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英雄を戻さない制度

朝の鐘は、昨日よりも低く聞こえた。


王都の空気が重いのは、天気のせいじゃない。

期限がある。限界がある。火が燃え始めている。


机の上には、三つの紙が並んでいた。


魔導院――取引の期限は本日中。

教会――本日の祝福儀式、増加。協力要請、条件付き。

境界――小規模衝突、拡大の兆し。


紙は紙だ。

だが紙が動けば、人が動く。物資が動く。剣も動く。


俺は帳簿を開き、余白に書き込んだ。


――今日、決める。

――英雄を戻さないために。


胸の内側に、聖女の紙片がある。

「お願いがある」

あの一行は、祈りではなく警告だった。



境界からの伝令は、宿の階段を駆け上がってきた。


「後始末係! リュネアからだ!」


伝令の頬は赤く、息が切れている。

紙が差し出される。簡潔な報告。数字。時刻。場所。


――暫定補給路上で衝突。

――検査所で小競り合い。

――双方負傷者。

――偽勇者残党の目撃情報。


俺は紙を机に置き、指で時刻を押さえた。

時間が、もう削れている。


「偽者が絡んだのか?」


「はっきりは」

伝令は唇を噛む。

「ただ、“勇者の名”を口にした者がいたと」


勇者の名。

それは火に油だ。


暫定補給路は、現実の板だ。

板の上に物語を乗せれば、燃える。


「分かった。戻れ」


伝令が去ると同時に、今度は教会の使いが来た。

白い封筒。金糸の印。香の匂い。


「本日の祝福儀式は、追加されます」

使いは丁寧に言う。

「列が増えております。聖女様の……お身体が」


言葉の最後が揺れた。

揺れは、本当の恐怖だ。


「条件付きの協力要請、とあるな」


俺が封筒を示すと、使いは頷く。


「情報は外部に漏らさず。主導は教会。

 ……それが、聖女様を守るためだと」


守るため。

檻の言葉だ。


そして、最後に魔導院。

扉が叩かれるより先に、気配が部屋に入ってくる。


青い徽章。監視官。

勇者を嗅ぎつけた二人のうちの一人が、無表情で立っていた。


「返事を」


短い。

本日中、の言葉が口にされなくても、目に書いてある。


三方向から、同じ一文が押し付けられる。


――今日、決めろ。


俺は椅子に座り直し、深く息を吐いた。

決める。

ただし、物語の都合ではなく、現実の都合で。



紙は、戦場だ。

剣の代わりにペンを持つ。


俺は白紙を三枚取り出し、机の上に並べた。

一本の線でつなぐのではなく、三点セットにする。


勇者を戻さない制度には、勇者の代わりになる“受け皿”が要る。

受け皿がなければ、不安は暴力になる。賢者が言う通りだ。


受け皿は、祈りと補給と手順。

英雄ではなく、配分と連絡と責任。


A:祝福の分散――「祝福の配分表」

まず書く。聖女のお願いの核。


祝福を、対面一発の“奇跡”から、配分と優先の“運用”へ落とす。

聞こえは悪い。

だが、聖女が倒れれば祝福はゼロになる。現状は、使い潰しだ。


――緊急度分類。

――対象分類。

――予約制。

――祝福便(符付き聖具)の配送。

――代理儀式(聖女の祈りを媒体に乗せる)。

――偽造防止。


最後の一行に線を引く。

偽造。必ず突かれる。


教会だけでやれば、教会の権威が揺らぐ。

魔導院だけでやれば、信仰が死ぬ。


だから、二重にする。


教会印+魔導院符号。

祈りと制度を、同じ紙に同居させる。


B:境界の安定――「衝突防止手順書」

次に書く。暫定の板を厚くする。


――検査基準の標準化。

――通行証の様式統一。

――命令書の定型(偽勇者対策)。

――衝突時の連絡手順(誰が誰へ、何時間以内)。

――違反時の損失算定(物資、税、負傷者)。


最後の項目が重要だ。

現場が守らない?

