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王女殿下の幸せな罰

掲載日:2025/10/19

 その日、クロードは初めて家庭教師から逃げた。隠れ場所は、離れと呼ばれる旧館の小さな古い書庫。通いの司書が次に来るのは明日だ。今日はそこに隠れてやり過ごすつもりだった。


 クロードはうんざりしていた。


 家庭教師に二つ上の優秀な兄エミールと比べられるのも、掌にうける鞭の罰も、つまらない授業にも全部が我慢の限界だった。


 暗い書庫にいたほうがよっぽどいい。しかし、ここは埃っぽい。自分の茶色い髪も目も灰色になりそうだ。あまりの空気の悪さにクロードは手で鼻と口を覆った。見つからないように、静まり返った書庫で息を潜めて蹲る。


 暗がりに一人でいると、ふと家庭教師の声が甦ってきた。


『クロード様、来年は学院入学が控えております。今のあなた様はペロン伯爵家次男としてあまりにも』


 思い出した説教を振り払おうと激しく頭をかきむしった瞬間、右からゴンと音がした。クロードは思わずヒュッと息を飲む。人の足音も気配もしない。恐る恐る辺りを伺うと、一冊の本が床に落ちていた。


 ほっとしたクロードは、そろそろと落ちている本に近づいた。その埃にまみれた古い本は近寄って見ると何処か違和感があった。そう、本にしては落ちたときの音が固かった。見た目も本にしては固く見える。拾い上げたクロードはその正体がはっきりとわかった。


「箱だ」


 本に見せかけた箱だった。落としたときに表面の留め具が壊れたようだ。クロードが開くと、大量の埃がモワッと舞った。顔を背けるのが遅れたクロードは盛大に咳き込んだ。ようやく落ち着いて見たのは、くりぬかれた中にある箱に収められた掌ほどの透明な板と、同じくらいの小さな風景画だった。


「何だ?」


 よく見ようとしたクロードが板に触れた瞬間、ブゥンと低い音を立てて透明な板が眩く光り始めた。


「うわあ!」


 驚いたクロードが手を離すと、本は開いた形で床に落ちた。しかし、透明な板は光り続け、光の向こうから何かが浮かび上がってきた。


 人か? 髪が長い?


 クロードが見つめるなかで眩い光が収まっていくと目の前に人が現れた。


 しなやかな銀髪に青い目の少女だ。同年代だろうか。一目でわかる高貴な立ち姿に美しい顔立ち。なのに髪は無造作に垂らされ、着ている服は平民のような簡素なものだ。飾り立てていないのにこんなに美しい少女は初めて見た。見とれるクロードに、突然少女はいたずらっぽく笑う。その落差にドキリとしたのも束の間、クロードはそれ以上の衝撃を味わった。


「クロード・ペロン! あなた、今ものすごく驚いているわね」


 初めて見た美しい少女が、自分の名前を呼んで嬉しそうに笑ったのだ。


「は、え? 何?」


 クロードは驚きで言葉にならない。美少女が自分の名前を呼んで親しげに笑うなんて。クロードのときめきをよそに少女は笑って答える。


「ふふふ。あなた、不意打ちに弱いとレスリーから聞いているわ」


 レスリー? 誰のことだ? 混乱するクロードが声を出す前に、少女は続けて話し始めた。


「いろいろと聞きたいこともあると思うけれど、これは記録水晶板に収められた過去の私よ。対話は出来ないわ」


 記録水晶板! 王宮に保管される古代魔道具じゃないか。何で家にある? そもそも何でこの少女はなぜ自分のことを知っているのか。クロードの戸惑いなど気にせず、少女はまた話し始める。


「今から、あの日私たちに起こったことを全て話すわ。長い話になるから、楽にして聞いてちょうだい」


 そうして語られた話は、クロードの想像を遥かに越えた出来事だった。



 あの日、シレン湖で有名なソワン領の馬場を視察に行ったのは、婚約者に送る名馬選びのためだった。私は婚約に気が進まなかったわ。お相手は気性の荒い方だったし、結婚なんてまだ先でいいと思っていた。だって『憧れの女性騎士ロージー』が側にいたから。そんな心の隙を狙われたのね。帰りに襲撃にあった。迎え撃ちながら逃げて逃げて森の中へ。私の側に残ったのは護衛のロージー・ブロック、レスリー・ペロン、セザール・ギルメットだった。女性騎士のロージー、敏捷で小柄なレスリー、騎士らしい騎士はセザールだけ。これはあり得ない事態よ。内通者がいたのでしょうね。追い詰められた私たちは最後の手段を取ることにした。


