◆第三話『最古の友』
陽が落ちてから間もなく、ベルリオット・トレスティングはクーティリアスとともにファルール王の別邸に戻ってきた。
本来ならばいち早く王宮へ向かうべきところだ。
しかし、この別邸で負傷したナトゥールが看病を受けているという話を聞いたため、先に様子を見にきたというわけである。
知人の騎士から教えられた部屋へと入る。
少し手狭なところだった。
置かれた調度品や壁紙は凝ったものではなく簡素だ。
ベルリオットが使っていた寝室に比べると全体的に質が劣る。
窓際に置かれたベッドに目当ての人物、ナトゥールを見つけた。
彼女は首もとまで毛布をかぶり、目を瞑っている。
室内が静かなせいか、寝息がかすかに聞こえてきた。
見たところ顔も穏やかで心地良さそうだ。
ベッド脇の椅子に見覚えのある女性が座っていた。
リンカ・アシュテッドだ。
彼女は、ナトゥールの様子をただじっと見つめている。
ナトゥールから慕われていたようだし、リンカにも騎士の先輩としてか思うところがあったのかもしれない。いずれにせよリンカがナトゥールの面倒を見ていてくれたことが、ベルリオットには嬉しく思えた。
ふとリンカがこちらをちらりと見やった。
しかしなにを言うでもなく、ふたたびナトゥールの顔へと視線を戻す。
ベルリオットはなるべく音を立てないよう注意しながら、リンカの隣まで行き、ひそめた声で話しかける。
「トゥトゥの様子は?」
「ちょうどさっき寝たところ。怪我の方は大丈夫。医者はアウラの質があと少し低かったらどうなってたかわからないって言ってたけど」
「……そうか」
血の契約を結んだことで、ナトゥールのアウラの質は飛躍的に向上した。
そのおかげで、ガルヌの放った神の矢が深く突き刺さることなく、一命をとりとめた、ということだろう。
逆に言えば、血の契約を結んでいなければ命はなかった、ということだ。
そう思うと、ベルリオットはぞっとした。
――やはりトゥトゥを連れて行くべきではなかった。
そんな考えが、いまさらになって脳裏を過ぎりはじめる。
だが、ナトゥールは望みどおり戦場に赴いたことで、姉であるティーアと言葉を交わせたのだ。そこで得られたものから、いまの結果が正しかったかどうかなど、ベルリオットがはかれることではない。
わかっている。
自分が許せないのは、ナトゥールを守れなかったことだ。
トゥトゥも……いや、リズも、俺が守れていれば……!
そうした後悔の念に胸がしめつけられた、そのとき。
扉の開く音が聞こえた。
「やはりここに来ていましたか」
そう言いながら、中に入ってきたのはエリアスだった。
淡い金の長髪をなびかせながら、彼女は静かな足取りで歩み寄ってくる。
「少し話があるのですが、大丈夫でしょうか?」
なにやら深刻な表情だ。
火急の用事といった感じではないが、この場で話しづらい内容のようだ。
リンカ、クーティリアスに目線で合図を送ってから、ベルリオットはエリアスとともに退室した。
「それで、話ってどうしたんだ?」
廊下に出るなり、ベルリオットは切り出した。
向かい合ったエリアスが、ためらうようなしぐさを見せる。
やはり言い辛いことなのだろうか。
そうベルリオットが思っていると、彼女は先ほど退室した部屋のほうを一瞥したのち、意を決したように口を開いた。
「……ティーア・トウェイルを捕らえているのです」
ベルリオットはすぐに言葉を返すことができなかった。
ティーアは、帝国の将軍騎士であり、その実力も相当のものだ。
その彼女が捕まった、という事実に一瞬思考が追いつかなかった。
だが、冷静に記憶を辿っていけば、エリアスから告げられた結果へと行き着く要因を見つけることはできた。
――ティーアはガルヌに槍を向けるという帝国を裏切る行為をした。
とはいえ、彼女は理由もなしに反逆したわけではない。
大切な妹であるナトゥールを目の前で傷つけられた。
そのことに怒り、傷つけた張本人である帝国幹部のガルヌへと斬りかかったのだ。
ナトゥールが帝国側の騎士であったならば話はまた変わっただろう。
だが、彼女はリヴェティア側の騎士。
つまり帝国にとっては敵だ。
その敵を庇ったのだから、いくら将軍の位を持つティーアとはいえ反逆行為とみなされてもしかたない。
