符号と印
境界から届いた紙は、いつもの急報よりも薄かった。
薄い紙ほど、燃えやすい。
宿の机に広げると、そこに書かれていたのは「衝突」ではなく「失望」だった。
――祝福便が届いたが、効かなかった。
――受領者が暴れかけた。
――教会印はある。だが滲み方が違う。
――符号が微妙に違う。
祈りが効かないとき、人は怒る。
怒りは、剣より先に誰かを殺す。
俺は帳簿を開き、黒い印を付けた。
――祝福便偽造、発生。
――信仰炎上寸前。
――制度、初めて刺される。
扉の外で足音が止まる。魔導院の監視官が無言で入ってきた。
外套の青い徽章が、朝の灯りに鈍く光る。
「報告は見た」
監視官は短く言った。
「試験運用の穴だ。早急に塞げ」
「塞ぐ」
俺は頷いた。
「ただし、止め方を間違えると教会が燃える」
監視官の目が細くなる。
「止めるのか、続けるのか。どちらだ」
「両方やる」
俺は紙を指で押さえた。
「全面停止は反発が出る。祝福は“希望の配給”になってる。
だから“凍結”は部分的に。緊急度Aだけ対面。
B以下は仮受領。再認証が済むまで効力は保留」
監視官は息を吐いた。賛同ではなく、計算の呼吸だ。
「境界に通達する手順を作れ」
「今ここで作る」
俺は白紙を引き寄せ、筆を走らせた。
祝福便受領手順。印と符号の照合、立会人、受領記録、保管場所、トラブル時の連絡先。
書けば書くほど味気ない。だが味気なさが人を救う。
「この手順で、火は鎮める」
俺は言った。
「犯人を捕まえるのは、その後だ」
監視官が頷く。
制度の戦場では、撃つ前に消火が要る。
「……問題は、偽造がどこで混入したかだ」
監視官が言う。
「教会か、流通か、魔導院か」
「全部疑う」
俺は即答した。
「疑って、疑いを“形”にして切り分ける」
最初に手を付けたのは、燃え広がりを止めることだった。
俺は監視官の権限で、魔導院の通信室を借りた。
壁に貼られた線図には、王都から境界へ伸びる細い糸が何本も描かれている。
祝福便の路線もその一つだ。まだ新しい糸で、だから切れやすい。
「境界リュネアへ。受領手順を即時適用。
緊急度A以外は仮受領。再認証が済むまで効力保留」
伝令役の書記が読み上げ、符号を付けて送る。
送る先は軍ではない。都市の調整役と教会の支所だ。
“誰に送るか”が、暴力の向きを変える。
続けて、教会側にも通達する。
「祝福便は本日より一部凍結。
印章の照合基準を更新。滲み判定を追加。
符号照合は魔導院と共同」
教会は嫌がる。共同という言葉に、権威の匂いが混じるからだ。
だが今は、嫌がっている暇がない。
偽造が横行すれば、信仰が壊れ、聖女がさらに檻に押し込まれる。
通信を終えると、監視官が言った。
「次は“どこで混入したか”だな」
俺は頷き、魔導院の管理室へ向かった。
魔導院の管理室には、紙が眠っている。
眠っているが、夢は見ない。
記録は淡々と現実を刺す。
「符号発行ログを見せてください」
監視官が印章を出すと、管理官が扉を開けた。
中には棚が並び、巻物と帳面が整然と並んでいる。
世界が救われた後の混乱は、ここで整頓されている。
俺は祝福便の符号発行記録を照合した。
正規発行の符号、発行日、発行者、配送先、受領確認。
不一致はどこか。
「……ここだ」
一箇所だけ、符号の末尾が違う。
正規の末尾は「-7」。問題の便は「-1」。
単純な誤記に見えるが、誤記なら効力は出ない。
そして現場は“効かなかった”と言っている。
「つまり、偽造は符号を“それっぽく”写した」
俺は呟いた。
「符号の意味を知らない者が、見た目だけで作った」
「なら、魔導院内部ではない可能性が高い」
監視官が言う。
「内部なら意味を知っている」
「ただし」
俺は視線を上げる。
「内部から“見本”が流れている可能性はある」
監視官が黙る。
黙りは否定ではない。可能性の受領だ。
次は教会だ。
教会の印が本物か偽物か。
印が盗まれたのか、押した紙が抜かれたのか、写しが出回ったのか。
