◆第十一話『ガリオンの襲撃』
自然と目が開いた。
ベッドの上で半身を起こし、窓の外を見る。
まだ暗い。
掛け時計を見やれば、針は三時を指し示していた。
のそのそとベッドから出ると、ベルリオットは身支度を始めた。
訓練校に通うときよりも、さらに粗野な格好だ。
腰に剣を携え、部屋から出る。
自室は二階なため、床の軋む音が鳴りやすかった。
ひっそりとした邸内には音がよくひびく。
より慎重になって歩を進める。
メルザリッテはもちろん、昨日にやってきた王女リズアートとその護衛エリアスも眠っていることだろう。
ようやく扉までたどり着き、外に出た。
夜風に肌を撫でられる。
さすがに夜ということだけあって少しだけひんやりとする。
庭の隅に飛空船が置かれていた。
流線形状が特徴的な速度重視型である。
円筒のように縦長で前面部分が尖った胴体。
その中央両側面からは翼を模した薄い板が伸びる。
両翼にも先端が尖った円筒が胴体と同じ向きで取り付けられている。
が、こちらの円筒は胴体に比べるとおよそ半分以下と小さめである。
三列二席ずつの六人乗り。
座席の四方がガラス張りで、開放感のある造りになっている。
外装は白く、幾つにも枝分かれした黄金色の線が描かれていた。
見た目の優美さからして王族専用品。
つまりリズアートたちが乗ってきたものだ。
城からトレスティング邸までさした距離はない。
わざわざ飛空船を使ったのは、おそらく住み込みに必要な荷物を運ぶためだろう。
なんだか見ているだけでため息が出た。
屋敷の裏手に周り、レニス広場とは反対方向へ足を進める。
いくつかの屋敷を目にしたが、灯りが点いているところはなかった。
石畳の道が途切れると開けた場所に出た。
生い茂った芝は風に煽られさざめいている。
中心部まで進むと、ベルリオットは剣を抜き、中段に構えた。
目を瞑る。
ふーっと細く長く息を吐いた。
身体から余分な力が抜けていく。
地に立つ力。剣を持つ力。
それだけでいい。
感覚が研ぎ澄まされていく。
自身を包む空気を感じられるようになった。
その先にある大気に溢れるなにかも。
静かに、ただそこにある空気のように佇む。
なにかを捉える。
「――ッ!」
振り上げ、下ろした。
感触はない。
残ったのは静けさのみ。
けれど斬った。
なにかを斬った。
だが、まだだ。もっと鋭く、もっと速く……。
空気中に満ちるアウラ。
それを捉えさえすれば、ただの剣であっても凝固させたアウラを破壊できるのではないか。
これが、アウラを使えないベルリオットが行き着いた結論だった。
もちろんそれは空論でしかない。
さらにアウラによって身体能力を飛躍的に上昇させた相手に攻撃を加えられるのか、という問題も浮かび上がってくる。
しかしだからといって、なにもしないでいるなんてことはできなかった。
また中段に構え直す。
と、背後から手を叩く音が聞こえてきた。
「大したものねー」
「なっ、お、お前……っ!」
拍手をしながら、リズアートがこちらに歩いてきていた。
なぜ、ここに彼女がいるのか。
という疑問よりも、ベルリオットにとっては見られていたことの方が重要だった。
意地の悪い笑みを浮かべながら、リズアートが顔を覗き込んでくる。
「なぁーにー? 見られたらまずいのかしら?」
「別にそんなわけじゃ――」
「昼間はあんなだらけてるのに、剣術だけ立派なのはおかしいと思ったのよ。でも……へぇー、なるほどねー。深夜にこっそり訓練してたってわけかー」
「お、お前には関係ないだろっ」
「そんなつれないこと言わないでよ。あなたが夜になにかするって聞いて頑張って起きてたんだから。あー、おかげでねむいぃー」
目じりに涙を溜めながら、リズアートがふぁーとあくびをした。
ベルリオットが夜になにをするのか。
それを知るために、彼女は眠気に耐えてまでわざわざこうして調査に来た。
どうしてここまでするのか。
