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序章 常世籬に揺蕩う花たち

ーー重苦しい程鬱蒼とした緑が濃い深き森のそのまた奥。深山邸と呼ばれる巨大な屋敷。

第三次世界大戦で多くのその命を散らした民族の子女が隠された花園として在った。

いつか手折られる日まで花たちは隔絶されたその豪奢な温室で育つのである。



まだ夜の名残が残る青白む遠くの空は鳥一つきない。

鏡台の前で、穂稀ほまれは華奢な肩に重たい着物を乗せられる。背から侍女・雪花せっかが帯を巻く。

穂稀は手持ち無沙汰に指の腹で帯の皺をひと筋ずつ触れた。指が触れるたび気分が落ちて行く。


「…おひいさま、手習に遅れますゆえ…」

「……いつもいつも同じ日々ね。ずっと、ねむってしまいたいくらいに」

「恐れながら、心も帯も、日々の結び方次第で心踊るものになりますよ」


雪花の声は水に沈む石のように静かで、諦めを孕んだ私の声とは違った。

赤を基調に設えられた穂稀だけの部屋。

朱や緋や赭が重なり合い、丸窓や欄間の隙間から差し込む輝く日と同化して行く。

鏡台の前で紅を引く。亡き母に似てゆく気がする。青白い顔に紅は浮いているように思った。



中廊下へ出ると花笑苑はなえみえんのそれぞれの部屋から侍女を従えた神民の少女たちが次々と集まってくる。此処は神民の少女たちの居住区。

金系の帯、髪に挿した飾りは珊瑚や真珠、絹の衣擦れのやわらかな音。彩溢れるまさしく花たち。贅を尽くした建物は檻。その代わりに与えられる生活。

日に焼けることのない肌は滑らかで、髪は黒蝶貝よりも艶やかに、手は仕事を知らぬ白魚の手。そして一級の淑女教育を施されて、飾られる。


 穂稀は袖口を口元に寄せ声を落とした。


「……神民っていうだけで、何もかも過ぎるほどね」


 隣を静々と歩いていた同年の詩野しのが振り返りまっすぐな目で言う。


「これは負っているものの重要さを私たちが理解するためよ。穂稀はいつも変わったことをいうわ」

弓形の眉が上がる。艶やかな薄茶の髪を丁寧に結い上げ模範通りの華やかな服。はっきり言い切る彼女に穂稀は返すことばを探しそこねた。

 琴葉ことはが笑いながらするりと穂稀と詩野の手に自らの手を絡めた。


「穂稀は物知りで、詩野は言い方がちょっと硬いの。二人ともそう難しい顔をしないで。私たちたった三人の同年じゃない、仲違いしたくないわ」

 詩野は小さく息を吐き、穂稀も同じ速さで歩き出す。三人は共に此処で何年も過ごしてきた。琴葉の笑顔に絆されるのは毎日のこと。



 蘭香殿らんかでんは洋館で、天井が高く、色硝子窓がいくつも並ぶ。

斜めに落ちる光が木机に淡い色をいくつも重ねる。

 花台の前に並ぶ真鍮の鋏。

 詩野は手早く花を生けた。それを花の師範がじっと満足気に見ている。

「私は神民の末裔として相応しい女性になりたいの」

「ふうん」

「未来の旦那さまはこういうの、好きかな。朝の部屋に置いたら笑ってくださるかしら」

琴葉は無邪気に笑う。


 穂稀はまだふらふらと花や草木を弄ぶ。

 いつもの問いが頭をよぎる。


「……どうして神民だからって花をいける練習をするのかしら」

 しん、と三人の間に沈黙が落ち、他の少女たちの静かな笑い声が遠くに聞こえる。

すっと詩野が顔を上げた。


「無駄だと思う稽古ほどきっと後で役に立つわ。妻の務めは見えない所で家を支えることだと言うもの」


 言い返す言葉もなく穂稀は肩をすくめた。

 琴葉が穂稀の花器の横にそっと小さな白を置く。

「穂稀の好きな花をきっと旦那様も好きになってくれるわよ」



 真っ白な白木の柱と梁のみの軸組工法で造られた桜花殿おうかでん。檜の床は侍従たちによって磨き込まれ滑らかに光る。

境内にいると風に触れた布の音がずっと続く。

