◆第九話『眷属たる所以』
「それでは失礼いたします」
サン・ティアカ教会の司祭と聖堂騎士の副団長が退室した。
いま、ベルリオットがいるのはファルール王の別邸に設けられた応接室だ。
部屋にはほかに、ナトゥールとクーティリアスしかいない。
「おつかれさま、ベル」
「と言っても、あっさり終わったけどな」
先ほど退室した教会関係者とは、聖堂騎士の扱いについて協議を行なっていた。
アムールとして教会の服従を受けいれたことで、教会が擁する聖堂騎士も実質的にベルリオットの傘下に入った形となった。
しかし聖堂騎士は、リヴェティア騎士団と同列の組織で相応に巨大だ。
正直、手にあまる。
そのため、聖堂騎士には一時的にメルヴェロンド騎士団の指揮下に入ってもらうよう交渉を行なったというわけだ。
ふとクーティリアスが傍まで寄って来たかと思うや、耳打ちをしてくる。
「本当はベル様、聖堂騎士をいっぱいはべらせて、ムフフな状態にしたかったんじゃないの?」
「おまえは俺をなんだと思ってるんだ」
睨みつけようとすると、クーティリアスが逃げるようにすっと離れた。
それから彼女は何ごともなかったかのように平然とした表情を浮かべる。
ナトゥールがいるため、いまのクーティリアスは司祭としての体裁を保っている状態だ。仮に二人きりだったならば、間違いなく悪戯っ子のような笑みを浮かべていたことだろう。
ふいに、慌しい足音が部屋の外から聞こえた。
扉が叩かれたため、中へ入るよう促す。
と、緊迫した様相の聖堂騎士がひとり入ってきた。
目の前で片膝をつくと、彼女は焦り気味に話しはじめる。
「ベルリオット様。いましがた会談が行なわれていた場所が襲撃されたとの報告が入りました」
「襲撃……!?」
不穏な言葉に反応し、ベルリオットは思わず立ち上がってしまう。
「はい。元老院の方々が突然モノセロスに変貌したらしく……」
すぐに黒導教会の存在が頭に浮かんだ。
彼らと元老院が繋がっていたということだろうか。
いや、いまはそれよりも――。
「みんなは無事なのか?」
「はい。騎士の方々の活躍もあり、撃退には成功した、と」
ベルリオットはほっと息をついたが、「ただ」と話を継いだ聖堂騎士の表情は険しいままだ。
「詳しいことはまだわからないのですが、一人の帝国騎士を逃してしまったことが原因で、帝国側が上陸してくる可能性が高まったようです」
「また……戦争になるのか」
先に行われたメルヴェロンド大陸での戦争が脳裏に蘇る。
あたりに充満する血のにおい。
敵味方問わず騎士から上がる悲鳴。
思いだすだけで、心がずきりと痛む。
戦わずに済むならそれが一番だが、そうもいかない。
戦わねば、大切なものが奪われていく。
「ありがとう。下がってくれ」
一度深く頭を下げたあと、聖堂騎士が目の前から去っていく。
ベルリオットは、ナトゥールのほうへと向く。
「トゥトゥはここで待っててくれ」
「わたしも行く」
思わぬ返答に目を見開いた。
「なに言ってるんだ。おまえはまだ騎士になってないんだぞ。戦う必要は――」
「機巧人形って兵器にアミカスが乗ってる話、聞いちゃったの」
すぐに返す言葉を見つけられなかった。
いつ、どこでその話を聞いたのか。
思考がそればかりを追いはじめる。
「……ごめん。この前、クノクス様の態度を見て、きっとわたしに関することだと思ったから……」
言って、ナトゥールはばつが悪そうに目をそらした。
先日、オルバ・クノクスが訪ねてきたことがあり、その際に機巧人形についての話を聞いた。どうやら彼女はそのときの話を聞いていたらしい。
その情報をもとに、果たして彼女はなにをしようとしているのか。
「それを知ってなにをするつもりなのかは知らないが、戦場には連れて行けない」
「ベル、お願い!」
「だめだ」
「どうしてっ!?」
「シグルと戦うんじゃない。言葉が通じる相手と戦うんだぞ」
「……わかってる」
そう答えたあと、ナトゥールは下唇を強く噛んだ。
人を傷つけることを極端に嫌う彼女が見せた決意。
それを前に、ベルリオットは頭ごなしに否定することなどできなくなってしまった。
ゆっくりと息を吐いて心を落ちつかせてから、問いかける。
「どうしてそこまでして行きたいんだ」
