先生と僕_1
僕には、先生がいる。先生は僕より前に、こっちの世界に来ていて、僕に色々教えてくれた。生き物の名前、衣服から分かる人々の暮らしの様子、身一つで出来る遊び、先生の故郷の文字。時間は幾らでもあった。空腹も疲労も無い身体だけど、心は疲れるものだと、先生は言って、時々、睡眠もとった。
僕が問えば、先生は知っている事を教えてくれた。僕との交流は、暇つぶしで、気晴らしで、気分転換だと、先生は言っていた。
ある日、誰かが先生を訪ねて来た。その人は、先生の顔を見て、鬼の様な恐ろしい表情をしていた。怒りと憎しみ。人をここまで嫌いになれるものなのかと、僕は驚いた。
その人と先生は、あっちで何かあったらしい。先生が、その人の一番大切な人を殺しちゃったそうだ。先生は軽く謝罪しただけで、僕とのお喋りを続けようとしたので、その人は物凄く怒ってしまった。
「ですから、その節は失礼しましたと、言ったじゃないですか」
「人殺しが!罪がその程度で済まされると!?」
「ええ、罪を償ったから、私はここにいる訳ですし。しかし、あなたも随分と若く亡くなってしまったんですね、タック」
「...アイナも、その仇も居ない世界で、生きてる意味なんて無かったからな!ザイン!!」
二人の対話が進む中、風が吹き始め、砂が舞い上がる。砂は二人の手元に集まり、形を成す。タックと呼ばれた青年の手には槍が、先生の手には分厚い本が現れる。
先生が本のページを数枚、破って前方に投げるのと同時に、タックが槍先を先生に向けて突撃して来た。ガキンという金属同士がぶつかり合う様な音がして、先生の前に、ピンと張った貼り紙の様に空中へ浮いた本のページが、タックの槍を受け止めている。
「うおおおりゃあああああ!!」
タックが雄叫びと共に全身の力を槍に込める。ピシリという硝子にヒビが入る様な音がしたと思ったら、本のページが砕け散り、そのまま推し進んだタックの槍が、先生の胸の真ん中に突き刺さった。
先生の身体から血が流れ出る。更に先生は、肺に入り込んだ血をガハッと口から吐いた。
「あまり、子供に見せる光景ではありませんよ」
「死んでも血は出る見たいだな」
「ええ、そのうち元に戻りますが。痛いですけどね。お望みなら、全身火炙りにでもなって見せましょうか?」
「...それこそ子供に見せるんじゃねぇよ」
タックが槍から手を離すと、槍は砂に戻り、サラサラと崩れていく。先生の本も、いつの間にか無くなっていた。
先生は微笑んでいた。先程まで、殺し合い──もう死んでるけど──をしていたのに、懐かしい知り合いとの再会を喜んでいる様だ。一方、鬼の形相は何処へやら、タックは泣きそうな顔をしていた。
タックは、失敗したと考えていた。ザインの顔を見ただけで我を忘れ、生前の失敗を繰り返してしまったと、恥すら感じていた。
タックは、己の無力さを棚に上げ、都合の悪い事は全てザインに押し付けてしまった生前を、思い返していた。
──タックの一番大切な人である、妹のアイナは、ザインに恋心を抱いていた。始めは、少女の微笑ましい恋煩いであった。だが、アイナの愛は異常だった。
最初はザインの持ち物を欲しがった。次に衣服を、次に髪を、爪を、唾液を、皮膚を、血を。その欲求は、ザインを命の危機に追い込んだ。
ザインは止むを得ず反撃した、してしまった。それが致命傷となり、少女の命が失われた。裁判が行われ、ザインは死罪となった。
タックは責めた、アイナを殺したザインを。説得は出来無かったのか、止めることは出来無かったのか、もっと他に手は無かったのか。だが、その全てが、自分にも当て嵌ると考えてしまったタックは、同罪だと自ら命を絶った。
無意味な事をした。生きている時も、死んでも尚、ザインに迷惑をかけてしまった。これ以上、彼に甘える訳にはいかない。
タックは涙を堪え、ここから去ろうとしていた。ザインの前に居る資格も顔も持ち合わせていない。これ以上、死に恥を晒すのは御免だ。自分の成すべき事は、身内の暴走を止める事だ。アイナもこっちに来ているかもしれない。彼女をザインに合わせるのは危険だ。
タックは「気が済んだ」と言って、その場を去ろうとした。持ち上げようとした足が、妙に重い。ここから離れ難い心情を、自分は持ち合わせていたのだろうか。
己の感情に答えが出ないまま、足元に目をやると、タックの足に子供がしがみついている。
僕は、タックの足を掴んで離さなかった。
「ん?何だよ」
「めっっっっっちゃ、かっこよかった!さっきの、どうやるのか教えて!!」
「ザインに聞けよ」
「本より槍の方が、かっこいい!」
僕の言葉を聞いて、タックは笑い出し、先生は寂しそうに肩をガックリと落としていた。