それが理由で帝国側が撤退した際、ティーアはともに戻ることができず、孤立したところをリヴェティア側の騎士に捕まった、といったところだろう。
「ただ、あなたも知ってのとおり彼女は帝国を裏切ったようなので、捕虜としての価値がないのです」
そこでベルリオットは、エリアスが伝えようとしていることを理解した。
現在、帝国側との捕虜交換の交渉はされていない。
相手の横暴な対応からして、これから行なわれるかどうかは難しいところだが、可能性がいっさいないとは言い切れない。
それにそなえ、ティーアが帝国将軍という肩書きを持ったままであったなら、高い価値を持った捕虜として扱われていただろう。
だが、その肩書きもいまや無いに等しい。
「そのうえ、多くの我々の味方を殺してきたので……」
「死刑にするべきだって意見が出てるのか」
「……ええ」
エリアスが詰まったように答えた。
情勢を考慮すれば、死刑は妥当な流れかもしれない。
だが、ベルリオットはそれを見過ごすわけにはいかなかった。
自分には彼女を……アミカスの末裔を救わねばならない理由があるからだ。
「エリアス、お願いがある」
目の前の彼女を見据えながら、ベルリオットは言う。
「俺をティーア・トウェイルのところまで案内してくれ」
/////
そこは薄暗く静かな場所だった。
ぽつりぽつり、と水音のみが辺りに響く。
ファルール王宮から通ずる地下通路を経て、ベルリオットはエリアスとともに牢獄へとたどり着いた。
地中から天井を貫くいくつもの鉄柱。
その前に、二人の見張り番が立っていた。
「二人きりで話させてくれないか」
「それは構いませんが……」
「できれば、エリアスも外して欲しい」
「それはっ……」
「頼む」
エリアスがじっと見返してくる。
ベルリオットも目をそらさずにいると、やがて彼女がしかたないとばかりに息を吐き、表情を弛緩させた。
「わかりました」
「ありがとう」
言葉には出されなかったが、本当に困った人だ、と目が言っていた。
そんな彼女に最大限の感謝をしながら、ベルリオットは見張り番に扉を開けてもらい、牢獄の中へと入った。
間もなく、エリアスや見張り番もその場を離れていく。
静けさがさらに際立ち、かすかな息遣いが耳に届いた。
聞こえてきたのは、眼前を満たす暗闇の向こう側からだ。
牢獄の内側には灯りがなかったため、初めはなにも見えなかったが、だんだんと目が慣れ、うっすらとそこにあるものを捉えていく。
肩の辺りで揃えられた銀の髪、少し後ろ側へそるように尖った耳、そして褐色の肌。
ティーア・トウェイルが、そこに座りこんでいた。
両腕は背後の壁と鎖で繋がれ、吊るされたような格好。
足枷には頭部ほどの巨大な鉄球がつけられている。
戦争が終わってから一日も経っていない。
それにも関わらず、彼女はひどく衰弱しているように見える。
「……わたしを笑いに来たのか」
か細い声が響いた。
そこにはもう、戦場で聞いたときの力強さはなかった。
若干の虚しさを覚えながら、ベルリオットは言う。
「あいにくと俺は他人のことを笑えるほどえらくない。ただ、あんたと話をしにきただけだ」
「わたしはお前と話すつもりはない」
拒絶の言葉とはいえ、彼女は返答してくれた。
当初は勝手に話をするつもりだったため、予想外の流れだ。
まだ話せる可能性がある。
ただ、ここからどう話を切り出すかまでは考えていなかった。
ベルリオットはすぐさま心の中で唸り、言葉をひねり出そうとする。
そうして沈黙が続く中、ふとティーアがかすかに顔をあげた。
「トゥトゥを助けてくれたことには感謝している。だが、それでお前を……アムールを許すかどうかは別だ。いますぐにわたしの目の前から消えろ」
話すつもりはない、と言いながらも礼だけはする。
そこにベルリオットは、ティーアの深い根の部分を垣間見たような気がした。
緊張していたわけではないが、無理に話そうと強張っていた心がほどよく緩んでいく。
気づけば自然と言葉が出ていた。
「昔のこと、トゥトゥから色々聞いた。たぶん、あんたがアムールを嫌いになったきっかけの話だ」
「……トゥトゥ……余計なことを」
言って、ティーアが苦々しい表情を浮かべたあと、鋭い目つきを向けてきた。
