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めぐる季節  作者: 恵奈
4/12

深まる、秋。3

 

 学校が終わると安藤さんの家に行くのが、あたしの新しい習慣になった。

 もちろん毎日はムリだけど。


 磨きとか、仕上げ作業ならあたしがいても邪魔にはならないからって。そういう時は作業台のひとつを勉強用に貸してくれて時々家庭教師のように宿題も見てくれる。


 繊細な細工を施してるときの、あの緊張感のある表情や指先を見る機会はへっちゃったけど。ノートの端っこにわかりやすく展開式を書いてくれる表情も指先も、同じくらい好きだから寂しくはなかった。


 あたしが苦手なのは理数系で、それは安藤さんにとっての得意分野だったりもして。

 もしかしたら今学期は少しはましな点を取れるようになるかも。そう思えるぐらいわかりやすく丁寧な教え方に驚いて。


 そのお返しじゃないけど、ネットショップで売れた商品を発送するときはあたしが梱包作業を担当。

 化粧箱に入ったアクセサリーを丁寧に包んで伝票に住所を書く。

 それが早く終われば、一緒にコーヒーを飲みながらDVDを見たりおしゃべりをしたり。……ちょっとキスしたり。


 それから門限の7時に間に合うように家まで車で送ってくれる。

 夏休みが終わって3週間。

 少しずつ安藤さんとお付き合いしてるということにも慣れて少しは余裕も出てきたある日。




 あーあ。家に帰るまでぐらいもつと思ったのにナァ。


 昇降口から黒い空を見上げた。雲は分厚くて太陽の光はまったく届いてない。

 まだ時刻は3時なのに夕方みたい。

 静かだけど細い雨は景色のすべてをくすませている。


 私の足で走っても、最寄の駅までは6分。傘を差さないで強行するにはちょっと無謀だとわかっていた。きっと頭のてっぺんからあしの先っちょまでずぶぬれになっちゃうよね。

 そうしたら、帰って着替えなきゃいけないし。

 時間。………それがちょっと心配。

 こんなことなら、ちゃんと母さんの言うこと聞いて傘を持ってくればよかった。


 どうしよう。


 いつもより少し早い下校時刻。帰り支度の済んだ生徒は予想外に少なくて。さらに数の少ない顔見知りの中に同じ駅の子は一人もいなくて。

 寄生する傘を見つけられず、いくつもの傘をあいまいに笑いながら見送った。


 …間に合うかなぁ。


 確実に迫ってくる時間を思うと、悩んでる時間すらない。

 ダッシュして、濡れるのを最小限に努力しながら行くしかないかな。

 駅までにある雨宿りできそうな軒先って…ほとんどないじゃない。

 ほとんどもう絶望的で。

 ため息を吐いたらそのまま_| ̄|○と崩れてしまいそう。


 誰か助けてくれたりしないかな。


 最後の望みを託して後ろを振り返ると、なじみのある茶色い頭が目に入った。

 よりにもよって、こいつとは。


「……進藤」


 呟いた名前は、雨の音に消されることなく一人の男子生徒の耳に届いたらしい。

 あたしを見つけると、唇の端をゆがめるようにして笑った。


「なんだよ、傘なしか?」

「まあ、ね」


 彼の手には折りたたみの傘。

 そういえばこういうところきちんとしてたやつだったっけ。

 そんなことをぼんやりと考えながら、最後の望みも絶たれたことにうなだれた。

 進藤の使う駅は、私の目指す駅とは真反対。

 しかたない、本気でダッシュするしか道は無いかも。

 そんな私に彼が言う。


「……入れてやってもいいぜ」

「とか言ったって、方向違うし」


 ほんとにたちが悪い。

 睨むには気力が足りなくて、空を見上げた。


「今日はそっちの駅に用が在るから」

「……珍しいこともあるもんだね」


 窮屈そうに収まってた傘が広げられ、誘うように私に傾けられた。




 進藤とひとつの傘の下にいるなんて、初めてだった。

 半年近く付き合ってたこともあるのに、と不思議な感じだった。


「あのなぁ、もう少し寄り添うとか考えろよ。そっちの肩、濡れてんじゃねぇ?」

「……傘、小さいし」

「文句かよ」


 ため息交じり。

 だけど進藤がとった行動はめちゃ意外で。ぐいっと傘を私のほうへと差し出した。


「なに?いいよ、進藤が濡れるじゃん」

「お前がびしょぬれになるよりは格好つくし」


 八方美人な発言。

 それでも自分を犠牲にしてくれてる進藤に言い返すことなんてできなくて、できる限り譲歩を試みてみる。

 その結果。遠慮がちにではあるけれど腕が触れた。


 想像するに、第3者的にはものすごく初々しそうなカレカノに見えてたりしない?

 別れて随分たつ、今頃に?

 そう思ったら、とたんに気恥ずかしくなった。


 今更離れたりなんかしたら不自然だし、かといって普通の顔してるの無理っぽいし。

 傘に入れてもらえてすごく助かってるけど。

 感謝してるけど。

 ……やっぱり雨の中ダッシュしたほうが気楽だったかも。


 別れた彼氏、って。……ビミョウだよね。



「あのさ。……モトカノに優しくしてたらイマカノが妬くんじゃない?」

「ああ…大野? 振られたし」

「はい?」


 大野と別れた?

