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 次に訪れたのは、山岳地帯にある国だ。

 

 いつものように王宮に通され、食事だなんだ交わしながら、エリザベスの婚約破棄のことをそれとなく話す。レナードに指示された通り、エリザベスは、それはもう悲壮感たっぷりに、同情を誘うように話してみせた。


 そしてそれは効果抜群だった。

 まだ小さい娘のいる国王は、エリザベスの姿に、未来の娘を見てしまったのだろう。マークの所業にこれでもかと怒ってみせ、王妃に宥められたほどだ。




「……わたくしはマーク様ただ一人を愛しておりましたのに、か」


 王宮への用件を終えた2人は、再び市井を巡っていた。織物の盛んなこの国では、美しい糸や、その糸で折られた衣装が所狭しと並んでいる。

 レナードが呟いた言葉は、王宮にてエリザベスが同情を誘うために口にした言葉だ。涙を浮かべながら話す様子は、真に迫ったものがあった。


「あら、それだけではありませんわ。あんなに愛した殿方はマーク様が初めてでしたのに。も付け加えてほしいですわ」


 レナードの言葉を耳にしたエリザベスからすかさず訂正が入る。


「……、……私はリジーただ一人を愛しているのに。あんなに愛した女性はリジーが初めてだったのに。……こう?」

「レナード様。誰がいつ、わたくしの言葉をわたくしに置き換えてと言いましたか」


 突然降ってきた愛の言葉にエリザベスは顔をしかめる。しかしその顔は耳まで真っ赤に染めている。


「そう怒らないでくれよ。私のこれは、紛うことなき本心なんだから」

「わたくしの言葉が本心ではないと?」

「……本心だったのか」

「……もうずっと昔の話ですけれど。これでも一応、マーク様に胸をときめかせていた頃もあったのですよ?」


 エリザベスの言葉に驚いたのか、レナードが立ち止まった。しかしそれにエリザベスは気付くことなく、足を進める。


「見てくださいレナード様。この織り模様の美しいこと。ぜひ我が国に輸出し、て、……?」


 振り向くとレナードがそこにいない。あれ、と周囲をもう一度見回すがやはり姿はない。どこに行ったんだろうか。とはいえ、はぐれたところで護衛がついているし、特に問題はない。仕方ないので1人で巡っていると、しばらくしてどこからともなくレナードが姿を現した。


「レナード様?どこに行ってらしたのですか!」

「少しね。……あぁほら、見てごらん、美しい糸が売っている」


 特にどうということもなく、自然にレナードは合流した。それからすぐにとある糸を指差す。……指差しの先にあるのは、美しい黄色の糸。光の反射で金にも見えるそれに、エリザベスは目を輝かせた。


「美しいですわ……」

「本当に。少し買い付けておこうかな」

「なにかご用がおありで?」

「おや、私が言ったことを忘れたのか?君に、私の目と同じ黄色のドレスを纏わせたいなという言葉を」

「〜〜〜!」


 言われた。確かに言われた、が。今ここでそれを言うのは反則ではないか。

 しかもレナードは本気の言葉だったらしい。エリザベスが顔を赤くしている間に、糸やら布やらを買い付けている。


「……ずるいですわ。そういうことを仰るのは」

「恋愛する上での駆け引きだと言ってほしいね。それにアプローチしていくと言っただろう?」

「……、……ではわたくしが、わたくしの目の色……暗い、紫の宝石を身につけてほしいと言ったらレナード様はどうしますか」

「そうだねえ。小躍りして、国中の暗い紫の宝石を集めるかな。集めた中で一番リジーの色に近い宝石を身につけるよ」

「……ばかじゃありませんの」


 ——『紫など暗い色、自分は嫌いだ。身につけたくない』


 それはエリザベスがマークに言われた言葉だった。そしてそんなエリザベスを嘲笑うように、マークはピンクを——リリィの髪と目の色をよく纏っていた。


『マーク様にはリリィのピンクがお似合いなのよ!』


 そう表立ってリリィに言われたこともあった。


 だからエリザベスは、レナードの言葉がこの上なく嬉しかった。それを悟られまいと、ぎゅ、と下唇を噛んで、どうにかやり過ごした。





 ではそろそろこの国も経とうか、と馬車の手配をする最中。

 エリザベスはレナードに呼ばれた。なにやら物陰から手招きされ、なにかあったのだろうか、とエリザベスはすぐにレナードの元へ向かった。

 

