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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
第五章【狭間の王・後編】
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◆最終話『揺れた世界は終わり、人は、いま』

 ベルリオットは手に持った剣をじっと見つめた。

 デュナムの血はついていない。

 すべてが天精霊を覆う風に弾かれたのだ。


 本当に至高の剣だと思った。

 この剣がなければ、デュナムに勝つことは難しかっただろう。

 それほどまでの強敵だった。

 若干の名残惜しさを感じながら、ベルリオットは天精霊の剣を手放し、消滅させた。


「ベルリオットっ!」


 聞こえたほうを見やると、黄色い光を纏ったリズアートがこちらに向かって飛んできていた。その勢いは近づいても止まる様子はない。


「っと」


 ベルリオットは彼女を抱きとめた。

 警戒を解いていたこともあり、わずかに後ろへ傾いてしまう。

 腕の中に、すっぽりと収まった華奢な体。彼女が女性であることを強く感じ、胸が高鳴った。それと同時に言い得ぬ安心感が押し寄せてくる。

 リズアートは抱きついてからずっと顔をうずめたままだ。


「遅くなった」

「絶対に来てくれるって信じてた……帝国にも負けないって信じてた」


 くぐもって聞こえた声は、若干だが震えているようにも思えた。

 涙しているのかもしれない。


「そのわりに不安そうな顔してたよな」

「あ、あれはあなたの体のことを心配して! って、そうよ。傷は?」


 ばっと上げられた彼女の目は赤らんでいた。

 その目で、傷ついたベルリオットの体を見るやいなや、痛々しいとばかりに眉尻を下げる。彼女は恐る恐る手を伸ばし、傷口に触れようとしてとめた。うつむきながら、悔しそうに手を握り締める。


「ごめんなさい。またわたしのせいであなたにこんな思いを……」

「気にするな」

「でも――」

「きっと必要なことだったんだ。もちろん失われたものに対してそうは思わないが。ただ今回、俺が体験したものは、いつかぶつかる壁だった。だから、気にするな」

「ベルリオット……」


 それから少しの間、リズアートの顔から悲しみが消えなかった。

 彼女は目を閉じ、息を吐いた。

 その目がふたたび開けられたとき、表面的ではあるが、悲しさが消えていた。

 彼女は、慈しむように目を細め、笑みを見せる。


「髪、綺麗ね。あなたによく似合ってるわ」

「自分じゃ見えないからな。帰ったら鏡で見てみるか」

「ええ、そうね。早く帰って、みんなに無事を報告しなくちゃ」


 リズアートがそう言った、直後。

 大陸が揺れた。

 いまは浮遊中だ。

 直に感じたわけではない。

 だが、視界に映る大陸は細かな振動を繰り返している。

 それだけでなく上昇しはじめ、ベルリオットと地表の距離が急激に縮まっていく。


 この骨に響くような感覚。

 ベルリオットは、とっさに視線を帝城の少し東側へ向けた。

 そこからアウラの激しい奔流を感じたのだ。

 視界の下から上を貫くように、光の柱が走った。猛烈な勢いだ。光の柱は空高く舞い上がると、まるで噴水のように周囲へ飛び散っていく。光の柱から離れたほの白い燐光が大陸中に降り注ぐ。