 レスリーと私の上着を取り替えて逃げたの。乗馬服を着ていてよかった。小柄なレスリーは私と同じ長い銀髪に、私に似た青い瞳だったから充分に誤魔化せるはずだと。レスリーは言ったわ。


「これは騎士らしくない自分の使命であります。来ない方がよい機会でしたが」


 青ざめる私に、レスリーはにっこりと笑って続けたの。


「ご安心下さい。この日のために、私とロージーは数々の騎士とは思えぬ戦い方を磨いてきたのです」


 その言葉にロージーとセザールは笑って頷いたわ。二人とも何の気負いもないよい笑顔だった。


 四人で顔を見合わせて頷いた後、


「ご武運を」


 声を会わせてそう言ったの。私だけが震えていたわ。


 次の瞬間、レスリーとセザールは駆け出して行った。少ししてから怒号と複数の走り去る音が聞こえたわ。完全に物音がしなくなってから、私たちは彼らと反対方向へ逃げた。念のため、土で顔や髪を汚して。


 森の中でどのくらい彷徨っていたのかしら。ふらついた私は何かに足を取られて滑ったの。その先に地面はなかった。


「殿下!」


 ロージーは落ちていく私を掴み、無理矢理抱え込んだ。何度か体に衝撃があって、気がつけば私はロージーを下敷きにして地面にいたわ。


「ロージー」


 体を起こした私が見たのは、傷だらけのロージーが頭から大量の血を流している姿だった。一目見て助からないことがわかって、私は取り乱した。


「そんな」


 ロージーの頭から血がどんどん流れていくのが本当に恐ろしかった。


「助けて、誰か、お願い」


 私はロージーの手を握って叫んだつもりなのに、声が出ていなかった。


「ああ、お願いします。女神様、こんな、ことは、どうか、ロージーを死なせないでください。どうか、どうか、」


 私はロージーから手を離さず譫言のように唱え続けた。


 声も出なくなった時に、この場所がやけに静かなことに気づいた。鳥の声も獣の気配もしない。しんと静まり返っていたそこに声が響いたの。


「それが望みか」


 声と共に光が差し、私は目を疑った。神殿に祀られた神々しいお姿が、光を纏ってそこにあらせられた。国中をあまねく照らす、運命の女神マリス様が私の前に降りられたの。


 女神様はそっとロージーに手をかざした。そこから柔らかな光が降り注ぎ、身体中の傷が全てきえていったわ。私は気づいていなかったけど、ロージーの後頭部は激しく損傷していたみたい。恐ろしい早さで元に戻っていった。ロージーはまだ目を覚まさないけれど、さっきより生気があるように見えたわ。


「その者は、死の淵より引き返してきた」

「女神様。心より、心より感謝いたします」


 厳かな女神様の声に、私は喜びに震えてひれ伏した。


「では、その身で我に報いよ。あれを」


 顔を上げると、女神様の手がある木を指している。葉の落ちた大木だった。見た感じ、枯れているのかもと思ったわ。振り向いて問う前に、女神様のお姿も光も消えていた。


「うう」


 すぐに隣で呻き声がしたの。


「ロージー!」

「殿、下」


 ロージーが目を開けてこちらに手を伸ばしていた。


「ご無事で」


 私は泣きながらロージーを抱きしめ、先程の女神様との話をした。ロージーは戸惑いながら聞いていたけれど、頭部に血がこびりついても怪我がないのですもの。信じざるを得ないようだった。


「あの木へいってみましょう」


 二人でそろそろと近づいていくと、予想を上回る大きさに驚いた。何の木はわからないけれど、古木と呼ばれるもののよう。ロージーの先導で周りを確かめるように歩く。


「洞がありますね」


 ちょうど私たちから見えなかった根本に大きな洞が開いていた。

 興味が沸いた私は覗き込んで言った。


「入ってみたいわ」

「動物がいるかもしれませんから」


 ロージーにやんわりと止められたのに諦めきれなかったの。そっと木に手を触れた時、ヴヴッと振動が伝わって何かの紋様が表れた。


「殿下!」


 慌ててロージーに引き寄せられるのと、木から強い振動を感じたのは同時だった。次の瞬間、私たちは暗い所にいて、バシャッという音で足元が濡れて冷たくなった。何が起こったのかわからなくて呆然としたわ。


