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天と地と狭間の世界 イェラティアム  作者: 夜々里 春
第五章【狭間の王・後編】
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◆第十話『デュナム・シュヴァイン』

 延々と続く荒地。

 見ているだけでも心が落ち込んでいくような、そんな物悲しい景色だ。

 帝国では製造業が盛んに行なわれている。

 中でも多く造られているのが飛空船である。

 その飛空船に必要な鉱物を得るため、大陸のあちこちを掘削していることが、土地が荒れに荒れた原因と言えるだろう。


『ひどい。こんなになるまで……』

「けど、飛空船に関しては俺たちも帝国に頼っていたところがあるんだ。そういうことにはちゃんと目を向けないといけない」


 言い方を変えれば、ガスペラント大陸が身代わりになっていた、とも言えるのだ。

 飛空船が必要不可欠な世界の中、ガスペラント大陸が率先して飛空船を製造していなければ、ほかの大陸も同じような姿になっていたかもしれない。

 限られた資源がどれほど大切か、ベルリオットはあらためて胸に刻んだ。


 前方にちがう光景がうっすらと浮かんでくる。

 遠目からということもあるが、霧のようなものがかかっていてはっきりと見えない。

 おそらく採掘業や製造業による影響によって、大気が汚染されているのだ。

 話には聞いていたが、ここまで目でとらえられるとは思わなかった。

 ティーアは無事にガスペラント帝都にたどり着けただろうか。ドリアークと戦っていた時間からすれば、すでに帝城内部に潜入していてもおかしくない。


 帝都に近づくにつれ、建物の影がぼんやりと見えてくる。

 円柱形の塔がいくつも建てられていた。

 ディザイドリウム大陸の高層建築郡ほどではないが、相当に高い。

 塔の下には、家屋と思しき建物が所狭しと敷き詰められている。

 どれも角ばっていて、言ってしまえば簡素な造りのものが多い。

 色調も地味目のものが多いように見えた。 


 温かみがまるで感じられない。

 そうベルリオットが抱いた、そのときだった。

 視界の端に映った、ここら一帯ではもっとも高い塔。

 その頂にひとつの人影が見えた。


 目を凝らすまでもなかった。

 その人物が誰なのかを感覚的に理解し、ベルリオットは反射的に飛び掛っていた。

 こちらの青の剣が、相手の黒の剣とぶつかり合う。


「デュナムッ――!!」



   /////


 かち合わせた結晶の剣の向こう。

 見るからに怜悧そうな、かつ中性的な顔立ちをした長身白皙の青年が映る。

 その体の周りにはうごめくように黒いアウラがまとわりついている。

 胸元まで乱れなく伸びた髪を揺らしながら、青年――デュナム・シュヴァインが不快そうに目を細める。


「なんとも無礼な挨拶だな」

「おまえにやる礼儀なんて持ち合わせてるかよ!」

「だからといって言葉ではなく剣で語るか。まさしく野蛮な者の証拠だ」

「帝国がいままでしてきたことを忘れたとは言わせない!」

「それは国家間の問題だ。わたしと貴様個人の問題ではない」

「屁理屈をっ!」


 取り込んだアウラを一気に噴出させた。

 全身の力を剣に乗せ、押しこむ。

 デュナムの足場を中心に尖塔の頂がへこんだ。

 見る見るうちに亀裂が全域に広がり、ついには頂が弾けるように四散した。

 デュナムがぐらり、と体が揺らがせるやいなや、後方へ飛び退く。


 ベルリオットは飛閃を放ち、そのあとを追うように自身も続く。

 デュナムの黒剣によって飛閃が斬り払われる。間を置かずしてベルリオットが肉迫すると、敵はこちらの攻撃を警戒し、剣を正眼に構えた。

 ベルリオットは飛行の勢いをそのまま乗せ、デュナムの顔面めがけて剣を突き出す。黒の剣を腹から貫いた。黒の破片が飛び散る中、突き進んだ剣の切っ先は、しかし敵の整った顔を捉えることはなかった。貫いたのは、敵の右即頭部のわずか外だ。