 これは紛れもなく、飛翔核が破壊されたときに起こる現象だ。

 ベルリオットは何度も見た光景だが、リズアートは初めてだ。

 大きく見開かれた彼女の瞳に、無数の光の粒が映りこんでいる。


「これってもしかして」

「ああ。飛翔核が壊された」

「いったい誰がっ!」

「わからないが……たしかなことは、このままじゃ大陸が落ちるってことだ」

「主!」


 その声は下方から聞こえた。

 ティーアだ。

 彼女は近くまでくると真剣な顔で口を開く。


「いちゃついてるところ申し訳ないが、早く出るべきだ」

「べ、別にこれはいちゃついてなんか――」

「そうだな。ただ、乗ってきたアミス・ティリアは壊されたからな」

「まずは飛空船を探さないとか」

「ちょ、ちょっと待って!」


 ベルリオットがティーアと話を進めていると、リズアートが焦ったように割って入った。


「ガスペラント王とシェトゥーラ王がまだ帝城に囚われたままなの。彼らを見捨ててなんかいけないわ」

「王二人が……?」


 王たちを助けるかどうか。

 そんな思考が脳裏をかすめたが、すぐに消えた。

 リズアートが助けなければならないと思っている。

 答えを出すには、それだけで充分だ。

 ティーアが自身の胸に手を当てる。


「ならば、わたしが連れて来よう」

「悪いが、頼む」

「任された。しかしリヴェティア王とは違う場所となると、地下の牢獄しかないな」

「俺たちは飛空船を捜しておく」

「ポータスは帝都の南東あたりだ」

「わかった。帝城の正門前で落ち合おう」

「了解した!」


 ベルリオットは、ティーアと別れた。

 リズアートとともに、帝都の南東にあるというポータスへと向かう。


「本当に驚いたのよ」

「なにがだ?」

「彼女のことよ。ティーア・トウェイル。敵だと思ってた人が、いきなり助けに来たって言うんだもの」

「あ~……まあ、色々あって協力してくれることになったんだ」

「色々、ね。主とか言われていたけれど?」

「それはティーアが勝手に呼んでるだけで」

「名前だってもう呼び捨てだし」

「勘弁してくれ」

「どうしようかしら」


 くすり、と笑う彼女は、もういつもの調子を取り戻していた。

 前方に広々とした区画が見えた。

 いくつも設けられた円形状の広場には、細かに白線で区切られている。

 おそらくあの場が発着場だろう。


 区画の中央辺りには管理棟らしき物が建っている。

 リヴェティアポータスとは比べ物にならないほどに巨大だ。

 さすがはもっとも多くの飛空船を抱える国といったところか。


「あれがガスペラントのポータスか」

「さすがに大きいわね。でも……」

「見たところ飛空船がないな」


 発着場と思しき場所に、飛空船が一隻も見当たらないのだ。


「手分けして探しましょう」

「ああ」


 ポータス上空に到達してから、ベルリオットはリズアートと二手に分かれ、飛空船の捜索を始めた。発着場の通路には石塀で区切られているところもある。その陰に隠れているかもしれない。そう思って注意深く探してみたが、見つからない。