冬でも夏でも常に何かしらの花々に囲まれ空気が薄く甘い。

神聖さを強調したような此処で日々、神民の力を求めに来る人々のために少女たちはお勤めをする。

穂稀たちは今いる中では最も年嵩の神民として、神眼しんがん開花かいかの務めに入った。まだ幼い少女たちが神民固有の舞を舞いながら、憧れの目で見る。

 列の末に遥か遠くの村から来たという少年が立っている。手の甲に煤が沈み爪の先に薄い絹糸が絡んでいた。

 穂稀は視線を落とし、少年をすこしの間だけ見つめる。この豪奢な檻の私たちとこの歳で独り立ちを期待される彼は一体どちらが幸福なのか。胸の内側で何かが燻った。


「手をお出し下さい」

 少年が差し出した手は節が多く硬い。香の香りと穂稀の白い手の柔らかさに少年は一瞬身を固くし、顔を赤らめる。じっと目を見て手の温度を感じる。大いなる力で彼の最も素晴らしい行く末が、目の奥に浮かぶ。


「数字を取り扱う星の元、才は良い所まで伸びます……けれどもそちらでの尽力次第ではもっと煌めきを纏うでしょう」


 少年の母が息を飲み、深く深く床につかんばかりに頭を下げた。最後の言葉に神官が眉を寄せる。規定を超えた関わりは小言の対象だ。

 穂稀は軽く会釈し次の人へと歩を進めた。隣では詩野が柔らかな笑みで手の光を放つ。詩野の開花は特有の紫の光。この場の雰囲気も合間ってか泣き出さんばかりに訪問者たちは感謝を表す。

同じように神眼で才を見付けている琴葉も手を強く握り深く頭をさげ礼を言われていた。


才が開花しようとも幸福になれるとは限らない。故に、その光景が穂稀は歪に思えてならなかった。



 桜花殿から花笑苑はなえみえんへの道すがら詩野が明るい声を出す。


「ね、わたしたち、役に立っているでしょう!」

 穂稀は頷いた。

「……ええ、たしかに」


 日が傾く。穂稀はふと無垢な白さが夕日をうつして黄金色に染まった桜花殿を振り返る。光と影のコントラストが余計に神聖さを際立たせていた。

 苔むした外の小道をゆくとやがて檜の皮で造られた三角の屋根が見えてくる。桜花殿と同じような白木の建物だがどこか開放的な花笑苑。その大きな庭園には今は梅の花が咲き誇っている。

赤い花が風に舞う縁側には人形遊びや干菓子を取り合う幼い子らがいた。



 夜。机の上に書物がひらかれている。

魔石が入った卓上の灯が揺れる。

異国の言葉で描かれた異国の政の書物。少女に似つかわしくないそれに、熱心にのめり込む。

 雪花が茶を置き、湯気がゆらりゆらり上に伸びる。


「今日も熱心ですね」

「……此処は閉ざされていて、私は無知だから。何もわからないから」

「わからない故に備えることはよい習いですよ」


めくる手が止まり穂稀はしばらく黙っていた。灯が揺れ壁の赤がわずかに表情を変える。

 やがて、押し出すように言う。


「母は……幸せだったと思う?」


 雪花はすぐには答えない。

穂稀は茶碗の縁に指を添え、湯の明かりを覗き込む。


「幸せは外からは測れません。——ただ、お方さまはいつも誰かの方へ手を伸ばしておられました」

「わたしはまだ、何も見えないの」

「見えない道も歩けば道になりますが、止まれば行き止まりですよ」


 穂稀はふ、とため息をつく。

 母の声が不意に遠い蜃気楼のように蘇る。


——苦しいときほど、自分の力を人のため、世のために。


 重い遺言の言葉は胸の奥底で熱になり身を焦がす。


此処は神民を選ばれた男性たちの嫁にするためだけの養成所。

穂稀も詩野も琴葉もまだ幼い子らも皆、生まれたときから背に大きな花が咲いている。それが神民である証。

 国にとって不都合な相手に会わないよう、人里離れた森深くで世を知らず蝶よ花よと育てられる。そして国の発展ために選ばれた男達に引き合わされて嫁ぐ。深山邸はそのための温室だ。


