パプリカの実なる頃に
「これは、夏の話。」
田んぼ道の向こうに続く秘密の森。
ひと夏の思い出。
季節は巡り、僕は再びあの場所に訪れる。
そこで僕が見つけたのは──
「パプリカの実なる頃に」
どうぞ、お楽しみください。
これは、夏の話。
車で、トンネルを抜けて、田んぼに囲まれた道をまっすぐ進んで、三本目で曲がる。そこから、右に曲がって、おばあちゃんの白い車の横に、後ろ向きに車を止める。
玄関からする独特な匂いを感じながら、廊下を裸足で駆け出す。木の軋む音が、セミの音と共に響く。お仏壇の部屋に入る。そこで、ひいおじいちゃんに手を合わせる。目をつぶってしばらくしたら、窓を開けて縁側に出る。腰かけて、足をぶらぶらさせる。飽きたら、裸足のまま外に出て、軒下を覗いてみる。
軒下は、虫がいるくらいで、暗くてよく見えないし、何も落ちてない。
でも、その日は違った。
目が合った。
しっかりと。人の目を感じた。
びっくりして、思わず後ろに倒れた。
それは、相手も同じであったようで、真ん丸な目を見開いたまま、スルスルと軒下から這い出てきて、目の前に立った。
肩より短い長さの髪を土だらけにして、前歯の歯が生えかけの口は、あんぐりと開いたままだ。白いシャツが土で汚れていた。
「きみ、だれ?」
ぼくは尻もちをついたまま聞いた。
「わたし?」
顎の当たりを指さし、顔を傾げながら。
まだ、目は真ん丸だ。
ぼくは黙って頷いた。
「あおば!」
目が閉じて、ぱあっと笑顔になって得意気に言った。
「おまえは?」
また、丸い目を向けられた。
「ぼくは、なつき。」
あおばが手を差し出して、ぼくはその手を取った。
「ここに住むの?」
あおばが聞いた。
「うん。2週間。」
ぼくは、おしりについた土をはらいながら、自信を持って答えた。
「なら、ちょっぴりだけ、ここに住むんだね。」
ぼくは、「うん。ちょっぴりだけ」と言った。
そしたら、家の中からおばあちゃんの「なつくん!すいかだよー!」という呼び声が聞こえてきた。聞こえたと思うと、縁側におばあちゃんが立っていて、「おやまあ、お友達?」
と、あおばに話しかけた。そしたらあおばが、「じゃあ!なつ!またあとでね!」と言って走り去っていった。
ぼくは引き留めようとしたけど、すぐに行ってしまった。
「なつくん。中に入ろう。」
あおばの走って行った方角を見つめながら、ぼくはうなずいた。
おばあちゃんに足の裏を拭いてもらって、ちゃぶ台の前に座って、すいかをほおばった。
しばらくして、お父さんとお母さんもすいかを食べにやってきた。
ぼくは、すいかを3つ食べて、おなかいっぱい。と言って、まだすいかを食べていたお母さんに、靴下はどこか尋ねた。
お母さんは、食べていたすいかを置いて、大きいカバンから、靴下と帽子を取りだした。ぼくが靴下を受け取って、履いている時に、お母さんが、ぼくに帽子をかぶせた。あまり深くかぶせるもんだから、ぼくは、自分でかぶり直さなくちゃいけなかった。
かぶり直してすぐ、ぼくは廊下を駆け出した。でも、お母さんは追いかけてきて、僕の首に水筒をかけた。
「田んぼの周りから出たらダメだよ。」
と言われて、ぼくはわかった!と言いながら、靴を履いて戸を開けた。
あおばのいなくなった方向に向かって、走ってみた。
田んぼの2本目の道で、疲れて息を切らしていたら、後ろから肩を叩かれた。
「なつ!こっちおいで!」
後ろにいたのはあおばで、僕の手を引いて走り出した。
ぼくは、転びそうになるのを我慢しながら、引かれるがままに走った。
少し走って、田んぼの終わりが見えた。
あおばは、茂みの中に入っていった。
ぼくは、あおばの手を払って、少し躊躇った。
あおばは、茂みから顔を出して
「ほら、はやく!」