 実際に初々しい感じだった当時のあたしと進藤の間に割り込んできてかっさらっといて。


「振られたって?」

「繰り返すなよ。…てか、今になったらよくわかる。悪気はないんだろうけど勝手に盛り上がって勝手に冷めて。はた迷惑な女だったみたいだな」

「………………」


 なぐさめてくれた友達が似たようなことを言っていた。

 でもなかなかそんなことでは慰められなかったし、進藤のことが好きだった分、泣いたし、恨んだ。

 大野のことも。そんな彼女にころっとのりかえた進藤のことも。


 今はもう、終わったことだとわかっているけど。

 今更こだわりたくも無いけど。


 ………もう怒ってないけど、それは『許した』わけじゃなくて。


 たぶんそんな感じのことが、あたしと進藤の間に流れる空気が微妙になる原因。

 平静を装っていても、友達には戻れない、理由。


 だから。


「わるかった、な。おまえのことわがままだとか言って。たぶん………俺がのぼせあがってただけだ」


 そう言われても、


「………もう、ダイジョウブだから」


 ダイジョウブなのは嘘じゃないけど。

 悪かった、なんて今更の言葉に、いいよ、とは返せなかった。




 沈黙のまま、いつのまにかもう駅はすぐ近くで。

 駅前のビルの軒先に飛び込んだ。

 ぽっかりと開いた傘下の片側をそのままに、進藤があたしに笑顔を見せる。


「もうほかに付き合ってるやついるのか?」

「進藤に関係ないじゃん」


 つっぱねたあたしにまた唇の端をゆがめて笑った。


「今度は年上のほうがいいんじゃねえ?オマエがわがまま言ってもにっこり聞いてくれるような」


 その言葉に、距離があった。


 ああ、そうだよね。許すとか、許さないとか。もう関係ないのかも。


 やわらかい笑顔の安藤さんの顔が浮かんで。


 進藤のことをごちゃごちゃ考えた自分が恥ずかしくて。

 悪かった、と言ってくれた進藤のことを素直に受け入れようと思った。


「大きなお世話。………でも昔のよしみで許したげる。実際その通りだよ年上の彼氏、甘やかし上手だもん」

「ガッカリだなぁ」

「自分勝手」


 わざとらしいリアクションに、シビアにレスできる。

 こんな風な会話、できるようになるなんて思ってもなかった。


「とかいいながら嬉しそうに笑うなよ」

「嬉しそう? そうかな。和解、になる? これ」

「どうだろな」


 友達、に戻れるのかな?

 進藤に対してそう感じた。

 たぶんそう感じさせているのは、安藤さんとの恋が順調だから、なんだけど。

 私も自分勝手だな、とか内心笑ったけど。


「あわよくば、と考えてたりもして」

「え?」


 進藤の投げた言葉が、波紋を作った。

 表情を探っても、その真意はわからなくて。


「急いでるんじゃなかったか?」

「うん、そうなんだけど……」

「じゃあまた今度な」

「うん………」


 なにがまた今度なのか。

 聞き返せない雰囲気に圧されて身体を駅のほうに向けた。


「あの、ありがとう今日は助かった」

「困ってる美咲をほっておけないだろ。じゃ、な」


 そんな優しい言葉、付き合ってるときにだって聴いたこと無いし。


 っていうか、それを捨て台詞にして帰る!?

 遠ざかる後姿を、複雑な思いで見送る。


 ………どういう意味?


 消えたと思ったわだかまりの代わりに沸いた不思議な気持ち。

 正直、もてあます。

 もう、終わってるんでしょ?