 念のために管理棟の中も確認してみたが、結果は同じだった。

 管理棟の外へ出て、リズアートと合流する。


「どうだった?」

「ないな」

「このままだと、わたしたち大陸ごと……」


 リズアートの声がしぼんでいく。

 いつにも増して彼女は弱気だ。

 それは現状に至った原因が自分にある、という思いがあるからかもしれない。


「らしくないぞ」


 肩をすくめながら言った。


「民家のどこかに飛空船があるかもしれない。帝国はただでさえ飛空船が多いところなんだ。一隻ぐらいあるだろ」

「ええ、そうね。探せばきっと――」


 ふいにリズアートが目をぱちくりとさせた。

 何ごとかと彼女の視線を追うように、ベルリオットは振り返った。

 瞬間、目蓋が勢いよく跳ねた。


「あれは……」


 視界に映る紺碧の空。

 なにかが浮かんでいた。

 それは陽光を受け、反射したあとに姿をあらわにする。

 城を思わせるほどに巨大なそれは……間違いない。

 巨大飛空船(ドストメギオス)だ。

 ベルリオットはとっさに身構えた。


「姫さまーッ!!」

「この声、エリアス?」


 聞こえた声に、リズアートが反応した。

 だんだんと近づいてきた巨大飛空船。

 砲塔の先端に、見たことのある人物が立っていた。

 腰まで癖なく伸びた淡い金髪。白基調に青線で彩られた騎士服が特徴的な彼女は、エリアス・ログナートだ。

 ベルリオットは思わず頬が緩んでしまう。


「あいつら、やったのか」

「どういうこと?」

「ティゴーグで帝国とぶつかるとき、あれを奪う作戦を行なってたんだ。それを見事に成功させたってことだよ」


 やがて近くまで来た巨大飛空船が空中で停止した。

 エリアスが砲塔から飛び降りると、一目散にリズアートのほうへと向かった。

 リズアートもまたエリアスのほうへと向かい、二人は抱き合う。


「姫さまっ!」

「エリアス!」

「ご無事でしたか」

「ええ。彼のおかげで」


 ベルリオットはエリアスから視線を向けられた。

 彼女は優しい笑みを浮かべながら、うなずいてくる。

 必ずリズアートを助けるという、約束を果たすことができた。

 おかげで目をそらさずに、彼女の笑みに、笑みで応じられた。


「このまま帝城の正門へ向かってくれ。そこでティーアと落ち合う予定なんだ」

「ティーア・トウェイルと? 彼女はなにを」

「ああ、わけあってガスペラント王とシェトゥーラ王を助けに――」


 行った、と言おうとしたとろこで、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。

 振り向いた先の光景に、ベルリオットは思わず目を瞬かせてしまう。

 ティーアが、ガスペラント王とシェトゥーラ王の後ろ襟を引っ張りながら、こちらに向かってきていたのだ。


「は、放せ! ぼくはシェトゥーラの王だぞ! このような扱いをするなど!」

「シェトゥーラ王よ、落ち着くのだ! この者に助けてもらった礼を忘れたのか!」

「そ、そんなこと関係ない! 下々の者が王のために働くことは当然のことだ!」

「このままわめき続けるのなら力ずくで黙らせてもいいのだが?」

「い、いいだろう! 王であるぼくを運びたまえ!」


 威圧のこもったティーアの一言でシェトゥーラ王が押し黙った。


「遅かったのでこちらから出向かせてもらった。しかし……飛空船を探すとは言っていたが、まさかこんなものを持ってくるとはな」

「俺も驚いたよ」


 二人して巨大飛空船を見つめながら苦笑した。

 と、大陸がひと際大きく鳴動したかと思うや急激に下がり始めた。

 帝城近くから噴き出していたアウラの勢いはもうほとんど失われている。

 大陸中に降り注いでいたほの白い光はもうほとんど見られない。


「もう時間がなさそうだ。急いで中に入ろう!」


 ベルリオットがそう叫んだのを合図に、全員が巨大飛空船に乗りこんだ。

 中に入るのは初めてだった。その圧倒的な広さに感嘆の声をあげながら、ベルリオットはほかの者たちとともに操舵室に足を踏み入れる。

 視界いっぱいに広がる、透明性の壁が目に飛び込んできた。

 その下には水晶の埋め込まれた台がいくつも並び、それぞれの前に人が立っていた。多くがリヴェティアの騎士だ。中央の台の前にはリンカとルッチェの姿が見られた。


「お、みんな来たね! すぐに出すよ!」


 ルッチェの言葉を合図に、がくんと体が揺れた。

 巨大飛空船が動きだしたのだ。

 見る見るうちに大陸との距離が開いていく。

 骨に響くような振動が、まるで大陸が慟哭をあげているかのように感じた。

 やがて操舵室からでは大陸の姿が見えなくなった。


 全員が言葉を発しない。

 自分たちが足をつけた大陸が落ちていく。

 その喪失感は、言葉では言い表せないものがあるのだ。

 大陸落下を何度も目の当たりにしているベルリオットもまた、いまだその感覚に慣れないでいた。

 ガスペラント大陸の浮かんでいた場所から充分な距離を進んでからのち、ベルリオットは精霊の翼を解き放った。クーティリアスが人の姿に戻ったのを見てから、ふぅ、と息をつく。


