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6話 麗しの花は涼しげに唆す

 龍宮りゅうぐうの入口でも息を呑んだが、禁苑きんえんはまた格別な美しさだった。

 小さな街のように様々な屋敷が点在し、それぞれの屋敷にある庭は「花達」の好む植物を植えて着飾られている。すれ違う人々は皆女人で、どの人もやはり美しかった。違う事があるとすれば、明らかに龍族りゅうぞくではない獣族けものぞくの者もいる事だ。

 咲夜さくやが歩いている少し先で、龍にはない獣の耳が生えた女性が、同じく龍とは違う形の尻尾を生やした女性と談笑している。


「凄い……ますます別世界みたいですね」


 咲夜が感動している傍で、杏子あんずはすっと目を細めて声色を低くした。


「此処からは気をしっかり引き締めてくださいませね咲夜様。屋敷の内側以外は、戦場と心得ていただいて構いません」

「え?」

「まぁまぁ、そちらにいらっしゃるのは噂の新しい花の方?」


 ひどく抑揚のついた大きな声が何処からか聞こえたかと思うと、あちこちの女性が此方を見ている事に咲夜は気付いた。

先程まで談笑していた女性達も咲夜に気づいて奇異の目で見ている。先程の大広間で大衆の目に晒された時とも違う、もっと湿度があって、それでいて刺すような視線の痛さを感じる鋭さだ。


「……あ、」


 こういう場でどうするのが正解なのだろうかと戸惑っていると、先程の声の主がしずしずと咲夜の前まで歩いてくる。

 声の主も後ろに控えている女性達も揃いの長生蘭の髪飾りをつけていた。禁苑に咲く花とされる女性とその従者は、与えられた花の意匠を統一してつける事で差別化を図っている──というのは、道中に杏子から聞いた説明の内の一つだ。


「ご機嫌よう可愛らしい方。まぁ、本当に人間の方なのですね。お名前はなんて?」

「さ、咲夜と申します」

「咲夜様。私は麗花れいかと申しますの。この禁苑での暮らしは長いですから、わからない事があったらいつでも頼ってくださいませね」


 大人の女性の魅力溢れる麗花という女性は、尻尾もなく耳にも特徴はないが恐らく龍族の人間だろうと咲夜は思った。

 龍族の美しさとそこに孕む冷たさは特有のものがある。杏子自身も優しい人だとは思っているが、外見的な美しさには何処か冷たさを帯びている。


(季節で表すなら、龍族の人はなんだか冬の精……みたいな。そういう超俗的な綺麗さをしているんだわ)


 麗花の傍にも幾人か花と呼ばれる女性とその侍女達がいて、咲夜を煙たそうに見つめながらひそひそと何かを話していた。

 生まれた時からの能力の気味悪さから存在を疎まれた事はあるが、それを隠しても尚、自分という人間はそんなに疎ましいのかと思う程の嫌われぶりだと咲夜は自然と視線を落とす。

 すると、とん──と背中に何かが触れる。その僅かな衝撃に思わず顔を上げると、隣には毅然とした様子で麗花や他の面々を見る杏子がいた。咲夜の背中に触れたのは、杏子の手だ。