 そのうちに目が慣れて、どういう場所かが見えてきたの。ここは岩肌に囲まれた洞窟のようで、足元には細い水がチョロチョロと流れていた。


「先程の木は、転移陣だったようです」


 ロージーは水を避けて岩肌を上り、私を引き上げてくれたわ。


「古代の魔導書に記されているとか聞いたことがあるわ。初めて見た」

「私もです」


 失われた魔法を目の当たりにして、私たちは混乱していた。それでも、足元の悪い岩場をひたすら進むしかなかったわ。


 そのうち微かな明かりがあるのに気づいた。


「苔が光っている?」


 岩場についた苔が一部分だけ光っていたの。この洞窟特有のものかしらね。暗闇のなかのそれがどれだけ頼もしかったことか。いつしか私たちはその明かりを辿るように進んでいたわ。


 私たちは懸命に進んだ。けれど騎士のロージーと違って、王族の私は長時間歩くのにも、足場の悪さにも慣れていない。何度も躓いてはロージーに支えられた。幾度めかに足を滑らせたとき、私を庇ったロージーが尖った岩で腕を切った。服の破れる音とロージーの表情が歪み、私ははっとした。


 私はすぐにロージーの腕の傷を確かめた。服が破れ皮膚が深く切れていたのに、血は一滴も出ていなかった。皮膚と同じ色をした裂け目があるだけ。驚いていると、傷が端から中央にかけて閉じていったの。瞬く間に傷口は滑らかな皮膚に戻ったわ。二人でしばらく唖然としていた。先に衝撃から立ち直ったのはロージーで、


「どうやら、私は、人ならざるものになったようです」


 そう言って、困った顔で笑った。私は何も言えなかった。立ち上がったロージーに手を引かれ、また見通しの悪い洞窟を歩き始めただけ。


 光る苔を辿りながら、私は罪の大きさに打ちのめされていた。私がロージーを死なせないでと願ったから。私が、ロージーを変えてしまった。


「ああ、やはり」


 ロージーの呟きが洞窟に響いた。


「殿下、私たちは光る苔に誘導されていたようです。ご覧ください」


 ロージーの視線の先には、光る苔とは違う色の小さな光があった。


「あちらから外に出られると思います」


 私はロージーの言葉に頷き、微かな光を目指して進んでいった。


 洞穴から出るとまた森だった。けれど、洞窟に入る前よりも木々が少なく明るかったわ。獣道にしては足元も歩きやすく、人に踏み固められていた様子があった。その道らしきものを進むと、突然開けた場所に出たの。


 そこには花畑が広がっていた。黄昏色の花が緩やかな斜面に美しく咲いていたの。私たちは疲れも忘れて壮観な景色に見とれた。近づいてよく見ると、その花は丸くて先の尖った葉がつき、長い茎の上に五つの花弁が広がっていた。花弁の外側に縁取られた赤から内側の淡い黄色に向かって色が徐々に移り変わっていた。


「きれいね。花の中にも夕焼けが閉じこめられているみたい」


 私がそう呟いた時、突然目が開けられないほどの光が降ってきた。思わず蹲る私にロージーが覆い被さった。


「そのままで聞け」


 厳かな声が響く。女神様が降臨なさった。


「我はそなたの望みを叶えた。そなたは我に報いよ。この花畑を増やさず枯らさず、いつまでも繋いでゆけ。それが報いである」

「お、お待ち下さい」


 私は不敬にも女神様に縋った。


「私はよいのです。ですが、私の騎士は、私の不徳の致すところ。どうか、彼女を人として生きられるよう」

「できぬ」


 女神様は短く告げられた。


「その者はもう助からぬとそなたも知っておったはず。そなたが死なせまいと願ったから叶えたまで。そなたの永い道行きの連れによかろうよ」

「恐れながら、永い道行き、とは」

「気づいておらぬか」


 女神様は短くため息をつかれ、私にこう仰られた。


「そなた、もう人にあらざる存在よ」


 あまりのことに固まる私に、女神様はお言葉を続けられた。


「そなたに解りやすく言うならば『魔女』が最も適切か。その身は老いもせず、死は遥か彼方。本来二人とも生きておらぬほどの有り様を、ここに留めるため人の理から外したまで。そなたを魔女、そなたの騎士をその眷属とした。此度の王家はまことに罪深き故に、そなたがその身で贖うがよい」

