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聖女は門を出られない

王都の朝は、鐘で始まる。

時刻を知らせる鐘ではない。祈りを集める鐘だ。


音が鳴るたびに、人が流れる。

広場から大通りへ、酒場から聖堂へ。

世界を救った英雄の歌よりも、今はその鐘の方が人の足を動かしていた。


大聖堂の前には長い列ができている。

戦災孤児が母親の裾を握り、負傷兵が包帯を巻いた腕を抱えて立ち、商人が帳面を胸に押さえている。

貴族の馬車すら、列の端で止まっていた。


「聖女様の祝福を受けられれば、今年は作物が――」

「息子の熱が下がらなくて……」

「境界が荒れていると聞いた。せめて守りの祈りを」


願いは様々だが、向かう先は一つ。

元・勇者パーティの聖女。


俺は列の外側を歩きながら、胸の奥でひとつの感情を確かめていた。

怒りでも、哀れみでもない。

――理解だ。


聖女は、もう人ではない。

王都を支える“機能”になっている。


賢者が言った。

「聖女は戻れない」


今なら、その意味が分かる。

彼女が門を出るということは、王都のこの列が途切れるということだ。

列が途切れれば、祈りが宙ぶらりんになる。

宙ぶらりんの祈りは、次に怒りへ変わる。


救われた後の世界は、救われる前より面倒だ。

賢者の言葉が、鐘の音に混じって響いた。



俺は大聖堂の側門へ回り、控えの書記に封筒を見せた。

王印と、魔導院の薄い青。

それでも、門は簡単には開かない。


「面会はできません」


書記は、柔らかな声で断る。

柔らかいからこそ、刃だ。


「確認したいだけです。聖女が“戻れない”という噂が――」


「噂ではありません」

書記は淡々と答えた。

「聖女様は公務中です。外出は許されません」


許されない。

誰に、か。

その主語を言わないのが、この場所のやり方だ。


「では、本人の意思は」


書記は一瞬だけ目を伏せた。


「あなたの身分では、そこまでの情報は……」


肩書きがない。

その事実が、ここでは壁になる。

王都で、俺はまた“補給係”に戻っている。

呼び出されても、守られない。


側門の内側には、護衛が立っていた。

剣ではなく、聖具を携えた護衛。

祈りの場を守るという名目の鎖。


その奥に、もうひとつ門がある。

厚い木扉。鍵穴。結界のように淡い光。


檻だ、と言えば簡単だ。

だが檻は悪意で作られるとは限らない。

ここにあるのは、善意と恐怖と希望が積み上げた檻だ。


「……呼び出し先は魔導院ではないのですか」


書記が、俺を試すように言う。


「魔導院からも呼ばれている」

俺は正直に答える。

「だからこそ、ここに確認に来た。

 聖女がいないまま、勇者を戻す計画が進むなら、境界はまた燃える」


書記は口を開きかけ、閉じた。

そして、低い声で言った。


「少し、お待ちください」


書記が奥へ消えた。

しばらくして戻ってくる。


「大司教が、お会いになるそうです」


胸の奥に、別の冷たさが落ちた。

聖女に会えない代わりに、檻を作っている者に会える。



通されたのは、祈りの間ではなく、応接の間だった。

香が焚かれ、窓は高く、外の音が届かない。

ここでは言葉が整えられる。整えられた言葉ほど、現実を縛る。


大司教は、年老いていた。

しかし衰えてはいない。

目の奥に、長い年月で磨かれた確信がある。


「あなたが、後始末係ですか」


大司教は微笑んだ。

その微笑みは、慈悲の形をしている。

だが形が整いすぎている。


「元・勇者パーティの補給係でした」

俺は頭を下げる。

「確認したいことがあります。聖女は、なぜ外へ出られない」


大司教は、驚いた顔をしない。

すでに質問が想定されている。


「外へ出られない、とは」


「“許されない”と書記が言いました」


大司教は手を組み、静かに頷いた。


「聖女は、民の希望です」


その言葉が、最初の鎖だ。


「希望は動けません」

大司教は続ける。

「希望が動けば、追いかける者が生まれます。

 追いかける者は群れとなり、群れは混乱となり、混乱は暴力となります」


理屈として、正しい。

賢者の理屈とは違うが、同じ正しさの匂いがする。


「聖女が外へ出れば、希望が抜け落ちます」

大司教は淡々と言った。

「王都が、聖女を失うのです」


俺は息を吐いた。


「本人の意思は」


大司教の指が、ほんのわずかに止まった。

止まったのは、言葉ではなく呼吸だ。

そこに、問題の核がある。


「意思より、役割です」


大司教は、はっきりと言った。

濁さなかった。

濁さない方が、強い。


「聖女は、世界を救った象徴の一つ。

 象徴は、人に戻ることを許されません」


許されない。

誰に。

――民に。教会に。国家に。

その全部だ。


「あなたは、聖女を“人”として見ている」