ナトゥールが両手にぎゅっと拳を作りながら、語りはじめる。
「みんなは人間を恨んでいたけど、好んで戦うような人たちじゃなかった。だからどうしても、わたしにはいまの状況が……みんなが帝国側について戦争に出ていることが信じられないの」
「なにかほかに理由があるかもしれない、ってことか?」
こくん、とうなずく。
「それを知るためにも、お姉ちゃんに会いたいの。会って話がしたい」
そう告げた、ナトゥールの瞳には揺るがぬ意志が宿っていた。
他人のために自らを犠牲にすることもいとわない彼女だが、根っこのところでは決して曲がらない。ベルリオットが知っている、いつものナトゥール・トウェイルだった。
ベルリオットの心が、ナトゥールを連れて行く方向へ傾きかける。
だが、彼女の身の安全を保障できないことが、最後の障害として立ちふさがった。
ナトゥールは決して弱くはないが、敵側の幹部であるティーアのもとまで行くとなると力不足と言わざるを得ない。当然、周囲に相応の実力を持った敵騎士がひしめいているからだ。
どうすればいい――。
「アミカスの末裔が、なぜアムールの眷属であると言われるのか。お二人はご存知ですか?」
沈黙を保っていたクーティリアスが口を開いた。
いきなりの質問に、ベルリオットはナトゥールとともに唖然としてしまう。
構わずにクーティリアスは話を継ぐ。
「それは、アミカスが血の契約により、主とするアムールのアウラの流れを共有することができるからです」
「アウラの流れを共有……?」
ベルリオットの言葉に、クーティリアスが首肯する。
聞いたことのない話だ。
本当にそのようなことができるのだろうか。
ナトゥールが少し興奮気味に、クーティリアスへと詰め寄る。
「それをすれば、わたしは強くなれるのですか?」
「ベルリオット様が一定範囲内にいるときに限り、トウェイル様ご自身が本来体内に取りこめるアウラを最大限まで活用することができるようになります」
「つまり溜め終わった状態を維持できるってことか」
「端的に言えば、そういうことです」
アミカスの末裔は、アウラを体内に溜めることで質を高められる。ただ、それは言い方を変えれば、溜めなければ本来の実力を発揮できない、ということでもある。
しかしクーティリアスの話した契約を結べば、その溜める段階を省けるわけだ。戦闘能力が飛躍的に上がることは間違いない。
ナトゥールが恐る恐るといった様子でたずねる。
「その契約は、どうすれば……?」
「ベルリオット様の血を飲んでいただければ契約は成されるはずです」
「ち、血を飲む……」
ナトゥールがわずかに戸惑いを見せた。
だがすぐにうなずくと、真剣な表情を向けてくる。
「ベル、お願いしてもいいかな?」
「トゥトゥがいいなら、俺は構わないが……」
契約を結ぶことで、とくに不利益を被るわけでもないのだ。
それにアムールとして、自分になにができるのか。
ナトゥールを戦場に連れて行くかのどうかの問題を別にして、ベルリオットは知っておく必要があると思った。
腰に携えていた剣を抜いた。
突きだした左手に向けて、右手に持った剣をすっと振りぬく。切っ先が左の人差し指をかすめた。浅く刻まれた切り傷から、じわりと赤色がにじんでいく。
剣を鞘に収めたとき、ぽとりと血が滴り落ちる。
「い、痛かったよね。ごめん……」
「ほんの少し斬っただけだから気にするな。それより、ほら」
ベルリオットは血の垂れる指を差し出した。
ごくり、と喉を鳴らしたナトゥールがゆっくりと口を近づけてくる。
「じゃ、じゃあ……。い、いいいっ、いただきますっ!」
勢いよく「あむ」と飛びついてきた。
瞬間、指が生温かい水気に包まれた。彼女の舌がなめらかにうねり、指を這いはじめる。表面は少しざらついているがとても柔らかい。それが指の繊細な感覚を通して脳へと伝わってくるからか、ベルリオットは知らず知らずのうちに指先へと意識を集中させてしまっていた。
ふいに若干の痛みを感じた。どうやら傷口を見つけたらしい。彼女の舌先がなぞるように舐めてくる。
「く、くすぐったいな」
「ふぉ、ふぉめんっ」
指を口に含んだまま、ナトゥールが見上げてきた。