「だが、それでわかっただろう。いくら公平を説いたところで人の心に巣食う闇は消えはしない。貴様らアムールは、それをわかっていながら人とは異なる我らアミカスを狭間に置いていったのだ」
彼女の主張は、過去に起こった出来事が原因で形成されたものだ。
それが正しいかどうか、いまのベルリオットにはたしかめる術がない。
ただ、正しくはなくとも、ひとりのアムールとして別の道を提示することはできる。
「それなんだが、いまの狭間の世界が、本当に過去のアムールが望んだ世界なのかって……俺は思う」
「なにが言いたい」
「アムールも、人と……アミカスと変わらないってことだよ」
釈然としない様子のティーアだが、なおも睨みつけてくる。
なぜアミカスを狭間の世界に置いていったのか。
――俺がアムールだったなら。
そう考えたことは、これまでもあった。
だが、いま、こうして彼女と話したことで、ベルリオットの心の中でとりとめなく浮遊していた答えがようやく固まった。
「少し……外へ出ないか」
/////
前庭を見渡すことができる、ファルール王宮の眺望台。
そこへ、ベルリオットはやって来ていた。
「すみません。王宮を借りてしまって」
「構わないさ」
と、答えてくれたのはファルール王だ。
いつも通りハーゲンとマルコを従えた彼女は、なんだか浮かれた様子のように見える。
「それより、いったいなにを考えてるんだい? こんなにも人を集めて」
言って、ファルール王が眺望台の方へと目を向ける。
ベルリオットも同じほうを向くと、前庭に集まった多くの人を見ることができた。
以前、王宮に押しかけていた信徒の数をはるかに凌ぐ数だ。
あまりに数が多いからか、その喧騒は耳が不快に感じるほどに大きい。
彼らを集めたのはベルリオットだった。
ティーアを連れ出すことを決めたあと、ファルール王の協力を得て、王宮に人を集めてもらったのだ。
「見ていてもらえれば、わかると思います」
「まぁ、なんだか面白そうだし、期待しておくとするかね」
言って、ファルール王がそばから離れていく。
「どういうつもりだ」
後ろ手から声がかかった。
振りかえると、ティーアの姿が映る。
彼女は拘束具をつけられた状態なうえ、両脇、背後を騎士に囲まれた格好だ。
本来なら牢獄から出ることはできない立場であるにも関わらず、ベルリオットが無理を言って連れ出させてもらったのだ。
厳重な警戒体制を敷かれるのもしかたない。
ティーアが瞳に怒りを滲ませながら静かに言い放つ。
「まさか大衆の前でわたしを辱めるつもりか。だとすれば無駄だ。わたしはとうに女など捨てているぞ」
「俺にそんな趣味はないし、そもそもみんなの前であんたをどうこうするつもりもない」
「ならば、なぜわたしを連れてきた……!」
ティーアが苛立ったように声を荒げる。
ベルリオットは、彼女に向けた言葉では答えるつもりなどなかった。
それでは意味がないと思ったからだ。
「これから俺がすることを、そこで見ていて欲しい」
そうティーアに告げたあと、ベルリオットは少し離れた場所で待機していたクーティリアスと目を合わせた。
「頼めるか」
「はい」
クーティリアスと手を合わせる。
と、彼女の体が光に包まれ、燐光と化した。
それはベルリオットの背中へと収束していき、やがて勇壮な蒼き翼を造りだす。
精霊の翼を纏った状態で、ベルリオットは眺望台へと向かう。
前庭全体を見渡せる場所に立つと、聞こえていた喧騒がさらに大きくなった。
それに呼応するように、ベルリオットの心臓の鼓動も速くなる。
どうやら柄にもなく緊張しているらしい。
そう客観的に自分を見られるようになったのを折に、わずかながら筋肉がほぐれた。
震える足にぐっと力をこめ、まっすぐに立った。
気づかぬうちに下を向いていた顔を上げ、集まった人たち全員を視野に入れる。
そして、ベルリオットは声を張りあげる。
「みんな、よく集まってくれた。俺の名はベルリオット・トレスティング。すでに知っている者もいるかもしれないが……この狭間の世界を救うため、天上の世界より下りて来たアムールだ」
芝居がかった演説は苦手だ。
ただ、自分の声を聞いてもらうためにも、なるべく大仰に身振り手振りを織り交ぜ、話を続けていく。
