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2人がまず訪れたのは、大海に面したとある国だ。
貿易協定を結んでおり、関係も良好。事前に来訪することは伝えていたため、スムーズに王宮に通された。
「お久しぶりでございます」
レナードの挨拶と共にエリザベスがカーテシーを披露した。2人の前にいるのは、この国の国王夫妻だ。
「そんな堅苦しい!私たちもレナード様にお会いできるのを楽しみにしていたんですよ!」
からりと王が笑った。その隣の王妃も王と同じようで、柔らかな笑みをたたえている。
「まさかエリザベス嬢もいらっしゃるなんて……。そうとわかれば若い娘に人気の菓子を取り寄せていたのに……」
「滅相もありません。むしろ、突然の訪問にもかかわらず、こうして迎え入れていただいたこと、感謝しかありせんわ」
王妃教育の一環として、エリザベス自身も何度かこの国を訪問したことがあった。それゆえ国王夫妻とは顔馴染みで、特に緊張することもない。
そうして形式的な挨拶を終え、積もる話もあるだろうから食事でもしながら話そう、と王に提案され、客間に移動することになった。
客間に通されたエリザベスとレナードは、テーブルに並べられた料理に嘆息を漏らした。
エリザベスの国では見ることのできない大きなエビ、腐りやすいからとなかなか流通のない貝、極彩色豊かな魚……エリザベスとてこの国の特産品などとうに知ってはいるが、いざ目にするといつも感動を覚えてしまう。
「たくさん用意したからエリザベス嬢の分も足りるはずだ」
「申し訳ありません。事前に連絡できれば良かったものの、エリザベス嬢も伴うのは急な決定だったので……」
「急な決定?」
それぞれ食事に舌鼓を打ちつつ、王とレナードが軽快に言葉を交わす。
「そうなんです。実はエリザベス嬢、私の甥に婚約破棄を言い渡されてしまって」
「——レナード様!?」
フォークを手にしたまま、思わずエリザベスは声を上げた。いけない、と大声を出してしまったことを後悔しても遅い。呆気に取られたように国王夫妻がエリザベスを見ている。
「……大声をあげてしまい申し訳ありません。取り乱してしまいました」
「違うのよエリザベス嬢。貴方の声ではなくて、婚約破棄の話に驚いたのよ」
すかさず王妃からフォローが入る。
「私の知る限りでは、エリザベス嬢の婚約者は王太子であるマークだったろう?……まさか、息子も父親と同じことを?」
「そのまさかです」
そこまでの会話を聞いて、あれ、とエリザベスは思った。
「エリザベス嬢。君の婚約破棄の顛末を話しても大丈夫かい?」
頭の中が疑問符でいっぱいのエリザベスに、レナードが優しく問う。それは構わない、が、
「……あの、その前に……我が国の国王と王妃の婚約破棄の話は、他国にまで及んでいて……?」
エリザベスの疑問に、その場にいたレナードと国王夫妻が顔を見合わせた。
「それはそうだ」
「そりゃあ」
「そうですよ」
まさかの事実にエリザベスは絶句した。
「……不敬罪と言われるかもしれませんが、王家と侯爵家によるスキャンダルなど国の恥。どうにか事実を揉み消し、緘口令を敷くのが常識では……?」
「普通の貴族ならそうするだろうね。でも考えてごらん、自分の立場を忘れて色欲に溺れた人間が、常識的な考えができると思うかい?」
「……」
エリザベスの脳裏に国王夫妻の姿がよぎる。
……確かにあの2人は、ことあるごとに真実の愛の素晴らしさを語ってはいた。それを聞かされて育ったマークからも同じ話を何百回と聞かされた。だがまさか、他国の貴族にまで話が漏れているとは思わなかったのだ。
「もちろんどうにかスキャンダルを潰そうと奔走していた人間もいたさ。でもね、当の本人たち、……兄上や王妃殿下は自分達の『真実の愛』を周囲に触れて回ったんだよ」
「ええ……」
「あれはなかなか酷かったな。出席するパーティーやら夜会、その全てで、自分たちの関係の始まりから今に至るまでを、一から十まで話していたんだ。なんだったら私も、貴国の国王夫妻の馴れ初めを、今、話すことができるぞ?」
国王から提案され、エリザベスは全力で首を横に振った。
「本当にすごかったのよ?流石に閨での話はしなかったけれど……」