その間も彼女は血を一滴も逃すまいとばかりに懸命に吸いついてくる。またときおりもれる吐息がひどく扇情的で、いかがわしいことはなにもないはずなのに、ベルリオットは思わず顔が熱くなってしまう。
クーティリアスから、じとりと細めた目を向けられる。
「ベルリオット様。なにか変なことを考えてはおられませんか?」
「へ、変なことってなんだよ! というか、もういいんじゃないかっ」
これ以上はまずい。
そう思ったベルリオットは、慌てて指を引き抜こうとした、そのとき――。
「あつっ」
とっさにナトゥールが左頬のあたりを押さえ、その場に座りこんだ。
「ナトゥールッ!?」
「だ、大丈夫……」
どうやら痛みはすぐにおさまったようだ。
ナトゥールが、ゆっくりと顔から手を離した。
直後、彼女の左の目元から頬にかけ、白い紋様がすぅっと浮かび上がる。
「ねえ、ベル。ここ、なにかなってないかな?」
「あ、ああ。紋様みたいなのが浮かんでるが……」
「紋様?」
「おそらく契約が成された証だと思います」
そうクーティリアスが答える。
これが契約の証……。
三日月のような曲線で描かれた細い文様だ。
それほど大きくはないうえ、見た目も悪くない。
知らない人からすれば、ただの装飾として見えるのではないだろうか。
ナトゥールが紋様の存在を確かめるように撫でる。
「本当にこれで……あ、あのっ。疑ってるわけではないんです! ただ、なんだか実感がなくて」
「そうですね、試しにアウラを纏ってみてはいかがでしょうか?」
「わ、わかりました!」
クーティリアスの提案を受け、ナトゥールがさっそくアウラを取りこんだ。
しかし、彼女の体を包んだ光は黄色だった。
「あれ? 変わってない……」
自身の体を見回しながら、ナトゥールが首を傾げる。
そんな彼女をよそに、クーティリアスがベルリオットへと向きなおる。
「アミカスが恩恵を受けるには、どうやらアムールが精霊の翼をまとった状態であることが前提のようです。ベルリオット様、わたくしを纏っていただけますか?」
精霊の翼を纏うことでアウラの循環は速くなる。
おそらくそのことが関係しているのかもしれない。
ベルリオットはアウラを纏ったあと、クーティリアスから差し出された手を握った。瞬間、彼女の全身がまばゆい光に包まれ、弾けるように燐光へと変化する。
燐光が腕を伝ってベルリオットの体へと渡り、背中に集まっていく。やがて、ただ光を噴出するだけだった蒼翼が、羽の一本一本にいたるまで具象化された本物の翼へと変貌する。
一連の光景に、傍で見ていたナトゥールが感嘆の声をもらした。
その瞬間、彼女を包んでいた光が黄から濃い紫へと変色する。
「え……こんな濃い紫……」
「いや、赤も少し混ざってるな」
ほんのわずかではあるが、赤い燐光もちらついている。
ナトゥールは、いまだ自身が纏うアウラが信じられないようだ。
ぼう然としながら、手を閉じたり開いたりしている。
「自分でためたときはこんなに……」
「最大限のアウラを取りこめるようになるってことだから、それがトゥトゥ本来の力ってことじゃないか?」
「そう、なのかな」
ナトゥールは、あのティーアの妹だ。
それだけの潜在能力を秘めていたとしても不思議ではない。
「ベル。これで、わたしも行っていいよね」
ナトゥールから真剣な眼差しを向けられる。
ベルリオットが反対していたのは、ナトゥールの力不足により彼女の身に危険が及ぶことを懸念したからだ。
彼女が力を得たいま、もう反対する理由はない。
「わかったよ」
「ありがと、ベル!」
ずっとかげっていた彼女の表情が一気に明るくなる。
対照的に、ベルリオットの中で不安感が強くなった。
ふと「大丈夫だよ」というクーティリアスの声が脳に届く。
『ベル様が思ってるより女の子はずっと強いんだから』
言われて、エリアスやリンカの姿が頭に浮かんだ。
たしかにそうだな、と思ったときには、すでに胸の内から不安感が消えていた。
ナトゥールとは訓練校時代から一緒だったために、騎士としてではなく、友人としての見方が強くなっていたのだろう。
結果、彼女のことを大事にしすぎたのかもしれない。
「ああ、そうだな」
先ほどのクーティリアスの言葉に、ベルリオットがそうこたえる。と、ナトゥールが首をかしげていた。
「なんでもない。じゃあ、行くか」
「うんっ」