 あと少しで仕留められたはずだ。

 しかし、デュナムの顔は余裕に満ちている。

 それがベルリオットを余計に苛立たせた。

 敵が、こちらの剣から逃れるように距離を空けたかと思うや、静かに剣を振り上げた。こちらも突き出した剣を引き、振り上げる。

 互いに剣を振り下ろした。

 剣の衝突音は甲高かった。

 だが生まれた衝撃が、突風のごとく凄まじい音をたてて周囲に広がっていく。


 音が止むよりも早く互いに剣を離した直後、示し合わせたように連撃を繰り出す。多くが振り下ろしからの振り上げ。そこに払いや突きを織り交ぜ、互いに相手を出し抜かんとしている多彩な攻撃をしかける。

 虚空を斬れば鋭い音が、剣がかち合えば、先ほどと同じように凄まじい衝撃音があたりに響く。


「あいつを……リズをいますぐに解放しろ!」

「彼女の真意も聞かずに貴様は解放を望むか。彼女が、わたしの伴侶になることを望んでいるかもしれないのだぞ」

「あいつがリヴェティアを見捨てて、おまえなんかに与するはずがない!」

「短いながらもわたしの心を知ることで、わたしと共に生きたいと思ったかもしれない。いや、きっとそう思ったはずだ」

「あいつがおまえみたいなやつに――」

「ないと言い切れるのか」

「ああ、絶対にない!」


 ベルリオットは持ち上げた剣を勢いよく下ろす。が、斬ったのは虚空だ。

 お返しとばかりに、デュナムが鋭い突きを放ってくる。受け止めたものの、剣ともども腕を後方へ弾かれる。剣を持ったまま腕を戻しては、次の攻撃に間に合わない。即座に剣を手放し、胸の前に腕を構えてから剣を再生成。紙一重で、敵の攻撃を受け止めた。

 剣をかち合わせる中、黒の剣の向こうに映る敵の口が動く。


「知った風な口をきくな。貴様は彼女のすべてを知っていると言うのか? 同じ存在でもない、彼女のことを。アムールであるおまえが、人である彼女のことを」

「――っ」


 脳が、体が思考へ走った。

 その一瞬の隙を敵に捉えられ、剣をいなされた。前のめりになったベルリオットは、すぐさま体勢を整え、敵の攻撃にそなえる。が、いくら待っても攻撃はやってこない。

 視線を上げた。

 デュナムが嘲り笑うようにふっと口もとを緩めている。


「すべて偽りであり、わたしの願望だ。リヴェティア王はわたしの伴侶となることを強く拒絶しておられる。だが、わたしはそのうえで彼女を屈服させる。そして……この狭間の王となろう」


 自身を誇示するかのようにデュナムが両手を広げた。

 敵に主導権を握られていることに、ベルリオットはひどく苛立ってしまう。

 それが必要以上であることも自覚していた。

 どうしてなのかはわからない。

 理解できない怒りが沸々とこみ上げてくるのだ。


「自分勝手なことばかり言いやがって」

「人を導くつもりもない貴様にわたしを止める資格などない。でしゃばるな」

「そんな資格……!」

「己のすべてを賭けられる覚悟。それすらない者に、わたしの道を塞ぐ権利などありはしない!」


 デュナムは高々と掲げた剣の切っ先を、ベルリオットに向けてくる。


「わたしを止めると言うのなら、いま、ここで問おう! 貴様は背負う覚悟があるのか! アムールでありながら自分とはちがう存在である人のッ! この狭間の世界の未来を!」


 剣の切っ先は向けたまま、デュナムが突撃してきた。

 ベルリオットはそれに応じるように前へ出た。ふたたび空中戦を繰り広げる。

 今度は、神の矢、飛閃を使った遠距離攻撃も織り込まれた。デュナムは、それらを使いこなしていたが、ベルリオットは驚かなかった。

 敵は、それだけの技量を――力を擁している、と認めていたからだ。


 敵と刃を交わす中、ベルリオットの頭の中には先ほどの言葉が巡っていた。

 自分は人ではない。

 アムールだ。

 エリアスやリンカ。ユングやオルバ、ホリィたち王城騎士とも。ラグとも。モルスを始めとした訓練生とも。イオルやルッチェ、ジンとも。そして――。

 リズアートとも、違う。


 もとは天上の世界の住人である、言わばよそ者である自分が、狭間の世界の運命を背負う資格があるのだろうか。

 その考えは、ずっと前から抱いていた。

 だからこそベルリオットはできるだけ前に出ようとしなかった。

 自ら人々を率いようとはしなかった。

 自分はその器ではない、と思っていたこともあるが、もとはそれ――よそ者という認識が根底にある。


「甘いな。やはり甘いぞ」


 迷いが剣に出たか。

 振り遅れた剣を払われた。とっさに飛び退くが、それよりも速く敵の剣に右腕を捉えられた。肉の表面を裂かれる。傷は深くない。だが、たしかな痛みが襲いくる。


「どうあがこうが、貴様がアムールである事実は変わらない! しかし、だ! アムールの色に寄っていなければならない中で、貴様は限りなく人に近い色をしている!」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら、デュナムが休む間もなく攻撃をしかけてくる。