どこか遠いところを見つめながら王妃も言葉を溢した。これは、多分、そうとう酷い有り様だったのだろう。
「そういうわけなんだよエリザベス嬢。うちと少しでも交流のある国は、『真実の愛』について全て把握済みというわけだ」
「……国の恥ですわ……それにわたくし、そんなお話しは初めて耳にしましたわ……」
「そりゃあそうさ。まともな神経の貴族なら、わざわざ話題に上げるような話ではないしね。自国ですらそうなのに、他国の貴族なら尚更だろう」
「それはそうかもしれませんが……」
「そういう訳で、君が良ければ、君の婚約破棄の話をしておきたいと思って」
「……話が繋がりません。なぜ、恥の上塗りをするのです。こんな醜聞、とても他国に漏らして良い話ではありませんわ」
ぐったりとエリザベスは肩を落とす。
婚約破棄の話をされるのが嫌とかそういうわけではない。ただ、国の一員として、王家の恥をこれ以上晒したくなかったのだ。
「君が1人の女性としてこの話をされるのが嫌ならやめておこう。けれどね、それ以外の理由……例えば、貴族として恥ずべき行為だから他国に漏らされないでくれ、とかなら話すのを許可してほしい」
「……、……レナード様の仰る通りですわ。女としてではなく、貴族の一員として恥ずかしいだけです」
「そうか。ならば話しても?」
「……構いません。……というかここまで話しておいて、今更それを無しにするなんてできませんわ」
ちらりと国王夫妻の様子を見ると、2人とも心配するようにエリザベスとレナードに視線を向けていた。
「本人から許可もいただいたことですし……、話が前後しますが、エリザベス嬢も、私と同じように学園の卒業パーティーで婚約破棄を言い渡されたんです」
「……あらまぁ……」
「王太子のお相手は男爵令嬢でした。妊娠はしていないようでしたが……、真実の愛だからと、男爵令嬢を王太子妃にするようです」
「また無茶な話を。差別するわけではないが、男爵令嬢が国母を務めるのは難しいだろう」
ううん、と国王夫妻は食事を止め、なにかを思案する顔になった。なぜお二人がそんなお顔を……と思いながらも、適切な言葉が見つからず、エリザベスは黙ったままだ。
「事態は把握した。しかしなぁ……骨の折れる仕事だな」
「ありがとうございます。ご理解いただけるだけありがたい限りです」
そうして粛々と食事は進んでいった。
*
国王夫妻との謁見の翌日。
エリザベスとレナードは街に降りていた。
朝獲れの魚介類が所狭しと並び、街は活気に満ちている。商人や買い物に来た人に子供、果ては魚を狙った猫まで。声と人に溢れる市場を、エリザベスとレナードは並んでる歩いていた。
「す、すごいですわ……」
活気に圧倒されながらも、エリザベスは目を輝かせながら言う。そうだねぇ、と隣のレナードは呑気に相槌を打った。
「海に面しているだけあって、荒波の音に負けないようにと住民の声も他より大きいらしい」
「まぁそうなんですの?確かにとても賑やかではありますけれど」
「内陸にある私たちの国の民と比べれば、声も、元気もあると思わないかい?」
「確かに言われてみれば……」
レナードの言うように、エリザベスの国は内陸に存在する。主要な産業は農業。それともうひとつ。内陸で、各国に面しているのを逆手に取り、各国の貿易の斡旋業、通行料を徴収。さらに国を横断する人間相手を相手取った商売——宿や食事処、横断する際入り用となった品の売買——を主要な産業のひとつとしていた。
「……わたくし達の国の民は、少し静かかもしれませんね」
「土地によって住み着く人間の性質も変わる。しばらく色々と国を巡るから、そのへんも見ると良いよ」
外交に出たことは何度もあったが、こうして市井に降りることはそうそうなかった。だからエリザベスは、興味深げにレナードの話に耳を傾ける。ふんふん、と頷きながら、レナードとふたり、ゆっくり歩く。
その道中。お、とレナードがある屋台の前で立ち止まった。
「ここの串焼きは美味しいんだよ。ちょっと食べても大丈夫?」
「えぇ、構いませんが……」
「エリザベスはどう?串焼き食べる?嫌なら果物のジュースも売ってるけど」
そのときふと、昔の記憶が蘇った。
数年前の話。ここではない、自分の国での出来事。