単なる興味本位からだとしたら、いくら王女といえど「馬鹿じゃないのか」と言いたくなる。
それにしても、なぜベルリオットがこんなことを深夜にしているのか、彼女は訊いてくるだろうか。
そして知ったとき、彼女は笑うだろうか。
「大方……アウラも使えないのに、練習してあがいてるところを他人に見られるのが恥ずかしい、ってところかしら」
態度に出ていたのか。
それとも行動から推測されたか。
簡単に言い当てられてしまった。
初めて会ったときもそうだ。
ライジェルと比べられることに嫌気が差していたベルリオットの心境をすぐに感じ取ってみせた。
彼女は心を読むのに長けているのかもしれない。
さすがは王女、といったところか。
今さら隠すこともないし、意地を張るのは逆効果な気がした。
ため息をつき、ベルリオットは肩をすくめる。
「あー、そうだよ……」
「あ、認めた」
「悪いかよ」
「ううん、逆よ逆。わたし嫌いじゃないわ、そういうの」
ふふっと微笑むリズアートに、思わずベルリオットは見とれてしまう。
しかしすぐにはっとなって、意識を取り戻した。
リズアートに会ってからというもの心を乱されてばかりいる。
どうにも彼女は苦手だ。
そんなベルリオットの心境を知ってか知らでか、リズアートはさぞ楽しそうに言う。
「やっぱり、あなたのところに来て正解だったわ」
「はいはい、そうですか。言っとくけど、もう叩いたってなにも出ないぞ」
「それはどうかしら? まだ楽しませてくれる気がするけれど」
そう何度も面白い事象が出てくるほど、自分が面白い人間だとはベルリオットは思っていない。
とにかく、これ以上リズアートに構っていてはらちがあかない。
再び訓練を始めようと、ベルリオットは彼女に背を向ける。
「せっかくだから、少し見ていてもいいかしら?」
「どうせ拒否しても勝手に見るんだろ」
「あら、よくわかってるじゃない」
「ったく……好きにしろ」
そう吐き捨ててから、また剣を構えた。
目を瞑り、身体から力を抜く。
やがて周囲の様子を、感覚だけで把握していく。
リズアートの居場所が掴めた。
彼女は動いていない。
遠慮がちな息遣いだけが伝わってくる。
一応、訓練をしているベルリオットのために、気を遣ってくれているらしい。
悪い気はしない。
思わず気を緩めてふっと笑ってしまった。
とそのとき、リズアートの後方にある異変を感じ取った。
すかさず振り返り、叫ぶ。
「危ないっ!」
「へっ? わっ――」
剣を投げ捨てると、ベルリオットは間抜け顔のリズアートに飛び掛った。
抱きかかえ、地面に激突。
転がりながら移動する。
直後、先ほどまでリズアートがいた場所に、黒い影が飛び込んできた。
鈍い音が鳴る。
芝がえぐれ、湿り気のある土が飛び散った。
黒い影が唸り声をあげる。
それは全身から薄黒い靄を発していた。
短い四本の足で、まるで地に這うかのごとく身を低くし、ベルリオットたちを食い殺さんとその深い紫色の瞳を光らせている。
すぐさまベルリオットはリズアートとともに立ち上がった。
リズアートがアウラを固め、具象化させた。
結晶となった剣を両手で持ち、構える。
闇の中、彼女を取り巻く深緑のアウラは酷く目立った。
「なんでこんなところにシグルがいるのよっ!」
人間を脅かす地上の魔物――シグル。
今、目の前にいるのは、その中でも下位に位置するガリオンと呼ばれる四足の獣型だ。
シグルたちの目的はわからない。
確実なのは人間と敵対しているということだ。
シグルは、地上から這い上がってきたかのように大陸の外縁部から現れる。
普段は強さも、現れる数も大したほどではない。
だが《災厄日》が近づくに連れて、そのどちらも大幅に増す。
しかし対処できないわけではなく、《災厄日》に至っては騎士団の大半が外縁部に赴き、迎撃に当たる。
それで敵を漏らさずに殲滅している……はずだ。
しかし、今、ベルリオットはシグルを目にしている。
「外から気づかれずに、ここまで来たってっていうのか……?」
