス広場に出た。

 中央に置かれた噴水が今日も変わらずしぶきを散らしている。

 涼しさに誘われてか。噴水のそばでは小動物だちがちょろちょろと動き回ったり、横たわりながら毛づくろいをしている。

 すでに早朝というには遅い時間帯だ。

 商人は動き出し、老人は散歩をはじめている。


 そばを通りかかったひとりの老いた男が、リズアートを見るやいなや目を向いた。

 彼は人目も憚らず、素早い動きで地に頭をこすりつける。それを皮切りに、リズアートの存在に気づいた周囲の者たちも跪座しはじめた。

 昼時に比べれば少ないとはいえ、それでも十五人ほどもいる。

 頭を下げた者に四方を囲まれるのは、ひどく居心地が悪かった。


「みんな楽にしてちょうだい。それで、できればわたしのことは気にせず、いつも通りにしてくれるかしら」


 リズアートが柔らかに笑みながらそう告げると、周囲の者たちはゆっくりと頭を上げた。周りの様子をうかがいながら恐る恐る立ち上がり、思い思いの速度で足を進めはじめる。

 あからさまではないにしろ、リズアートのほうを怯えるように確認していたのは言うまでもない。


「やっぱりこうなるわよね」


 言って、リズアートは少し困ったような表情を浮かべた。

 ベルリオットは彼女の格好を横目にちらりとうかがう。

 キメの細かい布地を使った高価な服をまとっている。光物をいっさい身に着けていないものの、見るものが見れば一目で高貴な者であることはわかってしまうだろう。

 たとえそうでなくともリズアートの恵まれた容姿や滲み出る風格は並ではなく、人目を惹きつける。顔を隠すぐらいしなければ、とても身分を隠しきれるものではない。


「やっぱ変装したほうが良かったんじゃないか?」

「そうなんだけど、なんだか素のままいいかなって。でも、ベルリオットだって変装するべき立場でしょ?」

「俺はリズほど顔は割れてないしな。それにやっぱ窮屈なのは性に合わないなって思ってさ」

「だから変装しなくなったってこと?」

「ああ。最初の頃は驚かれてばっかりだったけどな。最近じゃみんな慣れたみたいで、頭こそ下げられるが、驚かれることは少なくなったよ」

「じゃ、わたしもそれを目指してこのままで」

「立場が違うだろ」

「あら、あなたには負けると思うけれど? アムールさま」

「……リズのほうが俺より命を狙われる危険が高いって言ってるんだ」

「ベルリオットがいるし、大丈夫よ」

「簡単に言ってくれるな」


 信頼してくれるのは素直に嬉しい。

 その気持ちを隠しきれず、いたずらっ子のような笑みを浮かべるリズアートを前に、ベルリオットは呆れつつも思わず表情が緩んでしまった。


 こっちの調子を狂わしてくる、この感じ。なんか初めの頃を思い出すな。


 そんなことを思いながら、ベルリオットは妙に楽しげなリズアートと連れ立ってレニス広場を南下する。道中、レニス広場のときと同じように民から何度も頭を下げられたが、そのたびにリズアートは面倒がるこもせず毅然と対応していた。