と言って、ぼくを茂みに引き込んでしまった。
その時、帽子が落ちた。
帽子を拾う間も無く、あおばはぼくの手を引いた。
ひとり通るのがやっとな狭さの、曲がりくねったけもの道を抜けると、木に囲まれた広場に出た。
ひとつの木にブランコがついていて、あおばはそれに飛び乗った。
ぼくは辺りを見回した。
「ここは、どこ?」
ぼくは聞いた。
「ここはね、あおばの森!あおばの秘密の場所!だから、なつもここは誰にも教えちゃいけないからね!」
「なつは、何歳?」
あおばがブランコを漕ぎながら聞いてきた。
「ぼく8さい。でも、3年生。あおばは?」
9月生まれのぼくは、小さくみられるのがいやだった。
「わたし、9さい!3年生!」
あおばも3年生だったんだ。と嬉しくなった。
そこから、2人で倒れた木の上に座って、ぼくの水筒で、お茶を飲んだ。
蓋がコップになってるから、あおばにも分けた。
あおばの話はどれも面白かった。
ゆずを何回もくばって回るおばちゃんの話とか、小学校の先生が全員で20人しかいないとか。
ぼくの小学校には、先生がみんなで40人くらいいると言ったら、あおばはすごく驚いていた。
あおばにおじいちゃんはいなくて、おばあちゃんと2人で住んでることも教えてくれた。
ぼくは、お父さんとお母さんの3人でいつもマンションに住んでるけど、おばあちゃんの家に夏の間は住んでいることを教えた。
ぼくの住んでいるところには、カブトムシが全然いないと言ったら、ここにはいっぱいいるよ。とあおばが教えてくれた。
沢山話して、ブランコで遊んで木の棒で戦って、寝っ転がって笑った。
いつの間にか眠っていたみたいで、空は少し暗くなっていた。
ぼくは、あおばを起こした。
「あおば、帰ろう」
あおばは、むくっと体を起こして先に出口の方に行ってしまった。
ぼくはあわてて、あとに続いた。
ぼくはあおばを押すように走った。2人はもつれて、田んぼに出た時に、2人で転んでしまった。
そばにお母さんがいて、ぼくの帽子を持っていた。
「大丈夫?もう帰るよ。」
立ち上がって、土を払った。
そしたらあおばが立ち上がって、空を指差しながら嬉しそうにして
「見てよなつ!いちばんぼし!いちばんぼしはね、お願いごときいてくれるんだよ!」
と言って、ぼくの手をぎゅっとつかんだ。
「あしたも晴れますよーに!!」
あおばが叫んだ。
「晴れますように!」
ぼくも負けじと叫んだ。
あおばは、目を細めて笑って、手を振って走って行った。
お母さんはにっこりして
「お友達?」
と聞いてきた。
「うん。あおばってんだ。」
と言って、今日あおばが話してくれたことをお母さんにちょっぴりだけ話した。
おばあちゃん家に帰って、夕飯を食べた。
その後布団を敷いて、ぼくはぐっすり眠った。
次の日、とんっと、ひたいにどんぐりがぶつかった衝撃で目を覚ました。
起き上がると、お母さんとお父さんはいなくて、ぼく1人だった。
台所の方がなんだか騒がしくて、みんなそこにいるのだと分かった。
眠い目をこすって、どんぐりが飛んできた窓の方に目をやると、あおばがいた。
空いた窓から、どんぐりを投げてきたのだ。
「おはよ!なつ!」
あおばが元気よく言った。
あおばは、白いシャツと短パンに、赤いマントをつけていた。
そしたら、おばあちゃんが縁側の方から、ぼくの部屋に入ってきて、あおばを見た。
「あらぁ、並木さんとこの青葉ちゃん?」
あおばは、びっくりした顔をして、会釈した。
「おいで、とうもろこしあるよ。なつくんは着替えてらっしゃい。」
ぼくは返事をした。おばあちゃんは、あおばを縁側に座らせて、とうもろこしを渡していた。
ぼくは隣の部屋に行って着替えて、縁側に出た。
あおばの隣に座ると、おばあちゃんがぼくにもとうもろこしをくれた。
