◆第十一話『黒との邂逅』
「そろそろぶつかるぞ!」
ベルリオットは叫び、周囲の騎士に警戒を促した。
前方に展開された、ナド族による絆の障壁。そこへ、いまもなお地上から撃たれた光の線――サジタリウスの攻撃が無数に衝突している。おかげで耳をつんざくような音がずっと戦場に響き、頭痛にも似た感覚に襲われてしまう。
絆の障壁を挟んだ対面の空に、数え切れないほどの騎士が映る。
ガスペラント、ティゴーグの騎士たちだ。
リヴェティア側が機巧人形の上空を進行してくるとは思わなかったのか、初めは展開に遅れが生じていた。だが、いま、見る限りでは、すでに迎撃準備は整った様子だ。敵方の騎士たちは、接戦のときを今か今かと待ちわびているかのようにも見える。
ふいに、一際大きな雄たけびが戦場に響き渡った。
ナド族があげたものだ。
彼らは一気に加速し、サジタリウス部隊との距離を詰めると、絆の障壁を叩きつけるようにして相手に襲いかかった。絆の障壁が地面に衝突すると同時、砂塵が空高く噴きあがる。煙の中で、いくつもの人影が暴れはじめる。
それを機に、上空では両陣営の本体が衝突。我先にと突っこんでいく騎士により、前線は早々に交わった。両陣営が入り乱れる格好になり、そこかしこで結晶の衝突音、騎士たちの咆哮が聞こえてくる。
ベルリオットは、ナトゥールの前を飛びながら、襲いかかる敵騎士をなぎ払っていく。
ふと、濃紫のアウラを纏う敵騎士がひとり、一直線に向かってくるのが見えた。
禿げた頭頂部、白いあごひげが特徴的な彼は、アヌ・ヴァロン。
ティゴーグ最強の騎士だ。
「今日こそ決着をつけようぞ、トレスティングの倅よッ!!」
「悪いけど、あんたの相手は俺じゃない」
ベルリオットがそう口にした直後、間に入ったリンカが自身の交差した短剣で、ヴァロンと剣をかち合わせた。
「ほう、前の紅のお嬢ちゃんか。じゃが、おぬしだけとは……わしも舐められたものだな」
「別に舐めてない」
直後、ヴァロンの横合いから光の刃が迫ってきた。
剣撃を模ったようなその光は、飛閃だ。
ヴァロンは瞬時に後退し、リンカとの距離を空けた。先ほどまで彼がいた空間を、光の刃が猛烈な勢いで通り過ぎていく。やがてそれがふっとかき消えたとき、リンカの隣にひとりの女性騎士が並ぶ。
エリアスだ。
「すみません、遅れました!」
彼女は、開戦直前まで本体の指揮系統の調整を行なっていたため、遅れて合流することになったのだ。
エリアスが剣を構えたのを見計らい、リンカが叫ぶ。
「早く行って」
「悪い、あとは頼んだ!」
ベルリオットは、ナトゥールとともにその空域から離れた。
◆◇◆◇◆
リンカの眼前では、ヴァロンがあごひげを撫でながら余裕の表情を見せている。
「紅の嬢ちゃんはちいこくて愛らしいし、そっちの姉ちゃんはええ肉付きをしとる。どちらも実に良い女子よ」
「なっ!? アヌ・ヴァロンがこのような破廉恥漢だったとは……」
「エロジジイ」
「長生きはするものだ」
ほっほ、と気の抜けた笑いを上げたヴァロンが弾かれたように動き出した。
瞬時に眼前まで迫った老人に、リンカとエリアスは揃って距離を取る。同時に、リンカは神の矢を、エリアスは飛閃を放つ。どちらも相手に当たったかと思ったが、妙に甲高い衝突音に思わず眉をしかめてしまう。
突如として、ヴァロンだと思っていた物が結晶の破片として砕け散った。
恐ろしいほどまでに本人と似せて造られた結晶。あれを造り出すことで、あたかもその場に生成者がいるような錯覚を相手に抱かせる、アヌ・ヴァロンの技だ。
「わしも本気でいかねば、やられそうだの」
言葉のわりに焦りが見られない。
平静を保つ老人が、リンカには不気味に見えてしかたなかった。
「気をつけて。このジイさん、実力はたしかだから」
「ええ、そのようですね」
過去、最強と謳われた幻影騎士へと、リンカはエリアスとともに剣を向けた。