大司教は柔らかく言う。

「それは尊い。

 しかし人として戻した瞬間、救われるのは聖女一人。

 失われるのは、国の支えです」


大司教は善人に見える。

だからこそ危険だ。

悪人なら、殴れば済む。

善人は、正しさで縛る。


「……聖女が倒れたら?」


俺は核心を突いた。


「祝福が止まれば、希望はゼロになる」

言葉を置く。

「いまの運用は、聖女を使い潰す構造です」


大司教の目が、ほんの少し細くなる。


「我々は、聖女を守っております」


「守って、閉じ込めている」


大司教は否定しない。否定する必要がない。

守ることと閉じ込めることが同義になっている。


「聖女が一人の人間に戻るとき、国は聖女を失うのです」

大司教は同じ言葉を、もう一度言った。


その繰り返しが、祈りの型と同じだと思った。

あの笑顔が“祈りの型”に見えた理由が、今、腑に落ちる。



応接の間を出ると、廊下の奥からざわめきが聞こえた。

列の先で、小さな混乱が起きているらしい。


「子どもが倒れた!」

「道を空けて!」


人の声が交差し、香の匂いが一瞬、汗の匂いに負ける。


俺は足を止め、廊下の角からそっと様子を見た。


列の中で、小さな子が倒れている。

母親が泣きながら抱き起こし、周囲は動けず固まっている。

祝福を待つ列は、祝福が必要な者でできている。

だから一人倒れれば、全員が倒れかける。


「下がって」

静かな声が響いた。


人々が、波のように道を開く。


奥から、白い衣が見えた。

光の中に立つ人影。

護衛に囲まれていても、そこだけ空気が変わる。


聖女だった。


遠征のときと同じはずの姿なのに、違う。

鎧の泥はない。髪は整いすぎている。

目は……目だけが、昔のままだった。

疲れているのに、奥の光を消さない目。


聖女は倒れた子の額に手を当て、短く祈る。

言葉は聞こえない。だが空気が温度を変える。

子どもの呼吸が整い、母親が崩れ落ちる。


「……ありがとうございます」

母親が泣きながら言う。

聖女は微笑む。

その微笑は、やはり型だった。

けれど、その奥で彼女は……誰かを探しているように見えた。


視線が動く。

護衛の肩越しに、俺のいる角へ――。


一瞬だけ、目が合った。


聖女の唇が、わずかに動く。


「……エイル?」


声はほとんど聞こえない。

だが、俺の耳には確かに届いた。


胸の奥が、痛いほど鳴った。

檻の中の象徴が、俺を“人の名”で呼んだ。


護衛の一人が振り返り、俺の存在に気づきかける。

その直前、聖女は視線を逸らし、何事もなかったように次の祈りへ戻った。


列の空気が、また整えられていく。

混乱は“祝福”という言葉で包まれ、元の形に戻される。


そのとき、侍女らしき少女がすれ違いざま、俺の手のひらに小さな紙片を滑り込ませた。

指先が震えている。


俺は何も言わず、紙片を握りしめた。




大聖堂を出て、角を曲がったところで紙を開く。

短い文字。細い筆跡。

祈りの言葉ではない、生身の人間の字。


「戻れないの」

「勇者に、無理をさせないで」

「あなたがまだ帳簿を持っているなら、お願いがある」


紙を持つ手が、少し熱くなる。

聖女は無力ではない。

ただ自由がない。

そして、その檻の中からでも現実を見ている。


俺は壁にもたれ、目を閉じた。


賢者の机の上には、取引の紙がある。

制度に入れ、橋を燃えにくくする代わりに、無名のまま監視下に置かれる。


教会は聖女を檻に入れ、民の希望を保つ代わりに、聖女を“人”から遠ざける。


どちらも、安定の名で個人を固定する。

違うのは道具だけだ。

魔導院は制度で縛り、教会は信仰で縛る。


そして境界では、薄い板が揺れている。


俺は帳簿を開いた。

余白に新しい印を付ける。


――聖女、接触。

――拘束、確定。

――依頼、発生。


紙片の最後の一行が、胸の奥で繰り返される。


「お願いがある」


その願いは、祈りではなく現実だ。

現実は、いつも具体的で、重い。


俺は顔を上げ、王都の空を見た。

鐘の音が、また鳴る。


勇者の剣は世界を救う。

だが、聖女の祈りは世界を縛る。

そして俺の帳簿は――その両方の“後”を引き受ける。


懐の封筒を指で確かめる。

魔導院の取引の期限は、明日まで。


その日に、もう一つ通知が届いていた。

教会からの協力要請。

丁寧な言葉で包んだ、条件付きの要請。


そして、さらにもう一つ。

境界からの急報――暫定補給路で、小規模な衝突。


三つの火種が、同じ夜に揃う。


俺は帳簿を閉じ、深く息を吐いた。


物語は、進む。

だが現実の傷の深さは、俺の立つ場所で変わる。


――聖女の“お願い”を、檻の外へ出す方法を探さなければならない。

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