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1話 少女は龍に巡り合う

──いにしえ、常前(じょうまえ)の淵に乙女を捧ぐる儀があった。

龍はこれを抱きて沈み、その涙は海を鎮めたという。

だが龍の慟哭どうこくは、今も淵に残ると語られる。



* * *


 六月の潮風は湿り気を帯びて肌を撫でるようにして通り過ぎていく。

咲夜さくやはその嫌な風を浴びながら、梅雨が本格化する前に作業を終わらせなければと朝に畑いじりをする。龍哭りゅうこくと呼ばれる古い言い伝えのある洞窟付近にある古い小屋暮らしを始めて、もう一年が過ぎようとしていた。


 潮風の来る此処は作物を選び、小さな畑には実りは少ないが海が荒くなければそこで食料となる貝や海の生き物を探す。

生まれた故郷である村は、母が亡くなってからこれを機にとあれやこれやと咲夜を言いくるめて追い出した。

 早逝した父と去年まで生きていた母が遺してくれた財の殆どは村の物となったが、住む場所も物も手放してしまえば諍いは起きない。

命を取られなかっただけマシだろうと咲夜は思いの全てを飲み込んで、小屋での暮らしを静かに営んでいた。




(なのに。どうしてこんな事に)



 ここ数日、何だか妙だ──と咲夜は眉を顰めながら自身の掌を見つめていた。

彼女が村を追い出された理由。それは触れた物の感情や感覚、記憶を気取るという力故だ。

 小さかった咲夜は力を隠す事の意味をきちんと理解するまでに時間が掛かりすぎてしまい、その時間は村人を気味悪がらせるのに十分だった。


 しかし読み取る人間がいなければ気味悪がられる事もない。この一年は穏やかにしていた。それだと言うのに、触れてもいないのに咲夜の両手は日夜何かを気取ろうとしている。

 それは龍哭と呼ばれる洞窟から夜な夜な唸り声のような風の音が聞こえるようになってから。掌が痺れるように熱くなるのはその音が鳴り、龍哭を咲夜が見ている時だった。

 かつては水難等の災害を鎮める為に生贄を捧げていた場所でもあり、今は気味悪がって誰も近寄らない場所だ。

そういう場所だからこそ、咲夜は此処に置かれていた。



ボォオオオオオオ──



 それは風が開いた大穴を通り抜ける音の筈。そうだと言うのに何かの叫び声に聞こえる。

だからこそ人々は「龍哭」と名付け、畏れ、誰も近寄らないでいた。村の大人は子どもが肝試しで入ろうとすると恐ろしい形相で叱りつける程だ。

しかし、今の咲夜には叱る大人も止める誰かもいなかった。昼間に灯りを持って洞窟へと入っていく。

ぽっかりと開いた洞窟の入口に入って行くと、六月だと言うのにとても肌寒く感じ中は真っ暗だ。灯りで左右や足元を照らしながら、咲夜は音の正体を確かめに進んでいく。

ざり、ざりっと足元のやや濡れた砂利を踏みしめる咲夜の足音だけが響いていた。



「……っ?」



 暫く歩いていると開けた空間に出た。すると足元がぼうっと光りだし、咲夜はびくりと肩を跳ねさせる。

しかしその光の正体に気づくと咲夜はおずおずと声を出す。



「これは、水?」



 洞窟の中に湖があり、真ん中に橋が一つ掛かっている。橋は恐らく儀式をしていた時代に掛けたものだろう。

そしてその橋の先の左側に、青く光る水辺で揺蕩う大きな何かがあった。それは喉をぐるぐると鳴らし、とぐろを巻いた体はゆっくりと上下に動いている。

 龍だ──と咲夜はその正体を見て息を飲んだ。龍などという存在は架空のものと思っていたが、眼の前にいるそれは確かに読み物等で出てくる龍そのものだった。

体はまるで螺鈿細工を思わせる真珠層のような鱗で覆われていて、青い湖面にも負けずにきらきらと輝いて見える。

最初は洞窟に反響する龍の呼吸とその大きさに恐怖していたが、その美しさのあまり龍の体表を自然と目で追っていた事で咲夜はある事に気づいた。大きな傷があり、出血しているのだ。



「大変!!」



 そう声に出すや否や咲夜は灯りをしっかり持ち直して古く長い橋を駆け抜ける。つき当たりに差し掛かると朽ちた小さな祠のようなものがあったが、今はそれを無視して龍の元へ急ぐ。

