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「リジー。失礼なことを聞くが、その侍女は信頼のおける者で?」
そうして再び動き出した馬車の中にて。向かい合うように座るエリザベスとレナード。それに、エリザベスの隣に座る侍女の方を見て、レナードがそう聞いてきた。
「当然ですわ。一番信頼できるからこそ、こうして連れ回しているのです。……わたくしの婚約破棄の話を聞いたときに、一番怒ってくれた侍女も彼女でしたのよ?」
「……であればリジーの言葉を信じよう。いいか、これから話すことは他言無用。どこかに話しが漏れた時点で、君の首は飛ぶ。そう思っていてくれ」
念押しするようにレナードが言う。侍女も真剣な眼差しで、しっかり頷いた。
「リジー。我が国の産業は知っているだろう?」
「えぇ。農業。それに立地を利用した通行料の徴収ですわ」
「そうだ。通行料の徴収については、たとえそれが通行料たどしても国家間のやり取りであることに違いはない。貿易の一種といっても差し支えないだろう。各国とのパワーバランス、運ぶ物資がどういったものかを見極め、見定め、通行料を定める必要がある。それ故、我が国の王家は、他国より厳しい目で見られるはずだった、が……」
「……陛下による婚約破棄、ですか」
「あぁ。王家と侯爵家による婚約破棄は、私情を挟む余地などない、いわば契約のようなものだ。だがあろうことかそれを不貞で覆し、さらに本人達が揃いも揃って美談だと婚約破棄のことを嬉々として吹聴する。……そうなると、他国からの信頼はガタ落ちだ」
「そうでしょうね。国を揺るがす重大な契約を、私情ひとつで覆し、しかも本人たちはその自覚がない。……信頼を損ねるには充分すぎますわ」
エリザベスの言葉に、レナードは頷く。
「あくまでまだ婚約者だからということでリジーには伏せられていただろうが、……先の婚約破棄、さらには王としての素質のない兄に愛想を尽かし、関係を縮小しようとしている国も複数存在しているんだ」
「……それは薄々感じておりました。以前に比べ、国を横断する業者が減ったという数字が出ていましたから」
「その通りだ、リジー。そして本来であれば、兄、それに息子であるマークがそれに気付き、対処する必要がある。もちろん私たちとて散々手を尽くしたが、国の権化たる王が気付かない限り抜本的な解決は望めない。だから我々は、息子のマークに期待を寄せていたんだ。エリザベスという有望な婚約者を迎え、父では成し得なかった他国との信頼回復に努めてくれることを。……だというのに、マークは、父親と同じ過ちを繰り返してしまった」
胸の前で腕を組み、レナードが目を閉じた。眉間には深く皺が刻まれており、ことの深刻さを物語っているようだ。
「農業だけで我が国は運営していけない。しかしだからといってこのまま国王夫妻とその息子の愚行を放置するわけにもいかない。私は、私なりに国と民を愛しているからね。どうにかそれらは守りたい……リジーにもそれに協力して欲しいんだ」
「わたくしにですか?」
「あぁ。君には、各国の国王夫妻から、同情を買う役目を務めてもらいたい」
「……同情?」
「そうだ。悲哀たっぷりに、ずっと想い続けていたマークに婚約破棄を突きつけられたと語ってほしい。これから巡る国は、君も一度は行ったことのある国ばかり……だから、王太子の婚約者として外交にも精を出してきたのに、それら全てが水の泡となってしまったとアピールして欲しいんだ」
しかしエリザベスは、納得できないようにレナードを見つめる。
「なぜアピールする必要があるのです?それに表向きはわたくしとマーク様は婚約者のままにしておく話のはずです。一体どんな理由があって、他国にこんな醜聞を披露しなければならないのですか?」
「……申し訳ないが、今は言えない」
「なぜですか」
「私が計画していることはね、いわばクーデターのようなものだ。極力、リジーを巻き込みたくはないんだ」
「……ここまで話しておいて?」
「そうだ。仮に私の計画が失敗したとしよう。そうなればまず、周囲の人間が共謀を問われる。……そうだな、侍女も証人にするか。もし失敗したとして、自分たちは何も知らない、と、貫き通させるために、……今は話すことができない」
レナードの意思は硬く、それから一切口を割ろうとはしなかった。
これ以上話をこじらせても面倒だわ、とエリザベスは諦めのため息を吐いた。
「……納得し切れておりませんが、レナード様の計画に協力することにしましょう」
「……本当か」
「えぇ。というかもう、知らぬ間に自分はその計画の片棒を担いでいるわけですから。今更引くわけにもいきません」
「……騙し討ちするような形で君を巻き込み、利用してしまって本当にすまない」
「本当に。レナード様からの提案でなければ、今すぐにでも馬車を降りていたところでしたわ」
ふん、と淑女らしかぬ腕を組み、エリザベスが鼻を鳴らした。婚約破棄されてからというもの、淑女としての節制が減ったような気がする。
「ありがとう、リジー。本当に感謝している。……それと、もうひとつ。私の求婚の話だが……」
「求婚!?」
それまで黙って話に耳を傾けていた侍女が素っ頓狂な声を上げた。
しかしレナードはそれを気にするでもなく、真っ直ぐにエリザベスを見つめる。
「昨日はまどろっこしい言い方をしてしまったが、昨夜のあれは私からの求婚だと思っていてほしい」
「っ、で、ですが!レナード様はこれまでわたくしに対してそういったアピールもなく……っ」
「それはそうだ。甥の婚約者に手を出すほど愚かではないからね」
「けれど!」
「では——私の言葉が本気だと、信じてもらえるようにアプローチするしかないな」
エリザベスは俯いた。
レナードが嘘を言っているようには見えない。そもそもこんな場面で嘘を言うメリットもない。だからエリザベスのことを真っ直ぐに見据え、レナードの口から紡がれる言葉は、きっと本心からのものなのだろう。
エリザベスはおおいに戸惑っていた。だってレナードは兄のような存在で、それで、それで。……それでも——初めて男性に求婚されたエリザベスの胸は、確かに高鳴っていたのだ。