マークと共に市井に降りたエリザベス。民の間で流行りだという、串に果物を刺し、飴をまとわせたスイーツ。美味しそうだな、これも社会勉強の一環で……、と内心言い訳しながら、マークに飴を購入して良いか聞いたところ、
『曲がりなりに侯爵令嬢であるリジーが、平民の、しかも食べ物を串に刺してるなんて野蛮なものを食べるの?君はもっと貴族としての矜持を持ってると思ってたのに。食べるのは勝手だけど僕が見えないとこで食べてくれる?』
と一蹴されてしまったのだ。
そこまで言われては食べる気も失せ、結局食べずじまいで終わった。しかもそれから数ヶ月後、マークとリリィが市井でその飴を購入し、楽しそうに食べていたと影から報告された……という苦い思い出。
「わたくしは侯爵令嬢ですが……串焼きをを食べても良いのでしょうか」
「どうして?あぁ、串にかぶりつくのが嫌?」
「そうではありません。以前、似たような食べ物を前にして、侯爵令嬢がそんなものを食べるなとマーク様に言われたのです」
レナードが絶句した。幸いなことに、雑多なその場では、串焼きの店主に2人の会話は聞こえていない。
「わたくしとしましては、民の生活を知るため……いいえ、これは建前です。美味しそうでしたから食べたかったのですが……」
「……私は別に、君がなにを食べようが気にしないよ?」
「……本当ですの?」
「嘘だったなら、串焼き食べる?なんて聞くわけがない」
「ではその……レナード様と同じものをお願いしても……?」
おずおずとエリザベスがお願いすると、レナードはすぐ店主に貝の串焼きを注文した。
既に焼かれていた串焼きが、再度、茶色のタレをまとい、炭火で焼かれていく。食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐり、エリザベスは思わず喉を鳴らした。
少し待って熱々の串焼きが手渡された。
レナードから受け取り、エリザベスはまじまじと串焼きを見つめる。
「熱々が美味しいよ?」
そう言いながら、レナードは既に串焼きに齧り付いていた。
「で、では、いただきます……」
侯爵令嬢が大口開けて食べても良いのだろうか、いや、レナード様が食べて良いと仰ったのだ。食べなければ失礼だ、……あ、と口を大きく開けて、エリザベスも串焼きに齧り付いた。
「!」
「どう?美味しいでしょ?」
さすがに噛んだまま喋るわけにはいかず、エリザベスは力強く頷いた。
弾力のある貝を咀嚼し、飲み込む。磯の香りが口いっぱいに広がった。
「とっても美味しいですわ……!不思議ですわ、この貝は昨夜の晩餐でいただいたものと同じはずなのにまた違った美味しさです!」
「お口に合ったようで良かったよ」
レナードも満足したように笑った。エリザベスは思わずその笑顔に釘付けになってしまう。
「なに?どうしたの?お代わりがほしい?これは私のだからあげられないなぁ。……あれ、エリザベス嬢、口の端にタレがついてるよ」
言いながら、レナードの指がエリザベスの頬に伸びて——触れる直前で止まった。
「……いや、すまない、婚約者がいないとはいえ、女性の顔にむやみに触れるべきではないな」
「い、いえ……そんな、レナード様でしたら平気ですのに」
「……ふうん?それはどうして?」
「……レナード様は兄のようにお慕いしている方ですから……」
そう、レナードは年の離れた兄のように慕っているのだ。
エリザベスが疑問に思うことがあれば優しく教えてくれ、エリザベスが泣いていると慰めてくれる兄のような存在、
「だから触られても平気?」
そう思っていたはずなのに。
「……っ、やはり、いけませんわ。……わたくしとしたとこが、少々血迷ってしまいました」
エリザベスを見つめる目が、熱を帯びていた、ように感じたのだ。
この目の色は覚えがある。マークが、リリィを見つめているときと同じもの。自分には決して向けられなかった視線。
なぜか、それをレナードがエリザベスに向けていたのだ。
「まぁでもタレは拭った方が良い。ハンカチは持ってる?」
「もちろんですわ」
エリザベスの顔が急激に熱を帯びる。顔が赤くなっているのを悟られないように、レナードがいるのとは別の方向を向いて、ハンカチで汚れを拭ったのだった。