◆第一話『変わり果てたトレスティング邸』
七大王暦一七三六年・六月一日(リーヴェの日)
陽がのぼってから間もなく。
リズアート・ニール・リヴェティアは、エリアスとともにリヴェティア王都の中を歩いていた。
王城の大城門から騎士団本部、図書館前を抜け、ストレニアス通りを進む。
朝が早いこともあって人はほとんど見かけない。
動き出しているのは商売人ぐらいだ。ときおり彼らと目が合ったが、こちらを見るなり一様に目を見開いては慌てて頭を垂れてしまう。そんな光景にリズアートは、心の中で嘆息しながら軽く手を振って応じる。
少し肌寒くて深閑とした、この空気感が嫌いではなかった。
いつもは人であふれている場所に、いまは人がほとんどいない。
その状況に解放感を覚えているのかもしれない。
リズアートは自然と足取りが軽くなり、歩みも速くなる。
「楽しそうですね、姫さま」
「そうかしら?」
「はい」
「エリアスが言うのなら、そうかも。だって久しぶりなんだもの。あそこに行くのは」
いま、リズアートはベルリオット・トレスティングの屋敷に向かっていた。
「ちょうど七大陸王会議が行なわれたとき以来でしょうか」
「そうね」
言って、リズアートはくすくすと笑う。
「どうしたのですか?」
「あのときのエリアスの慌てっぷりを思い出して」
「ひ、姫さまっ! あれは偶然であって!、いえ、ベルリオット・トレスティングがいきなり帰ってきたことが悪いのです!」
「でも、あの屋敷は彼のものだし、勝手に入っても問題ないんじゃない? というより誰が見ても、他人の屋敷内で裸で出歩いていたあなたの方が問題よね」
「うっ」
エリアスが顔を真っ赤にして、口を噤む。
そんな彼女を見て、リズアートはまた思わず笑ってしまう。
そうして話しているうちに、トレスティング邸の前にたどり着いた。
ふとエリアスが目に力を入れた。
やりようのない感情の矛先をベルリオットへ向けることにしたようだ。
彼女は屋敷の入り口に取り付けられた呼び鐘を二度打ち鳴らす。勢いとは裏腹に荒々しくない。早朝という時間帯を考慮した優しい音色だ。こうした配慮を忘れない辺りが彼女らしいな、とまたまたリズアートは笑みを零してしまう。
「少し待ってくれ。いま開ける」
と、聞こえてきた声にリズアートは違和感を覚えた。
ベルリオットのものでも、ましてやメルザリッテのものでもない。
扉が開けられると、見覚えのある女性がそこに立っていた。
肩まで伸びた、さらさらとした銀の髪。こんがりと日焼けしたような色合いの褐色の肌。右目の下に、三日月のような曲線で描かれた白い紋様。
彼女は――。
「てぃ、ティーア・トウェイル!?」
「どうしてあなたがここに?」
エリアスとともに、リズアートは目をぱちくりとさせてしまう。
「主の眷属だからな。一緒にいるのは当然だろう?」
「それに、その格好……」
ティーアは、黒基調のワンピースにフリル付きのエプロンといった衣装に身を包んでいた。フリル付きのヘッドドレスと、首に巻かれた黒色のリボンチョーカーという装飾品も身につけ、その姿はまるで……。
「これか? これはメイド衣装というものだ」
ティーアがなぜか得意気な顔で答える。
「なんでも給仕する際は、この衣装を着るのがならわしらしい。メルザ殿が用意してくれた。どうだろう、似合っているだろうか?」
「え、ええ。似合ってるわ。とてもよく似合ってる。ただ、問題はそこではなくて」
「し、失礼しますっ!」
エリアスが顔を引きつらせながら屋敷の中へと入って行った。
「ちょ、ちょっとエリアス?」
リズアートも断りを入れてから急いであとに続く。
居間のほうからエリアスと、トレスティング邸のメイドを務めるメルザリッテ・リアンのやり取りが聞こえてくる。
「あら、エリアス様。おはようございます」
「お、おはようございます。ではなくて、どういうことなのですが、これはっ」
「どういうこと、とは?」
「ティーア・トウェイルのことです。彼女がこの屋敷にいるなんてことは初めて聞きました」
「あら、言っていませんでしたか。ですが、彼女もわたくしと同じくベル様に仕える身ですから。なにもおかしいことはないかと」
「で、ですがっ」
リズアートも遅れて居間に足を踏み入れると、台所に立つメルザリッテにエリアスが息巻きながら詰め寄っているのが見えた。
滅多なことでは動じないメルザリッテの姿は相変わらずだ。
彼女の落ちついた雰囲気に当てられて、リズアートは予想だにしなかったティーアの登場で乱れた心に平静を取り戻すことができた。
メルザリッテがこちらに気づいたようで、優しい笑みを向けてくる。
「リズアート様もおはようございます。お早い到着でしたね」
「おはよう、メルザさん。驚かそうと思って早く準備してきたんだけれど、こっちが驚かされちゃったわ」