守らない理由は、守らなくても痛みが見えないからだ。


痛みを数字にすると、動く。

賢者がいる世界では、特に。


C:勇者の“不在の合意”――「再招集停止の危機管理規程」

最後に書く。最も危険で、最も必要なもの。


――勇者再招集は、本人の意思が確認されるまで停止。

――緊急時は代替手順で対応(AとBの稼働)。

――意思確認は非公開の宣誓書として魔導院保管。

――公開は禁ず(物語化の抑止)。

――期限付き試験運用。更新制。評価制。


公開しない。

英雄本人の意思を公開すれば、物語になる。

「勇者は逃げた」でも「勇者は潔い」でも、どちらでも利用される。


だから、制度の内部証拠にする。

それが、脇役のやり方だ。


白紙が、白くなくなっていく。

インクの匂いが、戦場の鉄の匂いに似ていると思った。


監視官が机の向こうで黙って見ている。

その沈黙は、許可ではない。評価だ。


「……それが、返事か」


監視官が言った。


「返事じゃない」

俺はペンを置き、紙を揃える。

「反転案だ」


取引を飲むのではなく、取引の前提を変える。

勇者再招集ではなく、再招集停止の制度化。


監視官の眉が、ほんの僅かに動いた。


「賢者殿が受けるとは思えない」


「受けさせる形にする」


形。

ここでも、形がすべてだ。



俺は最初に教会へ向かった。

理由は単純だ。聖女の体が先に折れる。


大聖堂の側門は、昨日よりも人が多い。

列の長さが伸びている。

祈りが増えるほど、檻は厚くなる。


大司教は昨日と同じ応接の間にいた。

香も、窓の高さも同じ。

だが空気が違う。焦りが混じっている。


「また来ましたね、後始末係」


大司教は微笑む。

微笑みの型の下で、目が疲れている。


「聖女を守る案を持ってきました」


俺は即座に紙を出した。

祝福の配分表。


大司教は紙を見て、最初に眉をひそめた。


「……配分、予約、配送」


「祝福が増えすぎています」

俺は言った。

「このままでは、聖女が倒れます。倒れれば祝福はゼロです」


「だから守っているのです」


「守っているのは、聖女ではなく“列”です」

俺は言葉を選び、しかし引かない。

「列を維持するために、聖女の体を削っている」


大司教の目が細くなる。怒りではない。

正しさを突かれたときの、揺れだ。


「代理儀式など、冒涜に近い」

大司教は低く言う。

「祝福は、聖女がその場で祈ってこそ――」


「信仰の形を壊しません」

俺は紙の端を指で押さえる。

「教会印を中心に据える。配分表の最終決裁も教会。

 権威は落とさない」


大司教が沈黙した。

権威を落とさない。

その言葉は、教会にとって麻薬だ。


「偽造されます」


大司教が言った。


「だから二重にします」

俺は間髪入れずに返す。

「教会印に加え、魔導院符号。

 教会単独ではなく、魔導院と結ぶ。

 偽造する者は、両方の敵になります」


大司教の眉が上がった。

教会と魔導院を結ぶなど、危険だ。だが同時に強い。


「……あなたは、魔導院に近づきすぎる」


「現実が燃えている」

俺は境界の紙を机に置いた。

「境界が燃えれば、列はさらに増えます。

 増えれば聖女はさらに削れます」


大司教の指が、紙の上で止まる。

止まるのは、祈りではなく計算だ。


「条件があります」

大司教は言った。

「祝福便は教会管理。配分表は教会が最終決裁。

 外部に“聖女の限界”を漏らさない」


檻の条件だ。

だが、檻を一度に壊すことはできない。

今は板を厚くする。


「飲みます」


俺は頷いた。

勝ちではない。生存だ。



次に向かったのは魔導院。

賢者の机へ。

制度戦の本番。


面会室の長い机は、第五話と同じだった。

紙の山。押印具。

英雄譚はここで編集される。


賢者は既に座っていた。

目の前に、俺の取引書面が置かれている。

署名欄は空白のまま。


「返事は」


賢者の声は淡々としていた。

期限の音が混じっている。


「返事ではありません」

俺は三枚の紙を置いた。

「反転案です。勇者再招集ではなく、再招集停止を制度にします」


賢者は紙に目を落とし、静かに読み始めた。

読み終えるまで、時間は短い。

賢者は早い。紙から世界を切り取るのが得意だ。


「祝福便、代理儀式……」

賢者が呟く。

「偽造される」


「二重認証です」

俺は即答した。