 腕の傷は支障をきたすほどのものではない。

 だが、一振りの重みで敵に負けていた。

 かち合うたびに、剣を弾かれてしまう。

 体勢が崩れたところを狙われ、傷が増えていく。


 単純な力の差ではこちらの方が勝っているはずだ。

 なのに、なぜ押し負けてしまうのか。

 その理由を言葉に出来なくとも、ベルリオットは感覚的に理解していた。


「中途半端な存在か。ベネフィリアとやらも狭間の助けにと寄越した自身の子が、このような出来損ないに育つとは予想だにしなかっただろうな。よほど育て方が悪かったと見える!」


 その瞬間、ベルリオットの中でなにかが切れたような気がした。

 生みの親であるベネフィリアのことは、なにを言われてもいいと思っている。

 なにしろどんな顔をしているのか、どんな声で話すかも知らないのだ。

 そこに愛着を持てと言われても無理がある。

 だが――。


 ライジェル・トレスティングのことを悪く言われることだけは、自分にとって許せるものではなかった。

 遊びと言ったら剣術ばかりだったし、遠出したと思えば猛獣狩りをはじめる始末だ。一緒に寝たときなんて寝相が悪くて思い切り腹を蹴られ、ひとり夜な夜なもだえていたこともある。礼儀なんてほとんど習わなかった。とにかく本当にがさつな人だった。


 そんな子育てが一般的に見て良かったかと問われれば否定しかねるが、ただ、そこにはたしかな愛情があった。

 ライジェルが死んでから間もなく、残された名声がベルリオットへの期待に変わり、それに応えられない自分の弱さを、彼のせいにしてしまったことがあったが……。

 いまではその間違いを認め、父のことをこう思うようになった。

 誰よりも尊敬できる人だ、と。


 ベルリオットは奥歯をぐっと噛んだ。

 全身に力をめぐらせた。

 弛緩した部位などいっさいない。

 そう実感できるほど強張らせた肉体をもって、デュナムへと肉迫。振り上げの一撃を見舞う。黒の剣によって防がれ、敵の肉を斬ることはできなかった。だが、黒の剣を後方へと弾き飛ばした。


「ようやく本性を出したかッ!! この化け物めがッ――!!」


 なぜかデュナムは嬉しそうに笑っていた。

 その心情はわからないし、知る必要もないと思った。

 いまは、ただ奴を斬ることで頭がいっぱいだった。

 ベルリオットは一撃一撃に渾身の力を込め、デュナムに襲い掛かる。


『……ルさ……ベ……――ッ!』


 クーティリアスの声がかすかに聞こえたような気がした。

 だが、その声を聞こえたかもしれない、という思いも、すぐに頭の隅へと追いやられる。ただひたすらに剣を振り続ける。

 押している。

 いまだ敵の肉を斬るには至っていないが、デュナムの剣を退けている。

 ――やれる。


 確信とも言える気持ちを肯定するように、ベルリオットはデュナムの突きの一撃を、剣もろとも弾き飛ばした。敵は無防備だ。このままトドメを――。

 ふいに視界の中、そこに映るデュナムの口の端が吊り上がっていた。

 ベルリオットはぞくりと悪寒を感じた。同時、自身に影が落ちた。

 とっさに仰ぎ見てしまった。そこにある神の種子(メテオ・リーテース)と同じ、黒の巨塊に視線を一瞬でもとどめてしまった。


 視線を戻したとき、すでにデュナムが間近に迫っていた。

 その手には、すでに再生成された剣が握られている。

 とっさに敵との間に剣を割り込ませた。構えは不十分だ。

 デュナムが、ぞっとするほど恐ろしい形相で剣を振り下ろしてくる。こちらの剣と接触したと同時、重いと感じるよりも速く全身が、ぐんと下方へ追いやられていた。凄まじい風を切る音が耳に入ってくる。


