2.日常。(2)
仕事しんどー。ぷーたろーになりたい今日この頃。
いや、おかしいのはあんただ。とトーラは唖然としていた。
だって一日6時間睡眠を取っているとしても、この王は必要最低限の日常動作以外はずーっとずーっと働き続けている。これまでの様子からして、ざっと連続16時間勤務だ。……ということは。
「労働法違反じゃん! 過労死するよあんた!」
上体を起こして叫ぶと、トーラが入れられた檻の後ろ、執務室の扉が開き一人の男が入ってきた。
「そんな簡単には死なせませんのでご心配なく」
片手に銀の盆を持ち、黒で統一された服に身を包む男は、そう言ってトーラを一瞥した。
「で。王よ、まだこの娘は奇跡を成せていないのですか?」
「見ればわかるだろう。成せていたならとうの昔に解放している」
ひたすら仕事に没頭する王の隣に立ち、銀の盆に載せていたカップを机に置くと、優雅な動作でティーポットから茶を注ぐ。
「面倒な。いっそ食事を断たせて、排泄の自由を奪ってしまえばよろしいのでは? そうすればそう時間をかけずに言うことを聞くでしょう」
真っ黒だ。こいつのお腹の中は真っ黒だ。唖然として、トーラは阿呆のように口を開いたまま黒い男を凝視する。男はティーカップに茶を注ぎ終わると、トーラと眼を合わせて口端をつり上げた。
「悪いことは言いません。娘、さっさと奇跡を成しなさい。この方は暇ではないのです。この国のため、国民がため、血と汗とその他諸々を流して働かれている。この方の時間を無駄に消費させるなど、国家反逆罪にも等しいとおわかりか」
「あんたの発言はちょいちょい不敬罪になってると思うんだけど」
自分のことを棚上げして何言うか、と冷静にツッコミを入れると、黒い男はひょいと眉を上げた。
「失礼な。どこが不敬だと? 言っておくが、私ほど王を敬い大切に考えている人間はいませんよ」
真剣な顔で言いきった男だが、横から投げられた王の視線は冷ややかだ。横見てみ、と言いたくなる。
「全く口の減らない小娘ですね。今からでも遅くありません。己の立場というものをわからせて差し上げましょうか」
無表情であっても、楽しげな口調は隠しようもない。なぜに楽しげなのか、と聞くまでもない。ぜったいこの男はサドだ。
びっしりと鳥肌を立てて檻の中で後ずさったトーラだが、そこに制止が入る。
「やめろ。ゼドー」
筆を置いて、王が静かに黒い男――ゼドーというらしい――を諌めた。
「それは罪人でも何でもない【マッチ売りの血統】の末裔、という名の国民の一人だ。よって、そこまでする権利をこちらは持ち合わせていない」
「甘いことを。このまま指を咥えて待っていればこの娘が奇跡を成すとでも?」
「成す。我が望みが成就するまで、この娘の解放はあり得ん」
「ふ、ふ、ふざけんなああっ!」
もう黙ってられん、とトーラは柵を掴んで叫ぶ。
「あんたら人のこと何だと思ってんのよ! あたしはモノじゃなくて人間! 意思を持ってます! それをあんたら何? 奇跡を成せだの自由を制限するだの、一体何さまだーっ!!」
「王だ」
「その側近です」
即座に返された答えにトーラは脱力した。こいつらにこれ以上言っても無駄だとトーラは冷たい金属の檻に体を投げ出す。この一週間、こうしてこの話の通じない二人に、頑として「マッチ売りの血統なんて知らない」と言い張ってきたわけだが、そろそろ精神的に限界だ。
枷を嵌められた手足はひどくだるいし、節々は痛む。何より常に傍に誰か――しかも断じて油断のできない人間の監視下にあり、こうして自由を制限される檻の中に閉じ込められている状況が、トーラの精神を少しずつ削っていた。
はあ、とため息をついてぐっと目をつむる。もういっそ、『力』を使ってここから出てやろうかと思う。そんな不穏な考えが頭をよぎるが、トーラはすぐにそれを頭の中で打ち消した。駄目だ。そんなことしたら、他の傍系にも累を及ぼすことになってしまう。
そうしたら、≪あの一夜≫の二の舞だ。
頭が痛くなってくる。そもそもの始まりから、捕まってしまったことがまずかった。
――そういえば、なんでこいつらはあたしが【マッチ売りの血統】だと知ってるんだろ。
【マッチ売りの血統】、その存在は≪あの一夜≫でことごとく抹消され、伝説の中にのみ残るものとなった筈だ。その存在が現在もわずかであるが生き残っていることを知り、あまつさえそれがトーラであると確信した、その根拠をどうやって手に入れたのか。
背を丸め、自分を守るように腕を体に回して、トーラは浅い眠りに逃げ込んだ。