「王家の罪、でございますか」


 そう言った私を制するように、ロージーは私の身体を強く抱え込んだ。女神様はそれを見て軽くふっと吐息をつかれた。


「そなたの騎士、レスリー・ペロンはそなたのために作られた存在。たまたま、そなたと同じ髪色と近しい色の瞳で生まれたばかりに、男の身でありながら身代わりとなるべく育てられた。頑是なき幼子のうちから女として生きるよう強いたのよ。そこまでは人の世に稀にあろう。赦せぬのは密かにこの花を使い、その身を歪めた所業。我が祝福を汚す痴れ者どもが」


 女神様の怒りは威圧となり、その場を恐怖で満たした。私たちは恐ろしくて、身を縮め震えていた。


「その騎士はそなたより事情に通じておるようだな。まあ、よい。この花には我が祝福が宿る。王家の秘薬に欠かせぬが、しばらく王家には渡さぬと決めた。これ以降、そなたはこの花畑を決して増やさず枯らさず保て。よいな」


 そのお言葉で、女神様は天上にお戻りになった。


 それから、私たちはその土地で花畑の管理を始めた。


 そこには山守の民と呼ばれる部族がいて、その森と更に奥の山を守って暮らしていた。今まで花畑の管理もしていたという。ここでの暮らしも花の世話も一から教わる。何も出来ない私は、いつもロージーと山守の民の皆に支えられている。苦労しながらも少しずつ出来ることが増え、穏やかな日々が過ぎていく。


 だから、私の罪が恐ろしかった。


 レスリーは私の身代わりになった。ただ髪色が同じで、目の色が似ていたから。幼いときから刷り込まれ、自分の意思で騎士となるように教育された。何より恐ろしいのは、男のレスリーが、年下で女の私と体格が似るように操作されたこと。


 王家にはいくつかの秘薬がある。その中の『妖精の窓』と呼ばれる薬は、正しく使えばあらゆる毒に耐性がつく。しかし摂取量や期間を間違えば、不妊や身体の成長を止めると言われている。


 レスリーは私に見た目を近づけるため、秘密裏に投与されていたのだ。王家主導で行われたに違いない。


 それだけでも罪深いのに、私は罪を重ねた。


 ロージーまで人ならざるものに変えてしまった。


 森での穏やかな生活に幸せを感じる度、罪が重くのしかかる。


 そして、ある日里から来た行商人から、襲撃にあった王女殿下は、騎士と共に追い詰められて崖から飛び降りたとの一報を聞いた。


 その夜、寝る間際にロージーに声をかけられた。


「聞いていただきたいことがございます」


 同じ寝室で、固いベッドに横になったままロージーの声を聞いた。


「殿下はレスリーのことでご自身を責めておられますね」


 私は答えなかった。私が王族として存在していたから、レスリーは……。


 黙っている私にロージーは話し続けた。


「私とレスリーは、セザールを羨んでおりました。セザールは体格に恵まれ、冷静沈着で、剣の腕前も素晴らしい一流の騎士です。かたや私たちは体格も実力も劣り、騎士として彼には到底及びません」


 その声は、セザールに対する素直な称賛に満ちていた。


「もし私が男だったら、レスリーもセザールのような体格に恵まれていたら、もっと体力や筋力があればと何度願ったことか。けれど、そうであったら私もレスリーも殿下のお側に侍ることは難しかったでしょう」


 暗闇に目が慣れ、ロージーが私を見つめる目がぼんやり光って見えた。


「私たちは騎士として足りないからこそ、殿下にお仕えすることが出来ました。それは私たちの誉です。だからこそ最後の盾となるよう、泥臭い技を多く身につけました。それを存分に活かせたと思います。ですから、どうか」


 ロージーは大きく息を吸ってから、続けた。


「レスリーを、殿下の騎士として死なせてやって下さい。レスリーは主を守るべく最期まで騎士であったと、せめて殿下だけは、称えてやって下さい」


 次第に涙声になるロージーに、胸が詰まる。静かな夜に泣き声はよく響いた。


 何があろうと、騎士の忠義は尊ぶべきこと。


 翌朝、私とロージーは洞窟の入り口に花を手向けた。


「……レスリー、セザールの両名が我が騎士として仕えたこと、何よりの宝を得た」


 きっとこれは私の王族としての最後の仕事だ。


「私の騎士を、心から誇りに思う」


 言い終えた私の後ろでロージーが敬礼し、私は祈りを捧げた。


 私は罪人で、これから永い贖罪が待っている。この弔いも、女神さまには冒涜と思われるかもしれない。私はこれからもきっと間違えてしまう。でも、間違い、改め、もがきながら、全て抱えて私は生きる。それこそ女神さまが私に与えた幸せな罰だと思うの。


