補給が止まる街
境界都市リュネアの城門は、思っていたよりも低かった。
だが、その分だけ厚く、無骨に積まれている。
人と魔族、その両方を拒むために作られた壁だ。
門前には行列ができていた。
商人、旅人、傭兵――顔ぶれは様々だが、誰もが苛立ちを隠していない。
「今日は無理だ。物資は全部、検査対象になる」
兵士の声は硬く、疲れている。
商人が抗議の声を上げる。
「検査は昨日もやっただろう! 腐り物が――」
「命令だ」
短く言い切られ、会話は終わる。
兵士の視線は鋭いが、余裕はない。
剣の柄を握る手に、力が入りすぎている。
城門の内側からは、街のざわめきが漏れ聞こえた。
人の声と、怒鳴り声。
活気というより、圧迫だ。
俺は列の端で、その様子を見ていた。
検査が厳しいのは、防衛のためだけじゃない。
補給が足りていないとき、人は過剰に守ろうとする。
門を抜けると、状況はさらに明確になった。
倉庫街は、静かだった。
扉は閉じられ、荷の積み下ろしもない。
かつて、遠征の拠点だった場所とは思えない。
代わりに目につくのは、巡回する兵士の数だ。
必要以上に多い。
だが、その目は街の外ばかりを向いている。
「魔族が動いているらしい」
通りの端で、そんな囁きが聞こえた。
「補給を止められたって」
誰も確かめていない。
だが、噂は真実のように広がる。
魔族の姿は、街のどこにもない。
それでも警戒だけが、街を覆っている。
俺は帳簿を開き、補給欄を見る。
数字は、予想以上に減っていた。
世界は救われたはずだった。
だがこの街は、救われた後の準備ができていない。
リュネアは、静かに息を詰めていた。
倉庫の扉は、軋む音を立てて開いた。
中は暗く、ひんやりとしている。
かつてここには、遠征用の食糧や装備が天井近くまで積まれていたはずだ。
今は違う。
棚は空き、床には埃が溜まり、鼠の足音だけがやけに響く。
俺は歩きながら、帳簿と現実を照らし合わせた。
「……減っている、というより――止まっているな」
数が合わないのではない。
流れそのものが途切れている。
倉庫番の老人が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「こちらからは、何度も問い合わせを出しました。
ですが、返事がなくて……」
「魔族側は?」
「向こうも同じだと言ってます」
老人は声を落とす。
「人の国が、一方的に約束を破ったと」
予想はしていた。
だが、実際に確認すると、胸の奥が重くなる。
俺は契約書を取り出した。
紙は使い込まれ、端が擦り切れている。
「勇者名義、か」
署名欄には、勇者の名。
そしてその下に、小さく俺の署名。
魔王討伐という“非常事態”のために結ばれた契約。
戦時特例。
期限は、討伐完了まで。
つまり――。
「終わったんだ」
俺の言葉に、老人が顔を上げる。
「え?」
「契約が。
勇者が魔王を倒した時点で、この取り決めは失効している」
老人は、しばらく黙り込んだ。
「じゃあ……魔族が悪いわけじゃ……」
「人も悪くない」
どちらも、約束を破ったつもりはない。
ただ、“物語が終わった後”を、誰も決めていなかっただけだ。
人の側は、こう考えた。
――魔王は倒れた。もう特例は不要だ。
魔族の側は、こう受け取った。
――勇者が消えた。人は約束を捨てた。
結果として、補給は止まり、
疑念だけが行き交っている。
俺は帳簿の余白に、新しい印をつけた。
「原因:形式消失」
戦争は、剣で始まる。
だが、再燃するのはいつも――
紙一枚の不備からだ。
この街の補給停止は、敵意ではない。
物語の“終わり方”が、間違っていただけだった。
倉庫を出ると、守備隊の詰所に呼ばれた。
呼ばれた、というより、呼び止められた、が正しい。
木机を挟んで向かい合うのは、リュネア守備隊長だった。