「レナード様?」

「馬車の中だと侍女がいるからね。今のうちに話しておきたくて」


 言いながらレナードは、懐からなにかを取り出した。レナードの片手に収まる小さな箱。なんでしょう、とエリザベスが首を傾げると、レナードがそっとその箱を開いた。


「……ブローチ?」

「そう。君の目と同じ、紫の、ね」


 嵌められた宝石は安物で、細工も拙いものだ。とても王侯貴族が身につけて良い代物ではない。だというのに、レナードは、躊躇いもなくそのブローチを胸元に刺してしまった。


「レナード様……!?」

「……安物だから公式の場では身につけられないけれど……どうしても君の色を纏っていたかった」

「……なぜ、ですか……?」

「そうだねぇ、……市井での言葉を覚えているかい?少しは、マークのことを愛していたという、自分の言葉を」

「……もちろんですわ」

「それに少し嫉妬してしまった。……だからこうしてアピールしようと思ってね?私は、安物であれ君の色を纏っていたい、と」

「な……」


 では先ほど。急に姿をくらませたのはこれを探しに行っていたというのか。


「驚いたよ。これを買った直後にあんな質問をされたんだから。もしかして見られたかと思っていたけれど……その反応を見るに違うようだね?」


 胸に刺したブローチを、愛おしそうにレナードが撫でる。その姿に、エリザベスの体温は一気に上がる。そして、ふいに、マークから言われた言葉を思い出し、急に胸に込み上げるものがあった。


「国中の宝石を掻き集めるのは帰ってからだ。それまではこれで……、……リジー?」


 まさか本当に、自分の色を探して、身につけてくれるなんて。

 マークの言葉になんて気にならない。暗い紫のなにが悪いんだ。確かに桃色に比べれば暗く劣るかもしれないけれど。そう開き直っていたのに、


「……リジー、……リジー?泣いているのかい?」

「っ……も、申し訳ありません……」


 照れたように、けれどまっすぐに自分を見つめながらブローチを身につけてくれたレナードの姿が、エリザベスは本当に嬉しかったのだ。

 込み上げる涙がその証拠だ。暗い紫の瞳でも構わないよ、そう、レナードに言われた気がしたのだ。


「……ごめん。君の気を悪くしてしまった?」

「違います、……実は以前、マーク様から、お前の目は暗くて嫌いだ、身につけたくない、と言われたことがあって……。……気にしていないつもりでしたが……レナード様がブローチを付けてくださったのを見て、あぁ、あのときのわたくしは、マーク様のお言葉に傷付いていたのだと、今更ながらに気付いたのです」

「……嫌なことを思い出させてしまったね。それならもうブローチも外してしまおうか?」

「そんな滅相もない!」


 指先で涙を拭いながら、エリザベスはレナードの姿を再度見る。安物のブローチ。けれど、彼にはぴったり似合っているように思えた。


「安物かもしれませんが……レナード様に、とてもお似合いに見えるのです。ありがとうございますレナード様、わたくしの色を嫌がらずにいてくださって」


 嬉しくて、本心からの笑みが出てしまう。すると、対照的にレナードの顔はみるみる歪んでいく。


「……レナード様?」

「…………ごめん、リジー。今すぐ君を抱きしめたい」

「え、な、」

「……今なら多分誰も見ていない。だからリジー、どうか、君からの許しが欲しい」

「え、あ、……ど、どうぞ……っ……?」


 許可を出すや否や、腕を引かれ、ぎゅうう、と力強く抱きしめられてしまった。

 自分よりずっと太い男の腕。エリザベスの体はレナードの腕の中にすっぽり収まってしまう。それに、鼻腔がレナードの香りでいっぱいになり、エリザベスの心臓が急速に高鳴っていく。


「……リジー。好きだ、愛してる、……私が、きっと世界で一番リジーを愛してる」

「レナード様っ……!?」


 耳元で、低く掠れた声で囁かれ、エリザベスは一気に混乱に陥る。逃げたい。けれど檻のような腕に阻まれて逃げることすら叶わない。


「レナード様、もうそろそろ馬車の準備も整う頃ですわっ……!誰かに見られてしまっては……!」

「……もう少しこのままが良い。せっかくリジーを抱きしめられたのに」


 駄々っ子のような口ぶり、しかし色気と情欲を孕んだ声色に、エリザベスの腰は思わず砕けそうになる。地面にへたり込まなかったのは、レナードに抱きしめられているおかげだ。


「〜〜っ、レナード様……!」

「…………仕方ない。リジー、何度でも言うけれど……私は君のことを愛している。君が望むなら、暗い紫だって喜んで身に纏おう。それだけは覚えておいて」


 す、と腕が解かれ、レナードはその場を後にしてしまった。

 ひとり残されたエリザベスは、今度こそ、地面にへたり込んでしまった。


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