◆◇◆◇◆
ベルリオットの耳に、結晶の甲高い衝突音が届いた。
音は後方から。どうやらリンカたちとヴァロンの戦闘が本格的に始まったようだ。
隣を飛ぶナトゥールが、振り返りながら不安げな声をあげる。
「だ、大丈夫かな……?」
「あの二人なら心配ない。それよりもトゥトゥ、いまは自分のことだけを考えろ!」
ベルリオットは叫びながら、剣を造り出す。
すでに視界の大半が敵で埋め尽くされていた。
「蒼翼、こいつを討ち取ればっ!」
「一斉にかかれ!」
十人ほどの集団が一斉に斬りかかってくる。ここまで多いと一度に受けきることは難しい。迫り来る敵の結晶武器に、自身の得物をなぞるように薙いでいく。三つほど破壊したところで敵の背後に回りこむ。と、翼ではたきつけるようにして弾き飛ばし、残りの敵へとぶつけた。
敵が体勢を崩したことで、ベルリオットに一瞬の余裕が生まれる。
「トゥトゥ、大丈夫か!?」
すばやく振りかえり、ナトゥールの安否を確かめた。
ちょうどそのとき、二人の騎士が彼女に斬りかかるところだった。相手は、どちらも薄めとはいえ、紫の光だ。一国の上級騎士といえる。一介の訓練生がとても敵う相手ではない。
だが、いまのナトゥールが纏うのは、わずかではあるが赤い燐光が混ざるほど質の高いアウラだ。そこへ、彼女の高い戦闘技術が合わされば――。
ナトゥールは自身の槍をわずかに引いた。直後、弾かれたように素早く槍を撃ち出す。気づいたときには敵の剣の柄を貫通。すっと音もなく、引き抜かれていた。ぽろりと刃が柄から離れ、霧散する。
二人の敵騎士が驚愕し、硬直した。その隙にナトゥールは追い討ちをかける。手に持った槍をくるりと回転させると、石突を相手の肩に二、三度ずつ撃ちこんだ。うめき声をあげた敵騎士たちは、どちらも腕を垂らし、後退する。
あれでは当分の間、武器を手に取れないだろう。
「わたしは大丈夫だよ。ベルのおかげで戦えてるから」
そう告げるナトゥールは真剣そのものだ。
いつもの柔和な表情などいっさい見られない。
だが戦い方からは、命を奪おうとしない優しさがにじみ出ていた。
やっぱりトゥトゥに戦いは似合わないな……。
そう、ベルリオットが心の中で思ったときだった。
敵騎士が一斉に傍を離れた。
敵本陣への道を空けるような動き方だ。
いったい何事だろうか。
と、遠方から猛烈な勢いでひとりの敵騎士が迫ってくる。
近づくにつれ、だんだんとその姿があらわになっていく。
褐色の肌、尖った耳。肩にかかる程度の銀髪。勝ち気な瞳でこちらを射抜いてくる彼女は――、
「ベルリオット・トレスティングッ!」
ティーア・トウェイル。
ナトゥールの姉であり、帝国の将軍を務める騎士だ。
ベルリオットは彼女の接近に備え、即座に身構えた、直後。ナトゥールが間に割って入った。
「久しぶりだね、お姉ちゃん」
「トゥトゥッ!? どうしてお前がここに……?」
急停止したティーアが目を見開いている。
ナトゥールが槍を構えながら、決意に満ちた表情で口を開く。
「お姉ちゃんを止めにきたんだよ」
「なにを言って――」
ふいにティーアの眉が跳ねた。
ナトゥールの姿をまじまじと見つめる彼女の表情が、だんだんと険しくなっていく。
「その光……それにその紋様……貴様、トゥトゥになにをしたッ!?」
ティーアの怒鳴り声が辺りに響いた、その直後――。
「なにをしている、トウェイル将軍!」
彼女の後方から新手の敵が向かってくる。
敵は、仮面を被り外套を羽織った格好。
間違いない。
ガルヌだ。
相手の得物は、長く伸びた爪のような結晶。
ベルリオットはすぐさまナトゥールの前へと躍り出ると、剣を相手の爪にかませる。
このまま戦えば、ナトゥールを巻き込みかねない。
押しこむようにして彼女からガルヌを離していく。
「またお前か、ガルヌッ!!」
「貴様から出向いてくるとはなっ!」
