4話 龍はかくあれと思し召す
一体どのくらいの時間を要したのだろう。乗った事もない輿に入れられてから暫く、辿り着いたそこで咲夜は息を呑む。
「綺麗」
その場所は、まるで別世界のようだった。
青く薄暗い空は夜なのかと思わせるが、そこかしこに様々な色の灯りが灯っていて明るい。
生えている草花は馴染み深い緑色のものもあり見覚えのあるものもあるが、橙色や桃色など華やかな色合いの草花も多くある。
規則正しい長四角の形の石で緩やかに弓形に積まれた橋の下を潜ると、まるでお伽噺に出てくるような城が佇んでいた。
「……竜宮城みたい」
この朝か夜かもわからない薄暗くも明るい景色は、母が読んでくれていた竜宮城の物語の挿絵に似ている──と咲夜は辺りを見つめる。
子どもの頃に夢見た景色。水の下から地上を見上げているような感じだ。ぽつりと独り言を呟いた咲夜に老人の一人が驚いた様子を見せた。
「よくわかりましたな。そうです、此処は獣界では龍宮と呼ばれる所。竜胆様が治める城に御座います」
「獣界?あの、私はどうしてこのような所に?」
「人のいる世は人界、多種の獣族がいる世を獣界と言います。……人族は本当に何も知らんのですな」
咲夜は此処へ来るまでに老人から言われた言葉を思い出す。
『おめでとうございます。貴女は選ばれた。龍の加護を得た花に御座います。然らば、在るべき場所で咲かねばなりません』
迎えに来たという老人の放った言葉の意味を、まだ咲夜は理解していない。
しかし老人にその意味を求めても彼らは「詳しくは城にて」と言い、先を急ぐばかりだ。
此処へ連れて来られる前にしっかりと人対策用に手袋をし、一切詳細は話していない為、能力を何かしらに悪用しようとしているわけではないだろう。
ともあれ自分は、手当てした龍の涙の結晶「涙鱗」を持っている事で、老人達は動揺しながらも此処まで連れてきたという事だけはわかる。
抵抗するだけの力も無いので従ったが、結局この後どうなるかは咲夜には全く読めなかった。
城の中へ通されると、美しい女性達が立っており恭しく頭を下げて咲夜を迎える。そんな丁寧な挨拶を生まれてから一度もされた事もないながらに、咲夜はおずおずとそれに返す。
すると老人は「我々は此処までです」と言って踵を返し始めた。
「え、あ、あの。私はどうすれば。花とは一体なんなのです?」
「まずはお召し物を替えられませ。この龍宮にいる以上、相応しい姿でいて貰う必要があります。お召し替えが終わりましたら、その者達が案内します故」
「は、はい……」
この龍宮の人達は、老成された人でも皆一様に美しいが、同じく皆等しく冷たい。
会話をしようとしても会話が成り立たない。取り付く島もないような相手が絶対という雰囲気を咲夜は感じてしまい、気遅れてしまう。
村で感じた疎外感とはもっと別の何か。よそ者に対する冷たさが近い気がした。
「咲夜様。私共がお手伝いいたしますので、お召し替えを」
美しい女性達にされるがまま、咲夜は支度をしていく。
見たこともない程に大きく豪奢な湯殿、見たこともない化粧道具や着物、髪結いの飾り等に驚いている間にあれよあれよと時間が過ぎて行った。
湯浴みをさせられた時は仕方なく素手になってしまい、女性達が体を清める工程が腕かた手へと滑る辺りでやはり感情を気取ってしまう。
想像していた事だが、女性達の咲夜に対する心象は良いものではなかった。
『何故こんな小娘が?』
『しかも人間の小娘』
鋭く強い負の感情は、物理的な暴力よりも時に鋭く深く相手を打つ。女性達のその感情は、まるで積もった雪に素手のまま手を入れてしまった時の鋭い冷たさと徐々に肌を迫り上がるような痛みを咲夜に伴わせる。呼吸が浅くなる程の自身への強い嫌悪感を浴び、支度の長さや慣れない旅疲れもあり、咲夜は既に疲労困憊だった。
それでも何とか着替えの際にこれだけは──と強く懇願する。
「あの、手袋はそのままでいさせてください。母の忘れ形見なので」
それ自体は半分嘘だった。母の忘れ形見である着物を裁断して手袋にしたものだ。
美しい衣装と釣り合わないだろうと女性達は片眉を僅かに上げたが、田舎者らしく田舎臭い部分を残して笑われれば良いと心で思いながら、咲夜に再び恭しく頭を下げる。
そこまで読み取った上で漸く手袋が手に戻って咲夜はひと息吐く。一年以上、人の感情や記憶に触れて来ないでいられた分免疫が著しく低下している事を実感しながら、大広間に連れ出された。
「……っ、」
大広間の光景もまた物語の一幕のようだった。中央の奥まで続く毛氈の道。奥には細工の見事な腰掛けが一脚。
そしてその左右に城の主の従者であろう人々がずらりと並んでいる。その中には、咲夜を連れてきた老人達もいた。
此処まで世話をしてくれた女性達に耳打ちされ、咲夜は腰掛けの近くまで歩いてそこで座って待つように指示される。
手で気取るまでもない多くの人々の好奇の視線が咲夜を射抜く。まるで品定めをされているような、そんな視線に、咲夜は肩を震わせながら俯いてぎゅっと目を瞑り、胸元に忍ばせていた涙鱗をぎゅっと握りしめた。