 そのとき、ベルリオットはようやく自分が地上へ突き飛ばされたのだと自覚した。

 轟音とともに、近くにそびえていた塔の根っこに激突した。壁が破壊され、破片が辺りに飛び散る。土台が欠け、安定性を失った塔がぐらりと倒れ、一気に瓦解した。大量の粉塵が舞い上がる。

 煙の中、ベルリオットは全身にはしる痛みに顔を歪めていた。

 先ほどの、デュナムの一撃自体では直接的な傷は負わなかったが、地上に激突したときに生じた衝撃が、斬り傷だらけの体によく響いたのだ。


 粉塵が止んだとき、ふとベルリオットは周囲の様子をうかがった。

 これほど高い塔が崩れたのだ。

 民を巻き込んでしまったのではないか、と思ったのだ。

 しかし、人の姿は見当たらない。

 それどころか声すら聞こえない。


 たしかめるために、周囲のアウラの流れに意識を向けた。

 精霊の翼を得たことで、以前よりも格段に広く、また微細なアウラまで感じられた。

 そしてついに、ベルリオットはその答えに行きつく。


 ――人がひとりもいない。


「気づいたか」


 言いながら、デュナムが少し離れた場所に下り立った。


「これは……どういうことだ?」

「ガルヌがシグルを操っていることは知っていると思うが、あのシグルはどこから来ているのか。それは知らないだろう」

「人を媒体にして地上から呼び出しているんだろ」

「ちがう。いや、半分合っている、といったところか。人を媒体にし、それそのものをシグルにしているのだ」

「そんなこと――」

「できなくはない。創世の書にはこう書かれている。人は白にも黒にも染まる、無色である、と」


 話の途中から薄々そうではないか、と思っていた。

 六重壁を護っていたドリアーク。

 あのような強力なシグルが、高度を下げてもいない大陸に自然に現れるはずがない。

 当然、何者かの手によるものであり、それがガルヌの仕業だということはわかっていたが……。


「気づいたか」

「おまえら……!」

「ドリアークほどの固体になると相応の生命力、アウラが必要で大変だった。まあ、それも、貴様の手によってあっけなく消されてしまったが」


 ベルリオットは自身の手に目を向けた。


 この手で大勢の人を殺した……?


 その疑問が脳裏をかすめたとき、ベルリオットは首を振った。

 迷いを断ち切るように、ぐっと広げた手を握り締める。


 いや、あれは人ではない。

 仮に過去に人であったとしても――。

 報いを受けるべきは、あのような姿にした、デュナムやガルヌだ。


「デュナム、おまえっ!」

「なんだ、わたしを憎んでいるのか。殺したのは貴様だというのに」

「いまは、こんなことしてる場合じゃないだろ!」


 ベルリオットは体に負った傷も顧みずに起き上がり、デュナムに飛びかかる。

 先ほどと塔を倒してしまったとはいえ、帝都の建物はいまだ多くが健在だ。

 廃墟と呼ぶほど荒れ果てていないが、人がいないこともあり、それに近い雰囲気をかもし出している。

 その中を、ベルリオットはデュナムと剣を交わしながら飛び回る。結晶のかち合う音が辺りに無常に響く。


 滅びのときを前にして、人同士が争っている場合ではない。

 人が立ち向かうべき相手は、シグルだ。

 だというのに――。


 こいつは……こいつはッ……!


 後方へ下がるデュナムを追いかける形で、ベルリオットは止まることなく攻撃を繰り出す。敷き詰められた石畳がめくれ、四散。風圧によって吹き飛び、民家に叩きつけられていく。

 大通りに入った。

 いまもなお押しているが、有効な一撃は加えられていない。

 それが苛立ちを助長する。

 ときおり、デュナムがこちらを嘲るように口もとを緩めるのがまた癪に障った。


 自身に影が落ちた。

 敵が神の種子を落とそうとしているのだ、と思った。

 今度は仰ぎ見る、なんてことはしない。

 影の位置や大きさから、また周囲にめぐらせたアウラの流れから神の種子の位置を予測。そこへ、数本の神の矢を放つ。と、すぐに硝子が割れるときと同じ音がした。見事に敵の神の種子を捉えたのだ。

 だが、ふと違和感を覚えた。


 硝子と同じ音……?


