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勇者の名を使う者たち

街道は、思った以上に静かだった。


王都を離れてまだ日も高い。行き交うはずの旅人の姿が少ないのは、偶然ではない。

俺は足を止め、前方に視線を向けた。


道の中央に、粗末な旗が立っている。

布切れに描かれた紋章は歪んでいたが、形だけは見覚えがあった。かつて、勇者パーティが掲げていた印だ。


その前で、数人の男が旅人を囲んでいる。


「――通行税だ」


低い声が、張りつめた空気を裂いた。


「勇者様の命令でな。世界は救われたが、治安維持には金がかかる」


囲まれた旅人は、荷袋を抱えた商人らしい。

顔色は悪く、抵抗の意思は見えない。剣に手を伸ばすことすら躊躇っている。


「……そんな話、聞いてません」


絞り出すような声に、男は鼻で笑った。


「知らなくて当然だ。英雄の判断は、いちいち下々に説明されない」


その言葉に、別の旅人が息を呑む。

勇者の名は、それだけで理屈を黙らせる力を持っている。


男たちは四人。

装備は寄せ集めで、鎧の継ぎ目も合っていない。

剣の持ち方も、戦場を知っている者のそれではなかった。


――にもかかわらず。


誰も、逆らえない。


理由は一つだ。

もし本物だったら、という恐怖。

そして、偽物だとしても、確かめる術がないという現実。


「さっさと出せ」


男が一歩、前に出る。

旅人の肩が小さく震え、荷袋の紐に手がかかった。


その瞬間、俺は街道の脇から姿を現した。


足音は立てない。

剣にも触れない。

ただ、状況の中に入り込む。


「少し、いいか」


声は抑えた。

だが、その一言で、空気が変わる。


男たちの視線が、一斉にこちらへ向いた。

旅人たちは、助けを求めるでもなく、ただ戸惑った顔で俺を見る。


「……誰だ、お前」


「通りすがりだ」


嘘ではない。


男は、俺の装備を素早く見回した。

剣はない。鎧もない。

帳簿を抱えた、場違いな男。


「関係ないなら、引っ込んでろ」


言葉は荒いが、刃は向けてこない。

彼らもまた、確信が持てていないのだ。


俺は一歩、近づいた。

勇者の旗と、旅人の間に立つ。


「確認したいだけだ」


「何をだ」


「その命令」


男の眉が、ぴくりと動いた。


「勇者様の名を使う以上、形式がある。

 それを確かめたい」


沈黙が落ちる。

短く、だが重い沈黙だ。


英雄譚は終わった。

だが、英雄の名は、まだ人を縛っている。


そして今、その名が、歪んだ形で使われていた。



沈黙の中で、風が旗を揺らした。

粗末な布に描かれた紋章が、ぱたぱたと音を立てる。

それは勇者の印に似ていて、しかし決定的に違っていた。


「形式、だと?」


男の一人が吐き捨てるように言った。


「勇者様の名があれば十分だろ。

 命令書だの印章だの、細かい話をする必要はない」


俺は首を振った。


「ある」


短く、断言する。


「勇者は象徴だ。象徴ほど、形式に縛られる。

 それを知らないのは――使ったことがない証拠だ」


男たちの視線が鋭くなる。

だが、誰も剣を抜かない。


俺はゆっくりと帳簿を開いた。

紙の擦れる音が、妙に大きく響く。


「遠征中、勇者名義の命令は三種類あった。

 王都発行の正式命令、現地対応用の限定命令、

 そして、補給・交渉用の仮命令」


旅人たちが、息を呑むのがわかった。

そんな区分があるなど、知らなくて当然だ。


「通行税を徴収するなら、最低でも限定命令が必要だ。

 封印は赤。文言は定型。

 “勇者様の命令でな”なんて書き方は、使われない」


男の喉が、わずかに鳴った。


「……細かすぎる」


「現実は、いつも細かい」


俺は帳簿から一枚の紙を取り出した。

遠征時に使われていた、写しだ。


「この様式を知っているか?」


男は答えない。

答えられない。


「知らないなら、偽物だ」


俺の声は、淡々としていた。

怒りも、正義感もない。

ただ、事務的な確認だ。


「俺は名乗らない。

 剣も抜かない。

 だが、勇者のやり方は知っている」


旅人の一人が、ぽつりと漏らした。


「……じゃあ、あなたは……」


俺はその言葉を遮るように言う。


「関係者だ」


それ以上でも、それ以下でもない。


男たちは、じり、と後ずさった。

力では勝てる。

だが、ここで踏み込めば、嘘が露呈する。


この場で異質なのは、俺だ。

武器を持たず、名を名乗らず、

それでも、場を支配している。


勇者の物語を、内側から知っている者。

それが、俺の立ち位置だった。



「……だったら、どうだって言う」


男の一人が、苛立ちを隠そうともせずに言った。

剣の柄に手をかける。だが、抜かない。

抜いた瞬間に、“話”ではなくなると理解しているからだ。


「俺たちは、ただ徴収しているだけだ。

 勇者様の名を借りてな」


「借りるには、貸主がいる」


俺は帳簿を閉じ、静かに言った。


「勇者パーティは正式に解散している。

 名義は無効。