「ぼく、朝ごはんまだだよ?」
とおばあちゃんに言うと、おばあちゃんは
「ご飯の方食べたいかい?」
と優しく聞いてきて、ぼくは頷いた。
そしたらおばあちゃんが、ぼくの分の朝ごはんをお盆に乗せて持ってきてくれた。
とうもろこしをほおばるあおばを横目に、ぼくは鮭ご飯を食べた。
「赤いマントかっこいいね。」
ぼくはあおばに言った。
「でしょ!おばあちゃんがくれたの!」
あおばは嬉しそうにとうもろこしを食べながら答えた。
あおばの方が少し先に食べ終わって、僕は少しあとに食べ終わった。
あおばが、遊びに行こうと急かしたけれど、おばあちゃんは、ちょっとお待ち。と言って、2人におにぎりを作って持たせてくれた。
巾着と水筒を持って、ぼくは玄関の方に回って靴を履いた。
履いている途中に、またお母さんに帽子をかぶせられた。
ぼくは帽子をかぶり直して、おにぎりの入ったリュックを背負って家を飛び出した。
あおばと、ふざけながら道を歩いて、あおばの森に向かった。
その途中に、あおばの家があった。昨日は走ってて気が付かなかったが、あおばの家の庭にはたくさんの野菜があった。
あおばは走っていって、きゅうりを2本取ってきたと思うと、外の水道で洗ってぼくに1本くれた。
あおばの庭で、2人で、きゅうりを食べた。
庭には他にも、ミニトマトとトマト、それにナスがあった。
庭の中で、1本だけ、白い花をいくつかつけているものがあった。
花しかないから、あおばに聞いてみると
「これ?パプリカだよ!わたしが育ててるの!お花。きれいでしょう?」
ぼくは、きれいだね。と言った。
きゅうりを食べ終わると、あおばは立ち上がって、行こう!と言った。
ぼくはうなずいて、またあおばの森まで走った。
曲がりくねって抜けた先には、昨日と変わらぬ景色が広がっていた。
ブランコに飛び乗ったあおばは、勢いよく漕ぎ始めた。赤いマントが風に揺れて、本当にかっこよかった。
ぼくたちは、ひとしきり遊んだあと、お腹がすいておにぎりを食べた。
塩のおにぎりは、疲れにちょうど良くて、とても美味しかった。
そのあと、ヒーローごっこをして、ブランコから登場したり、飛び跳ねて戦ったりした。
日が傾き始めて、ぼくたちは森を出た。
帰り道は、昨日と違っていちばんぼしがちらちらと流れる雲に見え隠れしていた。
あおばは昨日と同じように
「あしたも晴れますよーに!!」
と叫んでいた。
ぼくも叫んだ。
おばあちゃん家に帰って、お父さんと一緒にお風呂に入った。
お父さんにパプリカの花は白色だと教えた。
そのあと夕飯を食べて、布団に入った。
その夜は、何となくすぐに眠れなくて窓を眺めていた。
空は曇っていて、月がぼんやりとして、雲を光らせていた。
月を眺めているうちに、眠っていた。
朝、雨の音で目が覚めた。
ザーッと鳴り響く音は、おばあちゃんの家だと余計に大きく感じる。
風も強くて、風が大きく吹く度に、家がガタガタ揺れた。
ぼくは、真っ先にあおばのことを考えた。
寂しくないだろうか。遊べなくて悲しくないだろうか。
「雨、ふっちゃったな。」
家の中で、おじいちゃんとおばあちゃんと、トランプをして遊んだ。
あと、お母さんに言われて宿題も少しやった。
お昼すぎに雨が止んで、屋根の上から垂れる、しずくの音しか聞こえてこなくなった。
ぼくは、靴を履いて外に出た。
辺りには、たくさん水たまりがあって、避けながら進んだ。
あおばのお家に行ってみたけど、あおばのおばあちゃんに、あおばはもう出かけたと言われた。
森なら、あおばがいるかもしれないと思って、あおばの森に向かった。
雨に濡れた葉っぱの間を、曲がりくねって進んだから、ぼくの服は少し濡れた。
ぼくは、ブランコの木の下に、赤いマントが見えた。
ふと視線をあげる。