「実は俺自身、アムールであることを知ったのはつい最近で……アムールであることを受け入れ、こうして名乗り出ることになかなか踏ん切りがつかなかった。それでも、いま、この場に立てたのは、アムールとして伝えたいことができたからだ」
自身がアムールであることを知らされてからいまのいままで、本当に短い間だった。
初めは信じられなかったが、いまはアムールであることを受け入れ、こうしてアムールとして多くの者の前に立っている。
それがベルリオットには不思議な感覚だった。
「いま、ファルール王国を始めとした南側の国々が、帝国と敵対していることはみんなも知っていることと思う。すでに戦争が起こり、たくさんの死者も出た。……帝国は戦うことに特化した国だ。兵の数も多く、質も高い。そのうえ、未知の兵器まで使ってくる。はっきり言って、おそろしい国だ」
そこでベルリオットは顔だけを振り返らせ、ティーアのことをちらりと見やった。
じっとこちらを見つめる彼女の姿を目に焼きつけたあと、ふたたび民衆へと向き直る。
「その帝国で将軍を務めていた屈強な騎士がいる。名をティーア・トウェイルと言い、彼女はアミカスの末裔だ。ただ、疑問に思わないだろうか。アミカスの末裔は、どこの国にも属していなかった。それなのに、なぜ彼女が帝国の騎士として戦っていたのか。……それは帝国が、この狭間の世界を統一することを条件に、アミカスの末裔の地位向上を彼女に約束したからだ。これを聞いて、なにか思うことはないだろうか?」
言って、ベルリオットは眼下を睥睨し、そこに立つ民たち一人ひとりの顔を確かめていく。と、曇りのない目で見つめ返してくる者がいる中で、うつむく者、目をそらす者も少なからず存在した。
悲しみか、虚しさか。
どちらともとれるような感情が胸に押し寄せてくる。
だが、これが現実だ、とベルリオットは受け止めた。
ふたたび顔を上げ、前庭全体を視界に収める。
「残念ながら、この狭間の世界には、アミカスを蔑視する者が少なくない。耳の形が違うから、肌の色が違うから、と。だが、果たしてそれがなんの障害になるというのか。人とアミカスは、同じ言葉を話すことができる。また世界の平和を等しく願っているはずだ。そこに種族の違いなどありはしない」
その言葉を放った直後、ナトゥールの姿が脳裏に浮かんだ。
彼女のどこに人との違いがあっただろうか。
笑い、怒り。ときには拗ねたりもする。
人とどこも変わりはしない。
それなのに、なぜアミカスが不当な差別を受けているのか。
これを拭うことこそが、自分が背負った使命であり、償わなければならない罪だ。
ベルリオットは息つく間もなく、言葉を腹の奥底から押し出していく。
「過去、シグルとの間に起こった大戦後、アミカスはアムールの眷属でありながら、アムールとともに天上へは戻らなかった。このことが理由で、アムールがアミカスを狭間の世界に置いていった、と捉える者が多く存在することはみんなも知っていることと思う。実のところ俺は当時のことを知らない。ただ、同じアムールとして、彼らがどう考えていたのかを推しはかることはできる。そして俺が出した答えは、こうだ」
アムールであることを受け入れてから、ずっと考えていたことだった。
ベルリオットは大きく息を吸うや、意志を込めた言葉を前庭に立つ者たちへと届ける。
「アムールは、アミカスをこの狭間に置いていったわけではない。狭間の世界をアミカスに……もっとも信頼できる友に任せたのだ、と」
どよめいた。
いまの言葉を、民衆がどのように捉えたかはわからない。
だが、決して少なくない影響を与えたことはたしかだった。
「信頼できる友だと……? ふざけるなっ! それは貴様の勝手な言い分だ!」
背後から、ティーアの怒号が聞こえてきた。
アムールがアミカスを信頼する友だと思っていた、というこちらの見解を、彼女が肯定できないのも無理はない。アムールに託された狭間の世界が、それだけアミカスの末裔に……彼女にとって恵まれた世界ではなかったのだから。
きっとアムールも人と変わらない。
間違いを犯す。
その結果が、いまの……アミカスが受けているいまの惨状を招いた。