 命令権も、徴収権も、今は存在しない」


男の顔色が変わる。

それは恐怖ではなく、計算が狂ったときの色だ。


「嘘だ」


「なら確認しろ」


俺は、街道の向こうを指さした。


「王都の掲示板には、解散告知が出ている。

 境界都市にも、通達は回っているはずだ」


旅人たちが、ざわめく。

知っている者も、初めて聞く者もいる。


「それに――」


俺は続ける。


「不正徴収は、勇者の名を使った場合、罪が重くなる。

 象徴を汚した扱いになるからだ」


男の仲間の一人が、思わず声を上げた。


「おい、それ、本当か?」


主導していた男が、鋭く睨み返す。


「黙れ」


だが、もう遅い。

疑念は、内部から生まれた。


「今なら、勘違いで済む」


俺は、最後の一押しをする。


「旗を下ろし、金を返して立ち去れば、

 旅人たちは証言しない。

 “勇者様の名を使った”事実も、残らない」


沈黙。

重く、長い。


力で脅していた者たちは、力で守られていない。

彼らを支えていたのは、勇者の“物語”だけだ。


その物語が使えないと分かった瞬間、

構造は、音もなく崩れる。


「……くそ」


主犯の男が、舌打ちをした。


「帰るぞ」


誰に言うでもなく吐き捨て、踵を返す。

だが、仲間の一人が動かない。


「待て。金は……」


「後でだ!」


怒鳴る声に、亀裂が走る。


一人が旗を落とし、

一人が剣を捨て、

残った者たちは、視線を彷徨わせた。


俺は、剣を抜かない。

ただ、事実を並べただけだ。


嘘は、現実の前では長く立っていられない。


勇者の名を盾にした構造は、

その名が無効になった瞬間、

自壊する。


それが、戦わない追い詰め方だった。



男たちが街道の向こうへ消えていくと、空気がゆるやかにほどけた。

張りつめていた糸が、ようやく切れたような感覚だ。


旅人たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

誰も、すぐには声を出さない。

危険が去ったことを、体が理解するまで時間が必要なのだ。


やがて、商人らしき男が深く頭を下げた。


「……助かりました」


言葉は短いが、重みがある。

彼の手はまだ震えていた。


「勇者様に、必ずお礼を――」


「しなくていい」


俺は、即座に遮った。


商人はきょとんとした顔になる。


「え?」


「俺は、勇者とは関係ない」


嘘ではない。

もう、関係は終わっている。


「でも……あなたがいなければ」


「それでもだ」


感謝の矛先が、英雄へ向かうのを止める必要があった。

そうしなければ、歪みはまた別の形で続く。


旅人の一人が、不安そうに口を開く。


「じゃあ……あなたは、何者なんです?」


その問いには、少しだけ間が空いた。

名乗る肩書きはない。

勇者の仲間でも、王の使いでもない。


俺は、帳簿を閉じながら答える。


「後始末係だ」


ぽかん、とした沈黙。

だが、それでいい。


商人が苦笑する。


「変わった役目ですな」


「変わってるのは、世界の方だ」


思わず、そんな言葉が漏れた。


旅人たちは、金を回収し、荷を整え始める。

誰も、英雄の名を叫ばない。

その代わり、現実に戻る動作をしている。


別れ際、若い旅人が言った。


「……境界都市の方、大変だと聞きました」


俺の手が、わずかに止まる。


「補給が止まって、魔族と揉め事が増えてるって。

 勇者様がいなくなってから、余計に」


その言葉は、帳簿の中の印と、ぴたりと重なった。


「そうか」


短く返し、地図を取り出す。


英雄が去った場所から、問題は必ず噴き出す。

救われた側は、それを知っている。


そして――

助けを求める先が、もう英雄ではないことも。


俺は歩き出す。

次の歪みへ向かって。


後始末は、まだ終わらない。



街道を離れ、丘を越えると、遠くに城壁が見えた。

境界都市リュネア。

人と魔族の境目に立つ、かつての補給拠点。


夕暮れの光の中で、その輪郭はどこか歪んで見えた。

城壁の一部が崩れ、見張りの数も少ない。

戦いが終わった後の都市に、必要な手入れがされていない証だ。


俺は立ち止まり、帳簿を開く。

第一章の終わりに付けた、小さな印。

「補給停止」「契約未整理」「境界不安定」


旅人から聞いた話と、すべて一致している。


「……間に合えばいいが」


独り言が、風に溶けた。


街道の脇で、焚き火の跡を見つける。

人のものと、魔族のものが混じった足跡。

小競り合いは、すでに始まっている。


勇者が剣を振る場面ではない。

だが、放っておけば、剣が必要になる。


それが、世界の仕組みだ。


城門の方から、怒鳴り声が聞こえた。

距離はあるが、緊張の色が濃い。


俺は帳簿を閉じ、歩を進める。

次の歪みは、もう形を持ち始めている。


英雄譚は終わった。

だが、世界は終わっていない。


そして――

後始末は、いつも少し遅れて始まる。

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