ベルリオットは神の矢を周囲に造りだし、ガルヌへと飛ばした。が、空気の乱れを感じ取っていたらしく、予測したように後退されてしまう。誰もいなくなった虚空を神の矢が音もなく突き抜けた。
ベルリオットは間髪を容れずにガルヌとの距離を瞬時に詰め、なぎ払いの一撃を見舞う。と、受け止めようとした相手の爪が弾け飛んだ。ぱらぱらと結晶の破片が舞う中、体のねじれに逆らわずに蹴りをかます。不恰好に空中を突き進むガルヌ。そこへ向け、ベルリオットは飛閃を二発、交差させる形で放つ。
体勢を立てなおしたガルヌが、空中でぴたりと止まった。即座に盾を構え、飛閃を受ける。が、わずかに遅れて届いた二発目によって盾が砕けた。突き抜けた衝撃に襲われ、ガルヌが上体をそらす。
「やはりひとりでは厳しいか……!」
苦々しいとばかりに舌打ちした。
ガルヌは決して弱くない。
感覚ではティーアと同等。
絡め手を使ってくることも考慮すれば、彼女以上に厄介な相手と言えるかもしれない。
しかし、いまのベルリオットには精霊の翼がある。
正直に言って相手にならない。
だが、そんなことはガルヌも承知のはずだ。
その上で戦いを挑んできたことに、ベルリオットは一抹の不安を感じた。
生まれた感情を振り払うように、剣を構える。
「我が忠実なるシモベを呼ぶとしよう」
ふいにガルヌが掌を天へと向けた。
瞬間、ベルリオットは上空から嫌な気配を感じた。
見上げると、猛烈な勢いで迫ってくる五条の闇が視界に映る。
背筋が凍るような感覚に襲われ、とっさに後退した。
ベルリオットの眼前で、五つの闇が勢いを止めた。
闇の正体は、黒い甲冑に身を包んだ人らしきもの。人と断定しないのは姿が見えないこともあるが、それらが纏う濛々たる闇が大きな理由だ。
今は亡きグラトリオ・ウィディールが纏ったシグルの力を彷彿とさせられ、ベルリオットは思わず顔をしかめてしまう。
「お前とふたたび相まみえるこのときをどれだけ待ちわびたことか。ベルリオット・トレスティング……!」
言いながら、中央の黒騎士が甲冑を持ち上げ、素顔を曝す。
直後、ベルリオットは目を瞠った。
「お前は……」
あるときを境に訓練校から姿を消した男――。
「ラハン・ウェルベック……!?」
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紫の眼球や膨張した顔面筋、浮き出た血管は、およそ人間とは思えない様相だ。
だが、ラハン・ウェルベックだと思える面影が、そこにはたしかに残っていた。
彼はイオルと比べられるほどの実力を持ちながらも、ついに首席の座を奪うことはできなかった元序列二位の訓練生だ。
イオルが訓練校を去ったあと、ベルリオットはラハンに決闘を挑まれた。
序列では相手の方が圧倒的に上。しかしベルリオットはアムールの力に目覚めたあとだったため、苦戦することなく勝利した。
以来、ラハンは行方をくらまし、訓練校に顔を出さなくなっていたが……。
「どうしてお前がここに……」
「忘れたとは言わせないぞ!」
突然、ラハンが声を張り上げた。
彼は頭を抱えながら、震えた声で語りはじめる。
「貴様のせいで……貴様のせいで僕はみんなの前で恥をさらしたんだ! 貴様さえいなければ、僕はリヴェティアを出ずに済んだんだ!」
「だから……俺に復讐しにきたのか」
「ああ、そうさ。それにいま、ここで貴様を倒せば、僕こそが最強の騎士であると世界に証明できる!」
最強の騎士。
その称号を得た未来を想像したのか。
先ほどまでの怯えた表情から一転、ラハンは恍惚の笑みを浮かべた。
「お前……その力が何なのかわかってるのか」
「ああ、知っているとも」
「だったらどうして――」
「決まってるだろ! 貴様を殺すためだ!」
殺意に満ちた瞳を向けられる。
ラハンとは決して仲が良かったわけではない。
だが、同じ訓練校の生徒だった。