だからこそ――。
アムールである自分がどうにかしなくてはならない。
過去、アムールが望んだであろう姿に正さなくてはならない。
ベルリオットは剣を造りだした。
戦うためのものではなく精緻な模様を施した魅せる剣だ。
その剣を一薙ぎしたあと、切っ先を下向け、合わせた両の掌を柄尻の上に置いた。
「いま、ここに宣言する! 我らアムールの親愛なる友、アミカスを不当に傷つける者は、たとえ誰であっても、このベルリオット・トレスティングが許しはしないと!」
言葉に合わせて、蒼き翼がはばたくように開いた。
無意識のうちにしたことなのか、はたまたクーティリアスの意思が介入したのかはわからない。ただ、それに反応するように舞った青の燐光が、いまの宣言を応援してくれているような気がして、張りつめた心に余裕をもたらしてくれた。
眼下に映る民たちは一様に目を見開き、口を開けている。
ただ、唖然とした様子とは少し違う。
目を奪われている、といった方が近いかもしれない。
初めて青の光を見る者、初めて精霊の翼を見た者も少なくないはずだ。
無理はないかもしれない。
彼らが宣言を聞き、どのように思ったかはわからない。
ただ重要なのは、これが人から人へと伝い、最終的には人類すべてに知ってもらうことだ。そうすることでアミカスの末裔を守ることができる。
もちろん、これでアミカスへの蔑視がすぐになくなるとは思っていない。
仮にすぐになくなったとしても、それは抑えつけることで得られたものだ。
根本的な……心の問題は解決していない。
アミカスが安寧を得るためには長い年月が必要だ。
そしてそれも、人とアミカスが同じ場所へ向かわなければ叶わない。
――願わくば、この宣言が、彼らが真の意味で友となるための礎とならんことを。
自身の切なる願いが届くように、と。
ベルリオットは今一度、眼下の民たちへと目を向けた。
「なぜだ……」
ふとティーアの声が聞こえた。
振り返った先、彼女が怒りとも悲しみともとれる表情を浮かべながら、全身を震わせている。
「なぜ、もっと早くわたしの前に現れなかった……! そうすれば、わたしはみんなを裏切らずに……!」
興奮したティーアが、こちらに詰め寄るように動きだした。
だが、すぐに騎士に押さえ込まれ、顔を床に擦りつけられる。
それ以上、彼女は暴れるようなことはしなかった。
ただ歯を食いしばり、涙を流している。
アミカスの末裔が機巧人形の操縦者として帝国軍のために戦わされていた。
そこに、ティーアの意思は介入していない。
すべてはガルヌが裏で暗躍し、起こったことだ。
しかし、帝国の将軍という立場でありながら、それを防げなかったことにティーアは後悔の念を抱いている。
だから、彼女は裏切り者としての烙印を自身に押したのだ。
きっと自分にはもうなにも残っていない、と思っているのだろう。
だが、そう思うにはまだ早いことをベルリオットは知っていた。
「あんたに伝えておかないといけないことがある。昨日の戦争でファルール大陸に投入された機巧人形。そこに乗っていたアミカスの末裔は全員生きている」
「……ほんとう……なのか?」
「ああ。全員がひどく衰弱して、前後の記憶が曖昧になってる者もいるそうだが、命には別状はないらしい」
そう告げた途端、ティーアの全身から力が抜けたように見えた。
すぐには信じられなかったのか、彼女はしばらく固まっていたが、やがて「良かった……良かった……!」とつぶやきながら、ふたたび涙をこぼし始めた。
「彼女の拘束を解いてくれ」
ベルリオットは、ティーアを取り押さえる騎士たちに言った。
なにを言っているのか、といったような目を向けられる。
「で、ですが」
「いいんだ。責任は俺がとる」
そう伝えても不安を拭えなかったらしい。
振り返った騎士が、その先に立つファルール王に視線を送り、対応を求めた。
そこでファルール王がうなずき返したことで、ようやくティーアが拘束から解放される。
瞬間、喜びをかみ締めていたティーアの表情に動揺がはしった。
彼女は警戒するように顔を引き締め、立ち上がる。
「なぜ、拘束を解いた」
「必要がないと思ったからだ」
「わたしがアムールを恨んでることは知っているはずだ。貴様を殺すかもしれないぞ」
