深まる、秋。4
2時限目が終わって、少し長い業間休み。
ハラ減ったーと食堂までパンを買いに走るクラスの男子たちの姿をぼんやりと眺めてた。
「どうした、やけに沈んでるな」
ふってきた声に顔を上げると進藤の顔。
このタイミングで声をかけてくるなんて。
去年別れてから昨日まで、世間話すらしなかったというのに。
そういう現実がまるでなかったかのように、無頓着な表情。
さっぱりとした性格といえば聞こえはいいけど、やっぱり今更だと思う。
ひと睨みしてから、次の授業の用意をするために机の中を覗き込む。
「うちのクラスに何か用でも?」
「っていうか、美咲を誘いに。映画の試写会のチケットがあたったから行かないかと思って」
「なんであたしを誘うのよ」
「それがたまたま恋愛もので。男同士でつるんでいく映画じゃないんだよ」
「そんなのあたしに関係ないから」
「そう言わずに。とりあえず、和解策のひとつとして。飯おごるから」
「……」
「明日の土曜。11時に駅で待ち合わせ」
「行かない」
それどころじゃないし。
昨日安藤さんから話しを聞いてからこっち、すべてのことが上の空。
さっきの授業だって半分ほどしかノートを取れてない。
あとで和美に見せてもらわなくちゃ。
「とりあえず、これ預けとくから」
机の上を見ると、ハガキが一枚。
来月から公開される映画のタイトルが目に入った。
「困る。ほんとに行かないから」
「うん。それでも待ってるから」
「だから、待たれても困るって…」
ハガキをつき返そうとしたのに、進藤は言いたいことだけを言って教室を出て行く。
ひざの上に教科書を広げていたあたしはとっさに動けず、そのまま後姿を見送ってしまう。
「なんなのよ、もう」
どういうつもりで今更あたしにちょっかい出してくるわけ?
困る。
ほんとに、あたしそれどころじゃないんだけど。
「復縁希望?」
和美の声。
静かだと思っていたら、ずっと後ろで傍観していたらしい。
本人は独身主義なんて言って男子お断りを宣言してるくせに、友達の色恋沙汰には結構敏感なんだよね。
小説家志望の読書家で、恋愛アドバイザーの異名を持つ彼女。
守秘義務厳守の評判を信じて答えた。
「違う。…と思うけど。わかんない」
「で。本当に行かない気?」
「……うん」
「彼ずっと待ってるかもよ?」
「そうかもしれないけど。あたしは行かないってちゃんと言ったし。そりゃ少しは気の毒だと思うけど。あたし、明日は……」
「彼氏のところ?」
「……うん」
正直、安藤さんと約束してないんだけど。
ちょっとの時間でも会いたいと思ってるから、あたし。
悪いけど本当に進藤との待ち合わせには行かない。
「まあね、今は美咲も新しい恋してるんだし、今更去年の彼氏の出る幕じゃないよね」
にかっと和美が笑い飛ばす。
そうよ。今更……どう考えても、本当に今更としか言いようがないのに。
昨日の進藤の言葉にどうしてあんなに動揺しちゃったのか。
理由がわかったような気がする。
今更。
そう。こだわってしまった時期はあるものの、今はもうとっくに過去のことになって。ありえないくらいに予想外のことだったから。
……それだけ、安藤さんにだけ気持ちが向いてたから。
自分のものだったことも忘れるぐらいに時間が経ってから、本を返してもらったような。
こんな例え。進藤に対しては失礼でしかないだろうけど。ほんとにあたしは……。
「その試写会、私が行ってこようか?」
「え?」
「行かない、って決意は変わらないみたいだけど。美咲の場合、待ち合わせをすっぽかすことに罪悪感ひしひしで見ててかわいそう。待ち合わせには私が行って、進藤にご飯おごらせて、ついでに映画も見に行ってくるよ」
思ってもいない提案だった。
和美が行ってくれるのなら、あたし、変な心配をしなくてもすむ。
「でもそれって……いいの?」
この際進藤がどう思うかは関係ない。和美は嫌じゃないのかな。
「まあ無駄になるよりいいと思うのよね、このハガキ。ちょうど興味あったしこの映画」
「助かるけど……」
「悪いな、と思うなら美咲も今度ご飯おごってよ。あ、だけどこの次進藤がなにか言ってきたら自分でなんとかしてね。明日そのフォローまでする気はないから」
「うん、それはわかってるけど…」