鎧は着たまま、兜だけを外している。
休む暇もないのだろう、目の下に濃い影があった。
「補給が止まっている理由は分かったか」
単刀直入な問いだ。
「形式の問題です」
俺は帳簿を机に置く。
「勇者名義の契約が失効している。それだけです」
隊長は眉をひそめた。
「それだけ、だと?」
「悪意はありません。
ですが、今のままでは誤解が誤解を呼ぶ」
隊長は椅子に深く腰掛け、腕を組んだ。
「……つまり、魔族が裏切ったわけじゃない?」
「少なくとも、意図的ではない」
短い沈黙が落ちる。
「だったら簡単だ」
隊長は顔を上げた。
「勇者を呼べ」
その言葉は、予想していた。
それでも、胸の奥がわずかに軋む。
「もう呼べません」
俺は静かに言った。
「勇者パーティは解散しています。
再招集の権限も、今は誰にもありません」
隊長の視線が鋭くなる。
「そんな話、聞いていない」
「聞いていないのは、現場だけです」
隊長は机を叩いた。
「現場が困っているんだ!」
声が荒れる。
「補給が止まり、小競り合いが起きている。
ここが崩れれば、次は戦争だ」
正論だ。
だからこそ、逃げ場がない。
「なら、どうする」
問いは、半ば詰問だった。
「魔族と話をつけろ。
契約に詳しいんだろう?」
その瞬間、理解した。
押し付けられる。
権限も、後ろ盾もないまま。
「俺は――」
「名も、肩書きもない」
隊長は言葉を重ねる。
「だが、お前は事情を知っている。
それだけで、十分だ」
十分なわけがない。
失敗すれば、責任は俺一人に降りかかる。
だが、断ればどうなる?
補給は止まり、疑念は膨らみ、
やがて剣が抜かれる。
俺は、帳簿を見下ろした。
そこには、俺の署名がある。
責任者:補給係。
選択肢は、最初から一つしかなかった。
「……分かりました」
隊長が、わずかに息を吐く。
「単独で向かいます」
「護衛は?」
「いりません」
武器を持てば、話は変わる。
今、必要なのは刃じゃない。
詰所を出ると、夕暮れが街を包んでいた。
人と魔族、その境界で、
俺は完全に挟まれている。
それでも、進むしかない。
英雄がいない世界で、
後始末を引き受けた者として。
境界線を示す石標を越えた瞬間、風の匂いが変わった。
人の国側よりも乾いていて、鉄と薬草が混じる。戦場ではなく、補給地の匂いだ。
魔族側の拠点は、砦というより倉庫の集合体だった。
壁は低く、角張っていない。防ぐためではなく、誤解を起こさないための造り。
見張りは多いが、動きは落ち着いている。
俺は歩調を緩め、両手を見える位置に出した。
武器を持っていないことを、言葉より先に示す。
「止まれ」
低い声。
影から現れた魔族の兵士が槍を構える。
だが、穂先は胸ではなく、地面を向いていた。
「用件を」
「話だ」
短く答える。
「勇者の代理か?」
その問いに、首を振る。
「違う。勇者パーティは解散した。
今日は“その後”の話をしに来た」
兵士の表情が、わずかに動いた。
すぐに合図が送られ、奥から一人の魔族が現れる。
年配の個体だった。
鎧は古いが、補修の跡が丁寧だ。
補給を預かる者の目――計算と現実を見ている。
「人の使者が、勇者を伴わずに来るとはな」
「使者でもない」
俺は帳簿を取り出し、差し出した。
「元・補給係だ」
魔族は一瞬だけ眉を動かし、紙に視線を落とす。
契約書。勇者名義。期限。
そして、下段の小さな署名。
「……なるほど」
低く息を吐く。
「補給が止まった理由は、裏切りではない」
俺は続けた。
「契約が終わっている。それだけだ」
魔族は紙を畳み、静かに言った。
「我らは、人が一方的に約束を捨てたと思っていた。
通達もなく、補給だけが止まったからな」
「人の側は、魔族が圧をかけていると考えている」
「どちらも、自分が切られた側だと思っているわけか」