 ふと前方の路地から四十過ぎの男が出てきた。

 大量の芋が入った重そうな荷車を、ゆっくりとした足取りで引いている。

 男はこちらを見るなり、足を止めた。


「おう、ベル。早いな」

「おっちゃんも朝からおつかれ」


 彼の名はクダラ。ストレニアス通りの露店商人だ

 ファルの剛芋を蒸した、ココッテと呼ばれる食べ物を売っている。

 気難しそうな顔をしているが、実は気さくな人だ。

 昔、父のライジェルに紹介してもらってからというもの、よく世話になっている。


「なんだ、朝から女といちゃいちゃとしやがって。アムールさまってのは、やっぱ引く手数多なのか? こんなべっぴんさ……んーッ!? り、リズアートさまぁ!?」


 大げさに仰け反ったクダラは、後ろの荷車に腰をぶつけた。

 ぐらついた荷車から転がり落ちそうだった芋をあわてふためきながらもなんとか掴むと、ふぅと長く息を吐いた。

 しかし彼はリズアートの存在を思い出したのか、膝を折ろうとする。

 ベルリオットはすかさず声をかける。


「あ、おっちゃん。ひざまずくのはなしで」

「へ? いやでも陛下の前でそりゃあ――」

「彼の言うとおりにしてちょうだい。それとできれば、彼に接するときと同じようにしてくれると嬉しいわ」

「は、はあ。陛下がそう仰るんなら……」


 困惑するクダラに、リズアートが笑顔を向ける。


「以前はありがとう。あなたのココッテ、おいしかったわ」

「陛下がうちの芋を? す、すいやせんが覚えがないんですが」


 リズアートがトレスティング邸に下宿している間。

 一度だけ彼女を連れてクダラの店を訪れたことがあった。

 ただ、リズアートはおしのびという体だったため、素性を隠すために変装していた。

 クダラに覚えがないのも無理はない。


「たしか……去年の八月ごろだったっけな。俺が二人で訪れたことあったの覚えてないかな」


 ベルリオットがそう告げると、クダラが首をかしげたまま唸りはじめた。

 記憶を辿っているのだろう。

 しばらくしてクダラのまぶたがぴくりと跳ねた。

 彼は顔を上げると、リズアートの顔を見ながらぐわっと目を開ける。


「あ、ああ! あのときの変な格好してた人か!」


 たしかに王都で着るには野暮ったい衣装だったが……どうやらクダラには変な格好の人として認識されていたようだ。

 ベルリオットが小さく噴き出すと、リズアートにぎろりと睨まれた。

 まるで頭痛でもしたかたのように彼女は額に手を当てる。


「やっぱりそう思われてたのね。あなたのせいよ、ベルリオット」

「あんときはあれしかなかったんだし、しかないだろ」

「そうだけれど。でも思い出してみると、ほんとあの格好だけはなかったわ……」

「だな」

「だなって、やっぱりあなたもそう思ってたんじゃないっ!」


 そんなやりとりをしていると、ベルリオットは視界の端でぽかんと口を開けるクダラの姿を捉えた。彼はベルリオットとリズアートを交互に見やると、恐る恐る口を開く。


「お、おい、ベル。陛下と結婚するのか?」

「「なっ!?」」


 ベルリオットはリズアートとそろって驚きの声をあげてしまう。


「なんでそんな話になるんだよ!?」

「いやだって仲良さそうだしよ。まるで熟年の夫婦みたいで」

「ふ、夫婦……」


 リズアートが反芻するようにその言葉を口にしていた。

 彼女に大きく動揺した様子は見られない。だが、耳がほんのわずかに赤いからか、冷静になるよう努めているように見えた。


「わたしは今日、多くの移民を受けいれた中で、自国の民がどのような生活をしているのか視察するために来たの。彼にはその護衛を頼んでもらっただけであって、深い意味はないわ」

「そういうことだ」


 リズアートが平静を保ってくれたので、ベルリオットもそれにならうことができた。


「そうなんですか。出すぎたことを言って申し訳ねぇです」

「なあ、おっちゃん。そんなだからいつまで経っても独り身なんじゃないのか?」

「お、俺は好きで独りなんだ。芋にまみれながら生きて、芋にまみれながら死んでくんだよ。無理にでも結婚しろってんなら芋と結婚してやらぁ」


 いいのかそれで、とベルリオットは思わずクダラの今後を心配してしまった。


「んじゃま、俺は行くとするか。ご公務の邪魔しちゃ悪いんでな」

「またそのうち行くよ」

「おう、待ってるぜ。では陛下、失礼しますわ」

「ええ」


 リズアートに向かってあらためて頭を下げたあと、クダラは荷車を引いて歩みはじめた。

 だが、十歩程度進んだところで急に足を止めて振り返り、にたっとした笑みをベルリオットに向けてくる。


「おい、ベル! 結婚した暁にゃ、うちのイモをしっかり宣伝してくれよ! アムールと王族御用達とありゃ繁盛間違いなしだ!」


 そう大きく叫んだのち、彼は逃げるように去って行った。

 ベルリオットはリズアートのほうを見ずに長いため息をついた。


「……なんか悪いな」

「いいのよ。ああいう人だってことは、もうよくわかったから」



   /////


「戦争が終わってからもう半年も経つのね。なんだか一瞬だった気がするわ」

「それだけ必死だったってことじゃないか? リズもみんなも」


 変わらずベルリオットはリズアートと並んでストレニアス通りを歩く。

 すでに商売が始まっており、そこかしこから引きこみの声が飛び交っている。

 先ほどまでは走っても人にぶつからないほどの余裕はあったが、いまではそうはいかない。走るのはもちろんのこと、少し足を速めただけで誰かにぶつかってしまいそうなほど人が多くなった。