「さっき、俺がみんなに言ったこと、もう忘れたのか?」
――アムールにとってアミカスはもっとも信頼できる友である。
その言葉を信用してもらうためにも、まず自分から相手を信用しなければ始まらない。
ティーアが、こちらをじっと見据えてくる。
「あの言葉に偽りがないかどうか。一生を賭してでも、わたしにはたしかめる義務がある」
「……監視ってことか」
彼女は答えない。
目をつむり、静かに長く息を吐いている。
いったいなにを考えているのだろうか、とベルリオットはいぶかしむ。
間もなくティーアの目が開けられたとき、そこには以前のような鋭い眼光がなくなっていた。代わりに、なにかを悟ったような達観した色を宿している。
「アムールへの感情は、いまだ折り合いがついていない。だが……貴様は、どうやらわたしの思っているアムールとは違うようだ」
そう口にしたティーアが、突然、その場に片膝をついた。
彼女の予想外の行動に、ベルリオットは思わず目を見開いてしまう。
「どういうつもりだ?」
「いま、わたしと血の契約を結んではもらえないだろうか」
片膝をついた時点で薄々は勘付いていた。
だが、ティーアの口からその言葉を聞くまでは信じられなかったのだ。
まさか彼女から血の契約を結ぶこと――眷属になることを請われるなど、と。
ただ、ベルリオットは申し出を受けることに乗り気ではなかった。
ティーアがこれまで帝国に属し、敵対していたからという理由ではない。
「……言っただろ。眷族とかじゃなくて、友としてありたいって」
「わたしはアムールではなく、貴様に……ベルリオット・トレスティングに仕えたいと思ったのだ」
「でもな……」
「トゥトゥが良くて、わたしはダメなのか?」
少し顔をあげたティーアが不安げな表情を見せる。
いままで彼女の勝ち気な表情ばかり見てきたので、その意外な一面にベルリオットは調子が狂ってしまう。
「それを言うのは反則だろ……わかったよ」
しかたないな、と思う気持ちもあったが、ただ情に動かされたわけではなかった。
彼女はこれまで帝国の将軍として、少なからず命を奪ってきた。その奪われた者の仲間から、命を狙われる可能性がないとは言い切れない。
そのため、ティーアを眷属として自分の庇護下に置くことで、ベルリオットは彼女を守れると考えたのだ。
それともう一つ。
ベルリオットには打算的な考えがあった。
ただし、と付け加え、ティーアに告げる。
「頼みがあるんだ」
「頼み……? わたしにできることなのか?」
ベルリオットはうなずいたあと、話を継ぐ。
「帝国に捕らわれた奴がいる」
「リヴェティア王か」
「ああ、俺は彼女を助けたい。ただ、俺一人の力だけじゃ、たぶんあいつのもとまでたどりつけない。だから、あんたの……ティーアの力を貸してくれないか?」
これは、彼女には関係ないことだ。
自分が卑怯だということも、ベルリオットはわかっている。
だが、それでも目的を果たすためなら、と押し寄せる罪悪感に目を背け、言葉にした。
「帝国にはわたしも借りがある。それにこのティーア・トウェイルの槍は、いまや主のためにある」
一拍、間を置いてからティーアが意志のこもった目を向けてくる。
「全力でお供しよう」
「……ありがとう」
彼女がそう答えてくれることはわかっていた。
申し訳ないと思いつつも、ベルリオットは心の底から感謝した。
ベルリオットは気持ちを入れ替えるため、一度大きく深呼吸をする。
それから、自身の腕にそっと添えるように結晶剣を這わせた。
じわり、と血が滲んだ。
青色だった剣の切り刃がだんだんと赤く彩られていく。
充分な血が付着したことを確認してから、眼前で跪いたティーアへと剣の切っ先を向けた。
切り刃をなぞった血が剣を離れ、雫となって落ちる。
そして、開けられたティーアの口へと注がれた。
彼女の赤々とした舌の上から、喉へと血の雫が流れていく。
はしたない作法なのかもしれない。
だが、彼女の姿はひどく神聖なものに見え、またなによりも美しかった。
やがて、ティーアの目元に浮かび上がった紋様を見つめながら、ベルリオットは思う。
この日――。
このときを境に、アミカスの歩む道が明るく照らされるように、と。




