前日譚1(ヒーロー視点)
「マデリン・ハーレイ侯爵令嬢!学園もろくに出席せず、あまつさえジャネットをいじめるとはどういうことだ!貴様など国母に相応しくない!よって婚約破棄をここに宣言する!」
——それは、学園の卒業パーティーで、突然叫ばれた宣言だった。
食事に舌鼓を打ち、しばし会えなくなるであろう友と談笑に興じていた卒業生の視線が、一斉に声の主の方へ集まる。
「マデリン!君には本当に失望した!ジャネットを池から突き落とし、教科書を破る!靴を隠し、制服を泥で汚すなど……なんたる卑劣!なんたる愚行!ジャネットがいなければ、卑劣な女を国母にするとろであった!」
興奮したように声の主——王太子のハリーは叫び続ける。傍には勝ち誇ったような笑みをたたえるジャネットが。婚約破棄を宣言された、マデリン・ハーレイ侯爵令嬢は、扇で口元を隠しながら、不機嫌そうに眉間に皺を刻んだ。
「……証拠はありまして?」
「もちろんだ!ここなジャネットがなによりの証拠!貴様の愚行を全て僕に話してくれた!」
「……では一旦その証拠を信じるとして……ハリー様、わかっておられるのですか?私たちの婚約は侯爵系と王家によって結ばれたもの。私情を挟む余地はないのはご存知で?」
「私情?僕のどこに私情がある!?貴様のような女は国母に相応しくないと!国のために言っているんだ!」
「……」
「それに!これはもう少し後に発表する予定ではあったが!私の麗しい妃であるジャネット!彼女は、僕の子を腹に宿している!」
「…………はぁ?」
マデリンの扇が、かつん、と音を立てて床に落ちた。それをきっかけに、静まり返っていた会場が一気にざわつきだす。
そんな会場の様子を——14歳になったばかりのレナードが静かに見つめていた。
*
「面倒なことになった……」
レナードの父——現国王のポールは、頭を抱え項垂れていた。
学園の卒業パーティーで始まった突然の婚約破棄騒動。
婚約破棄だけでも結構な騒動だというのに、あろうことか婚約者でもない、侯爵令嬢の懐妊まで発表されたのだ。
更にその侯爵令嬢——ジャネットは、ハリーの弟であるレナードの婚約者。降って湧いたスキャンダルに、会場は一気に混乱に陥った。
どうにかその場を収束させたものの、卒業パーティーはお開きとなってしまった。
問題はそこからだ。
宮廷医師を始め、複数人の医師に確認させたところ、ジャネットの妊娠は確定的なもの。なぜハリーがジャネットの妊娠を知っていたか問い詰めれば、『ジャネットが月のものが遅れると言うから、金を握らせて町医者に見てもらった』。人の口に戸は立てられない。王宮を揺るがすスキャンダルは、きっともう民にも広がっているはずだ。
更に当然といえば当然だが、マデリンの実家であるハーレイ侯爵家からは厳重な抗議が寄せられていた。
混乱しきった王は、マデリンをレナードの婚約者にしてはどうか、王家とも繋がりが持てるぞ、……マデリンの実家にと手紙を送ったところ、
『被害者感情を逆撫でするのがお上手で』
『申し訳ないが、今回の一件で王家に愛想が尽きてしまった。婚約破棄だけならまだしも、それでは弟ではどう?だなんて正気の沙汰なのか。他国への移住を検討している』
と、それはそれは怒り心頭といった具合の手紙が返ってきた。
そしてもちろん、ジャネットの実家、ブース家もそれは同じだ。
『大切な一人娘を傷物にされた。お相手は王太子。ではもちろん、我が娘を王太子妃にさせるのでしようね?』
ジャネットの妊娠が確実なものである今、全員が全員、納得する結末はもう用意できないだろう。ハーレイ家、ブース家、そのどちからとの縁を切るのは確実だろう。
そして切るのは確実にハーレイ家だ。というより、切る、ではなく、切られる、と言った方が正しいか。現にハーレイ家と親密な関係にあった隣国から、『ハーレイ家から移住の打診があったがどうなっている』と書簡が届いたばかりらしい。
14歳のレナードは、その様子をただ見つめることしか出来なかった。
そうこうしている間に、ハーレイ家は隣国に移住してしまった。
侯爵家が抜けたことで、国の権力構造にさざなみが立ち、
国内の貴族からは、『王家の教育はどうなっている』と非難があがり、
しかし婚約破棄騒動を起こした張本人たちに、いくら騒動の重大さを説こうが、
『私たちの間に育まれたのは真実の愛!なにを恥じることがあるのです!むしろ王家でも真実の愛を貫けるのだと話を広めたいぐらいです!』
ときた。
積み上げられた問題を捌くのに追われ、国王夫妻は次第にやつれていった。少し休んではどうか、とレナードは息子として声をかけるが、『育て方を間違えた私たちの責任だ』と、国王夫妻は寝る間も惜しんで政務を続けた。
そして、その間にも義姉の腹は膨れていく。
*
ハリーの厳命により、レナードとジャネットの接近は禁止されていた。けれどたった一度だけ、たまたま、王宮の廊下ですれ違ったことがあった。
これは良い機会だと、ずっと気になっていた疑問を、レナードがジャネットにぶつけた。
「ジャネット様は私に不満があったのですか」
大きくなった腹をさすりながら、ふん、とジャネットは鼻を鳴らす。
「だって貴方年下だし、ガキんちょじゃない」
「……ガキ……」
「まぁ確かにね?婚約者なりに色々してくれたんでしょうけど?どれもこれもガキっぽいっていうか」
「……」
「それに……まぁいじめのことは適当にでっち上げた嘘だったけれど、マデリン様が学園にあまり出席しなかったのは本当のことでしょう?なにしてんだか知らないけど、学生としての本文すら全う出来ない人間が、王妃を務められるとでも?」
それは違う。
マデリンが学園にあまり出席出来なかったのは、苛烈な王妃教育のせいだ。
それに加えて、政務やら雑務を放り出したハリーの尻拭いに奔走していたのだ。あまりに放置するものだから、マデリンだけでは終わらず、レナードまで手を貸していたほどだ。
……もちろんその都度、父である王に苦言は申していた。そして、父もきちんと兄に注意はしていた。だが兄は全く聞く耳を持たなかったのたが。
しかし、それら全てがもう今更な話なのだ。
なにを言ったところでマデリン・ハーレイは戻ってこない。ジャネット・ブースの膨れた腹が萎むわけでもなかった。