「一時はどうなるかと思ったが……みんなが来てくれたおかげでどうにかなった。ありがとう」

「エリアスがどうしてもいくって聞かなかったの」

「り、リンカ! それはあなたもでしょう!」

「さあ? そんなこと言った覚えはないけど」


 あからさまにとぼけるリンカに、エリアスが詰め寄る。

 そんな光景を目にしながら、そばに立っていたリズアートが笑みをこぼした。

 彼女もまた、張りつめていた心に余裕が出たようだ。


「これで帝国とのことも、すべて終わったのよね」

「ああ」


 ベルリオットがそう返事をした、そのとき。

 巨大飛空船が縦に大きく揺れた。

 操舵室に悲鳴が響く。

 この揺れ方は、発進したときの比ではない。


「えっ、なに!? ちょっと!? いきなり高度上がってるんだけど!?」


 ルッチェが取り乱している。

 色んな水晶に手を当ててみるものの、どうやら期待した反応が返ってこないようだ。 


「誰か機関室を、飛翔核を見てきて!」


 いち早くベルリオットは飛翔していた。

 機関室は来るときにそばを通っている。

 というより、ほぼ一直線の道だ。

 迷うことなく機関室の到着すると、ベルリオットは自身の目を疑った。


 機関室は、動力である飛翔核を保管する場所でもある。

 ほかにも多くの機材が置かれていることもあり、そこは必要以上に広々とした部屋だ。

 視界の中、人型大の黒い煙が揺らめいていた。

 そのそばに鎮座する飛翔核は、上半分が失われ、中から大量の白いアウラが噴き出している。


「ガルヌ……!」

「ベルリオット・トレスティングか。まったく運のいい奴よ」

「ガスペラントの飛翔核をやったのも、おまえか」

「だとしたらなんだと言うのだ」

「なんの理由もなく、あんなことッ――!」

「あの役立たずが貴様を葬っておれば、このような結果にはならなかっただろう。しかし……わたしがあやつを選んだ時点で、この結末は決まっていたのかもしれぬ」


 ガルヌの言う「あやつ」とはデュナムのことだろうか。

 仲間のことをまるで使い捨ての駒のように言うその口ぶりに、ベルリオットはひどく嫌悪した。


「まあよいわ。オウル様のためにも、貴様はここで葬り――」


 一筋の、赤い光がベルリオットのそばを通り過ぎていった。

 目で捉えられたのは偶然としか思えないほど、静かで鋭い一撃。

 ティーアの槍がガルヌに突き刺さっていた。

 黒い煙の中心に浮遊する、紫の結晶を貫く形だ。


「な……?」


 なにが起こったのかを理解できない。

 ガルヌはそんな戸惑いを感じさせる声を残し、その体を消滅させた。

 あっさりした最期だ。


 人か精霊か。あるいはシグルか。

 そんな曖昧で不確かな存在だったこともあり、本当に消滅したのかは定かではない。

 だが、なんとなくだが、今度こそガルヌは死んだのだ、とベルリオットは思った。


「……ティーア」

「こいつから出向いてくるとはな。手間が省けた」


 ティーアは、ガルヌに愛する妹であるナトゥールを傷つけられた恨みがある。

 その報いを受けさせるための一撃だった、ということだろう。

 だが、ティーアの顔には達成感など微塵も見えない。

 むしろ虚しさを思わせる面持ちだ。

 そこにベルリオットは、狭間の世界で起こった戦いの結末を……残ったものを見たような気がした。


「あぁっ、やっぱり飛翔核が壊れてるぅうう!」


 機関室の入り口から叫び声が聞こえた。


「あたしの作品がぁああああ――!」


 そちらを見やると、ルッチェがまるでこの世の終わりだとでも言いたげな表情で泣き崩れている。

 リズアートやエリアス、リンカ、クーティリアスが遅れて機関室に入ってきた。

 破壊された飛翔核を目にしたリズアートの表情が険しくなる。


「これは……」

「ガルヌが生きてたんだ」

「ガルヌがっ?」

「でも、もういない。ティーアが倒してくれた」

「……そう」


 リズアートは聡い。

 手放しで喜べる状況ではないことをティーアの様子から察したのだろう。

 そもそも、いまはそれよりも気にしなければならないことがある。

 リズアートが、いまもアウラを放出し続けている飛翔核を見やった。


「でも、これって、いまは上昇してるけど、このままだと大陸と同じで落ちるってことよね」

「だろうな」


 エリアス、リンカもまた同様に深刻な顔つきで飛翔核を見つめている。