(気をしっかり持って。此処まで来たんだから。それなら、あの龍が無事帰れたか聞かなくちゃ)
よくわからないなりにわかっている事がある。これはあの龍に絡んで招かれた事態だ。それならば自分は、せめて優しくしてくれた龍の安否を知りたい。
それ以外の事はわからない。いっそ誰かそれだけでも教えて欲しい。此処かあの龍の帰る場所で、あの龍は無事なのか。それさえ知れれば、もはや咲夜はどうでもいいと涙鱗を握りしめていると急に大広間に鈴音が鳴り響く。
その音と共に、腰掛けの横の襖が開いて青年が姿を表した。金糸の髪を高く結わえ、目元に紅を差し、紺色の着物を纏う青年はとても美しい顔貌をしている。
腰掛けに青年が座ると、傍に控える誰かが「竜胆様」と小さく声を掛けて耳打ちをした。無感動にその耳打ちを聞いた後で、青年が咲夜に目を向ける。
咲夜は其処で貴い身分の人を呆然と自分は見つめているという事に気づき、慌てて手をついて頭を垂れた。暫くして、青年の方から声がする。
「良い。面をあげよ、娘」
「…………」
凛とした通りの良いその声は、貴き人間という肩書きが無くても自然と背筋が伸びる。もはや何と返事をするのが無礼ではないのかもわからず、咲夜は言われるがまま顔を上げた。
青年の灰色の瞳と目が合う。これまで出会った龍宮の人々と同じく、寧ろそれ以上に美しい人だが、やはり同じように近寄りがたく読めない表情をしていた。
何も言わないなど無礼なと誰かがぼやくが、咲夜は変わらずどうしたらいいのかわからない。後ろに形だけ控えている女性達は咲夜に聞こえるか聞こえないかの僅かな笑い声を零しているだけだ。それらの雑音をかき消すように、青年──竜胆は口を開いた。
「改めて問おう。名は」
「さ、咲夜と申します」
「そうか。……遠路はるばるよく来た。疾くこの龍宮に慣れるよう」
「は、はい」
何が何だかわからないまま、とにかく失礼のないようにと頭を下げる。
そのすぐ後で「恐れながら」と物申す臣下の声に竜胆が視線だけを臣下へ投げた。
「発言を許す」
「竜胆様。此度の件はどういう事か詳細をお伺いしたい。よもや人間の娘を禁苑入りにされるなど」
「苑には龍族ではない者もいる。人間が入ってはならぬという掟はなかろう」
「しかし……っ、」
「私は」
食い下がろうとする臣下に対し、竜胆は短くそして強く区切るようにして自己を主張する。
びりびりとまるで雷にでも打たれるような威圧に咲夜も周囲もすっかり黙り込んだ。灰色の瞳は瞳孔を鋭くして臣下を見ている。
「同じ事を二度言う事は嫌いだ」
「は、はっ」
「これは私が花として一輪と数え、愛でると決めた者だ。私の決めたことは絶対。そうだな?」
「り、竜胆様の仰る通りにございます……!」
──愛でる
人生で聞いたこともない言葉に、咲夜は一瞬理解が追いつかなかった。しかし、その言葉を理解すると火がついたように羞恥と混乱で顔が熱くなる。
(ど、どういうこと?何がどうなってるの?)
目の前の美しい男性を咲夜は知らない。そして、この混乱を誰も落ち着けてくる説明を誰もしてくれない。
咲夜は誰に助けを求める事も出来ず、ただその場で狼狽える事しか出来なかった。発言すれば、誰かしらに窘められそうでそれもまた咲夜にとって恐ろしかった。
「……顔合わせは済ませた。皆も私の意向はよくわかった事だろう。その者には後で禁苑の案内役をつける。このまま此処で待て。他の者はこれにて解散とする」
他にも言いたい事はある者はいたようだが、竜胆の有無を言わせない圧に皆押し黙った。
見るからに彼は若く、従者達は老いた人もいるというのにどうやら頭が上がらないらしい。それほどの力を持つのが、この龍宮の長なのだと咲夜は事情を知らないながらに実感させられた。
(禁苑って何?また何処かへ私は連れて行かれるの?)
悶々と考えている間に気づけば大広間には咲夜一人になってしまっていた。
後ろを振り返っても、あの女性達はもういない。待つようにと言われていたが、どのくらいだろうと考えていると竜胆が現れて去っていった腰掛けの横の襖がすらりと再び開く。
其処から現れた人にびくりと思わず反応してしまったが、其処には銀髪の美しい女性が立っていた。白い着物に青い帯、珊瑚礁の簪をさした女性は風体も相まってまるで天女のようだ。
じっと咲夜を見た後で、にこりと愛嬌のある微笑みを浮かべた後で女性は頭を下げる。
「そう畏まらないでくださいませ。初めまして、咲夜様。私の名前は杏子と申します」
「杏子様」
「様はおよしください。咲夜様はいずれ私より目上の方になります。一時的ですが、僭越ながら私が咲夜様の側仕えをします。何なりとお申し付けくださいね」
「は、はい」
「では早速ですが、咲夜様。貴女様を龍愛ずる花の園「禁苑」へとご案内いたします」
自分の人生を物語とするならば、もう既に終わったと思っていたのに。まるで始まったようだと思ったのも束の間。
そう感じた傍から、物語は中心にいる自分さえ置き去りにする早さで次へと行ってしまう──と咲夜は動揺しながらも、仮初の側仕えである杏子の手を取った。




