4.懐柔よりも同情。(1)
やっぱりファンタジックチルドレンは私の中で最高傑作。
はっ、と目を覚まして飛び起きる。
全身に汗をかいていて、じめじめと湿った服が気持ち悪い。額に滲んだ汗を拭おうとして、目に入った鎖を忌々しく見つめる。それが、トーラの意識に囚われの身である現状を思い知らせた。
「目が覚めたか」
耳に届いた低い声に、赤い髪の間から声の主を睨みつける。
常と変らぬ無表情の王は、機械的に目の前の仕事をさばいていた。夢見が悪い所に、今トーラの苛立ちの根源である男の姿を見て、暗い感情が溢れだすのを感じる。
肌の表面は鳥肌が立つほどに冷たいのに、体の奥では火種がくすぶっているかのように熱い。
「……いい加減、こっから出しなさいよ」
ぎりり、と歯を食いしばり、言葉を絞り出す。
しかし、すかさず返された言葉はトーラの苛立ちを逆なでするものでしかなく。
「くどい。お前が解放されるのは我が願いを成就したときだけだ」
その言葉で、トーラは拳を檻に叩きつけた。しかし、肉を金属にぶつけたところで、痛むのはこちらだけ。
苛立ちのまま手加減なくぶつけたせいか、叩きつけた部分が次第に赤く腫れあがってくる。鈍い痛みが生じ始めるが、今はそんなことはつまらないことのように思えた。
「おい……」
「くどいのはどっちよ! あたしには、あんたの願いを叶える力なんかないって言ってるでしょ!」
起きぬけに大声を出したせいか、頭が痛い。世界がぐらぐらと揺れているような感覚に吐き気がする。
すっぱいものがこみあげてきて、思わず口元を押さえると、不意に冷たいモノが額に触れる。それが、王の手だとわかって、即座に払いのけた。
「触るなっ!」
悪寒に身を震わせながら、背中を丸める。どうやら、本格的に体調を崩したみたいだと気づいて、自覚すると途端に泥のような倦怠感が襲ってきた。
体が自分の意識から切り離されたように傾ぎ、再び檻の床に倒れこむ。
まともな思考もできなくなり、意識が途絶える寸前に、冷たい何かが体に触れたのを感じた。
冷たい何かを額に感じる。けれど体はぽかぽかと暖かく、やわらかい何かに体を包まれている。
先ほどまで感じていた筈の悪寒も吐き気も今は遠い。
「……」
重い瞼を上げると、ふと違和感を感じた。それが何なのか、寝起きの回転が悪い頭ではわからず、眉根を寄せる。
十数秒考え、その違和感の正体に気づく。ここ最近、目を開ければ一番に飛び込んできていた檻の黒さがない。代わりに、細工の凝らされた白い天井が見える。
「なんだこれ……」
固まってしまっている首をなんとか動かして、周囲を確認する。ふわふわの柔らかい何かが体を包んでいると思っていたら、それはなんと世にいうところの羽毛布団だった。これまで市場一の店でしか見たことがないそれに、まさか自分が包まれる日が来ようとは……。
「って、違う違う」
問題は、なんで自分がこんなところにいるかということだ。ゆっくりと視線を巡らせ、そこがただのベッドなどというものではなく、俗にいうところの天蓋つきベッドだということがわかった。
「?」
不意にぺたりと顔から落ちたものに気づく。まだ動きの鈍い手でそれを持ち上げると、水気の絞られた布だった。
それを持ちながら、現状の把握ができずに戸惑うトーラの耳に、扉を開ける音が入ってきた。
「やっと起きたか」
入ってきたのは、手に銀の盥をもった王だった。
王は、よどみない足取りでトーラのいるベッドまで近づき、その近くにあった小さなテーブルに盥を置くと、自然な動作でトーラに手を伸ばしてきた。
条件反射で身を引こうとするが、王の動きの方が一歩早く、その大きな手はトーラの額に触れてきた。
「え?」
「熱は下がったか」
「は?」
目を見開いて呆然とするトーラを置き去りに、王はわずか首を傾げて言葉を続ける。
「こうやって熱を測るのだろう、普通は」
本で読んだんだが、間違っていたのか。と顎に手をやり思案している風の王のもう片方の手を振り払い、全身で威嚇する。
「いったい、どういうつもり?」
トーラはいつの間にか、檻の外に出され、この豪奢なベッドに寝かされていた。
あの閉塞感から解放されて、感じたのは安堵感ではなく警戒。
「どういうつもり、とはなんだ」
「ずっとあたしが何言ってもあそこから出さなかったくせに。言っとくけど、ちょっと看病されたからって、感謝なんてしないわよ」
手に持っていた布を放り投げ、被っていた羽毛布団を跳ねのける。
両手足には枷がついたままだったが、構わずベッドから飛び降りようとしたら――。
「おい、無理するな」
という言葉と共に飛んできたのは長い一本の腕で。それは見事に、トーラの首に入った。
「ぐえ」
とつぶれたカエルにも等しいうめき声をあげて、トーラはベッドに逆戻りする。気道を直撃した一撃に、ベッドの上でもだえるトーラを見下ろし、王は無表情で掛け布団を被せてくる。
「大人しくしていろ。病人に無体はしない」
今しただろうが! という突っ込みができないことが腹立たしく、涙目でにらみつけるしかできなかった。
そんなトーラをよそに、王は投げ捨てた布を拾い上げて盥に張っている水に浸して絞り、それを呻くトーラの額に乗せた。その顔はいつもと変わらず無表情であるのに、なぜか楽しげに見えるのはなぜなのか。
「なんでそんな……楽しそうなのよ」
怒り続ける体力も気力もなく、ただ投げやりに問いかける。
近くに置いた椅子に腰かける王は、ぴくりと動きを止め、トーラを見返した。
「楽しそう、か? どのあたりがだ」
「なんとなくよ」
「……」
そっけなく答えたら、王は何事かを考え始めた様子で、黙り込んだ。