 改札に入るとき、目に入った遠い後姿はまっすぐ今来た道をたどっていく。

 アイツ。

 ………こっちの駅に用事なんか無かったんだ。



 そのことに気付いてしまった自分が、少し嫌いになった。





 雨の勢いはどんどん強くなってきていた。傘に降る雨粒の音がせわしない。


 車や電車、行き交う人たちの声とか。

 そういう音は、傘の中にいると少し離れた世界の音のような気がする。


「あの…ゴメンナサイ」

「ん?」


 駅前の待ち合わせ場所。ぎりぎり時間には間に合ったんだけど。


 よくよく考えてみれば、あたしの傘はないんだから。結果、安藤さんの傘を半分占領してしまうことになってしまった。


 駅から安藤さんの家まで、そんなに距離はないけど。


「傘……。安藤さん濡れてませんか?」

「美咲ちゃんこそ」


 真ん中で持っていた傘を持ち替えて、片腕があたしの肩を抱き寄せる。


「これならダイジョウブかな」


 近くなった声が柔らかくて、いつものように安藤さんが微笑んでくれたんだとわかる。


「学校から駅までは友達の傘に入れてもらえた?右肩だけ少し濡れてるね」

「あ……、はい……」


 とっさに傘を共有してくれた”友達“のことが頭に浮かんで、声がしぼんでいく。


「今日は少し体調が悪い?寒いのかな」


 確かに。

 雨のせいか、9月の割りに今日はちょっと肌寒い。雨にも少し当たったし。


「もしよかったら車で家まで送ろうか?」


 ううん、と。


「かぜとかじゃないです。ちょっと考え事しちゃって。……ゴメンナサイ」

「それならいいけど。うちについたら何か温かいものつくるよ」

「はい……」


 せっかく安藤さんと一緒に入れるんだから、彼のことだけを考えていたいのに。


 そう思いながらも、少しだけ違う人のことを考えてる自分が嫌だった。


 学校から駅までの道。

 送ってくれたのは、去年少しだけ付き合ったことのある進藤聡史。

 初めて彼氏彼女という関係になった、今はもう過去形のヒト。

 他に好きな子ができたとか言われて別れちゃったのは、半年以上前のこと。

 なのに、さっきものすごく意味深なことを言われた気がした。

 もう関係ないのにって思うのに。

 今更なんでって。


 そんなことがぐるぐるぐるぐる、頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。


「紅茶にしてみたよ」


 安藤さんの声にはっとして気を取り直すと、真亜子さんお気に入りの紅茶の香り。

 この間あたし用にって一缶分けてくれた。


 両手でカップを包むと、ほっとできる温かさ。


「いただき、ます」


 紅茶ならお砂糖もミルクもなし。熱い紅茶が一口分おなかまで降りて、一心地。


 片方の肩だけ濡れてしまっていたカットソーは、今窓辺にゆれている。

 代わりに貸してもらった安藤さんのTシャツは、着心地がいいけど大きくて。袖がひじの辺りまであった。

 少しだけ、安藤さんのニオイがする。


 今日みたいな天気、もう冷房をかける必要はなくて。高い天井の真ん中で大きなファンがゆっくりと回ってるだけ。

 いつものBGMも今日はなくて、途切れることのない雨の音だけが部屋の中に響いていた。


 今日の作業は、もうないのかな。

 きちんと整頓されたアトリエ。机の上にも作業途中のものはひとつもなくて、すっきりとしたもの。


 奥の部屋で着替えたとき。

 見慣れない大きなキャリーケースがあったことを唐突に思い出した。


 ぞくっと。寒気とは違う何か感じて、安藤さんの顔を見る。

 彼は、少し困った顔をして笑っていた。


「ダイジョウブ?」

「……」


 なんだろう、この嫌な感じ。


「……どうしたんですか?」


 ろくに返事もしないで。反対に安藤さんに聞き返した。


「……ちょっとね。美咲ちゃんの様子が変なのも気になるんだけど、話しておかなくちゃならないことがあって」

「あたしは、平気です。ちょっと気になったことがあって、でもそれは安藤さんのことに比べたらなんでもないことなんで、気にしないで教えてください。なにか、あったんですか?」


 そう。進藤の言ったことなんてちょっとした冗談かもしれなくて。


 安藤さんのことに比べたら、本当になんでもないことだと気づく。


 何を言われるんだろうと身構えるあたしの顔をしばらく見てから、安藤さんが口を開いた。


「突然でびっくりさせてしまうけど」


 不吉な前置きだった。


 ゆっくりと眼鏡を外すしぐさに見とれるのを忘れるぐらい、胸が騒いだ。

 ガラスを通さない、まっすぐナチュラルなまなざしがあたしだけに注がれる。


「3ヶ月ほど、海外に彫金の勉強をしにいくことになったんだ」


 3ヶ月。


 海外。


 安藤さんの継げた言葉は太字で脳裏に刻み込まれたのにもかかわらず、それが何を意味しているのか考えることが出来なかった。


「美咲ちゃん?」


 心配そうな声に、はっとして視線をそらした。


 いなくなる?


 胸に穴が開いたような気がした。


「い、いつからですか?」

「日曜の夕方の飛行機に乗っていくよ」

「日曜……」


 今日が木曜。あと二日しかない。


「……っ」


 行かないで、と。

 思わず声が出そうだった。


「6月ごろから話はあったんだけど定員オーバーで申し込めなくて。キャンセル待ちで登録しといたら、二日前に繰上げで受講できるから来ないかって連絡が来たんだ」

「そう…なんですか」


 とてもじゃないけど、安藤さんの顔は見れなかった。


 目が合っただけで、あたしの考えてること全部を見透かされてしまう。


 安藤さんの尊敬する日本人のアーティストが海外で活躍してるんだと前に聞いたことがあった。チャンスがあればその人の指導を受けたいと。


 安藤さんと話をしたことは全部あたしの頭の中にちゃんとメモリーされていて。

 今あたしに話してくれているのが、すでに決まったことの報告でしかないのもちゃんと理解できていた。


 だから。


 寂しいから行かないで、なんて言うのは。ただ安藤さんを困らせるだけ。


「身体に気をつけて行ってきてくださいね」


 にっこりと。

 作った表情を顔に貼り付けた。


このエピソードの中に、「RAIN」の「傘の下に心ふたつ」を挿入しました。

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