苦笑に近い声音だった。
「勇者がいた頃は、すべてが彼を中心に回っていた」
魔族は空を見上げる。
「だが、勇者が消えた後の話を、誰も決めていなかった」
その言葉に、反論はできなかった。
「だから、ここに来た」
俺は一歩、前に出る。
「勇者の名を使わない。
だが、剣が抜かれない形を作りたい」
完全な解決ではない。
暫定でいい。
今日を越えるための形だ。
魔族の責任者は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頷く。
「……話を聞こう」
敵としてではなく、
当事者として。
ここで初めて、交渉が始まった。
地図は、粗末な木机の上に広げられた。
人の国側の倉庫、魔族側の補給拠点、そして境界線。
その間に引かれた線は、勇者がいた頃の名残だ。
「勇者名義を使わない」
俺は、はっきりと言った。
「その代わり、拠点同士を直接つなぐ。
都市リュネアと、ここの倉庫。
契約主体は、都市と補給拠点。個人でも英雄でもない」
魔族の責任者は、地図を覗き込みながら唸る。
「人の国が、それを認めるか?」
「認めさせる」
言い切りはしない。
「少なくとも、拒めない形にはする」
俺は帳簿を開き、白紙の頁を示した。
「暫定契約だ。
期間は短く、内容は最低限。
“補給の継続”と“境界での武力不行使”だけ」
「勇者の保証はないぞ」
「だから暫定だ」
魔族は腕を組み、考え込む。
「我らは、人の言葉を何度も裏切りと受け取ってきた」
「今回は、紙を残す」
俺は静かに返す。
「後で破られたとき、責任の所在が明確になるように」
沈黙。
長いが、拒絶ではない。
「……条件がある」
魔族の責任者が口を開く。
「補給路は、双方の立会いで管理する。
誰かが勝手に止めれば、即座に破棄だ」
「構わない」
その条件こそ、必要だった。
契約は、強さで守るものじゃない。
見える形で縛るものだ。
簡素な文言が、紙に記される。
署名欄に、英雄の名はない。
あるのは、
都市リュネアの印。
魔族補給拠点の印。
そして、責任者欄に小さく記された肩書き。
「調整役」
俺は、そこに署名した。
剣は抜かれなかった。
血も流れなかった。
だがその日、境界での小競り合いは止まった。
完全な解決ではない。
いつ崩れてもおかしくない、薄い板だ。
それでも――
その板があるかないかで、世界は大きく違う。
俺は帳簿を閉じ、深く息を吐いた。
勇者がいなくても、
世界は、少しだけ前に進める。
それを証明する、暫定解決だった。
城門へ戻る道すがら、夜の気配が街に降りてきていた。
焚き火の数が増え、見張りの交代が早い。
緊張は解けていない。ただ、爆ぜずに抑え込まれているだけだ。
詰所で簡単な報告を済ませると、守備隊長は無言で地図を見つめた。
境界線に引かれた細い線――暫定補給路。
それは剣より脆く、だが今は、唯一の橋だった。
「……勇者がいれば、楽だった」
独り言のような声だった。
誰に向けた言葉でもない。
俺は答えなかった。
答えれば、また歪む。
英雄の名は、便利すぎる。
夜更け、帳簿を開く。
「暫定」「再交渉必要」
赤い印を、二つ。
そして余白に、小さく書き足す。
――王都、動きあり。
昼に聞いた噂が、頭をよぎる。
勇者の再招集。
象徴をもう一度、現実に押し当てようとする動き。
窓の外で、城壁の灯が揺れた。
火は、いつだって同じ形で燃えない。
暫定の板は、いつか割れる。
そのとき、人はまた、剣に手を伸ばすだろう。
俺は帳簿を閉じる。
後始末は終わっていない。
むしろ、ここからが本番だ。
英雄が戻れば、問題は隠れる。
戻らなければ、露出する。
どちらに転んでも――
火種は、もう撒かれている。
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