 もともとリヴェティアで最もにぎやかな商業区画だ。

 そこに全大陸の民が集まりつつあるのだから、当然のことと言える。


「そこにベルリオットは入ってないの?」


 リズアートが顔を覗きこむようにしながら訊いてくる。


「大したことはしてないからな。復興だったり、不足気味の住居や食糧を調達したり。そういうの、全部みんなに任せっきりだ」

「所有してる浮遊島を提供してくれたじゃない。あそこだけで五百人近い人が住まいを確保できたのよ」

「あれはもともと俺自身で手に入れた土地じゃない。それにいまの時期、使ってない土地を提供するのは当然だろ。だからそれで貢献してるってのは少し違う気がするんだよな」

「ベルリオットがそう思ってるなら、それでいいけれど」


 そうこたえながらも、リズアートは納得いかないとばかりに不満を顔に出していた。

 まるで自分のことのように思ってくれている。そんな彼女の思いにベルリオットはむず痒く感じるとともに、素直に心が温かくなった。


「ありがとな」

「……わたしはただ、自分が思う正当な評価をしたかっただけよ」


 一瞬、彼女は面食らったように目をぱちくりとさせたあと、すぐに目をそらした。

 憮然とした表情を浮かべているが、頬のあたりはほんのりと赤い。

 ベルリオットは腰に佩いた実剣の柄尻に手を当てる。


「まあ、いま楽をさせてもらってる分、シグルと戦うときは誰よりも頑張るつもりだ」

「ベルリオット……」


 リズアートの瞳には不安の色が濃く映っているように見えた。

 シグルとの決戦の日はそう遠くない。

 いまだ想像もつかない敵の総力を前に、〝本当に我々は勝てるのだろうか〟と誰もが恐れを抱いているのは間違いなかった。

 それでも恐れを押し殺し、前を向いて懸命に生きている者は多い。サン・ティアカ教会の存在が支えになっていることが大きいだろう。また、シグルの戦力が漠然としていることも手伝っているのかもしれない。


 ただ、前を向いて歩けない者も多からず存在する。

 いまも大通りから視線を路地へと向ければ、地に座りこんで嘆く者が目に入った。

 彼らはうつむきながら、「もう終わりだ」と口々に言っている。

 彼らに「大丈夫だ」と言うことは難しくない。

 だが、言葉だけでは信用を得られないことをベルリオットは理解していた。

 きっとリズアートもそうだ。


 だからこそ言葉ではなく行動で示す。

 シグルとの決戦に勝利し、来るべき未来の世界を彼らに贈ることが、ベルリオットが出来る唯一のことだ。


 気づかぬうちにストレニアス通りを抜け、南部外郭門前近くまでやってきていた。

 そばには王都の南部の大半を占める、リヴェティアポータスが見える。

 いまやリヴェティアとファルールの二大陸になったことで、大陸間の移動は少なくなった。だが、リヴェティア大陸の各地での生産業が加速したことで、大陸内での物資運送の頻度が増し、以前と変わらないほど……いや、人口が増えて以前とは比べ物にならないほど飛空船が飛び交っている。


 ふいに前方からからんからん、と音が聞こえてきた。

 音のほうを見れば、五、六歳ぐらいの少年が歩いていた。堂々と胸を張った彼の腰には、むきだしの実剣が携えてある。身長が低いため、剣の切っ先が地面をこすってしまっている。音を鳴らしていたのもあれで間違いない。


「お、おい。なんで剣なんて持ち歩いてんだ。危ないぞ」

「ん? なんだね、キミは。我はドミ・トレトランズ。リヴェティアの騎士なるぞ。いや、正確には騎士になる男であるが」


 やけに偉ぶった口調だが、相手は幼い少年だ。

 そこに腹立たしさなど感じはしない。

 ただ、外見にそぐわない口調に、ベルリオットは思わず調子が狂ってしまう。


「一応、俺もリヴェティアの騎士なんだが」

「これは失礼した。先輩であったか」

「ああそうだ。先輩だ。で、あらためて注意するが、剣を持ち歩くもんじゃないぞ。というかいったいどこから持ち出したんだ」

「この剣は決して折れぬ心。悪を貫く光を象徴する、我が家に伝わる宝である。そして剣を持ち歩くな、という貴殿の言葉。それは聞けぬ相談である」

「どうしてだ?」

「我が目指す最強の騎士。《蒼翼》のベルリオット・トレスティングさまも、こうして常日頃から帯剣していると聞く。我もその高みへとたどり着く為、こうして常に帯剣しているというわけである」