言ってリズアートが苦笑すると、ふふ、とメルザリッテがしとやかに微笑んだ。
ティーアがゆっくりと居間に入ってくる。
「ログナート、メルザ殿を責めないでくれ。無理を言って住まわせてもらったのはわたしのほうだ。責められるべきはわたしであってメルザ殿ではない」
「わ、わたしは別に誰かを責めたいわけではっ……」
ばつが悪そうに視線を泳がせたエリアスに、メルザリッテが優しい声で告げる。
「いま、彼女は住むところがないのです。どうかそのあたりの事情を汲んでいただければ」
「そういうわけだ」
ティーアが肩をすくめた。
いま、王都には空き家など一つもない状況だ。
ちょうど先月、ティゴーグ大陸を落としたことにより、ファルール大陸を除いたすべての大陸の住人がリヴェティア大陸に移住した。そのため、王都周りに建てられた仮設住宅内でも寝床を確保することが厳しくなっている。
そんな事情を、国政に深く関わっているリズアートとともに行動するエリアスが知らないわけがない。
彼女は自身の行いを振り返り、反省したのか。
戒めるように下唇を強く噛んだあと、ティーアに頭を下げる。
「……すみません」
「気にするな。それに、みなの生活が逼迫している中、このような立派な屋敷で世話になれているわたしは間違いなく恵まれた身だ。そういう意味では責められてもおかしくない」
「そんなっ」
融通が利かないというか思考が硬いというか。
どことなく似ているな、とリズアートは二人を見ながら思う。
とはいえ、このまま放置していては話の流れが暗いほうへ行きそうだ。
助け舟というわけではないが、リズアートはさらっと話を切りかえた。
「それで、二人は朝食の用意でもしていたのかしら?」
「ああ。といっても、わたしはまだ修行中の身だが」
「ティーア様は飲み込みが早いのですよ。おかげで最近は楽をさせてもらっています」
「これまで剣を握っていたからな。新鮮な気持ちで学べているのが大きいかもしれない」
そう言いながらティーアが台所に向かうと、メルザリッテの隣に立った。手をゆすいだあと、置いていた包丁を手に取り野菜をすばやく刻んでいく。
慣れた手つきだ。
その後ろ姿もまた様になっている。
「よ、よければわたしにも料理を手伝わせてもらえないでしょうかっ!?」
ふとエリアスが叫ぶように声をあげた。
リズアートは思わず目を瞬かせてしまう。
「え、エリアス? それはちょっとやめておいたほうが……あなた、自分でもわかっているでしょう?」
エリアスは料理ができない。
以前、メルザリッテの手伝いをしたとき、油をどばっと注いでしまったことがあった。そのときは大事にはならなかったものの、一歩間違えば大火事になりかけたところだ。
「姫さま。今日、ここで包丁を手に取らなければ、今後一生、料理に携わることはなくなってしまう気がするのです。どうか、どうか一度だけでも機会をお与えください!」
胸に手を当てながら懇願するエリアスの姿は、真剣そのものだ。
なぜ彼女がそこまで必死になるのか、大方見当はついている。
ティーアの存在だ。
一度剣を交えたことが原因なのか、表には出さないものの、エリアスは彼女にあらゆる面で対抗意識を抱いている。
今回、それが料理だったというわけだ。
できればエリアスの願いには応えてあげたいが、だからと言って他人の屋敷に重大な損害を与えてしまうような事態にはしたくない。
う~ん、とリズアートは唸る。
「大丈夫ですよ。今度はわたくしもより注意していますから」
「未熟ながら、わたしも補助しよう」
「お二人とも……!」
メルザリッテとティーアの加勢に、エリアスがまるで天の恵みだと言わんばかりに感謝していた。
もう、これじゃわたしが悪者みたいじゃない。
リズアートは肩をすくめる。
「メルザさんたちが良いのなら」
「姫さまっ、ありがとうございます! このエリアス、ログナートの家名に恥じぬ料理を作ってみせます!」
「戦いに行くわけじゃないんだから」
そうリズアートはたしなめながらも、エリアスの嬉しそうな表情を前に笑みをこぼさずにはいられなかった。
ふいにメルザリッテが掛け時計に目をやった。
「あら、話しているうちに良い時間になってしまいましたね。そろそろベル様たちを起こしにいかないといけないのですが……どうしましょう」
「わたしが行くから、メルザさんはエリアスのことをお願い」
「では、お言葉に甘えて、よろしくお願いいたします」
「ええ」
以前、トレスティング邸に厄介になっていたときは、ベルリオットを起こしに行くなどということは一度もしなかった。すべてメルザリッテが行なっていたからだ。
寝起きのベルリオットがどんな感じなのか興味があったので、ちょうど良い機会だと思った。それに。
たち、って言っていたけれど、どういうことなのかしら?