ほんとにいいの?と視線を送ると、指で作ったOKサインがぬっと突き出された。
「今日の美咲、ほんとにちょっと元気ないから助けてあげる。でもさ、進藤も冗談ってわけじゃなさそう。そうじゃなきゃ今更美咲に声かけたりしないよね。その辺はちゃんと考えといいたほうがいいよ」
「うん…、わかった。和美、ほんとにありがとう」
これでこの話は終わり、とばかりに肩をぽんとたたかれて。
和美は手渡したハガキを映画~♪とハナウタ交じりに財布の中にしまいこんだ。
昨日の夜。いつもと同じように車で家まで送ってくれた、安藤さん。
心配そうに何度も声をかけてくれたけど、あたしは
「ダイジョウブです」
何度もそれだけを繰り返してやり過ごした。
本当は全然大丈夫じゃないのに。
3ヶ月……。
引き止める理由も力もないけど、急にそんなに離れてしまうことへの、不安。
夏休みが始まる前は、安藤さんを好きだという気持ちはまだあこがれという形をしてて。
今のあたしの心の中なんてまったく想像もできなくて。
一方通行じゃないと知ったのはほんとについ最近。
安藤さんの居心地いい優しさに、やっとまっすぐ見つめ返すことができるようになったと思ってたのに。
困らせたくない。笑って見送りたい。
それは本心。
寂しいから、行ってほしくはない。そばにいてほしい。
これも本心。
3ヶ月も会えないのかと思うと、涙が出そうになる。
だけど、泣いてわめいて。困らせてもかまわないからとわがままを押し付けて。
そのせいで安藤さんがせっかくのチャンスを不意にしてしまったとしたら……?
必ず、後悔する。
だから、あたしは。
夜9時をすぎたのを確認して、安藤さんの携帯電話にかけた。
母屋で食事を取ったあとはいつもだいたい9時ごろまで真亜子さんと一緒にいるはずで、それを邪魔したくはないと思ってこの時間にした。
「美咲ちゃん?」
携帯からではなく、家からの電話に戸惑ってる様子が感じられた。
きゅっと服のすそを握り締めて、考えていた台本のとおりの台詞を言う。
「はい。えっと、今いいですか?」
「もちろん」
ボリュームを絞ってくれたのか、受話器の向こう側の音楽が遠くなった。
「荷造りとか、いろいろ忙しいとは思うんですが、お願いがあって」
「大丈夫。言ってみて」
一段と優しくなった声に励まされて、一息にお願いを口にする。
「明日、あたしのために時間を作ってください。できれば……あさっての夕方、飛行機に乗るそのときまで」
「え?」
驚いてる安藤さんの顔が、うまく想像できないまま、私は答えを待った。
「それは……」
あたしの突飛なお願いに安藤さんがおどろいてるは気配でわかった。
びっくりさせるのは初めてで。どんな顔をしてるのだろうと想像する。
できるならこの目で見たかったけど、面と向ってはできないお願いだった。
「お願いします」
「美咲ちゃん?自分が何を言ってるか、わかってる?」
「わかってます」
ふう、と長い息を吐き出す気配がして体がこわばる。
呆れられてしまった?
「3ヶ月も寂しい思いをさせてしまうから、できるならかなえてあげたいけど。おうちの人になんて言うの?嘘をつかせるわけには……」
「嘘なんてつきません。正直に言いました」
「え?」
「母と代わりましょうか?」
キッチンで食器を拭きながら見守ってくれているママを振り返った。
「ちょ、ちょっと待って。本当に?…って。……美咲ちゃんらしいというか」
受話器越しに響く低い声が、耳にくすぐったい。
どうやら安藤さんは笑ってるらしい。
「あの……、安藤さん?」
「うん、わかった。電話で挨拶を済ますわけにはいかないから。今から……」
すぐそっちにいくよ。
そう言って電話が切れた。
「なんて?」
通話の切れた受話器を元に戻すあたしに、ママが声をかける。
「今からすぐに来るって……」
それを聞いたママが嬉しそうに笑う。
「望みありそうねぇ、その反応」
「ママ?」
「だってねぇ…。美咲のことは信用してるから、こんなふうに正直にお願いされたら聞いてあげたいと思うけど。相手によってはそりゃやめときなさいって言いたくもなるじゃない」
「安藤さんは……いいってこと?」
「今のところはね」
まだ審査中というところ?