 神の種子に空洞はない。破壊されたのであれば、割るのではなく、砕かれていなければならない。それなのに、いま、頭上から聞こえてきたのは、硝子と同じ割れた音だ。


「ぐぁッ――!」


 背中に衝撃を感じた。

 ベルリオットは思わず呻き、前のめりに体勢を崩してしまう。

 左肩よりか。なにかに貫かれた。

 視界の左端、尖った刃が体から突き出ていた。神の矢だ。おそらく敵は神の種子に見立てて造った結晶の中に神の矢を隠していたのだろう。


 やられた……!


 風の乱れを前方から感じた。

 いつの間にか、デュナムに肉迫されていた。

 驚くほど冷酷な表情を浮かべ、こちらを見下ろしている。


「貴様は、やはり未熟すぎた」


 処刑台の刃のごとく、迷いのない刃が迫る。

 この状態でまともに受け切ることは不可能だ。

 ベルリオットはとっさに剣を地に突き立てながら、地面に身を投げ打った。鈍く、耳に響く音が鳴った。柄尻が敵の刃を食い止めたのだ。

 ベルリオットは限界まで剣に触れながら結晶を維持し、身を転がして敵から距離をとった。体に突き刺さった神の矢はすでに消滅している。敵が意識を手放したのだ。しかし、傷は残っている。


「ッ――!!」


 地面に触れるたび、焼けるような痛みに襲われた。

 ベルリオットは歯を食いしばり、アウラの力を借りて跳び上がる。追い討ちをかけんと迫るデュナムの姿が見えた。だが、それは予測済みの動きだ。ベルリオットは地面を転がっているとき、すでに造りはじめていた神の種子を落とした。

