それでも、君と並びたい
踏み出す、というのは、
怖くなくなることではありません。
怖いまま、
それでも選ぶこと。
言葉にすれば壊れてしまいそうで、
それでも言わずにはいられなかった気持ちを、
そっと差し出すこと。
これは、
勇敢な告白の話ではなく、
臆病な二人が、同じ方向を向いた話です。
図書館の奥の席で、
佐伯 恒一は、ページを一行も読めないまま座っていた。
心臓の音が、うるさい。
——決めたはずなのに。
水野 玲奈は、いつもと同じ時間に現れた。
いつもと同じ黒いパーカー。
でも、今日は少しだけ違って見えた。
隣に座ると、自然に会話が始まる。
アニメの新作。
次のイベント。
他愛のない話。
それなのに恒一は、
その全部が「最後の普通」みたいに感じていた。
帰り道。
夕方の空は、少し赤い。
人通りの少ない道に入ったところで、
恒一は立ち止まった。
「……あの」
声が、思ったよりはっきり出た。
玲奈も足を止める。
「……もし」
一度、言葉を切る。
「……もし、嫌だったら……今すぐ、忘れてください」
玲奈は、何も言わず、待っていた。
急かさない。
それが、いつもの彼女だった。
恒一は、拳を握った。
「……僕は、まだ……怖いです」
「人目も……距離も……恋人って言葉も……」
全部、本音だった。
「……それでも」
顔を上げる。
初めて、きちんと彼女を見る。
「……玲奈さんと、一緒にいるのを……やめたくないです」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……恋人って……呼べなくても」
「……普通じゃなくても」
「……それでも……隣にいる権利が、欲しいです」
告白だった。
不器用で、回りくどくて、逃げ道だらけの。
沈黙が落ちる。
長く感じたけれど、
玲奈は、やがて小さく息を吸った。
「……ずるいですね」
そう言って、少し笑った。
「それ、断る理由……ないです」
恒一の肩から、力が抜けた。
「私も、怖いですよ」
玲奈は続ける。
「恋人って言葉も、期待されるのも」
「でも」
一歩、近づく。
「恒一さんの隣がいいって気持ちは……ずっと本物です」
そっと、手を差し出す。
「……ゆっくりで、いいです」
恒一は、迷わなかった。
その手を取る。
前よりも、しっかりと。
「……はい」
それだけで、十分だった。
帰り道。
手を繋いだまま、歩く。
「……私たち、今……」
玲奈が言いかけて、止まる。
恒一は、少し考えてから答えた。
「……付き合って、ます」
言えた。
玲奈は、少し驚いてから、嬉しそうに笑った。
「はい。付き合ってます」
キスは、まだない。
未来の約束も、たくさんはしない。
それでも——
この一歩は、確かだった。
怖さを抱えたまま、
それでも選び合った。
それが、この二人の恋の始まりだった。
第6話で、
二人は「恋人」という言葉に辿り着きました。
派手な演出も、
情熱的な約束もありません。
あるのは、
怖さを共有したまま、
それでも一緒にいると決めた事実だけ。
それはきっと、
誰よりも誠実な選択です。
恋は、
強くなることじゃなく、
弱いままで並ぶこと。
この回が、
二人の物語の“始まりの線”として、
心に残ってくれたなら嬉しいです。