なにやらいやな予感がしてならない。
危なっかしく包丁を手に持つエリアスを、メルザリッテとティーアが両脇から補佐する、という微笑ましい光景を最後に、リズアートは居間をあとにした。
軋む階段をのぼり、二階へと向かう。
ベルリオットの部屋の前で一度立ち止まった。
それから、よし、と自分でもわけもわからず気合を入れ、こんこんと扉を叩く。
「ベルリオット? 起きてる?」
返事はない。
どうやらまだ寝ているようだ。
リズアートは胸の中でかすかにうごめく恐怖を押し殺して、ゆっくりと扉を開ける。
部屋の中は相変わらず殺風景だった。
めぼしいものはすかすかの本棚と机、ベッドぐらいだ。
どれも古さを感じさせる調度品だが清潔に保たれている。
きっとメルザリッテの掃除が行き届いているおかげだろう。
ベッドの上に、大口を開けてだらしない顔をさらすベルリオットを見つけた。
体は毛布で隠れていて見えないが、その顔と同じく不恰好な姿で寝ているのだろう。
リズアートは、ほっと息をついた。
それからはっとなって、誰も見ていないのに視線を泳がせてしまう。
自分はなにに安心しているのか。
いや、たしかにメルザリッテの口にした「ベルリオットたち」という言葉に不安を抱いたことは否めない。
もしかして誰かがベルリオットと一緒に寝ているのではないか、と。
だが、こうしてベルリオットはひとりで寝ていたのだ。
おそらく、〝たち〟と言うのはメルザリッテが言い間違えてしまっただけだろう、とリズアートは思う。
ベルリオットが口を閉じたのち、目をごしごしとこすりながら半身を起こした。
「ん……?」
「あら、起きたのね」
「な、なんでリズが?」
目をぱちくりとさせながら、ベルリオットはこちらを凝視してくる。
驚いてる驚いてる。
リズアートは楽しい気分になって、思わずしてやったりな顔で応じてしまう。
「今日、約束してた日でしょ」
「だからって早すぎだろ」
「驚かせようと思って、ね」
「ったく……お望み通り驚かせてもらったよ。満足したか?」
「ええ、とっても」
そう応えたとき、ふとベルリオットの被っている毛布がもぞもぞと動きだしたのが見えた。リズアートは自分でも驚くほど速く、毛布をめくり上げた。
直後、思わず大口を開けてしまう。
そこに、ディザイドリウム王国の宰相、ラグ・コルドフェンの姿があったのだ。
彼は体を丸めながら気持ち良さそうに眠っている。
「な、な、なっ……!?」
「あぁ~、ラグさんまた来てたのか」
「って、またってどういうことなの!?」
思いも寄らぬ人物の登場で頭がこんがらがっているのに、「また」とはどういうことなのか。これが初めてではないのだろうか。
メルザリッテの言っていた「ベルリオットたち」というのは、つまりラグのことだったというわけだ。
ラグがむくりと半身を起こし、薄目を開けながら周囲をうかがい始める。
「あれ、リヴェティア王? それにベルさんも」
「ラグさん、また俺のところ来てたんだよ」
「そうでしたか~それは失礼しました。では、わたしは自分の部屋に戻りますね~」
ラグはベッドからのそのそと這いでたあと、おぼつかない足取りで部屋から出て行く。
リズアートはあっけに取られ、一連の流れをただ見ているだけしかできなかった。
「小さい頃、いつもじいさんと寝てて、そのときに誰かと一緒に寝る癖がついちゃったんだってさ」
「それで夜な夜な出歩いて他人のベッドにもぐりこむってこと?」
「安心しろって。俺のとこしか来てないから」
「余計に安心できないんだけれど」
わけがわからない。
ラグの通った部屋の入り口を見つめ続けていると、ふと人影が映った。
一瞬、ラグが忘れ物でもして戻ってきたのかと思ったが、そうではなかった。
「んにゃんにゃ……朝からなにごと~?」
「ふぉ、フォルネア司教っ!? って、そ、その格好はっ」
サンティアカ教会の《歌姫》ことクーティリアス・フォルネアだった。