「それにしたって、今の今まで気づかなかったなんて考えられないわ。第一、《災厄日》までまだ二日もあるのよ! それなのに、こんな数……」
そう、目の前にいるシグルの後方には、さらに他のシグルがいた。
同じガリオン。
ざっと見たところ十体は下らない。
ガリオン程度であれば、訓練生でも打ち勝つことはできるだろう。
だがそれは一対一であればの話だ。
一度に十体が相手ともなれば、おそらく王城騎士でなんとか勝てるといったところだろう。
明らかに分が悪い。
視線は目の前のシグルに向けたまま、ベルリオットはすり足で先ほど放り投げた剣に近づき、手に取った。
すぐさま構える。
リズアートが声を荒げる。
「あなたは下がってて!」
「いくらなんでも、お前ひとりじゃ無理だろ! 俺も――」
「あなたはアウラを使えないのよ! シグルに傷すら負わせられないでしょ!」
シグルもアウラを使う。
いや、使うというよりは、アウラそのもので出来た生命体というべきか。
自然体のまま、その身にアウラを纏っているため、同じアウラで出来た結晶武器でしか攻撃が徹らない。
ただの鉄剣で攻撃しようものなら粉々に砕けてしまう。
それほどまでに硬度に違いがあるのだ。
「大丈夫。あなたは絶対に私が護るから」
リズアートの頬を、ひと筋の汗が流れていったのが見えた。
彼女も、今がどれほど厳しい状況なのかを理解しているのだ。
戦って勝つのが難しいのはもちろん、逃げられないことが最大の問題だろう。
いや、リズアートひとりなら逃げられた。
だが今はアウラを使えないベルリオットがいる。
ガリオンは瞬発力に優れている上に、かなりの高度まで跳躍できる。
ベルリオットを抱えて逃げようものなら、背後から致命傷を与えられかねない。
そしてリズアートという人間は、誰かを見捨てて逃げられるような性格をしていない。
短い付き合いながらも、ベルリオットはそれを理解していた。
くそっ……! こんな状況で俺は護られるしかないってのか。じっとしているしかないってのかよっ……!
あまりの悔しさに、ベルリオットは下唇を思い切り噛む。
鉄の味が口の中に広がる。
最初に攻撃を仕掛けてきたシグルが、天に向かって口先を向け、吠えた。
「来るっ――!」
身構えたリズアートに、真正面からガリオンたちが飛び掛る。
あまりの速さに、ベルリオットにはその動きが点ではなく線に見えた。
幾条もの黒い光が、リズアートに向かって伸びる。
石と石がぶつかり合い、削れたような音が幾度も鳴る。
リズアートは防御に徹していた。
それだけシグルたちの攻撃は連続的に繰り出されているのだ。
弾かれれば後方に下がり、体勢を整えてからまた突撃。
それを何度も繰り返している。
一直線に向かうときもあれば、ときには弧を描きながら飛び掛かる、など工夫を凝らしている。
「こいつら明らかに連携してるわ」
「嘘だろ……? だってシグルには知性がないはずじゃ」
「でも現にこいつらの攻撃は連携がとれてる! それに集団で潜んでいたのがなによりの証拠よ!」
シグルに知性がないことは一般的に知られている。
訓練校の授業の一環で、ベルリオットも実際に外縁部での戦闘を何度も見学したが、やはりシグルの動きはばらばらで雑だった。
そこに知性があったとは到底思えない。
しかし目の前のガリオンたちはどうか。
集団行動。連携攻撃。複数の攻撃手段。
にわかないは信じがたいが、リズアートが言うように知性を持っていなければ説明がつかない。
絶え間ないガリオンの攻撃が続く。そこに疲れなど一切見られなかった。
「くっ……。次から次へと……ったく、うっとうしいわね!」
リズアートの表情が段々と苦悶に満ちていく。
ガリオンたちが巻き上げた土のせいか、リズアートの衣服やその肌が黒く汚れていた。
剣を持つその手には、すでに多くの擦り傷がつけられている。
攻勢に出られない。
このままではじり貧だ。
死しか待っていないことはいやでもわかる。