「教会印+魔導院符号。偽造者は両方の敵になる」


賢者の指が、符号欄を叩く。


「現場は守らない」

賢者は次の紙へ移る。

「手順書など、机上の理想だ。境界の兵は疲弊している」


「守らない理由を潰します」

俺は損失算定の行を指す。

「守らなければ、誰がどれだけ損をするかを明記する。

 罰則ではなく、損失で縛る。現場は理屈ではなく痛みで動きます」


賢者は鼻で笑いかけて、やめた。

そのやめ方が、同意に近い。


「不在の合意」

賢者が最後の紙を持ち上げる。

「象徴の空白を生む。民は不安になる」


「不安は暴力になる」

賢者は自分で続けた。

第五話の理屈だ。


俺は頷いた。


「だから、不安の受け皿を作るんです」

俺は三枚を指で軽く揃える。

「英雄ではなく、手順と配分で」


賢者の視線が俺に戻る。

初めて、紙の外を見ている目だ。


「英雄の物語は必要だ」

賢者は言った。

「人を動かす。人が動けば、統治が保つ」


「物語は、現実を直さない」

俺は第七話の勇者の言葉を、別の形で置く。

「直すのは、運用です」


賢者はしばらく黙った。

黙っている間に、扉が叩かれた。


「境界から続報です!」


伝令が飛び込んでくる。

紙が差し出される。

衝突が一段悪化。負傷者増。検査所が一時封鎖。


時間が、また削れた。


同時に、教会からも使いが来る。顔色が悪い。


「聖女様が……」


言葉が途切れる。

途切れたままで十分だった。

限界が来ている。


賢者は紙を受け取り、目を走らせる。

そして、ゆっくりと息を吐いた。


「……妥協が必要だな」


賢者が妥協と言うのは、世界が崩れる直前だ。


「条件がある」

賢者は淡々と告げる。

「試験運用。期限は七日。

 監視官常駐。報告義務。

 評価が悪ければ、再招集へ戻す」


脅しではない。

出口の用意だ。賢者らしい。


「飲みます」

俺は頷く。

「ただし一点だけ」


賢者の目が細くなる。


「勇者再招集を前提にしない」

俺は言った。

「試験運用の前提は、再招集停止です。

 止めた状態で回るかどうかを測る。

 そうでなければ意味がない」


賢者は、しばらく黙った。

机の上の再招集計画書が、見えない圧を放つ。


そして、賢者はペンを取った。


「仮署名だ」

賢者は言う。

「魔導院として、仮に認める」


青い印が押される。


次に、教会の使いが別の用紙を出す。

大司教の承認印が押される。白と金。


机の上に、二つの印が並んだ。

そして、署名欄に空欄が残る。


――境界代表(都市側)。

後日追加。


空欄。

第五話で見た、勇者の空欄の署名。

あれは欠落だった。意思の不在だった。

だが今、この空欄は違う。


余白だ。

現場を入れるための余白。

物語ではなく、現実を入れるための余白。


俺は帳簿を開き、黒い印を付けた。


――仮署名成立。

――試験運用七日。

――監視官常駐。

――再招集停止を前提。


板が、少しだけ厚くなった。



魔導院を出ると、監視官が影のように付いてきた。

付いてくるのは当然だ。条件の一つだからだ。


「君は賢い」

監視官がぽつりと言った。

褒め言葉ではない。危険人物の評価だ。


「だが知っておけ。王都の官僚が、別案を走らせている」


俺は足を止めずに聞く。


「別案?」


「“勇者が自発的に戻った”物語を作る準備だ」

監視官は淡々と言う。

「制度ではなく、歌で統治する。早いからな」


胃の底が冷えた。

やっぱり来る。

物語は、制度が整う前に英雄を連れ戻そうとする。


そのとき、路地の方から子どもの笑い声が聞こえた。

昨日、勇者が木の匙を握っていた場所の方角だ。


笑い声の中に、違う音が混じる。

見知らぬ足音。

探るような視線の気配。


噂は、風より早い。

勇者の居場所は、嗅ぎつけられ始めている。


俺の手の中に、小さな紙片が滑り込んだ。

侍女からだ。聖女の追伸。


短い。


「ありがとう。でも、時間がない」


俺は紙片を握りしめ、息を吐いた。


英雄を戻さない制度を作るほど、

物語は英雄を連れ戻そうとする。


板を厚くした。

だが火は、別の場所から回り込んでくる。


俺は歩き出した。

次にやるべきは、紙の運用だ。

そして――英雄の“不在”を、物語から守ることだ。

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