それをデートと呼ぶには、まだ怖い
一緒に出かけることは、
ときに、手を繋ぐより勇気がいります。
人の多い場所。
予想できない出来事。
逃げ道が少ない時間。
それでも——
「一人じゃない」と知っているだけで、
進める距離があります。
これは、
怖さを抱えたまま外へ出た、
小さな冒険の記録です。
「……今度の土曜日、時間ありますか」
その一言を口にするまでに、
佐伯 恒一は三日かかった。
水野 玲奈は、少しだけ驚いた顔をして、
それから、いつものように静かに笑った。
「ありますよ」
それだけで、胸の奥が温かくなった。
「……あの、駅前の、ショップ……」
「アニメイトですね」
即答だった。
恒一は、思わず小さく笑ってしまった。
緊張で固まっていた肩が、少しだけ緩む。
「……一緒に、行きませんか」
それはデートの誘いだった。
でも、彼はその言葉を使えなかった。
土曜日。
人の多い駅前で、恒一は立ち尽くしていた。
——人、多すぎる。
視線。声。距離。
一気に情報が押し寄せてくる。
「……恒一さん」
その声に、すっと現実に戻る。
玲奈は、少しカジュアルな服装で、
リュックにはいつもの缶バッジ。
「来てくれて、ありがとうございます」
その言葉に、
“誘ったのは自分だ”と思い出し、背筋が伸びる。
店内は、さらに人が多かった。
恒一の呼吸が、浅くなる。
そのとき、玲奈が小さく言った。
「……無理そうだったら、すぐ出ましょう」
責めない。
残念がらない。
選択肢を、ちゃんと残してくれる。
「……大丈夫、です」
そう答えた自分に、少し驚いた。
二人は並んで棚を見る。
新刊。フィギュア。イベント告知。
「これ、前に話してたやつですよね」
玲奈が、そっと商品を指さす。
距離は近いけれど、触れない。
それが、今の安心ラインだった。
レジに並んでいるとき、
後ろの人に押されて、恒一が一瞬よろけた。
反射的に、玲奈が袖を掴んだ。
一瞬の接触。
すぐに離れたけれど、
恒一の心臓は、ちゃんと持ちこたえた。
「……ごめんなさい」
「……いえ」
怖くなかった。
店を出て、ベンチに座る。
「……楽しかったです」
玲奈が、少し照れたように言う。
恒一は、しばらく考えてから、正直に答えた。
「……怖いけど……来て、よかったです」
玲奈は、嬉しそうに目を細めた。
「それ、最高の感想です」
帰り道。
今日は、手を繋がなかった。
でも、
別れ際、恒一は一つだけ、前に進んだ。
「……また、こういうの……行きたいです」
玲奈は、はっきり頷いた。
「はい。次も一緒に」
それは、
デートとは呼ばなかったけれど。
確実に、
恋人になる途中の一日だった。
第3話では、
“楽しい”より先に、
“怖いけど来てよかった”が残る一日を描きました。
デートらしいことは、ほとんどしていません。
手も、繋いでいません。
でも、
断られないこと。
急かされないこと。
「また」を約束できたこと。
それら全部が、
彼にとっては大きな前進です。
恋は、
イベントを消化するものじゃなく、
安心を積み重ねるもの。
そう感じてもらえたら、嬉しいです。