彼女は白い寝着姿だが、少しばかり……いや、かなり肌蹴ていてあられもない格好だ。
リズアートは思わず顔が引きつらせてしまう。
最近、国政に時間を取られてばかりで、身近な者たちの生活に目を向ける暇もなかった。それがこのツケだったというわけだろうか。
これはどうしたものだろうか。
いや、どうするもなにも――。
リズアートはゆっくりと振り返り、ベルリオットに笑顔を向ける。
「……ベルリオット」
「な、なんだよ?」
「少し話を訊きたいんだけれど?」
◆◇◆◇◆
台所からまな板を叩く小気味良い音が聞こえる中、居間のソファに座るベルリオット・トレスティングは、半ば呆れ気味に頭をかいた。
そんな感情を抱くに至った理由は、対面のソファに座るリズアートが原因だ。
彼女は腕を組みながら、無表情でこちらを睨みつけている。
「さて、説明してもらえるかしら」
「説明もなにも部屋が空いてるから提供しただけだ」
「だからってこんな」
言って、リズアートはベルリオットの隣に目をやった。
そこには背筋を伸ばしてにこにこと微笑むクーティリアスと、身を縮ませて申し訳なさそうにするラグが座っている。
昔はもう少しさばさばしてたと思うんだけどな……。
ベルリオットはいまも眉尻を吊り上げるリズアートを見つめながら、そんなことを思う。
台所側で話を聞いていたらしいエリアスが、包丁を持ったまま勢いよく振り返り、叫ぶ。
「そうです。女性が大勢いる中で男一人だけなどと――」
「エリアス様、余所見をしてはいけませんよ」
「し、失礼しましたっ」
エリアスが慌ててこちらに背を向け、調理に戻る。
沈黙を保っていたクーティリアスがしずかに口を開く。
「以前、お二人が滞在されていたときも同じような状態だったと聞き及んでおりますが」
「あ、あのときはしかたなかったのよ。訓練生の中で近場に家を持っていて、なおかつ信頼できる人が少なかったから」
「信頼もなにも、あのときはほぼ初対面――」
「ベルリオット?」
リズアートから目で威圧された。
黙っていろ、という意味らしい。
クーティリアスが追撃する。
「しかたない、というならば現在のわたくしたちも同じです。単純に住居が足りない状況ですから。このことはリズアート様もよくご存知かと思います」
「そ、それはもちろんだけれど。ただ、ベルリオットの屋敷である必要はないはずよ」
「気心の知れた中ですし、そもそもわたくしとティーア様はベルリオット様に仕える身ですから。おそばに居させてもらうのは当然のことです。ラグ様もベルリオット様のご友人ですし、どこにも問題はないかと。というよりずっと気になっていたのですが……」
クーティリアスが満面の笑みを浮かべながら言う。
「リズアート様が、ベルリオット様の屋敷の問題についてとやかく言う筋合いはないのでは?」
「なっ」
「あぁ、もしかして、この屋敷に女性が多くなると、リズアート様にとってまずいことがおありなのでしょうか?」
芝居がかったように話すクーティリアスを前に、リズアートが口をつぐみ、耳をわずかに赤らませる。
珍しく押されている。
なかなか見られない光景をベルリオットが興味深く見守っていると、ラグがおそるおそる手をあげた。
「あ、あの~」
全員の視線が集まる中、ラグが一言。
「わたしも男なのですが……」
「あっ」
どうやらリズアートは完全に忘れていたらしい。
と思ったら、クーティリアスも同じだったようだ。彼女もあっけに取られている。
たしかにラグは女の子と言われてもおかしくないほど華奢な体つきで、顔もむさくるしいおっさんとは正反対の愛嬌にあふれたものだが、正真正銘、男である。
「まあまあ」
メルザリッテが落ちついた声をあげながら割って入ってきた。
彼女が両手で持ったトレイの上には、人数分のカップが乗っており、中には湯気を立たせた黄金色のスープが入っている。ベルリオットは意識をそちらに向けた途端、甘い香りが鼻腔をつき、食欲が刺激された。
メルザリッテはスープの入ったカップを食卓に並べていく。