「いったいどうすれば……外に出ても圏外だと生身で飛べないですし」

「ティゴーグが近ければ、なんとかなりそうなのに」


 各々が思っていることを口にするが、現状を打開するものは出てこない。

 誰一人として取り乱さないのは、全員が死線をくぐってきているからだろう。


「あれ。みんな、どうしたの? そんな深刻そうな顔して」


 そう口にしたルッチェからは危機感がまったく感じられない。

 ベルリオットはなかば呆れ気味に言う。


「どうしたって……いま、どうすればみんなでティゴーグにつけるか考えて」

「ああ、それに関しては大丈夫。こんな大きな飛空船なんだから、非常の飛空船を用意してないはずがないでしょ」


 ルッチェがあっけらかんと言った。

 ほかの全員がそろって「え?」と口にし、唖然とする。

 よいしょ、と立ち上がったルッチェが、とことこと機関室の中を歩きはじめた。


「えーっと、大体このあたりかなっと」


 彼女はいきなりアウラを纏ったかと思うや、槌形状の結晶を生成し、それを勢いよく振り下ろした。鈍い音と同時、床に大きな穴が開けられる。

 ルッチェが穴の近くに寝そべると、上半身を穴の中に突っこんだ。

 どうやら覗き込んでいるようだ。

 それほど待たずに彼女ががばっと体勢を戻し、大声で指示を飛ばす。


「あったあった! 操舵室の人たちも呼んできて!」

「あたしが行ってくる」


 そう言い残して、操舵室へ向かったリンカが戻ってくるまであまり時間はかからなかった。全員でルッチェが開けた穴から下の層に向かう。

 その先にはたしかに飛空船はあったが。


「お、押さないで下さい!」

「もっと詰めて!」

「後ろ、頑張れば四人ぐらい余裕でしょ!」


 四人用の飛空船が二隻しかなかった。

 一隻に王たちやリヴェティアの騎士たちが、もう一隻にベルリオットを含む残り全員が乗り込むこんでいく。

 ベルリオットは疑問を口にする。


「非常用なのに二隻って……」

「こっそり造ったからね。これ以上となるとさすがにばれちゃうかなって」

「どう頑張っても場所が足りません。誰かが一つの席を二人で!」


 そうエリアスが叫んだ直後――。


「お、おい、リンカっ!?」

「なに?」


 ベルリオットは補助席に座っていたのだが、膝上にリンカが座ってきた。

 リズアートが慌てたような声をあげる。


「ちょ、ちょっとリンカあなたなにをしてるのっ」

「自分が一番小柄なので、もっとも適切な場所に座っただけですが」


 しれっと答えたリンカに、リズアートは片頬を引きつらせながら口をつぐんだ。

 援護射撃とばかりに、ほかの者たちが後部座席から声をあげる。


「それならわたくしもそこに権利はあると思うのですが」

「あたしのほうが早かった。それにあなたのほうがきっと重い」

「重い、ですか。たしかにあなたよりも大きい場所はありますが」

「いつもは身長を指摘すれば怒るくせに、このようなときだけ……卑怯な!」

「いまは緊急事態だからしかたない。というかエリアスが乗ったらベルがつぶれる」

「つ、つぶっ!? 失礼なっ、わたしはこれでも体重は軽い方で!」

「ここは主の眷属たるわたしが」

「あなたは……そうね、仲間だけどダメ。眷属なんだから上に乗ってどうするの」

「そもそもなんで俺のところに乗るのが前提なんだよ!?」

「ちょっときみたち! 黙ってないと舌噛むよ!」


 ルッチェがそう言った直後、飛空船が大きく揺れた。

 巨大飛空船が落下をはじめたのだ。

 予め開けられていた艙口から、王たちやリヴェティア騎士が乗る飛空船が先に抜けた。

 ベルリオットが乗る飛空船もあとを追う形で空へと飛び出す。

 無機質な壁が支配する景色から一変し、視界いっぱいに青い空が広がる。


「あぁ~……あたしの作品がぁ……」


 巨大飛空船が落ちていくさまを見ながら、ルッチェが鳴き声をあげていた。

 もしアミスティリアが壊されたと聞いたら、彼女はどんな反応をするだろうか。

 ベルリオットはそれ以上考えないことにした。


 あらためて巨大飛空船を見つめた。

 初めて目にしたのはリヴェティア王城を急襲したときだ。

 帝国との諍いは、その急襲よりも前から始まっていたが、帝国は巨大飛空船ありきで動いていたことは誰の目からも明らかだ。だからか、巨大飛空船は帝国の象徴であるという思いが、ベルリオットの中には深く植えつけられている。