ブランコが外れてしまっていた。
ぼくは、水たまりにハマらないように、慎重になりながら、木の下に、うずくまっているあおばの隣にしゃがんだ。
あおばは泣いていて、顔を上げてくれなかった。
ぼくはどうすることも出来なくて、少し考えた。しばらくして、ぼくは口を開いた。
「ブランコ、外れちゃったね。」
あおばは、顔をあげた。
「ロープがちぎれちゃったの。」
鼻水がたれて、目にはまだまだ涙がたまっていた。
「ロープ、他に無いの?」
僕は聞いた。
あおばは、黙って首を振った。
「ちょっと、待ってて」
ぼくは、そう言ってあおばを残して走って森を抜けた。
ぼくは、田んぼ道を走って、道にいた大人全員に声をかけた。
「ロープ持ってないですか?ブランコに使うんです!」
たくさん。たくさん聞いた。
でも、みんな持っていなかった。
そんなとき、1人のおじさんが、家にならあると言った。
「お願いします!ロープください!」
ぼくは、お願いした。
そしたらおじさんが、いいけどボウズ、条件がある。と言ってきた。
このとうもろこしを、そこの【やしろ】というおばあさんに届けてきて欲しい。
この字だ。と言われて、手のひらにペンで八代とかかれた。
そう言われて、ぼくは分かりました。と言った。
おじさんは、カゴに入ったとうもろこしをぼくに持たせて、渡す時に、じゅんきちからあずかったと言えば受け取ってくれると言われた。
渡せたら、またここに戻って来て、そしたらロープをあげるよ。と言われた。
ぼくは走り出した。
「おい転ぶんじゃねぇぞー」
おじさんが叫んだから、僕は早歩きに変えた。
しばらく歩くと、手の文字と同じ文字が書いてある表札が見えた。
その家の、チャイムを鳴らして
「すみませーん」
と叫んだ。
すると、おばあさんが出てきて
「あら、蒔原さん家の孫の子かい?」
と聞かれた。
「そうです。えっと…これ、じゅんきちからあずかった。」
と言って、とうもろこしを渡した。
「あらまあ、どうも。ありがとう。純吉は、何してるんだい?」
「今、ブランコのロープを持ってきてくれてます。じゃあ、ぼくはこれで」
立ち去ろうとした時、おばあさんが
「ちょっとお待ち、これ、お菓子、持っていきなさい。」
と言って、ぼくの手に、個包装のお菓子をぎゅっと握らせた。
ぼくは、急いでいたから
「ありがとうございます」
と言って、駆け出した。
おじさんとの約束の場所に戻ると、おじさんがロープを持って待っていた。
「お、ボウズ、お菓子もらったのか。助かったよ。俺ァ、甘いもんが苦手でねぇ。これ、ロープだよ。どれ、ブランコ治してやるよ。」
と言っておじさんは、ぼくについて来ようとした。
「それは、だめなんです。約束したから、ひみつの場所なんです。」
と、ぼくはおじさんを止めた。
「そうなのかい?でも、あの森のブランコ作ったのは俺だぜ?」
そう言われて、ぼくは驚いた。
「おじさんが、作ったんですか?」
ぼくは森に歩き始めた。
おじさんも一緒に。
「おじさんなんて、やめてくれよ。純吉さんて呼ぶんだな。」
じゅんきちさんが笑いながら言った。
「じゅんきちさんは、なんでブランコ作ったんですか?」
ぼくは純粋に聞いた。
「そうだなあ、ボウズが見つけたあそこのひみつ基地を、中坊くらいのときに、見つけてだな。俺はそん時もう、ブランコくらい作れる技術を、親父から学んでたんだよ。」
キラキラと光る眼をして、じゅんきちさんは話した。
「ぼくはなつきっていいます。みんなは、なつって呼ぶ。ボウズじゃない。」
じゅんきちさんは笑って
「そうかそうか、なつき!いい名前だな。」
ぼくは少し恥ずかしくなった。
「でも、あの森見つけたの、ぼくじゃないんです。あおばって子で…」
「じゃあ、なつきは、あおばちゃんのために走り回ってたわけだな。」