そこに生まれた若干の仲間意識が原因で、ベルリオットはわずかながら戸惑いを覚えてしまう。
「たとえシグルの力であろうともッ! 強くなれるならッ! 貴様を倒すためならッ! 僕はどんなことだって利用してやるさ!」
ラハンに続いて、黒騎士たちが胸の前で両手を合わせた。
そこへ黒い闇が収束していく。
やがて生成されたのは身の丈ほどの結晶剣。
それを彼らは引き絞るようにして腰に構えると、一斉に飛びかかってきた。
ベルリオットは剣を脇から後ろへ流す形で相手との距離を詰めると、振り払うように一撃を見舞う。甲高い衝突音。眼前では、青の剣が黒の剣とせめぎ合っている。
敵の剣も相当に硬い。
一度で砕くのは難しいようだ。
結晶を挟んだ向こう側、ラハンが醜悪な笑みを浮かべながら、シュゥゥと吐息を漏らす。
「貴様が僕に勝てたのは、そのアムールの力があったからだ。僕がアムールと対等の存在であるシグルの力を得たいま、貴様に負ける理由はいっさいない!」
ラハンの全身から黒い闇が噴出した。
どちらからともなく互いに剣を弾いた。距離が空いた直後、ラハンがふたたび猛烈な勢いで迫ってくる。突き出すような格好。受けるか、それともいなすか。ベルリオットは一瞬の逡巡の間に、後頭部に突きつけるような視線を感じた。
間違いない。後ろに敵がいる――。
ベルリオットは全身の力みをふっと緩め、接近するラハンを後ろへ流した。予想通り背後から敵が迫っていた。数は二人。彼らはラハンと見合う形になり、攻撃の機会を失ったようだ。
『ベル様、上と下どっちからも――!』
ふいにクーティリアスの声が脳に響いた。その言葉を脳で理解するよりも速く、体が先に応じた。飛びのくようにして距離を取る。と、先ほどまで自分の浮遊していた場所に、天地両側から黒い刃が飛んできた。剣撃を模ったようなあの形状は、飛閃だ。
こいつら飛閃も使えるのか――ッ!?
相手は五人。
それだけ攻撃の手数が多いため、一本の剣ではとても受けきれない。
ベルリオットは持っていた剣を放り捨てるやいなや、すぐさま一対の剣を造り出す。どちらも扱いやすいよう腕ほどの長さに整えた。生成時間は、精霊の翼のおかげでほとんどかかっていない。
ラハンの攻撃を起点に、残りの黒騎士が死角から攻撃をしかけてきた。片方の剣を、敵の剣の腹にそらせ、ねじるようにして弾き飛ばす。追撃をかけようとした直後、残りの黒騎士から飛閃が放たれ、即座に後退。なんとかその場を凌ぎきった。
だが息つく暇もなく、みたびラハンの攻撃が襲いくる――。
敵は、連携攻撃を執拗に繰り返してくる。
むやみに突っこむようなことはしてこない。
さらに厄介なのが、黒騎士の全員が飛閃を使えることだ。
そのせいで、距離を取ることの優位性がなくなってしまっている。
「いいぞ、思っていた以上の出来だ!」
ベルリオットの視界の隅で、両手を広げ、哄笑するガルヌの姿が映った。
「グラトリオ・ウィディールに力を与えたのもお前か、ガルヌッ!」
「さあ、知らんな」
あからさまとぼけ方だ。
間違いない。
あいつが、あいつこそが……この狭間の世界にシグルの力を呼び寄せている根源である、と。ベルリオットが明確な敵意を向けた、そのとき――。
「見物は終わりだ! わたしも参戦するとしよう!」
両手に造り出した爪を打ち合わせるや、ガルヌが黒騎士の間から突撃してくる。
「今日こそ死んでもらうぞ! ベルリオット・トレスティングッ!!」
ラハンたちだけでも厄介なのに――ッ!!
黒騎士ひとりひとりの力は、グラトリオには及ばない。
だが、それに近い強さを持ち、また連携も洗練されている。
戦いにくさ、という点では、これまでに対峙した中でも最も優れた相手だ。
加えて、ガルヌという不気味な存在が、ベルリオットの心を落ちつかせてくれない。
これでは他方に気を配るのは難しい。
トゥトゥは……大丈夫なのかっ――!?