「剣を地面に引きずってるうちから帯剣してたって意味ないだろ」

「まずは形から。それが我の信条である」


 格好から入りたくなる気持ちもわからなくはない。

 だが、それが一歩間違えば凶器となり得る剣とあらば話はべつだ。

 どう説得したものか、とベルリオットが困っていると、ふいにドミがなにかに気づいたようにはっと目を見開いた。

 その視線の先には、ベルリオットが腰に携えた剣がある。


「ほう、見れば貴殿も剣を佩いているではないか。そうかそうか、貴殿もトレスティングさまを目指していると見た。ふむ……我が剣には劣るものの、貴殿の剣もなかなかの代物ではないか」


 近寄ってきたドミが、ベルリオットの剣をじろじろと観察しはじめた。

 感心したようにうなずくドミを見て、リズアートがそばで必死に笑いをこらえている。


 リズのやつ、他人事だと思って……。


 そんなことを思いながら、ベルリオットはドミと正面で向かい合った。

 少し屈み、目線を合わせながら話す。


「なあ、ドミ。どうしても剣を手放す気はないのか?」

「もちろんである。来るべきシグルとの決戦にそなえて、我は一刻も早く剣に慣れなければならない」

「正騎士でもないのに戦うつもりなのか?」

「正騎士かどうかなんて関係ない。負ければ終わりの戦いだ。我は子どもの身なれど、たったひとりの家族……母を守るため、この剣とともに戦場に赴くと決めている」


 ドミの目は真っすぐで迷いはない。

 こんなにも小さな子が、いまの世界状況をしっかりと理解し、そのうえで自分も戦うと言っている。たったひとりの家族を守るため、剣を振るうと言っている。

 ベルリオットは唐突に心臓を締めつけられたような、窮屈な感覚に見舞われた。


「ドミはえらいな。俺の小さいときとは大違いだ」


 言って、心の底からわき上がってくる情けなさを押し殺しながらドミに問いかける。


「でもな、残された者のこと考えたことあるか?」

「残された者……?」

「母親がいるんだろ。もしドミが死んだら母親はひとりになるんだぞ。それでもいいのか?」


 小さな子にこんなことを語るべきではないかもしれない。

 だが、ドミは騎士を目指していると言ったのだ。

 遠慮することはない。

 しかしリズアートは、ベルリオットのあけすけな物言いに焦ったらしい。

 裾を引っ張りながら険しい顔を向けてくる。


「ちょ、ちょっと」

「悪いけど、リズは黙っててくれ」


 どれだけ真剣なのかが伝わったのか。

 不安な表情を残しつつではあったが、リズアートが手を話してくれた。

 ベルリオットはあらためてドミに問う。


「どうなんだ、ドミ」

「そ、それは……我が死ななければ」

「剣をろくに扱えない奴が生き残れるほど簡単な戦場じゃない。それとも、その剣、うまく扱えるのか?」

「そ、そのぐらい!」


 ドミは剣を抜こうとする。が、腕の長さが短いため、刀身が帯に引っかかってしまい、抜くことすらかなわなかった。

 うぅ、と声をもらしながらドミは悔しそうにうつむいてしまう。


「なあ、ドミ。せめてその剣が地面につかなくなるまで待てないか? 剣を持つのも、戦場に出るのも」

「だが、それでは決戦のときに間に合わない」

「騎士が信用できないか?」

「そんなことはない! 我が国リヴェティアの騎士は絶対にシグルなんかに負けはしない!」

「なら、任せてくれるな」

「……わかった」

「よし」


 納得できない気持ちを抑えつけているのか、ドミの顔は強張ったままだ。

 そんな彼の頭をベルリオットはわしゃわしゃと撫でてやる。

 気の利いた言葉でもかけてあげられればいいのだが……。

 こんなことぐらいしかしてやれない自分は本当に不器用だな、と自嘲した。


「ドミ、ドミっ! いったいどこへ行ったんだい!? 隠れてないでさっさと出ておいで!」

「げっ、母ちゃん!?」


 ふいに聞こえてきた女性の声。

 瞬間、ドミは先ほどまで落ちこんでいたのが嘘のようにあからさまに嫌な顔をした。

 様子から察するに、どうやら母親がドミを捜しに来たようだ。

 ドミがもらした声で位置を特定したのか。

 母親と思しき恰幅の良い妙齢の女性がドミへと駆け寄ってくると、人目もはばからずにがみがみと叱りはじめる。


「ドミ! そんなところにいたのかい! またあんたは父ちゃんの形見を勝手に持ち出して! あんだけだめだって言っただろうに!」

「ひぃっ」


 先ほどまでの威厳ある口調や態度はどこへやら、ドミが怯えたように頭を抱える。

 ちゃんと年相応の一面もあるんだな、とベルリオットは少し安心する一方で、あまりの怒られ具合に思わず目を瞬かせてしまう。