話しているうちに、あおばの森の入口に着いた。
ぼくが先に入って、じゅんきちさんが後から着いてきた。
広間に出ると、あおばが泣き疲れたのか、木の下の木陰で眠っていた。
じゅんきちさんと僕は目を合わせて、静かにブランコを治した。
ブランコを治したら、じゅんきちさんが
「じゃあ、俺は帰る。あおばちゃんには俺が来たこと、内緒な。じゃ」
と言って、ぼくがお礼を言う前に、出ていってしまった。
ぼくは、あおばを起こした。
「あおば、あおば」
あおばはゆっくり起き上がって、目をこすった。
そして、ブランコを見て
「治ってる!なつがやったの?」
と言ってぼくを抱きしめた。
「うん。ちょびっとね。」
ぼくは、嘘はついていないつもりだ。
そして、おばあさんから貰ったお菓子を、2人で分けて食べた。
そして、あおばは、ブランコで楽しそうに揺れた。
すぐに日が傾いて、ぼくたちは帰路に着いた。
帰り道、2人の影法師が長くなっていて、影で遊びながら、笑って帰った。
それから毎日遊んで、あっという間に2週間が過ぎてしまった。
「もう、明日ぼくは帰るんだ。」
いつものように森で遊んだあと、夕暮れ時にあおばに言うと、あおばは悲しそうな顔をした。
「次いつ遊べる?」
あおばは聞いてきた。
「来年の夏かな。」
あおばの表情が少し明るくなって
「じゃあ、絶対遊ぼうね!約束!」
と言って、真ん丸な目でぼくを見つめて、指切りをして、目を細めて笑った。
いちばんぼしがいっそう強く光っていた。
「次もまたなつと遊べますよーに!」
あおばはそう叫んだ。
「あおばと遊べますよーに!!!」
ぼくはもっと叫んだ。
2人でハイタッチをして別れた。
次の日。
あおばは、あおばのおばあちゃんと一緒に、お見送りに来てくれた。
「並木さん。どうも、夏希がお世話になりました。」
お母さんが挨拶をした。
「いえいえ、うちの孫も同い年の子がここには少ないもんだから喜んでます。」
あおばのおばあちゃんも挨拶をした。
「あおば。また遊びに来るからね。」
ぼくは、思い切って言った。
「うん。絶対ね。」
ぼくたちはまた。指切りをした。
あおばがなにか思い出したようにあわてて、ぼくの手にぎゅっと押し付けた。
「これ、実がならなかったの。なつにあげる。」
小さい、白い花だった。
「これ、パプリカの!」
ぼくが、返そうとしたとき
「夏希。行こうか。」
お父さんに後ろから声をかけられた。
ぼくはうなずいて、車に乗った。
ぼくは、後ろを見て、ずっと、手を振った。
あおばも、ずっと手を振っていた。
車の中でずっとパプリカの花を握りしめていた。
次の夏。
車で、トンネルを抜けて、田んぼに囲まれた道をまっすぐ進んで、三本目で曲がる。そこから、右に曲がって、おばあちゃんの白い車の横に、後ろ向きに車を止める。
おばあちゃん家に着いた。
ぼくは、荷物を運ぶのを手伝ってから、お仏壇に、手を合わせた。
帽子と靴下を引っ張り出して、水筒を持って
「いってきます」
と言って、あおばの家に行った。
1年前の記憶をたどって、森の途中にある家を探しながら歩いた。
庭に野菜が沢山ある家。
探しながら歩いていたら、気がついたらあおばの森の入り口に来てしまっていた。
来る途中に、家なんてなかったのだ。
途中、更地になっているところ以外全部田んぼだ。
更地では、おじいさんが作業をしていた。
「並木さん家はどこにありますかー!」
ぼくは聞いた。
「並木?あぁ、ちょっと前に家が取り壊されたよ。ちょうどここに建ってたはずだ。」
と言って、持っていた棒で地面を叩いた。
そんなはずがない。
ぼくは、何度も何度も探した。
「並木…並木…並木」
どこにもない。
探し回っていると、おばあちゃんが追いかけてきて、ぼくに言った。