わかっているのに、ベルリオットにはどうすることもできない。
いや、なにもできないが決断させることはできる。
「もう俺のことはいい! お前がそうするのをよしとしないのはわかってるつもりだ! 俺を置いていっても恨みはしないし、誰もお前を責めたりはしない!」
自分のために誰かの命が犠牲になるのは御免だ。
それがリヴェティアの王女ともなれば国民に申し訳が立たない。
ガリオンの攻撃を受け続けるリズアートの表情が一気に険しくなった。
「恨まれたり……責められるのが怖くて留まってるわけじゃ……ないっ!」
その一声と共に放たれた一閃がガリオンを強く弾き返す。
生まれた一瞬の間。
しかしまるで休む暇など与えないとばかりに後続のガリオンが飛び掛ってくる。
「俺とお前とじゃ、命の重みが違いすぎるんだよ! お前は王女だろ! いつかは国を背負って立つんだろ! 自覚しろよ! こんなところでくたばっていい身じゃないんだよっ!」
「ふざけんじゃ、ないわよっ……! すぐ傍にいる国民ひとりすらも護れなくてなにが王女よ。それになに、わたしとあなたじゃ命の重みが違う? ええ、そうね。わたしやお父様が死んだときの影響は、今のあなたとは比べ物にならないでしょうから。過去だけど、ライジェルの死も多くの国民に衝撃を与えたわ」
ガリオンの攻撃を受けながら、訥々と、しかしそれでいて力強くリズアートは語り続ける。
「でもね、亡くなった命を惜しむ気持ち、比べられる? あなたが死んだら、どれだけメルザさんが悲しむと思ってるの? メルザさんだけじゃない、ライジェルもきっと悲しむわ。だから、そういう意味では、命の価値は等しくあるとわたしは思う。いいえ、そもそも比べられるものじゃないのよ!」
リズアートは全体的に華奢な体つきだ。
それなのに彼女の背中がベルリオットには大きく見えた。
ガリオンの猛攻に曝されながらも未だ倒れない。
圧倒的不利な状況でありながらも弱音を吐かない、その精神力。
彼女はそこに立っているのだ。
ただただ、国民であるベルリオットを護るために、彼女は王女としてそこに立っている。
「わかったら、しょうもないこと言わないでちょうだい! こっちは必死なんだからっ」
言い終えるや、リズアートは小さな呻きを漏らした。
さらにガリオンの度重なる攻撃で受け続け、膝に負担がきたのか、片膝を地面につけてしまう。
くずおれまいと地に剣を突き立て、堪える。
絶対的な危機。
このときを待っていたといわんばかりに、横合いから一体のガリオンがリズアート目掛けて飛び掛かる。
目で反応しながらももリズアートは身体を動かそうとしない。
いや、おそらくすでに疲労が限界にきているために動かせないのだ。
このままでは、彼女はガリオンの攻撃をまともに受けてしまう。
一撃ぐらいなら耐えられるだろう。
しかし相手は複数。
体勢を崩してしまえば一気に押し切られる。
勝敗、なんて言葉では片付かない。
相手は獰猛な獣そのもの。
明確な敵意を持って襲ってきている。
待っているのは死。
いいのか、それで。
彼女を死なせてしまっても、いいのか。
いや、いいわけがない。
なにか……俺にだってなにか出来るはずだ。
剣の柄を握る手が自然と強まる。
アウラを扱えないとわかってからというもの、その事実に抗うように、一矢報いるためにと、ベルリオットは幼い頃から数え切れないほどの素振りを続けてきた。
いつか自分の一振りが、アウラという名の最強の鎧を断ち切ることが出来ると信じて、ずっと剣を振り続けてきた。
たとえこの剣が徹ったとしても、その場凌ぎかもしれないことはわかっている。
だが、彼女を死なせたくないと思った。
やってやる……!
いつものように悠長に構えている暇などない。
この一瞬に……これまで培ってきた技術、経験した感覚を、この腕、この手に宿せ。
やれるかもしれない、じゃない。
やれる。
やる。
やるんだ。
自分を信じろ。
――俺の剣は、あいつを斬れるッ!