 神民は一生に一度だけ使える最も特別な力がひとつある。


『神命力』


ーー自らが定めた相手にたった一度だけ


神命力を使うと背に浮かぶ花は消え、使った相手の心臓の位置に移る。他の神力は使えてもその能力は二度と使えない。

 受けた相手は生まれ持つ能力が最大限に上がり一般人とは一線を画す。身体能力も、魔力量も、知能も…全て。


第三次世界大戦で連邦軍に大敗した緋ノ国。

先の戦争で大量投下されたため神命花を残す神民はもう残り少ない。


『神民保護法』


国は彼等彼女等を保護する法律を作った。


一、その特殊な力の発現条件のために、神民の婚姻相手の自由を保障すること。

ニ、特に神命花を残す神民の生活の保証および警護。

三、神命花を使い切り晩花となった神民の保護。


その法律に則って、深山邸に全国から神民の主に幼い少女たちが集められる。

厳重な警護のもと、高貴な家柄の歌族(かぞく)の子女と同等かそれ以上の生活や教育を受ける。深い森の中で監視が四六時中付き、世間と交わる事はない。


ーー年頃になったら国の中枢一族御曹司や官僚と確実に婚姻させるために。


此処にいる少女たちの殆どは親の顔も知らず此処の生活しか知らない。

お勤めの際に会う人々や手習の師範以外の会うこともない。

雪花たち侍女や神官・侍従は一番彼女らに近しいが、生活の保証を得る代わりに俗世の名前も過去も捨て新しい名を得る。


穂稀は深山邸の少女たちの中でたった一人、肉親の記憶を持っていた。

神命花を使い切った晩花の母は残った神力を密やかに庶民の人たちに使うため国の保護を求めなかった。しかし女一人、子一人のささやかな生活は楽ではなかったようだ。

 魔力を魔石に込める仕事で母は魔力枯渇により命を削りついには儚くなった。

穂稀はその後すぐ深山邸に保護され母の記憶は朧げで少ない。


『苦しいときほど、自分の力を人のため、世のために』

ただ、母のこの遺言だけは、穂稀を撫でる痩せ細った手と共に心の奥深くで強く激しく燃えていた。


閉ざされた檻の中で穂稀はひたすらに考え続けた。雪花に協力して貰い世の中を知ろうとした。政や経済、異国語、武術、たくさんのことを余分に学んだ。

他の少女たちと同じように静かに咲く花になりたいと思った事もあった。それでも結局の所、心の火は消えなかった。


 人のため世のために自らができることが何なのか、それは未だ穂稀の中で形にはならない。

今日も花笑苑で穂稀の部屋の灯だけが煌々と光っていた。



 庭園に桜舞い散るうららかな春の日。花笑苑の広間に集められた少女たちに侍女長が厳かに告げた。


「——剪定の儀を数日後、桜花殿にて執り行う事となりました。お勤めは詩野様、琴葉様、穂稀様の三名の姫様方にお願いしたく存じます」


 色めくまだ幼い少女たち。琴葉も詩野も誇らしげで嬉しそうにしている。穂稀だけが目の前が真っ暗になっていた。


 剪定の儀、それは将来の夫を選ぶ見合いだ。多くの国にとって重要な若い男たちが集められ、神民の少女が選ぶ。顔も知らない男に嫁がされる女性達に比べ恵まれている、はずである。前にいた姉姫たちもそうして巣立って行った。穂稀たちは今一番年嵩だ。教育の仕上がりとしても当然の指名。

 次は自分だと理解していた事とはいえ、誰か一人を選ぶ、という準備が穂稀には出来ているとは思えなかった。自分の事も分からないまま、人のため世のために神命力を使う相手を見つけられるのか。

 

 目の前が水っぽく揺れ、薄桃色の桜の花が吹き荒ぶ庭が曇った。

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