 リズアートも同じように唖然としている。


「なんだかすごいわね」

「あ、ああ」


 ドミのことを心配したからこそ怒っているのはわかる。

 それにドミはもう、剣を持たないことを聞き分けてくれたのだ。

 このまま静観するのもなんだか可哀相だ、とベルリオットは思った


「まあまあ。そのへんにしとおいて」

「ん? なんだいあんたは――」


 頭に血が昇っていたのか、いまのいままで周りのことが見えていなかったらしい。

 ドミの母は初めてベルリオットの存在に気づいたように、こちらに振り返った。

 直後、赤みを帯びていたその顔が一気に青ざめた。さらにそばで控えていたリズアートの姿を見るなり、あごが外れそうなぐらい口をあんぐりと開ける。


「も、申し訳ありません。気づいていなかったとはいえ無礼を働いてしまい……なんと、なんとお詫びしたらよいか。どうか、この子だけは、この子だけはお許しください!」


 ドミの母は目にも留まらぬ速さで座りこみ、頭を地面に押しつけた。

 ストレニアス通りほどではないにしろ、この辺りもポータス前とあって人は多い。

 人目を集めてしまい、一気にざわつき始めた。

 ひどく居心地が悪い。


「あ、いや。俺たちはべつに怒ってないし……てか、そんなことで罰するとかしないから。な?」


 そうリズアートに問いかけると、彼女は迷うことなくうなずいてくれる。


「ええ、もちろんよ」

「あ、ありがとうございます!」


 本当に九死を切り抜けたかのごとくドミの母が声をあげた。

 そのあまりに必死なさまに、ドミが怪訝な表情を浮かべる。


「母ちゃん。いったいどうしたんだよ? いくらなんでも大げさだろ」

「ばかおまえ! この方々はね――」

「あ~……じゃあ俺たちはこれで」


 ドミの母の言葉を遮るように、ベルリオットは別れの言葉を口にした。

 深い意味はない。

 ただ、なんとなくそうしたいと思ったのだ。


「ドミ、母さん大切にするんだぞ」

「う、うん」


 流れについていけていないのか、ドミがぽかんと口を開けたまま応じた。

 そんなドミに背を向け、ベルリオットはリズアートとともに歩みを再開する。

 ふいにリズアートがくすりと笑みをこぼした。


「なんだか意外だったわ」

「なにがだよ」

「ベルリオットにあんな一面があったなんて」

「いいだろ、べつに」

「からかってるわけじゃないのに。素直に良いなって思ったのよ」


 ベルリオットは目だけを動かしてリズアートのほうをうかがう。

 彼女はにこにこと見るからにご機嫌な様子だ。

 なにがそんなに嬉しいのか。

 よくわからないがベルリオットは気恥ずかしくなり、後ろ髪を乱暴にかいてしまう。


「それよりも良かったの? 教えてあげなくて」

「まあ、聞かれなかったしな」


 そう答えた直後だった。


「こらドミ、待ちなさい!」


 後ろからドミの母の叫ぶ声が聞こえた。

 振り向いてみると、ドミがこちらに向かって走ってきていた。

 すでに剣は取り上げられたらしく、腰にはなにも佩いていない。

 近くまで来たドミが足を止め、息も整わないうちに叫ぶ。


「ま、待って! 兄ちゃんの名前を教えて! トレスティングさまほどじゃないにしろ、きっと名のある騎士なんでしょ!」


 もったいつけるつもりはないのだが、こうしてあらためて問われると答えにくい。

 ましてや自分はドミが憧れている人物だ。

 ありがたいことだが、恥ずかしいことこのうえない。

 どうしたものか、と悩んでいると、リズアートに肘で脇を小突かれた。

 見ると、彼女の目が「教えてあげなさいよ」と言っているような気がした。


 しかたないな、と思いながら心を決めた、瞬間。

 ドミの真っすぐな瞳に射抜かれ、心の隅にあった恥ずかしさが吹き飛んだ。

 将来、きっとドミは良い騎士になる。

 きっと多くの人を守る、優れた騎士になる。

 それほどの強い意志を持っている。


 新しい世代。

 彼らが大人になったとき、そこに人の世界が変わらずあるように。

 自分たちはシグルとの戦いに必ず勝たなくてはならない、とベルリオットはそう強く心に誓った。


 ……これは格好悪いとこ見せられないな。


 ベルリオットは胸を張り、顔を引き締めた。

 見据える先はドミの瞳。

 そして、その先に待っている未来の世界――。


「俺の名はベルリオット……ベルリオット・トレスティングだ」



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