龍が浮いている水辺は浅く、よく見るとごつごつとした大きな岩場が台座のように龍を支えていた。足元が濡れる事も気にせず、咲夜は龍へ近づいていく。

 いざ目の前に近づくと、その大きさに恐怖したが、やはり傷が痛むのか龍はかなり苦しそうだった。



(こうして見ると龍の体表って魚にも似ているけれど……素手で触れてしまうと火傷してしまわないのかしら)



 この一年で生活の知恵も随分ついたが、さすがに龍への知識は皆無だ。触れたものの感情や感覚、記憶を気取るとは言っても龍にはその経験もない。

せめて触れる事で何か手がかりが得られれば──と考えていると、龍の顔はやや鱗が少なく地上にいる獣のような毛並みをしているのが窺えた。

此処なら平気そうだと手を伸ばしながらも、今までこの能力で散々な思いをしてきた過去がぐっと咲夜の内側から込み上げ、一瞬手が止まる。




(大丈夫、大丈夫。人とは違う)



 心が自分を守ろうとして仕舞い込んでいた嫌な記憶の蓋を開けて「これ以上わざわざ繰り返すな」と忠告してくるのを、ぐっと堪えて両手を握りしめ、呼吸を吐き出す。

それから意を決して龍に触れようと咲夜がゆっくりと手を伸ばすと、龍がかっと目を見開いて牙を剥き出しにする。

あまりの事に咲夜は声もなく尻もちを着く。体をやや起こすとそれだけで龍は高さもあり、威圧感も何もかもが別格だった。触れる事を嫌がっているのは明らかだ。

それはそうだろう。敵なのか味方なのか、まして同じ種族でもないものに窮地の際に手を借りたいかと言われれば咲夜自身も嫌だと思う。



「あ、の……何も怖い事はしないわ。私は咲夜って言って、此処の近くに住んでいる人間よ。貴方を傷つけたりしないから」



 何であれば此方の方が恐ろしいくらいなのだから、龍を傷つけるなんてとんでもない事だ。ただ自分は、もう静かに暮らしたいだけ。

 その為には龍を救わなければいけない。だからほんの少しでも触れさせて欲しい。牙を剥き出しにして威嚇し続ける龍に、攻撃する意思はないと何も持たない掌を下から見せてゆっくりと近づいていく。

 ふいに龍の首筋辺りに黒い靄が見えた。咲夜は気の所為だろうか?と思いながら、それを手で払う仕草をする。靄は払う仕草をした咲夜の手に絡み、嫌な湿り気を彼女に気取らせる。

 それはこの六月の潮風の湿り気にも似ているが、もっと明確に粘つく嫌な悪意を帯びていた。咲夜の頭に何かがぼんやりと浮かぶ。



(黒くて長い影。黒い龍?)



 しかしそれが具体的に何であるかを咲夜に読み取らせる前に、すぅっとその靄は消え去った。

そこからだ。龍が少し驚いた様子を見せてから、静かに顔を地につける。そうすると漸く鼻先が咲夜の手に届くようになる。敵意がない事を悟ってくれて嬉しいと、咲夜もほっと胸を撫で下ろす。



「ありがとう。ごめんなさい、ほんの少しだけだから」



 言葉を理解しているのか、龍の頭が頷くように僅かに動く。鼻の上辺りの白い毛をひと撫でする。やはり人の感情や感覚を読むのとは理屈が違うのか、あまり「何か」を掴みきれない。

しかし次第に痛みによる苦痛や、怒り、焦りがまるで滲み出るように龍から咲夜の掌越しに伝わってくる。咲夜はぱっと手を離した。

他者の感情に引きずられ過ぎると、咲夜の中で処理しきれなくなる。特に負の感覚や感情は強い。咲夜は一度その重たい感覚を逃がすように深呼吸をしてから龍を見た。




「まずは止血をしなくちゃ。えっと……鱗は人の手で触れると障りを貰ったりしてしまうのかしら?」



 龍は何も言わなかった。何となくそんな事くらいで影響はないというような態度に見え、咲夜は「じゃあ」と羽織を脱いで、龍の前に差し出す。



「辛い所ごめんなさい。良ければこの羽織を割いてくれない?これで貴方の傷の止血をするから」



 何の躊躇いも無くそう言う咲夜に正気か?とでも問うような表情を龍は見せる。言葉も交わさない、種族も違うというのに、ありありと表情で理解出来るのはこんな状況ながら何だか面白いなと咲夜は笑みを零す。思えば、一年以上人と会話もしていない。村にいた時もずっと人と話す機会は母と以外殆ど無かった。この異様な「会話」を自分自身楽しんでいる事に咲夜は気づく。