「朝食の用意ができましたので、お話はそのあたりにしてみなさまでいただきましょう」
「そうだな。いいか?」
「……ええ」
リズアートに確認をとってみたものの、彼女はまだ納得がいっていないようだ。
そんな彼女にメルザリッテが近寄り、耳元でなにかをささやいた。
直後、リズアートの顔が思い切り真っ赤に染まる。
「メ、メルザさんっ!」
恥ずかしがるリズアートから、メルザリッテが微笑みながら離れる。
わけがわからず、ベルリオットは首をかしげる。
「なんて言ったんだ?」
「秘密です」
メルザリッテが片目をつむりながら、口もとに人差し指を当てて応える。
まるで悪戯を楽しむような彼女を見て、きっと訊いても教えてくれないんだろうな、とベルリオットは思った。
リズアートがおもむろに息を吐いた。
「そうよね。この屋敷にはメルザさんがいるんだから」
なにやらぼそぼそとひとり呟いたあと、彼女は顔を上げて告げてくる。
「わかったわ。この件については諸々の事情もあることだし、認めることにします」
「なんかよくわからないが、ありがとな」
「言っておくけど、変なことはしないように」
「変なことってなんだよ」
「それは……」
リズアートが答えかけたところで、ベルリオットの腕にクーティリアスが抱きついてきた。その豊満な胸を押しつけながら艶やかな表情で見上げてくる。
「ということでリズアート様のお許しが出ましたので……ベルリオット様。今夜はお祝いに一緒に寝ましょうか」
「ちょ、ちょっと! そういうことがダメだって言って――」
リズアートが注意してもクーティリアスに放れる気はないようだ。強行手段に出たリズアートに体を引っ張られるが、それでもクーティリアスはベルリオットの腕にがっしりとしがみついて放れない。
……なんとも騒がしい。
ベルリオットが呆れ気味にそんなことを思っていると、ティーアが細長のパンが入った皿を運んできた。こんがりと焼けたパンから漂う香ばしい匂いをかぐと、朝だという感じがする。
「ベ、ベルリオット・トレスティングッ!」
エリアスが野菜の入った皿を勢いよく卓に置いた。
彼女の表情は、なにやら一世一代の大勝負だと言わんばかりに真剣だ。
「味見をお願いできますか。姫さまに万が一のことがあってはならないので」
「俺だったらいいのかよ……」
そう愚痴りながら、ベルリオットはエリアスの持ってきた皿に目を向けた。
見たところ緑黄色野菜を適度な大きさに切り、和え酢をかけた、という感じの基本的なサラダだ。とくにいびつなところはない。
なるほど考えたな、とベルリオットは思う。
単純なサラダならば火を使わないし、ただ野菜を切るだけでいい。
いくらエリアスといえど、失敗するほうが難しいというものだ。
ベルリオットはフォークを手に取り、躊躇することなく野菜に突き刺し、口に運ぶ。しゃきしゃきと音を鳴らしながら、ほのかな酸味と野菜そのものの新鮮な味を楽しむ。
「ど、どうでしょうか……?」
期待と恐怖が入り混じったような表情で、エリアスが見つめてくる。
正直に言って普通のサラダだ。
ただ、彼女が一生懸命作ったと思えば、普通のサラダもおいしくならないはずがない。
「美味いよ」
そうベルリオットが答えると、エリアスの表情がぱあっと明るくなった。しかし、目が合ったまま喜んでいたのが恥ずかしくなったのか、彼女は素早くこちらに背を向けた。それから片手に拳を作って「よしっ」と呟く。
料理、と言っていいのかわからないが、彼女にとってこのサラダの成功はとても大きいものだったようだ。
ベルリオットはふと居間にいる全員の姿を見回す。
いまだ言い合いを続けるリズアートとクーティリアス。
それをそばであたふたとしながら見守るラグ。
エリアスは、メルザリッテとティーアに料理を教えてもらった礼を言っている。
目の前の光景になんだか微笑ましい気分になりながら、ベルリオットは思う。
ずっとこんな感じだったらいいのにな、と。