 こちらとデュナムとを隔てるように地上に激突する。

 敵の舌打ちが聞こえたような気がしたが、轟音にかき消された。


 ベルリオットは傷を負った左肩を抑えながら、一心不乱になって建物間が作り出した隘路へと飛び込んだ。何度も角を曲がり、暗がりの中を突き進む。

 上空から探されれば、すぐに見つかってしまうだろう。

 ただ、いまは隠れなければならない、という衝動に駆られた。

 適当な場所を選び、地に足をつけた。

 壁に背中を預け、ずるずると座り込む。


「くそッ……!」


 青の光があれば、精霊の翼があれば負けはしない、と心のどこかで思っていた。

 だからろくな対抗策も考えずに来られた。

 その結果がこれだ。

 認めたくはないが、自分はデュナムよりも劣っている。

 自身で得たものではない力をもってしても、負けているのだ。

 ひどく滑稽だ、と思った。


『ベル様――!』


 鈍器で叩かれたような、そんな声が脳に響いた。


「クティ……?」

『もう、ずっと呼んでたのに! ベル様、全然反応してくれないんだもん!』

「そう……だったのか……」


 敵との戦いに集中していたため、まったく聞こえなかった。

 ……いや、違う。

 集中なんて聞こえはいいが、本当は頭に血が上ったことで、周りが見えなくなっていただけだ。


『色々あって、言われて……落ちついて、なんて僕からは軽々しく言えないけど。これだけはもう一度思い出して欲しいって思ったことがあるんだ』


 クーティリアスの姿はどこにもないのに、いま、この瞬間、彼女が厳格な空気を纏ったような気がした。


『ベル様は、なにをしにここに来たの?』


 なにかが全身を駆け巡った。

 ぞわり、と身の毛立つような感覚に似ている。

 それほど、クーティリアスの言葉は、いまのベルリオットの心に深く突き刺さった。


『あのデュナムって人に勝つために来たの? 帝国を滅ぼしに来たの? 違うよね。リズアート様を助けに来たんだよね』

「……ああ。俺はあいつを助けるために、ここに来たんだ」

『だったら、どんなときでもちゃんとそれを心の一番前に置いておかなきゃだよ』


 責めるような彼女の言葉が痛いぐらいに心に響く。


『あの人は、リズアート様を助けるために倒さなければならない人なだけ』

「……そうだな。あいつを倒すことが目的じゃない」


 デュナムから挑発されていることはわかっていた。

 だが抑えきれない感情が、いつしか彼を倒すことを目的としてしまっていたのだ。

 リズアートを助けるためにデュナムを倒す。

 デュナムを倒したくて彼を倒す。

 結果は同じでも、その意味は大きく違う。


 いつも、そうだ。

 クーティリアスは、いつも大事なことを教えてくれる。

 道がわからなければ、選択肢を出してくれる。

 道を間違えば、正してくれる。

 アムールと精霊という、密接な関係だからだろうか。

 自分以上に、心の中を理解しているのではないか、とさえ思う。


 ……俺なんかにはもったいない。本当にできた相棒だよ。


 ベルリオットは、ふっと思わず笑みを零してしまう。


『よし、いつものベル様に戻ったね。……ということで、あんなおじさん、軽くひねってあげよう!』

「おじさんって言っても、たしかユング団長と同じぐらいだぞ」

『でもぼくから見たら、貫禄っていうか雰囲気がおじさんなんだもん』

「たしかにそれで無駄に歳くってる感じはあるな」

『だよね!』


 とても戦闘中に話す内容ではない。

 ただ、いまの急いた心には、それがなによりも効いた。


『ねえ、ベル様。やってみたいことがあるんだけど』

「やってみたいこと?」

『うん。さっきね、ベル様に声が届かなかったとき、どうにかして気づいてもらおうと思って意識を外に向けたんだ。そしたらベル様の結晶に、わずかだけどぼくの意志が反映されたの』

「そんなことが……」

『それでね、創世の書に書かれていた、あることを思い出したんだ。精霊が造る、アムールのための剣――天精霊の剣』

「……天精霊の剣」


 聞いたことのない名前だ。

 クーティリアスが説明をはじめる。


『翼となった精霊が主の結晶に意識を反映させることは、限られた精霊にしかできないって書いてあったからぼくには無理だーって無視してたんだけど。できちゃったから、ちょっとやってみたいなって』

「すごいのか? その天精霊の剣っての」

『かつて大戦の折、もっとも活躍したと言われる《青天の戦姫》が使った剣だよ。その剣を一度も造りなおさずに、幾千ものシグルを斬ったって』


 ごくり、とベルリオットは喉を鳴らした。

 青の剣といえど、シグルやほかの結晶とぶつかり合えば欠けることは少なくない。相手が頑丈であればなおさらだ。戦闘中、頻繁に再生成を繰り返しているのもそのせいだ。

 そうした中で、《青天の戦姫》は一度も剣を造り直さずに幾千ものシグルを斬ったという。つまり、それほど硬い剣である、ということだ。


『でも、造るまでに時間がかかりそうなんだよね。だから、少し時間を稼いで欲しいんだ』

「ああ。それは構わないが……その剣ができるまでに倒しても文句は言うなよ?」

『お、ベル様、言うね! そのときはそのときだよ! それじゃ集中するから、少しの間だけ静かになるねっ』


 それからクーティリアスの明るい声は脳に響かなくなった。

 もう、いまはデュナムを倒すことに固執はしないし、していない。

 だが、やはり男として悔しい気持ちは隠しきれない。


 このままで終われるかよ……!


 精霊の翼によってこちらの機動力のほうが勝っているが、剣術や戦術の幅広さおいては悔しいが敵のほうが優れていると認めざるをえない。

 デュナム・シュヴァイン。

 本当に恐ろしい相手だ、と思う。

 こんな情勢下でなければ、純粋に剣を合わし、勝負をしたかった。


 いまは戦闘に集中しろ……!