 ……長い語りを聞かせてしまったわね。これがあの日からの出来事の全て。信じられないと思うけれど、この記録水晶板があなたのもとに届いたのが何よりの証明でしょう。この古の遺物はもちろん女神様からの贈り物よ。


 クロード・ペロン。これをなぜあなたに届けたのか。


 まずひとつは、あなたに謝罪したい。私はあなたから大切な弟レスリーを奪ってしまった。到底償えるものではないけれど、せめて王族だった私の頭を下げさせてほしい。本当に申し訳のないことを致しました。


 もうひとつは、この記録水晶板をレスリー家で保管してほしいから。古の遺物は莫大な価値がある。でも、ここまで王家とペロン家の罪が記録されていては表に出せないでしょう? 第二のレスリーを生まないよう大切に保管して、ペロン家の切り札に使ってちょうだい。


 もうお会いすることもないでしょう。遠き地より、あなた方のために祈ります。どうぞ息災で。



 そう言った彼女は、旧式のとても美しいカーテシーを執った。そこで記録水晶板がプツンと音を立て、彼女の姿がかき消えた。


 クロードはしばらく書庫の暗がりで呆然と座っていた。やがて本館に帰ると当然叱られ、夕食抜きで部屋に戻された。疲れていたクロードはベッドに入るとそのまま朝まで寝てしまった。


 それからのクロードは、時々あの少女『殿下』を思い出していた。考えてみれば、彼女はこちらを「クロード・ペロン」と呼んだが、クロードは彼女の名前を知らないのだ。


 糸口は意外なところから見つかった。


 家庭教師が授業中に『シレン湖』の話をしたのだ。


「それはどこにあるのですか!」


 クロードの勢いに気をよくした教師は詳しく教えてくれた。ここから王都を挟んでさらに東、昔は名馬で有名な避暑地だった、と。


「そこでは約二百年前、王族が襲われる事件があったのです」

「に、ひゃくねん」


 クロードは最後に見た古式ゆかしいカーテシーを思い出す。家庭教師は頷き、語り始めた。


 当時リシュリー第二王女殿下は同盟国との婚約が進んでいた。その婚約者に贈る名馬を自ら選んでいた際、同盟反対派からの襲撃にあった。激しい戦闘の末、追い詰められた王女殿下は自ら崖に身を投げた。


「この話は、ペロン家も関わっておりました」


 襲撃は死闘を極め、遺体が見つからぬ者も多数、反対派と手を組み逃亡した者もいた。王家は殉死者には褒章を与え、護衛を出した家を全て遠ざけて監視対象とした。その中にペロン家も含まれていたのだ。


「その後の調査でペロン家の疑惑は晴れましたが、当主は『王女殿下をお守りできなかったのは事実』として、王家からそのまま距離を置いたのです」


 家庭教師は、驚くクロードにこう続けた。


「当時の当主はクロード・ペロン伯爵。惨劇は代替わりしてすぐのことでした。クロード様のお名前はこの方にちなんだとか。王女殿下の護衛には弟のレスリー・ペロンが騎士として仕えており、後に遺体亡き名誉の死として褒章があったそうです」


 考え込むクロードに家庭教師はにっこり笑って続けた。


「以前、同じお話をしたときは聞き流しておられたが、このように変わられたことを嬉しく思います」


 ……もし、真面目に授業を聞いていたら『殿下』のお名前もわかっていたのか。その思いはクロードの胸に小さな刺を残した。あのいたずらっぽい笑顔を思い出し、クロードは泣きたくて同時に笑いたかった。


 それからクロードは真面目に授業を受けるようになり、家庭教師が涙ながらに喜んだ。学院に進んでもそれは変わらず、なかなかの好成績のまま卒業後は王宮で文官として勤めることになった。


 あの後もクロードは何度かあの書庫に入った。本型の箱にはやはり記録水晶板と小さな絵が収められていたが、記録水晶板は二度と起動することはなかった。小さな風景画は海辺の街が描かれた、素朴だが妙に心に残る絵だった。裏面のサインはもうかすれて読めない。


