◆第十二話『ナトゥール・トウェイル』
「どけ、トゥトゥッ!!」
「いやだ、どかないっ!」
ナトゥール・トウェイルは、姉であるティーアの行く手を阻んだ。
自分の後ろでは、ベルリオットが帝国騎士たちと激闘を繰り広げている。彼は強い。だから負けるとは思わないが、もし仮にティーアが加わってしまえば、いかにベルリオットとはいえ、苦戦を強いられるのは間違いないだろう。
絶対に行かせるわけにはいかない。
ベルリオットがいるであろう方向を見ながら、ティーアが険しい表情を浮かべる。
「お前も、あいつが何者なのか知っているだろう」
「知ってるよ」
「ならばどうして阻む! 我らアミカスにとって奴は……アムールは倒さなければならない敵だぞ!」
「アムールだからとか、そんなのどうでもいいよ」
多くの人がアミカスを蔑んでくる中、ベルリオットは違った。
侮蔑するようなことは絶対にしない。
むしろ種族なんてことは関係なく、ひとりのナトゥール・トウェイルとして見てくれた。
だから自分も、ベルリオット・トレスティングとして彼を見ることができた。
たとえ、過去にどのようなことがあったとしても、それはアムールの問題であり、ベルリオットの問題ではない。
「ただ言えるのは、ベルは倒すべき人じゃない」
「お前は奴に騙されてる。都合が悪くなれば、また過去のように我らアミカスを……お前を切り捨てる気だ」
「そんなこと絶対にしない」
「トゥトゥッ!」
「ベルはわたしにとっては大切な人なの。たとえお姉ちゃんでも、彼を傷つけるつもりなら……容赦しないから」
ナトゥールは造り出した槍を構え、ティーアに向けた。
断固としてゆずらない。
その気持ちを瞳に込め、相手を見据える。
ティーアが眉根を寄せながら、ゆっくりと頭を振った。
「トゥトゥ……わたしはお前のために――」
「わたしのためだって言うなら、いますぐに戦うのやめて」
「……いいから引け。お前と戦う気はない」
「じゃあ、お姉ちゃんが引いてよ」
「二度は言わないぞ」
「わたしは絶対に引かないから」
ナトゥールは槍を握る手に、ぐっと力をこめた。
もちろん自分にとって、ティーアも大切な人だ。
しかし、だからこそ、同じく大切に思うベルリオットを討たせるようなことをさせたくなかった。
「昔から聞き分けの悪い子だったな、お前は」
ふぅと息を吐いたあと、ティーアが音もなく右手に槍を造り出した。くるくると横回転させたあと、その槍を右腰に構える。穂先の高さは胸と腹の間の辺り、とナトゥールとほぼ同じ格好。違いがあるとすれば、相手の方がやや槍が長いという点だけだ。
ティーアの瞳から、色がふっと消える。
「手加減は出来ないぞ」
返答はしない。
ナトゥールは、代わりに穂先の高さをわずかに下げた。
直後、互いに前方へ翔けた。弾かれたような加速。彼我の距離が一瞬で詰まる。左手で攻撃の軌道を示し、右手で槍を思いきり押し出す。狙ったのは相手の手元。甲高い破砕音が響く。互いの穂先がほぼ同じ軌道を描き、激突したのだ。
予想以上の衝撃が手から腕、肩へとはしり、ナトゥールは思わず顔をゆがめてしまう。一瞬の硬直後、気づけば眼前まで相手の穂先が迫っていた。反射的に回転させた槍の柄尻側を掌で押し上げ、相手の槍を弾き飛ばす。いったん距離を置こうとするが、そうはさせまいとティーアが追い討ちをかけてくる。
突き、突き、突き、突き、突き――関節を狙った五連の攻撃。それらを後退しながら、ナトゥールは柄でさばいていく。よくティーアが使っていた戦法だ。そしてこの攻撃がけん制でしかないことを、ナトゥールはよく知っている。
相手の攻撃速度が急激に上がった。さらに突きに混ざって払いが、さらに振り上げが繰り出される。受けるだけで精一杯だった。とても攻撃する暇がない。
やっぱり速い――!
ベルリオットと契約したことで結晶の硬度、飛行速度が飛躍的に上がった。だがそれでも、ティーアの攻撃速度には一歩及ばない。
経験の差だろうか。
いや、違う。
まだ、わたしに迷いがあるんだ!
昔からティーアは強かった。
こと武術において、彼女の実力はアミカスの末裔の中でも飛び抜けていた。ナトゥールも物心ついた頃には武術を習い始めていたが、一度として姉に勝ったためしがない。
そんな無双の力を誇ったティーアだが、同時に優しい心を持っていた。
他者を傷つけるようなことなんて決してしなかった。
だから彼女自ら戦地に赴いている現状が、ナトゥールには悲しくて許せなかった。
わたしは、お姉ちゃんを止めるためにここに来たんだ。
こんな、意味のない争いをして欲しくないから!