 ベルリオットは首を振り、余計な感情を頭の隅へと追いやった。

 どうすればデュナムに勝てるのか。

 あらためて考えてみたものの、すぐには思いつかなかった。


 ……考えてすぐに答えが出るなら初めからそうしてるか。


 ベルリオットがそうひとりごちた、そのとき――。

 左耳から凄まじい衝撃音が響いた。細かな粒がいくつも顔にぶつかってくる。何ごとかと思うよりも早く、ベルリオットは目を左側へ向けた。


「――見つけたぞ」


 そこに、デュナムがいた。

 民家を破壊し、この場にたどり着いたのだ。

 限界まで持ち上げられた瞼の下、血走った眼でこちらを見つめている。

 その形相にぞっとした直後、ベルリオットは反射的に飛翔ししていた。

 周囲に散った瓦礫を派手に吹き飛ばしたあと、デュナムが猛烈な勢いで追いかけてくる。


「どうした、先ほどの威勢はどこにいったッ!? わたしを殺さんとしていた、あの目はどこにいったッ!?」


 その言葉に、ベルリオットはふと思う。

 先ほどまでの自分はデュナムが言うように、どこからどう見ても頭に血がのぼっていた。

 いまなら、こちらが冷静になっていない、と思わせられるのではないか、と。


 ベルリオットは大きく息を吸い込み、一気に吐き出した。

 気持ちの切り替えだ。

 ゆらりと身を翻し、下方から迫りくる敵へと向かう。勢いそのままに、全体重を乗せて大振りの一撃を振るった。軌道の読みやすい一撃だったこともあり、造作なく敵に躱されてしまう。

 上下の位置が入れ替わった。

 ベルリオットは敵を見上げながら、鋭い眼光を向ける。


「おまえを殺す……? あぁ、いまでも心底そう思ってるぜ」

「やはり貴様の根底にあるのはそれだ。その激しい憎悪こそ、貴様を貴様たらしめるのだッ!」


 酔いしれるように語りはじめたデュナムに、ベルリオットは全身に血気をみなぎらせて斬りかかる。大振りの一撃が当たれば儲けものだが、敵がそのような過ちを犯さないことも理解していた。常に躱された直後を意識して剣を振り、また回避していく。

 帝都上空を翔けまわりながら、デュナムと戦闘を繰り広げる。


 表面は荒々しく、裏面は静かに。

 ベルリオットは剣を振りながら、周囲に意識を広げていた。

 視界に映る建物の形状や色。ニオイや汚れを認めるたび、事細かに思考の中に拾っていく。空気の流れ以外は大まかでいい。だが、より鮮明に脳内で想像するため、あらゆる情報を叩き込んでいく。


 ふと目の前の敵を見た。

 デュナム・シュヴァイン。

 シグルの力をその身に宿しながら、体は人のそれだ。

 意識もはっきりとしている。

 明らかにシグルの力を御している。


 ただ、やはりシグルの力を利用していることから、デュナムの向こう側に、かつてリヴェティア王国に叛逆したグラトリオ・ウィディールの影を重ねてしまう。

 そしてそれこそが、ベルリオットが思いついた策に繋がった。


「そのような怒りにかませた攻撃など!」

「当ててやる! 俺の剣を! おまえにっ!」


 こちらの斬り払いを避けるため、デュナムが後方へ下がった。

 追い討ちをかけるように飛閃を放つと、敵はそれを剣の腹で受けきった。その直後、わずかながら空中で制止した。


 ――いまだッ!


 ベルリオットは空中維持の思考の一部を切り離した。

 デュナムに小さな影が落ちる。

 遥か上空に造っていた、神の種子を落としたのだ。

 神の種子が近づくにつれ、デュナムに落ちた影が広がり、やがてその身すべてを黒く染めた。


「ここでこれを使ってくるとはな! だが、このような鈍重な攻撃、わたしが避けられぬとでも思ったかっ!」


 神の種子が間近に迫った瞬間、デュナムがさらに後方へ下がった。敵とベルリオットとを隔てるように神の種子が地表へ落ちていく。


「ああ、そうだろうな。おまえならたやすく避けるだろう」


 ベルリオットは剣の切っ先を天に向かって突き上げる。

 その動作をある技の発動と結びつけていた。

 神の種子が通りすぎ、デュナムの姿がふたたびあらわになる。同時、神の種子とすれ違うように下方から結晶の刃が五本、敵へと向かって突き進む。


 神の種子を造りだした時点で、民家と民家の合間に神の矢をひそめていたのだ。

 いくら精霊の翼を得て、周囲のアウラを感じられるようになったとはいえ、相応に緻密な操作が必要だった。

 後頭部の辺りは、いまも焼き切れそうに痛い。

 神の矢が敵の間近まで迫っている。

 このままなら敵を貫ける。

 デュナムは動かない。

 そればかりか、余裕さえ感じられる面持ちだ。


「貴様の小細工など、とうに気づいている」


 そう静かに言い放った直後、デュナムは体ごと下に向いた。突風が巻き起こるのではないか。それほどの猛烈な勢いで下方へと剣を振るった。切り刃から放たれた巨大な黒の刃――飛閃が、ベルリオットが放った五本の神の刃を一蹴する。