「まあママの審査なんてゆるいから。バイトが終わってからは一度も門限を破ってないのも高ポイント。まあパパが出張中でなかったら無理だったと思うけど。いい? 今回のことは女同士の秘密よ。そのかわり……」
「うん、わかってる」
放任主義というか。
わりとゆるめの家庭にもかかわらず、一緒に育ったおねえちゃんが短大卒業してさっさとしあわせな結婚しちゃったおかげか。はたまた同じように若くで結婚した両親の方針なのか。
考えて、考えて。ようやく出た結論を正直に打ち明けた結果、ママは条件付であっさりと許可してくれた。
安藤さんの対応をチェックした上で。
後悔するようなことだけはしないようにと、あたしに約束させて。
緊張のあまり二階の自分の部屋とリビング、玄関を何度も往復していたら。間の悪いことに二階にいるときに玄関のチャイムが鳴った。
あわてて降りれば、ママがちょうどドアを開けている最中だった。
「突然すみません」
聞きなれた声のあと、開いたドアの向こう側に安藤さんが立っているのが見えた。
「いえいえ。御上がりになります?」
よそゆき声のママに、安藤さんが手を上げて断りを入れる。
「夜遅いので、今日はここで」
ドアが閉まって、ママの横に並んだあたしに安藤さんが笑いかける。
そのあとすぐに少しだけ表情を引き締めてママに向き直る。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。安藤彰人です。先月期間限定で実店舗を構えて自作のアクセサリーを販売していました。そこでアルバイトに来ていただいた美咲さんと知り合いました。9月になってから、仕事とは別に個人的にお付き合いをさせていただいています」
はらはらしているあたしを置いて、ママがにっこりと笑顔になる。
「アルバイト、初めてでしたのよ。お役に立ちました?」
「恥ずかしながら、慣れないのは僕も同じでして。美咲さんのサポートには正直ずいぶん助けられました」
「そう言っていただけると、嬉しいわ。ねえ?」
「う、うん…。あの……」
口を挟もうとしたあたしをさえぎるようにして、安藤さんが言葉を続ける。
「今日初めてご挨拶をさせていただいた足でこんなお願いをするのは、心苦しいのですが」
「はい」
「明後日から3ヶ月ほど、仕事上の理由で日本を離れなければなりません。付き合い始めたばかりの美咲さんを置いていくのは正直心配で。彼女の気持ちが少しでも落ち着くよう一緒にすごす時間を持ちたいのですが、許していただけないでしょうか」
「!」
まさか安藤さんのほうからママに頼んでくれるとは思ってもいなくて、声もなく驚いた。
「まあ……。言いだしたら聞かないのはうちの子のほうですのに」
くすくすとママが笑い出す。
「いえ、気持ちは一緒ですから」
その言葉だけで充分だと思った。
たとえ、ここでママが反対したとしても、安藤さんがあたしのためにしてくれた行動、言ってくれた言葉、その存在感はとてつもなく大きい。
一方通行どころか、安藤さんの気持ちのほうがより大きいのかもしれないとうぬぼれてしまうほどに。
「わかりました。うちの娘のこと、よろしくお願いします」
そう言って、ママがにっこりと笑った。
あたしも、安藤さんもほっとして顔を見合わせた。
そして、明日迎えに来る時間を約束したあと、安藤さんは見送りを断って帰っていく。
ドアの向こうで車の走り去る音が小さくなっていくのが聞こえた。
「すごいわね、美咲の彼氏」
「ママ?」
うっとりとしたため息に振り返ると、何度も頷いてるママの姿。
「背は高いし、顔はきれいだし、何よりもあのきちんとした挨拶。何者?」
「えっと…彫金デザイナー?」
「それはもう聞いた。25歳だっけ?あれはかなりの……っていうか、美咲、あんたのことほめてやりたい。合格よ、合格。ママ応援する、あんな息子ほしいっ」
「え?ええ??」
「声も素敵だったわねぇ……」
気が早すぎることはともかく。
この先強力な協力者ができたことに素直に喜べばいいのかな、と。
ハナウタ交じりにリビングに戻るママの後姿を口をあけたまま見送った。