いつの間にか、地上まで押し込まれていた。
手に持った槍は、度重なる激突によって穂先がぼろぼろだ。
これ以上は使えない。
だが、最後に――。
ナトゥールは相手の突きを打ち払った直後、石突を地面へと思いきり差し込んだ。
槍を突き放すようにして自身の体を空へと飛ばす。
「なっ!?」
眼下では、誰もいない虚空へと攻撃をしかけるティーアの姿。彼女が上空を見やったときには、すでにナトゥールは槍を再生成していた。地面へと突きたてるようにして、攻撃を見舞う。が、地表を転がるようにして躱されてしまう。
まだ――!
相手は体勢を整え終えていない。ナトゥールは高速の突きを連続で繰り出す。なかなか当たらない。ときには転がり、ときには結晶を突きたてるようにして巧みにこちらの攻撃を回避していく。ナトゥールが地面を六度突いたところで、相手は飛びのくようにして空へ舞い上がる。
致命傷を与えられずに、体勢を整えられてしまった。
ナトゥールが次の一手を考えていると、ふいにティーアがふっと表情を緩めた。
「……強くなったな」
「もう小さい頃のわたしとは違うんだよ」
「そう、かもしれないな」
ふたたび笑みを消したティーアが、「だが、まだ甘い」と口にした。途端、彼女の身体の輪郭がぶれた。目の錯覚だろうか。ナトゥールの前髪が揺れた。覚えた違和感に目線を下げると、ティーアが懐まで入り込んでいた。
ナトゥールはとっさに応じようとする。が、それよりも速く右の手首に強打を受けた。思わずうめき、槍を手放してしまう。右手の感覚がない。痺れたか。もしかすると骨にまで届いたかもしれない。
だが、まだ左手が動く。
「うっ!!」
左の手首にも、突きを加えられた。
集まりかけていた燐光が、ふっとかき消える。
これではもう槍を扱えない。
ナトゥールは、その場に膝をついてしまう。
「お前に戦う術を教えたわたしに敵うとでも思ったか」
目の前に立ったティーアから見下ろされる。
戦闘中、ナトゥールはようやく彼女に近づけたと思った。
だが、それは自分の勘違いだったようだ。
どれだけ質の高いアウラが使えるようになったとしても、埋められないほどの実力差が、彼女との間にはあるのだと思い知らされた。
「わかっただろう、お前は戦うべきじゃない。今すぐに引け。いや、この際だ。わたしとともに帝国へ来い。そうすればまた皆とともに――」
「わからないよ……」
ぼそり、とナトゥールはこぼした。
負けたことで、もう自分の手で姉を止められなくなってしまった
それがきっかけとなり、心の内にしまっていた感情があふれ出てくる。
「みんなまで戦争に出て、どうしてそこまでして帝国に味方するの。わたしにはわからないよ!」
「……トゥトゥ? なにを言ってる? 戦っているのはわたしだけだ」
目をぱちくりとさせながら、ティーアが困惑した表情を浮かべる。
嘘をついている様子などいっさい見られない。
そもそも彼女の演技が下手なことを、ナトゥールは誰よりも知っている。
「お姉ちゃん、もしかして知らないの? あの人形の中に乗ってるの、アミカスのみんなだって……」
「な、なにを言い出すかと思えば……そんな馬鹿な話があるわけないだろう」
「でも、人形の中を調べたらアミカスが入ってたって」
当然、ティーアは知っているものだと思っていた。
だから彼女の反応に、ナトゥールは戸惑いを隠せなかった。
「トゥトゥ……お前、騙されているんだ。みんなはいま、ガスペラントに――」
ふいにティーアが、視線を泳がせながら一歩二歩と後ずさる。
それからはっと目を見開いたあと、強張った表情で慌しく地上から飛び立った。
◆◇◆◇◆
ティーア・トウェイルは焦燥に駆られ、飛翔した。
向かう先は、ガルヌのもとだ。
――機巧人形にアミカスの末裔が乗っている。
ナトゥールの言葉が脳裏に浮かぶ。
これが愛する妹の言葉でなければ、ティーアは考えることもなく切り捨てただろう。
そして記憶を漁ったとき、ナトゥールの言葉が真実かもしれない、と疑いがかかるほどの情報に当たった。
ティーアは機巧人形を操る者たちの顔を一度も見たことがなかった。というより、操縦者の精神面を気遣う、という理由から会わせてすらもらえなかったのだ。
これまで機巧人形の指揮権を預かることはあったが、直接指示を出していたわけではない。機巧人形への指示は、すべてガルヌの部下を経由して行なっていた。
どうか間違いであってくれ……!