俺たちは大聖堂の裏手――印章管理室へ向かった。
香の匂いが濃く、扉は厚い。
檻の匂いがする場所だ。
印章管理官は、年若いが目が疲れていた。
「祝福便の偽造ですか……」
彼は声を落とす。
「聖女様のお名前が絡むものは、こちらも……」
「あなた方の面子は守る」
俺は先に言った。
「守るために確認する。印が盗まれたか?」
管理官は首を振る。
「印は毎日数を数えます。封印もあります。
盗難は……ないはずです」
「“ないはず”は危険だ」
監視官が冷たく言う。
管理官の肩が縮む。
俺は管理官に問う。
「押した紙の管理は? 押印済みの紙が抜かれていないか」
管理官は目を伏せ、棚の一つを開けた。
そこには押印済みの用紙の束がある。
押印済みで未使用――便利で、危険なもの。
「……数は合っています」
管理官は言う。
だが言い方が弱い。
「数が合うなら、写しだ」
俺は結論を置く。
「滲み方が違うという報告もある。印面そのものではなく、印影の模写」
管理官が息を呑む。
「印影は……外に?」
「外に出た」
監視官が言った。
「意図的に、あるいは不注意で」
俺は帳簿に印を付けた。
――偽造は印影模写+符号模写。
――内部情報の漏えい疑い。
――買い手の存在、濃厚。
偽造は危険だ。信仰を壊す。
末端の思いつきでは割に合わない。
誰かが“壊したい”か、“壊れてほしい”か。
そして、その“誰か”は――英雄の帰還を急ぐ勢力にとって都合がいい。
犯人を追うには、犯人の足ではなく、金の流れを追う。
祝福便は信仰の品だが、流通に乗れば商品になる。
俺は倉庫街へ向かった。
王都の裏側。物語の外側。
偽者はいつだって、裏側で作られる。
倉庫街の古い印刷工房――紙を扱う者が集まる場所だ。
監視官が同行していることが、扉を開ける鍵になる。
「魔導院の調査だ」
監視官が言うと、工房主は青ざめた顔で頷いた。
机の上には紙束、インク、版木。
祈りを偽造する道具が揃っている。
「最近、印影の依頼が増えたはずだ」
俺が言うと、工房主は唇を噛んだ。
「……増えました」
「誰が頼んだ」
工房主は首を振る。
「直接じゃない。中間です。
金だけ置いていく。受け渡しも指定された場所に……」
「相場より高いか?」
俺が問うと、工房主は頷いた。
それが、買い手の匂いだ。
「何を偽造した」
工房主は震える指で、布に包まれた紙を出した。
教会印の“それっぽい”押印。
滲みも再現されているが、どこか作り物の滲みだ。
人の手が“祈りの手つき”を真似した痕跡。
「……これを境界へ流した?」
俺が問うと、工房主は首を振る。
「うちは版を作っただけです。
押したのは……別の奴らだ。
俺は、ただ……」
ただ金が欲しかった。
ただ怖かった。
ただ“勇者の名が出れば売れる”と思った。
悪意は薄い。
だから根が深い。
監視官が低い声で言う。
「中間の受け渡し場所は」
工房主は震えながら紙片を差し出した。
指定場所。日時。
今日の夕方。倉庫街の外れ、廃れた祠の裏。
「……中間が来る」
俺は監視官を見る。
「網を張る」
監視官が頷く。
「ただし注文主は逃げる可能性が高い」
「逃がしていい。いまは火を止める証拠が要る」
俺は言った。
「中間を押さえれば、流通を切れる」
そして、もう一つ。
偽造を“成立させない”武器を作る。
「おとりを作る」
おとりは、雑だと燃える。
丁寧だと、相手が食いつく。
俺は教会印章管理官を呼び出し、条件を突きつけた。
「教会印は本物を使う。あなたが押す。
その代わり、印影が外に出た経路の調査に協力する」
管理官は蒼白になった。
「本物を? 危険です」
「危険じゃないと食いつかない」
俺は淡々と言う。
「ただし、符号は追跡可能な偽装符号にする。魔導院が付ける。
あなた方の面子も守れる。
“教会印は本物だった。だが符号で偽造を捕まえた”と言える」
監視官が補足する。
「二重認証の強化だ。試験運用の成果になる」
管理官は迷った。