龍にはいい迷惑だろうなと思いながらも咲夜は言葉を続けた。



「良いの。私は帰れば着替えはあるけど、貴方の替えは無いんだから。止血をしたら、一度此処を出て何か食べる物を持って来るわね。食べられたら食べて」



 龍は暫くじっと咲夜を見た後、自分の中で何かを納得したのか咲夜の羽織を器用に前足で抑えて大きな牙でなるべく細かく縦に割いた。

それを繋ぎ合わせれば、大きくとも細長い銅をしている龍の傷口に巻ける包帯の完成だ。洞窟の水は澄んだ見た目をしていて、一度咲夜は匂いを嗅いで口に含んで大丈夫と判断してから龍の傷口を洗う。沁みるのか、龍は一度体を揺らしてから低く唸った。ぐるぐると喉を鳴らすだけで、この大きな洞窟の空間に響いて威圧感がある。

 この声が此処から抜けて地上に轟いたら──言い伝えの由来とは違うが「龍哭」と畏れられても納得するなと咲夜は傷を洗いながら考えた。

 漸く包帯を撒き終えて、そのまま龍に一声掛けてもう一度小屋へと戻る。来た時より洞窟がどんな順路か理解したからか、戻りは来た時よりも早く来られた。



「普段貴方は何を食べているのかわからなくて……お粥と、いつも私が畑に来る鳥にあげている餌を持ってきたんだけどどっちがいいかしら」




 まさか龍に振る舞うとは思っていないので、鍋一杯分の粥と大袋に半分ほど入った穀物を二つ並べて咲夜は龍に見せる。

龍は龍で一体何を背負ってきたかと思えばとでも思いながらその二つを見比べながら、粥の方に顔を向けた。

運んでくる間にやや冷めてしまったが、粥にそっと顔を近づけて匂いを嗅ぐと龍は僅かに目を細め小さく喉を鳴らす。



「お粥を食べるの?ふふ、一緒ね」



 なんだか共通点があるとより親近感が湧く。この異様な出会いさえ、一年独りでいたからか咲夜は心が弾んでいるのを感じた。

龍が食べずにじっと咲夜を見る。人からしたら龍は珍しいどころの存在ではないが、やはり龍からしても人は珍しいのだろうか。そう思いつつ、咲夜はじっと見つめ返す。



「……貴方の目、紫色の目をしていてとても綺麗。きっと元気になってね。私に出来る事はなんでもするから」



 人の目を気にせず静かに暮らす日々は、それはそれで穏やかなものだった。だがこうして何かと心を通わせる瞬間は得難いものがある。



『バケモノ』



 誰かがそう言った記憶が咲夜の脳裏を掠める。また心が閉じ込めている嫌な物をちらりと見せて警告しているのだろう。

村にいた時もそういう事は何度もあった。唯一の理解者だった母は、起きた出来事と積み重なる悲しい思い出に揺れる小さかった咲夜をいつも抱きしめて慰めてくれていた事を思い出す。



『人はね、臆病なの。だから違うものを怖がるし、傷つけられるとそうならないようにと心が過去の学びから自分を守ろうと思い出させるの。でも越えた先にしか得られないものもあって、生きてたら悪い事ばかりでもないのよ』

『母様も私も、いつもこんなに苦しいのに?』

『そうよ。こんなに苦しい先で、私は父様と貴女に会えたんだもの。大好きよ、咲夜』



 いざ母に先立たれて独りになると、本当にそうだろうかと母を疑ってしまった日もあった。

それでも、こうして独りでいた中で出会いがあるのならこれも越えた先にしか得られないものだろう。その出会いが、例え人ではなく龍であっても。咲夜はそう思う事にした。

暫く静かに龍が食事をしている姿を見つめながら、咲夜は母との温かな時間を久しぶりに思い出し噛み締める。目の前に広がる光景は相変わらず夢幻のようで、誰と会話をするわけでもないが、咲夜にとって暫くぶりに胸が温かくなる時間だった。


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