そう切に願いながら翔け、ティーアはガルヌに声が届く距離まで到達した。
彼はいま、ベルリオットと戦闘を繰り広げている最中だ。
ただひとりではなく、黒い甲冑に身を包んだ五人の騎士とともに戦っている。
見たこともない騎士だ。そこにわずかながら疑問を抱いたが、いまはそれよりも優先すべきことがあったため、捨て置いた。
ティーアは地上に下り立ったあと、声を張り上げる。
「ガルヌ殿、話がある!」
「見て分からぬか、いまは戦闘中だ! あとにされよ!」
「関係ない! いますぐにこちらまで来られよ!」
仮面の下で、彼がどのような表情を浮かべているのかはわからない。
ただ、不満をあらわにしていることは雰囲気から察することができた。
ガルヌがベルリオットから離れ、ティーアの目の前に下り立つ。
「何事だ」
「アミカスが機巧人形を操縦しているというのは本当か」
遠回りして話している時間はない。
ティーアはいきなり本題へと入った。
ガルヌは動じた様子もなく、呆れたように言う。
「なにをわけのわからないことを……そんな馬鹿な話をしたのは誰だ」
「わたしの妹だ」
「妹? 将軍の妹はたしかリヴェティア側だろう。いくら身内とはいえ、敵国の者の言葉を信じるとは、それでも帝国の将軍か」
「たしかにトゥトゥが嘘を教えられた、という可能性は否めない。だがその上で、わたしのところまで来るという筋書きを描けるとはとうてい思えない」
「偽りであることを承知で将軍を誑かしているのかもしれんぞ」
「妹を愚弄する気か! トゥトゥは、わたしに嘘をつくような子ではない!」
属する国が違っても、ティーアにとってナトゥールが妹であり、またもっとも信頼できる相手であることは変わらない。
「……まさか妹が出てくるとはな。気づかれるのは、もう少しあとだと思ったのだが」
ガルヌがぞんざいに言い放った。
それは紛れもなく、機巧人形の操縦者がアミカスの末裔である、ということを肯定する言葉だ。
「そん、な……」
ティーアは思わずたじろいでしまう。
アミカスの末裔が安心して暮らせる世の中を作る。
ただそのために戦ってきたというのに、知らぬうちに全員を戦争に巻き込んでいたのだ。
わたしは何のために戦っていたのだ……!
「言っておくが、わたしは強制していない」
「嘘をつくな! お前が誑かしたのだろう!」
「誑かしたとは人聞きの悪いことを。わたしはただ、将軍の力になりたいという、彼らの願いを叶えてやったまでだ」
優しい仲間のことだ。
その親切心につけ込まれ、ガルヌに操られてしまったのかもしれない。
哀れだった。
ティーアは、いますぐに愚かな自分を殺してしまいたいと思った。
だが、その前に、しなければならないことがある。
アミカスの末裔の解放だ。
「いますぐに機巧人形を引き上げさせろ!」
「戦時中に下がらせる馬鹿がどこにいるというのだ」
「貴様っ……!」
「気に入らぬのなら自分の手で止めてくればいいだろう。まあ、無理だとは思うがな。奴らは、いま、わたしの言うことしか聞かぬ」
機巧人形の一定範囲内ではアウラが使えない。
そんな状態で、いったいどうやって機巧人形を止めるのか。
はっきり言って、わからない。
だが、そんなことは関係なかった。
いま、行かなければ取り返しのつかないことになる。
ティーアはガルヌに背を向け、敵本陣へ向かって飛翔しようとした。
そのとき――。
「お姉ちゃんッ!」
ナトゥールの切羽詰った声が聞こえた。
彼女は、そばへ来るわけでもなく、なぜか背後へと回り込んできた。
いったい何ごとか、とティーアが振りかえった、瞬間――。
鈍い音が聞こえた。
直後、ナトゥールがどさりと音と立ててその場に倒れこんだ。横向きに倒れた彼女の腹には、紫の刃が刺さっていた。神の矢だ。それが燐光となってふっと霧散とすると、ナトゥールの腹から血がだらだらと流れた。地面が瞬く間に赤色へと染まっていく。
ティーアは状況を理解できず、ただぼう然とする。
「トゥトゥ……?」
「ちぃっ、邪魔が入ったか」
ナトゥールを挟んだ向こう側には、ガルヌが立っている。
その瞬間、ようやく状況を理解した。
用済みだと判断したティーアを始末するため、ガルヌが神の矢を放った。それを見ていたナトゥールが間に割って入り、かばってくれたのだろう。
ティーアはすぐさま、ナトゥールのもとへと駆け寄った。
血まみれの彼女を抱きながら声をかける。
「トゥトゥッ! しっかりしろ、トゥトゥッ!」
「お姉ちゃん……無事で……良かった……」
ナトゥールが微笑みながら、力なく呟いた。
口、鼻からも血があふれ出ている。
見ているだけで、ティーアは胸が張り裂けそうだった。
「どうしてこんな……嘘だろう、トゥトゥ……っ!」
「将軍よ、ここで消えてもらうぞ」
目の前に立ったガルヌが右手を振り上げた。
長く伸びた結晶の爪がきらりと煌く。
最愛の妹であるナトゥールを傷つけた、仮面の男――ガルヌ。
腹の奥底から、熱い血とともに憎しみの感情が湧き上がってくる。
奴を、いますぐに斬り殺してやりたい。
殺す、殺す、殺す、殺す、殺す……。
殺す――。
「ガルヌ……貴様ぁあああああ――ッ!!」
ティーアは心に憎悪の炎を宿し、ガルヌへと飛びかかった。