 クロードは王宮で長く勤めた。懸命に働き、そろそろ第一線から退こうかと考えた頃に思いがけない話がきた。


 王国の南で、天文局の新しい星見台の副所長を努めてほしいというのだ。何でも所長は若き天文学者で、天才だが実務が怪しいとクロードにお目付け役が回ってきたのだ。今までの地道な働きが認められた気がした。


 身軽なクロードは最後のお役目と思って引き受けた。


 南の星見台は、港町から少し離れた静かな所にあるという。


 船から降りたクロードは、星見台に向かう馬車乗り場で案内人を待っていた。


 馬車乗り場から左が大通りになっていて、市場が続いているのが見える。港町の喧騒を物珍しく思うのは、クロードが王都と畑の多い領地しか知らないせいかもしれない。なのに、ここには妙に親しみやすい空気があった。


 市場の入り口から、隣国訛りの若い男のよく通る声が聞こえてきた。


「分かりました! ほな三日後にまたお願いします」

「うん。それまでには、全て揃えておく」


 フードを被った少女がそれに答えた。隣には保護者らしい長身の女性がいる。想像よりも落ち着いた少女の声に、クロードの興味が沸いた。


「ほんま助かりますわー。すんまへん。人待たせてるんで、ここで失礼しますー。魔女さま、ほなまた」


 忙し気に去ろうとする男に、少女が手を降った。その瞬間、フードに隠れていた銀髪の少女の顔がはっきりと見えた。


 『殿下』だった。間違いない。あの日と全く変わらない姿で立っていた。


 驚くクロードと目が合い、『殿下』は少し不思議そうな表情をした。多分ロージーと思われる隣の長身の女性がクロードに鋭い視線をよこすと、『殿下』の背中にそっと触れて身体の向きを変えた。そのときに『殿下』がロージーに嬉しそうに笑った。


 あ。あの、笑顔は。


「お待たせいたしましたー」


 クロードの物思いは、隣国訛りの男に遮られた。


「王都からお出でになったクロード・ペロン卿でお間違いないですか?」

「はい。これを。あなたは?」


 クロードは男に星見台の識別票を見せ、問うた。


「私、案内人のレット・エイトンと申しますー。ここの町役場の人間で、便利屋みたいなもんですわ。よろしゅうお願い申し上げますー。卿、所長の馬車があと一時間以内に着きますけど、先に星見台へ向かわれますか?」


 隣国訛りのレットはにこやかにそう言った。


「ああ、それならば待ちましょう。彼と一緒に向かいます」

「分かりました。その間にお食事されますか?」

「いいですね。美味い魚は食べられますか?」

「お任せ下さい!」


 レットは満面の笑みで、クロードを案内し始めた。クロードは思いきって『殿下』について聞いてみた。


「先程、エイトンさんが話されていた女性ですが」

「レットでよろしいですよー。何か?」


 レットはにこやかな声は崩さず、視線にほんのりと警戒の色をのせた。


「知人によく似ていたもので、不躾に眺めてしまって。会う機会があれば、大変失礼致しましたと、君から謝意を伝えて下さい」

「ああ。でも、ご自分からお伝えされたらいいと思いますよ?」

「それはお嬢さんに気を遣わせてしまうよ」

「卿は紳士ですねえ……お嬢さんか。魔女さま、若くないけど」


 後半の呟きを聞き流し、クロードは曖昧に笑った。かの方の前だ。紳士のふりくらいさせてくれ。


 当時と変わらない『殿下』を見て、クロードはあの頃の気持ちを思い出していた。勉強が辛くなったり、進路や人生の岐路で、あの美しいカーテシーにどれほど勇気づけられたことか。


 そして、今日改めて分かった。


 記録水晶板の中で、あんなに嬉しそうに笑っていたのは当時のクロード・ペロン伯爵に対してではないし、もちろん自分に対してでもない。


 あれは記録水晶板の向こうにいたロージー・ブロックに対しての笑顔だった。


 今更気づいた淡い初恋は儚く終わるけれど。クロードはそれすらも悪くないと思った。


 あの時の『殿下』がいたから今の自分がある。


 クロードは『殿下』の美しく古風なカーテシーに添えられた「どうぞ息災で」の言葉を思い出し、心の中でそっと祝福した。


 どうぞ二人が幸せでありますように。

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