 その象徴が、いま、地上へと落ちている。


 戦いが終わったのだ、と。


 ベルリオットは本当の意味で、ようやく実感できた。



   /////


 ざわざわと騒々しい音が絶え間なく耳に届く。

 陽が暮れ始めているにも関わらず、人の波に収まる様子は見られない。


 王都ティゴーグの北側。

 流通街と呼ばれる場所にベルリオットはいた。

 周辺ではもっとも高い建物の屋上の縁に腰を下ろし、流通街に訪れた人々の様子をずっと見つめている。


 なにかの祭事なのかと思うほど人が多かった。

 また身なりの良い者も多い。

 ベルリオットが耳にしていた、流通街の様子とはまるで違う。


 ふいに風に吹かれ、前髪が揺れた。

 髪の色は黒に戻っている。

 どうやらアウラを纏ったときにしか、色が変わらないようだった。


「なにを考えてるの?」


 顔を確認せずとも、声の主がリズアートだとわかった。

 先ほどの風も、彼女が近くに下り立ったときにおこったものだ。


「べつになにも。ただ、ぼーっとしてただけだ」

「デュナム・シュヴァインが、ガスペラント大陸が落ちることを見越して、帝国の民をあらかじめティゴーグ大陸に避難させていたんじゃないか」

「……わかってたなら訊くなよ」


 見事に言い当てられ、ベルリオットは肩をすくめた。

 ティゴーグ大陸で行なわれた、リヴェティア側と帝国側の戦争。

 それが開戦となる前に、ガスペラント帝国民はティゴーグ大陸の北側に移送されていたという。王都ガスペラントが無人だったのもそのせいだ。


 なぜ、デュナムはそのようなことをしたのか。

 彼はリヴェティア大陸を落とし、ガスペラント大陸を最後の大陸としようとしていたのではないか。だとするなら、帝国民をティゴーグ大陸に避難させる行動は矛盾しているとしか思えない。


 ベルリオットがガスペラント大陸に乗り込むことは敵も予想していたようだった。ならば帝都が戦場となった場合を想定し、避難させたともとれるが、それにしたって大掛かり過ぎる気が――。


「いくら考えたってしかたないわ。答えは彼にしかわからないもの。それよりも彼らが生きていたことを素直に喜びましょう」

「そうだな」


 ベルリオットは何度も頭の中でめぐらせた思考を断ち切った。


「それにね、もう悩んでる暇なんかないわ」


 一歩前に出たリズアートがすぐ隣に並んだ。

 彼女は風になびく髪を一房、耳にかけた。

 それから前を向きながら話し始める。


「ティゴーグやシェトゥーラ。それに帝国も、リヴェティアが〝最後の大陸〟となることを認めてくれた」

「ようやく、ここまで来たんだな」

「ええ。でも大事なのはここからよ。みんなが手を取り合い、シグルとの戦いに向けて多くの準備をしなければならない」

「創造主の言う二千年後まであと一年か。その間に、なにができるか」

「出来ることからがむしゃらに頑張れば。そうすればきっと道は開けるわ」

「リズにしてはえらく漠然としてるな」

「そうかしら? でも、そうね……そうかも。ただ、こう思えるのも全部――」


 ずっと耳に届いていた喧騒が遠くなったような、そんな気がした。


「あなたがいるからよ、ベルリオット」


 あまりに真っすぐな言葉に、ベルリオットは思わず目をぱちくりとしてしまう。

 暮れ行く陽の光に照らされた彼女の髪はいっそう艶やかさを増し、肌はわずかに赤らんでいるように映った。

 ずっと見ていたい、と。

 そんな感情をベルリオットが抱いたと同時、彼女から手を伸ばされた。


「行きましょう」


 その白く小さな手を見つめながら、ベルリオットは先ほどの言葉を思い出していた。


 ――あなたがいるからよ、ベルリオット


 そっくりそのままリズアートに返してやりたいと思った。

 彼女がいなければ、きっとデュナムに打ち勝つことはできなかった。

 彼女がいなければ、本当の意味でアムールであることを受けいれられなかった。


 自分は本当に弱い。

 ただ、それはきっと誰もが同じだ。

 たったひとりで強い者などいない。

 だからこそ人は手を取り、力を合わせるのだ。


 大陸が落下するまで、残された時は決して長くない。


 すべての人が手を取り合えるように、と。


 そう願いを込め、ベルリオットは伸ばされた手をとった。







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