──しっかりなさい


 手の能力で気取っているわけではないので定かではないが、暗にそう言われている気がした。

咲夜の背筋が自然と伸びる。すると麗花の侍女が今度は気に入らなさそうに杏子を睨みつけた。


「貴女、無礼よ。誰の顔を頭も下げずに見つめているの」

「……ああ、私ですか?これは失礼を。私めも本日より咲夜様と共に入苑しました故。非礼をお許しください」


 お世辞にも失礼と思っている態度ではないと、この場の誰もが思った。

癇に障った様子の麗花がかっと何かを言いかけた所を、麗花が手で制す。


「およしなさい、お行儀が悪いですよ。禁苑にいる以上、誰もが花なのです。立場も長さも関係なく、皆礼儀を重んじるべきですわ。ねぇ?咲夜様」


 今度はお前の監督不行き届きだと言われている気がすると、咲夜は怖ろしさに閉口する。

 能力を使わずしても人の思っている事を察せる場面は幾度もあったが、こうも腹の中が黒い何かを悟る事は田舎では無い事だった。

 咲夜の代わりに杏子がにこりと微笑み返す。


「麗花様。申し訳御座いませんが、咲夜様は長旅と竜胆りんどう様へのご挨拶を終えて大変お疲れです。我が主を屋敷へと案内させてはくださいませんか?」


 竜胆という名前が出ると皆一様にぴくりと反応する。遠くでひそひそと話していた女性達も「竜胆様が?」「禁苑には殆どお越しにならないのに」と話し出す。

 何をどうしたらいいのかわからず、咲夜はただ姿勢良く立っているだけの人形と化しているが恐らく今はこれは正解なのだろうと杏子に全てを託す事にした。


「まぁまぁ、竜胆様が。お優しい方。来たばかりの花にわざわざ挨拶をされるだなんて」

「そうでございましょう。さすが我が龍族の長。私めも鼻が高う御座います。それでは、これにて」


 ああ、漸く解放されると思ったのも束の間。すれ違おうとすると、麗花が口を開く。


「お待ちになって。……咲夜様、華宴かえんの事はもうご存知かしら?」

「華宴?」

「ええ、そう。禁苑で欠かせない催事で、竜胆様もお越しになられるのですよ。花は皆おもてなしをし、自分達の技や美を披露します」



 その話は咲夜は初耳だった。杏子は余計な事を──と内心舌打ちをしたが、それに反して麗花は機嫌良さそうに笑った。


「もうじきの開催なんですの。良かったわ、咲夜様の入苑にゅうえんが間に合って。折角ですもの。ご自分を示されたいでしょう?」

「あ、え……っと」

「ああ。まだ何も決まっていないでしょうし、咲夜様は人ですから龍宮の事はおろか獣族の事もわからないのでしょう?色々やり甲斐がありますね?」


 華宴というものの仔細はわからないが、一つだけわかる事が咲夜にもある。

この宴に今のままで出ていけば、間違いなく自分も、そして何より親切にしてくれている杏子も恥をかくという事だ。

そして麗花もその周囲の女性達もまたそれを望んでいる。先程までの疎ましそうな雰囲気が一転して、歓迎してもいないというのに歓迎と偽って皆が微笑み出した。

杏子は溜息を短く吐きながら、麗花に向き直る。


「咲夜様はこの度の華宴には──」

「ありがとうございます。後のことは、彼女に聞きますので」


 気づけば咲夜はそう声に出していた。その声はやや上ずっていたが、麗花をしっかりと見据えていた。


「きちんとしたご挨拶が遅くなり申し訳ございません。改めまして私は咲夜と申します。皆様、どうぞよろしくお見知りおきください」


 深々と頭を下げてから、杏子に「行きましょう」と咲夜は声を掛ける。杏子は一瞬きょとんとしていたが、美しく微笑んで頷いた。

 それは、咲夜によくぞやったと言ってくれているかのような極上の笑みだ。それだけで今の咲夜は安心出来る。

 とにかく世話になっている杏子に少しでも嫌な思いはさせたくない。その場しのぎで、後から来る埋め合わせが怖いが、今は知らないふりをして麗花達の元を去った。


「よくやりましたね。正直見直しましたわ、咲夜様」

「わ、私は足が震えて上手く歩けません。禁苑って怖い場所なんですね」

「咲夜様が読んだ読み物でもそうではありませんでしたか?女の園は一筋縄ではいきません。何せ一人の殿方の寵愛を望む場所ですから」

「確かにそうだったかも……?べ、勉強します」


 確かに恐ろしかった。でも此処で今、普段自分がしない事が出来ているのは杏子の親切も勿論だが、相手が自分を無視しないからだろうなと咲夜は気づく。


(どんな意地悪より、打たれるより、いないものとして扱われるのが一番辛かったもんな)


 村での生活を振り返る。誰に挨拶をしても返されない、遊びの輪にも入れて貰えない。生きている価値があるのかと疑問に思う瞬間。知らない土地で気が大きくなっているというのもあるかもしれないが、あの地獄を思えば怖くてもまだ踏み出せる気がした。



(それでも、この能力だけは気づかれないようにしなくちゃ)



 誰の心も記憶も感覚も無遠慮に弄ってしまう、この忌まわしい手の事だけは知られてはいけない。

例え杏子にであっても──と、咲夜はきゅっと唇を引き結んだ。



 それから暫く歩いた先に、咲夜が住む屋敷が段々と見えて来る。

これまで歩いてきた時に見た屋敷達よりも古びてこじんまりとしているが、奥まった所に位置しているからか何処よりも静かだった。

小さな庭は長らく主人がいなかったからか荒れ果てている。その様を見て杏子は苦笑した。


「申し訳ございません。何せ急な話だったもので、本当に何も用意出来ていなくって。明日より咲夜様の屋敷や身の回りの事も整えて参ります」

「いいえ、とんでもない。寧ろ何から何までありがとうございました」

「今日はよくお休みくださいませ。……華宴の事も含め、明日から決めましょう」

「は、はい」



 屋敷の中に入ってあれこれ説明を受け、寝支度までを手伝ってくれた後で杏子は屋敷を離れる。屋敷でも一緒というわけではないのだなと少し心細くなったが、小さな子どもでもあるまいしと咲夜は首を横に振った。

 屋敷の中は一応掃除はされているようだが、前の主人の物などが置きっぱなしになっているようだった。

本当に急な入苑だったのだなと思うのと同時に、疑問が浮かぶ。


(こういうのって家の主人がいなくなったのだとしたら、早々に片付けてしまうものではないのかしら?)


 そうして次の屋敷の主を空にして待つ。その方が手間も省ける筈だ。

咲夜は辺りを見回す。たくさんの書物が置かれていて、時折子ども用の玩具が転がっていた。どうやら小さな子どもがいたらしい。

木製の音がなる玩具は、色褪せていたが振ってみると可愛らしい音がして、咲夜は目を細める。


(温かい場所だったんだな……多分)


 誰かが此処を残したままにしておきたいと思ったのだろうか。そんな事を考えながら床につくと、気づけば咲夜は眠りについていた。

 長旅と久方ぶりに多くの人と言葉を交わした疲れは、咲夜の華奢な体には身に余るものだった。


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