この世界の砂は、ただの砂では無い。砂は、魂以外の全て、だと先生は言う。必要だと思う物に形を成し、不必要になれば砂に戻る。服も、武器も、身体も、血液も、全ては砂で出来ていると。
魂と砂以外に、この世界に唯一ある物、それは空に浮かぶ琥珀色の太陽だ。あの太陽が何なのかは、先生もタックも知らないそうだ。
登りも沈みもせず、ずっとそこにある。先生は、あの太陽が何なのか、調べていた時期もあるそうなのだが、今では諦めたと言う。
太陽を調べる旅の間に出会った人の殆どは、初めは裸で何もせず、砂の上に転がっていたそうだ。執拗に話しかけ、相手の言葉を学び、意思疎通を図る。その多くは無駄に終わったが、先生にとっては、それが当たり前になったそうだ。
「生きてる頃と、何にも変わって無くて、心配になってきた」
「ええー、生前より多くの言語を学び、習得しましたよ?」
「人の心は、死んでも学べ無かった様だ」
タックが、言葉の最初と終わりに溜息を吐きながら、生前と今の先生を比べている。先生はタックの返答に、どこか不服そうだ。
僕は、先生から言葉を学んでいたので、先生と同じ故郷のタックの言葉が分かるのが、とても楽しい。だが、タックの話し方は、先生と比べて荒く感じる。先生にその事を問うと、言葉の地域差によるものだと教えてくれた。
「私は余所者で、タックの故郷に移り住んで来たのですよ」
「その頃から、手当り次第に人から話を聞き出そうとする、節操無しだったぞ」
「もう少し、言い方があるでしょうに」
「だから、アイナに刺されるんだよ」
「...あの時は、流石に驚きました。ナイフを叩き落とす所までは良かったのですが、そのまま崩れて、机の角で頭を打つとは。私も未熟でしたね」
「誰も悪くねぇよ。しいて言うなら、アイナの運と惚れた相手が悪かっただけだ」
「ちょっと」
二人の会話は、聞いていて楽しい。でも、人が亡くなっているのだから、笑うと、その人に悪いだろうか。先生に聞いてみた。
「うーん、そうですね。我々も死んでいるとはいえ、これ以上、故人を蔑むのは止めておきましょうか。お互いに」
「そうだな。悪かった、ザイン」
「いえいえ、お互い様ですよ」
「ああ、そう言ってくれると助かる」
出会った頃とは違い、タックは落ち着いた雰囲気がある。頭に血が上ると、他が見え無くなる人なんだろうなと、僕は先生から教えてもらった知識で答えを出した。
タックの故郷の話を色々と聞いて、楽しくなってしまい、長々とお喋りしてしまった。先生から、「一度、睡眠にしましょう」と強制終了させられてしまう。起きたら続きを聞かせてもらう約束をして、僕は眠りについた。
子供が寝た後、タックはザインに子供と出会った時の事を聞く。子供の事と、ザインが出会った殆どの人が無気力だったという話が、タックは妙に気になっていた。
「こいつと何時から一緒に居るんだ?」
「結構長く居ますよ、正確な時間は分かりませんが。出会ってからあまり動いて無いので、この辺りの地面は落書きだらけです」
「おお、本当だ。そういや、こいつの名前は?」
「私も知りません。恐らく、名前が無いのかと」
「...そうか。なあ、こいつもまさか──」
「そうです。初めて彼と出会った時、彼は裸でした。言葉らしい言葉も話さず、私を見て笑う、赤子でした」
「赤子!?五歳くらいのアイナと変わらないぞ、こいつ!?」
「そうですね、成長──というより、変わったのでしょう。私たちの身体も砂で出来ていますからね」
「...必要になったからか」
「ええ、そうですね」
タックは何も考えずに眠っている子供の顔を見て、胸が苦しくなった。子供は、何も知らずに死んでいたのだ。子供には、この世界が全てなのだと。そして、この世界は全てが終わった後なのだと、子供に教えたであろうザインを殴りたくなった。いや、殴った。
「やっぱり、何も変わって無いじゃねぇか」
「懐かしいですね。あっちで何度、貴方に殴られたか」
「手の痛みも、あっちと変わらねぇや」
アイナに刺されそうになったのも、ザインが何か吹き込んだんじゃないのかと、タックは考え始めた。
「ザイン、今度はちゃんと責任取れよ」
「ええ、分かっています」
「...いや、俺も巻き込め。一人で抱えるより、二人の方が良いだろう。俺の故郷でも、産まれた子供は皆で育ててた」
「タック。貴方は、変わりましたね」
「成長と言ってくれ。取り敢えず、こいつの名前でも考えようぜ」
「ええ、楽しそうです」
子供が眠る傍らで、ザインとタックによって、新たな落書きが増えていった。
1話で、どれくらい読んだら満足感って得られるんですかね?三千字から五千字くらい? 書く側としては、千字くらいで諦めたくなるのですよねぇ。向いてないですね、物書き。