「青葉ちゃんね。実は、青葉ちゃん。病気で亡くなったの。最後も、なつくんに会えるのかずっと聞いてたみたいでね。青葉のおばあちゃんも、認知症が進んじゃったもんだから、施設に入るって、お家取り壊しちゃったのよ。」
ぼくは、うつむいて、歩いて家に戻ろうとした。
「おい!なつき!」
急に声をかけられた。
「じゅんきちさん?」
ぼくは、自信をもてずに口に出した。
「おお、そうだ。よく覚えてたな。聞いたか?あおばちゃんのこと。」
じゅんきちさんは、まあ、ちょっと聞いていけよ。と言って、道に置いてあった端材の上にぼくを座らせて、ぼくに全部話してくれた。
あおばは、元々がんを患っていたこと。
お父さんとお母さんが離婚して、その時、お母さんに引き取られたんだけど、交通事故でお母さんを亡くしてから、おばあちゃんに引き取られたこと。
そして、おばあちゃんとここに住んでいたけれど、病気が悪化してしまったこと。
病気のせいでほとんど友達ができなかったから、なつきが初めての友達だったこと。
「狭い村だから、みんな知ってんだ。もちろん。最後まで、なつきに会いたがってたこともな。」
ぼくは、涙が止まらなかった。
ずっとずっと、止まらなかった。
ぼくは、走り出した。
あおばの森に向かって。
曲がりくねった道を行って、ブランコに飛び乗る。
おもいきり漕いだ。
前の夏の記憶が鮮明に蘇って、ぼくはブランコの上に立ち上がった。
それでも漕いだ。
どんなに泣いても漕いだ。
漕ぎ続けた。
疲れて疲れて、ブランコの上に座って力なく揺れた。
日が傾いたから、立ち上がって、曲がりくねったけもの道を行く。
木の根っこにつまずいて、転ぶ。
手と顔を土だらけにして、こみあがってくる涙を我慢する。
立ち上がって、そのまま、おばあちゃん家まで走った。
もう、あおばに、会えないんだ。
──10年後
僕は大学生になった。
夏休み、久しぶりにおばあちゃん家に行ってみようと思った。
電車を乗り継いで、おばあちゃん家まで。
駅に着くと、おじいちゃんが車で迎えに来てくれていた。
あまり変わらない道を行って、いつものように三本目を曲がった。
おばあちゃん家に入って、荷物を運んで、セミの音と、木の軋む音が混ざり合う。お仏壇に手を合わせる。立ち上がると、おばあちゃんが後ろから話しかけてきた。
「なつくん。よく来たね。おっきくなって…これ、青葉ちゃんのおばあちゃんがね、渡してきたの。なつくんにだって」
そう言って渡されたのは、ぼろぼろになった、赤いマントだった。
僕は、受け取って、強く握りしめた。
縁側に出てみると、白い花をつけたパプリカが植えてあった。
僕は、玄関から庭に回って、パプリカの花をひとつだけ取った。
そして、道端に咲いている花を、摘みながら歩いた。
曲がりくねった道を行って。
あおばの森に出た。
両手に抱えた花を、ブランコの木の根元において、パプリカの花だけをそっと、ブランコの上に置いた。
赤いマントを、ブランコのじゅんきちさんと直したロープに括りつけた。
帰ろうと思い、歩き出そうとした時、何かが足に当たる感覚がした。
足元を見ると、小さなパプリカが転がっていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
初めての投稿で、ドキドキです。
「パプリカの実なる頃に」いかがだったでしょうか。
私もまだまだ学生で、拙い部分もあると思いますが、よろしければ感想をいただけるとものすごく嬉しいです。
(一言でもすごく嬉しいです!)
田舎の景色、ひみつ基地、ひと夏だけの友情…
そんな「あの頃」の記憶を小説に詰め込みました。
青葉と夏希の物語が、あなたの心にどこか懐かしい気持ちを届けられたら嬉しいです。
霜影