迷いは、聖女の檻の厚さと同じだ。
だが最後に、頷いた。
「……聖女様の負担が減るなら」
その言葉が、現実の動機だった。
面子より先に、限界が来ている。
偽装符号は魔導院が作る。
見た目は正規に近いが、末尾に一つだけ罠を仕込む。
追跡できる印。祈りを追跡するための印。
夕方、祠の裏。
薄暗い倉庫街の隙間に、風が冷たく流れる。
俺と監視官は影に潜み、教会の実務担当が少し離れた場所で包みを抱えて立った。
包みは祝福便に見える。
見えるからこそ危険だ。
「……来た」
監視官が囁く。
足音が一つ。
次に二つ。
背の低い男が現れ、周囲を見回す。
目が落ち着かない。末端だ。
末端はいつも“自分が捨て駒だ”と知っている。
男は教会担当に近づき、小声で言った。
「荷は」
教会担当が包みを差し出す。
男が受け取ろうとした瞬間――
「動くな」
監視官が影から出た。
青い徽章が見えた瞬間、男の顔色が変わる。
逃げようとする。
だが逃げ道には、すでに別の影がいる。監視官の部下だ。
男は包みを落とし、膝をついた。
祈りが転がる音は、あまりにも軽かった。
「誰の注文だ」
監視官が問う。
男は震えながら首を振る。
「知らねえ……中間の俺は……」
「受け渡し先は」
「言えねえ……殺される……」
殺される。
その言葉が、注文主の存在を証明した。
俺は男の前にしゃがみ、低い声で言った。
「殺されない形にしてやる」
「……は?」
「お前が言わなくても、こっちは網を張る。
だが今言えば、お前の罪は“流通の末端”で止められる。
言わなければ“教会を冒涜した首謀者”として吊るされる。
どっちが生き残れる?」
男の目が揺れる。
揺れるのは、脅しが効いたからではない。
現実の損得が刺さったからだ。
「……次は」
男は唇を噛み、吐き出した。
「次は大聖堂だ」
その一言で、背筋が冷えた。
「どういう意味だ」
男は震えながら言う。
「……聖女の名前は、もっと高く売れるって。
“帰還の儀”の前に、祝福便が燃えれば、みんな……勇者を欲しがるって」
やっぱりだ。
祝福制度の破綻は、英雄再招集の口実になる。
物語を必要とする者が、祈りを壊して物語を作る。
監視官が男を立たせ、拘束する。
男は泣きそうな顔で、最後に言った。
「俺は……ただ金が……」
ただ金。
ただ怖さ。
ただ便利な嘘。
それが世界を燃やす。
偽造事件は、一旦沈静化した。
少なくとも、境界で暴れかけた怒りは“手順”で抑えられる。
教会は「偽造があった」とは大声で言わない。
魔導院は「二重認証を強化した」とだけ公表する。
面子と現実の、ぎりぎりの接点。
俺は魔導院の面会室で、賢者の代理に報告書を渡した。
監視官が同席し、印を押す。
「試験運用の成果としては悪くない」
代理が言った。
褒め言葉は、いつも不穏だ。
「ただし、次の舞台は大きい」
監視官が低く言う。
「大聖堂で“帰還の儀”が走るなら、制度は踏み潰される」
俺は頷いた。
「踏み潰されない形にする」
「どうやって」
答えは一つしかない。
公開の場で、物語の言葉を奪い返す。
だが公開の場は、刃物が多い。歓声も刃物になる。
宿へ戻る途中、白い封筒が手渡された。
教会の印。金糸。
嫌な予感は、いつも正しい。
封を切ると、簡潔な招待状が入っていた。
――帰還の儀。
――◯日後。大聖堂外庭。
――勇者殿の立会い、予定。
予定。
予定で英雄を動かす。
人を人ではなく、行事の部品にする言葉。
胸の内側で、紙片が震えた気がした。
聖女の声が、まだ届く。
「ありがとう。でも、時間がない」
俺は帳簿を開き、黒い印を付ける。
――偽造事件、一旦収束。
――背後に買い手の影。
――次の舞台:大聖堂。
――帰還の儀、◯日後。
窓の外で、鐘が鳴った。
今日も祈りは集められ、物語は準備される。
祈りを偽造できる世界では、
物語もまた偽造できる。
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