 ベルリオットは思わず目を見開いた。

 そこには驚きだけではない、感情が混ざっている。

 一種の期待感。


 この男なら、ここまでやるだろう、と――。


 ベルリオットは天に向けていた剣を勢いよく振り下ろした。

 視界の中、デュナムが体勢を立て直そうとしている。

 瞳には、どこか失望の念が混ざっているように思えた。

 だがそれは、すでに避けられないほど間近に迫った青の巨塊を目にし、一瞬にして驚愕へと塗り替えられる。


「なん……だと?」


 先ほど落とした神の種子。

 そのさらに上に、神の種子を隠していたのだ。


「いっけぇぇええええええええッ!!」


 ベルリオットの叫びと同時、デュナムに神の種子が激突する。衝突音は小さい。デュナムは剣を割り込ませている。明らかに神の種子の落下速度が落ちている。すでに亀裂が入りはじめ、いますぐにでも砕けそうだ。


「こんなものでわたしを倒せるなどとッ――!!」

「思ってるはずないだろッ――!!」


 砕けはじめた、神の種子。

 そこに続く形で、青の巨塊が上空から一つ、二つ、三つ、そして四つと向かう。

 造っていた神の種子はひとつではなかったのだ。

 一つ目の神の種子に順に激突していく。その度にデュナムの体が地表へと一気に近づく。すべての神の種子が連結したとき、ついにデュナムの表情に初めて動揺がはしった。


「ぬぅおおおおおおおおおおッ――!!」


 連続して離れた場所に結晶を作り出した代償か、ベルリオットの頭が先ほどから悲鳴をあげている。だが、いまは、そんな痛みにかまっていられる状況ではない。すべてをかなぐりすてて結晶の維持に努める。


 いや、まだだ! 守りに入るな!


 ベルリオットは襲いくる頭痛に耐えながら、新たに神の種子を造り出す。


「これで……終わりだッ!!」


 落下を始めた最後の神の種子が、先に落とされた神の種子を後押しした。デュナムを一気に地表へと叩きつける。

 大陸が揺れた。

 骨にまで届くような轟音が鳴った。

 神の種子の落下地点から周囲に広がった風に乗せられ、土煙が広がっていく。


 一つ目の神の種子にはしっていた亀裂が、ほかの神の種子にも一気に広がっていき、すべてが勢いよく砕け散った。陽光を受けた結晶がきらきらと輝きながら消滅していく。


 その光景を見つめながら、ベルリオットはゆっくりと地上へ下りていく。

 建物の崩れる音はまだ聞こえる。

 だが、ほかの音は聞こえない。

 静かだ。


 デュナムを倒したのだろうか。

 この目でたしかめるまでは、不安感は拭えなかった。

 ベルリオットは少し離れた場所から、様子を見守った。


 やがて土煙がおさまったとき、巨大な窪地の上で不恰好に倒れたデュナムの姿を見つけた。人の原型は留めている。だが、見るからに満身創痍といった様子だ。いたるところに傷が見られ、頭から血が流れている。

 とても動けるような状態ではない。


 勝ったのか……?


 ベルリオットは目の前の光景をいまだに信じられなかった。

 なにしろそれほどまでに強大な相手だったのだ。

 いままで戦ってきた、どんな相手よりも強かった。

 だが、真実であることをだんだんと頭が理解し、体から力が抜けた。


 その直後、小石の転がる音がし、ベルリオットはすぐに体を強張らせた。

 まさか、と思ったが、そのまさかだった。

 デュナムが体を動かしたのだ。

 呻きながら震える体に鞭打ちながら、身を起こそうとしている。


 頭が理解するよりも早く、ベルリオットは地を蹴っていた。翼をはためかせ、デュナムへと突きの一撃を見舞わんと向かう。切っ先が敵の胸を捉える、その瞬間――。


 黒い刃が間に割り込んだ。

 デュナムが造ったものか。


 ――いや、違う!


 上空にアウラの乱れを感じた。見上げたとき、こちらに向かって落ちてくる数本の黒の刃が映った。ベルリオットはとっさに飛び退き、デュナムから距離をとる。


 デュナムのそばに、ぼぅ、とまるで火を熾したかのように人大の黒い影があらわれた。それが何者であるかはわからない。だが、限りなくシグルに近い存在であることをベルリオットは感覚的に理解していた。

 黒い影が揺らめく。


「無様な姿だな、デュナムよ」




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