冬が、はじまる。1
寒さが本格的になってきて。
落ち葉が風に吹かれては坂道を転がっていく。
見上げる空は高く、その青さはなんとなく白んで見えて。
あたしの吐く息は、小さな雲のように白くなってて。
とうとう冬が来るんだなぁ。と。
あのヒトが見上げる空とつながってるはずの。
この街の空を。
一人で見上げて、立ちすくんでいた。
冬が、はじまる
「なにボーっとしてんだよ」
言われてから数秒、ようやくあたしに向けた言葉だと気がついて視線を地上に戻した。
明日から期末テストが始まる。
いつもなら体育会系の連中に占領されてる運動場も、今日は閑散としたもので。
それを幸いと、グラウンドのど真ん中をあたしは占拠していた。
邪魔しに来たのは、進藤聡史。
またこいつか。
「ほっといてくれていいから」
そっけなくお断りして。
ポケットに手を突っ込んだまま、また空を見上げた。
早いもので安藤さんがいなくなって、もう二ヶ月が過ぎた。
カレンダーは今年最後の一枚になり、カウントダウンはもう始まっている。
新しいカレンダーの出番が来る、その少し前のビッグイベント。
「クリスマスには、帰ってくるよ。たくさんのプレゼントを持って」
そう言った時の安藤さんの表情と、顔を思い出す。
最後のキスは、空港の待合室。
ゲート間際、絡めた指をなかなか離せなくて困らせたっけ。
たくさんの約束を残していったけれど、優しい安藤さんはあたしの心を縛り付けてはくれなかった。
少しふわふわとしたまま。
でも。
それもあと少し。
視界いっぱいの冬空からエネルギーをもらって。
また明日もって思った。
長い時間をかけて心が現実に戻ってくると、まだ消えてない気配に驚く。
まだいたの。
ほっといてくれればいいのに。
少しだけ離れたところ。
進藤が地面に胡坐かいて座ってて。ひざに腕ついてこっちを見てた。
お互い、もうすっかり身体の芯まで冷えてて、うまく笑えないもどかしさ。
「美咲が今にも泣きそうに見えて」
そう言われて、あたしは視線を地面に落とした。
進藤はモトカレ。
もう一度付き合って欲しいと告白された。
それは安藤さんがいなくなった直後のこと。
あたしは、きっぱりと断った。
……はずだったんだけど。
なぜか進藤からのアプローチは続いてて。
直接的なことは言われないけど、今日のようにそばにいたり。
あたしの様子を確認するためだけに教室にのぞきに来たりする。
「……」
何も言えない。
泣きそうなのは本当だから。
黙ったまま歩き出すと、当たり前のように、数歩後ろを進藤がついてきた。
3ヶ月。
あっという間だと安藤さんは言った。
確かに。
半分ぐらいまでは本当にあっという間で、体育祭文化祭とがんばってるうちになんなくやり過ごせた。
だけど、あとの半分がうまくやれない。
夏が終わったあの日に始まって。
一緒にすごした夢のような日々は、そばにいない寂しさのこみ上げる毎日が積み重なっていくたびに押しつぶされて。
安藤さんのぬくもりが少しづつ消えていく。
唇の感触や手のひらの温度、抱きしめられたときのニオイ。
大好きなのに、思い出せない。
表情や言葉はしっかりと覚えているのに、それはテレビの中の出来事のように思えて、悲しいぐらい遠い。
……情けないな、ホントに。
だけど、いろいろと考えて。
今の状況。
不安や不満もあるけど、でも一番大事なところは何も変わってないことを何度も確認している。
進藤の言うとおり、今にも泣きそうに見えるかもしれなくても、あたしは……ゼッタイ泣かない。
うん。大丈夫。
駅までの道。
進藤の家とはぜんぜん方向ちがうのはお互いわかってるけど。
それでもたまにこうしてあたしを心配してついてくる。
そんなことしなくていいのに。
……困るんだよ。
でも、心配してくれてるのをそんな風に言うことはできなかった。
―――今までは。
今日はちゃんと言わなくちゃと心を決めた。
「ドーナツでも食べていかない?」
振り返ってそう言ったあたしに、進藤は一瞬びっくりした顔して、それからゆっくりとうなずいた。
商店街にある店の中は思っていたよりも込んでいた。
同じ学校かな、と思うグループがドーナツ片手に勉強したりしてる。
それぞれ注文を済ませて、わざと店の奥のほうの席を選ぶ。
小さなテーブル。
ひざがくっつきそうな距離であたしたちは向かい合わせに座った。
「この店入るの久しぶり。最後に来たのは進藤と一緒だったかも」
「そっか」
付き合ってるとき、何度かこの店に来た。
