プロローグ 世界は、救われた。
魔王が討たれ、空を覆っていた黒雲は晴れ、街道には再び商人の列が戻った。
吟遊詩人たちは広場で歌う。勇者の剣、聖女の祈り、賢者の知恵。
物語はそこで終わったことになっている。
だが、石畳の裏に残された血の染みや、戻らぬ兵の名を刻んだ木札は、歌にはならない。
王都西門の倉庫で、俺――エイルは帳簿を閉じた。
魔王討伐遠征の最終報告書。
英雄たちの名前は金文字で記され、その末尾に、細い字でこう添えられている。
「補給係 一名」
それが、俺の役割だった。
剣は振れない。魔法も使えない。
できるのは数を数え、道を覚え、言葉を選ぶことだけだ。
だが遠征中、食料が一日でも遅れれば全滅していたし、地図が一枚間違っていれば勇者はここにいなかった。
それでも、解散式で俺の名は呼ばれなかった。
勇者は笑い、民は喝采し、世界は前へ進んでいく。
式の翌日、勇者パーティは正式に解散した。
残されたのは、未回収の物資、未払いの契約金、放置された約束、そして――救われたはずの世界が抱える、数え切れない歪み。
「これ、誰が片付けるんだ?」
倉庫の奥で、腐りかけた保存食を前に、俺は独りごちた。
答える者はいない。
英雄譚は終わった。
だが、後始末は始まってすらいない。
俺は剣を持たない。
名も称号もない。
それでも帳簿を抱え、外套を羽織り、王都を出る。
――物語は、ここから始まる。
勇者のいない場所で、脇役だった俺から。