部活動で忙しい進藤とはなかなか学校の外での時間が作れなくて。テスト前とかに図書館や帰り道のファストフード店に入るのが精一杯だった。
そういえば一度だけ進藤の家まで行ったけど、そのまま別れ話になって終ったっけ。
「俺のやってること、迷惑か」
直球だよね。
苦笑いしながらドーナツにかぶりついた。
「とりあえず食べようよ。テスト勉強で頭使って、あたしおなかがぺこぺこ」
「ん…」
進藤は甘いものも平気で。より重要なのは量らしく。お皿の上に重なってたドーナツを大きな口でどんどん消化していく。
「ハンバーガーのほうがよかった?」
「べつに」
あたしとは食べる量がぜんぜん違くて、びっくりしたこともあったっけ。ポテトとドリンクがついたバーガーのセットに、100円バーガー二つ追加してたり。
男の子ってすごいんだな、って感動したりもした。
初めての……彼氏だったもんね。
最初はただ同じクラスの男子ってだけだったけど。告白されて付き合いだして。
ちゃんと進藤のことを好きになっていった。
優しかったし、好きだと言われて素直にうれしかったから。
進藤が好きだって言ってた漫画を読んだり、テニスの試合があるときは応援しに行ったり。
それが突然だめになったときは、悲しかったし、泣いた。
でも、もうその痛みは癒えてる。
こうして目の前で一緒にお茶してても、もう胸がどきどきしたりしない。
失礼なハナシだけど、心の中で進藤が安藤さんだったら、なんて不謹慎なこと考えてる自分がいる。
本当にごめん。
「あのね。……もうあたしのことはかまわないでほしいの」
二人のトレイからドーナツはきれいに消えて。
暖かい店内のおかげで身体もずいぶんと温かくなっていた。
まだ少し冷たい指先をさすりながら、進藤に切り出す。
「……はっきり断られたし、わかってるつもりなんだ、俺。今更どうにかなるとは思ってないけど、ただなんとなく…今の美咲を見てると心配で」
「あたし、そんなにさびしそう?」
「……」
少し冷めたコーヒーは口当たりがよくて。
薄くなった湯気の向こう、進藤が居心地悪そうに座りなおしたのが見えた。
「多分進藤は間違ってないよ。今のあたし、すごくさびしくて。毎日泣きそうになってる。でもさ、そのさびしいって心は、進藤がそばにいてくれても、埋まらないの。それに……約束があるから、あたしは一人で泣かないよ」
「今の彼氏、わがまま聞いてくれる年上なんだろ?うまくいってないのかよ」
「……安藤さん、少し前から日本にいなくて。しばらく会ってないから、さびしくなってるだけ」
「……いつ帰ってくるんだ?」
「クリスマスには帰るって言ってた」
「待ってるの、つらいんだろ?」
「つらい、のかな。ううん、ちがうと思う。さびしい、ってただ本当にすごくさびしいだけなの。声も聞けないから、ね」
「……電話は?」
余計な心配かけちゃうな、と思う。
進藤のキモチが、今この瞬間あたしにだけ向けられてるのを感じた。
あたしのことを今、好きでいてくれるんだって。
だからこそ、今日はきちんと話をして終わらせなくちゃいけない。
決めた心は揺るがなかった。
「電話もね、メールも。手紙も何にもないの。そういう約束したの。離れてる間、一度も連絡しないでいようって。あたしも安藤さんも、声だけじゃ満足できないから」
「…………」
「心配してくれるのうれしいけど、ごめん。進藤じゃダメなの。さびしいけど、あたしはちゃんと一人で待てる。泣いたりもしない。見ていてほっとけないって言うんなら、もうあたしのことなんか見ないでほしい。進藤のキモチは、ちゃんと受け取った。でも応えられない。これ以上は困るだけなの」
「友達としても、ダメか?」
「っていうか。友達になる前に彼氏彼女になって。でもそれもずいぶん前に終わったでしょ。進藤と友達だったこと、ないような気がする」
友達になれるかな、ってあたしも考えたことあったけど。
ムリだよね、実際。
悪いやつじゃないのは知ってるけど。
進藤は……モトカレでしかありえない。多分、この先も。
「きついな」
進藤の視線がテーブルの上をさまよって。
あたしに向いていたキモチの矢印が、失速したようにぶれて宙に浮くイメージが頭に浮かんだ。
「ごめん」
「いや……あやまることないよ。そーゆーとこが好きだったから」
「ありがとう」
「それもきついわ、今の俺には」
あたしのキモチの矢印は、遠い空の下にいる安藤さんめがけて一直線で。
どうしても進藤には応えられない。
もうあたしには言葉もなくて。
しばらくしたら進藤も黙っていなくなった。
あたしはまっすぐ前を向いたままでいた。




