霧の街角
木の香りとほんの霧が立ち込めるパリの街角、エミリーは古びたカフェの窓際に座っていた。手元には使い込まれた皮のノートとペン。そして、カップから立ち上るジャスミンティーの香りが彼女を包み込む。
エミリーの視線は窓の外へ。小雨が降る中、石畳を行き交う人々の中に、一人だけ目を引く男がいた。グレーのトレンチコートを身にまとい、雨に濡れることを気にせず歩くその姿は、どこか孤独と憂いを感じさせた。彼の名前はエティエンヌ。私たちの運命の出会いはこのカフェから始まった。
数日前、エミリーは書店で偶然エティエンヌと出会った。家を出たとき、空は灰色に曇っていたが、雨が降りそうな気配はなかった。傘を持つべきか一瞬迷ったが、結局そのまま出かけることにした。駅までの道を歩き始めて数分もしないうちに、ぽつぽつと冷たい雫が頬に触れた。そのうち、雨脚はどんどん強まり、気がつけば道行く人たちも慌てて傘を広げ始めていた。
「しまった」と思ったが、戻るのも億劫だった。ふと目をやると、少し先に古びた看板が目に入った。そこには"書店"と控えめな文字が書かれている。雨宿りにはちょうど良さそうだったし、本屋という響きに何となく心惹かれるものがあった。
扉を押して中に入ると、外の雨音が不思議なくらい遠のいた。店内はりとした暖かさに包まれていて、どこか懐かしい雰囲気が漂っている。背の高い本棚が隙間なく並び、その間を縫うようにして歩いていると、雨に濡れた服の冷たさも次第に気にならなくなってきた。
「いらっしゃいませ」と、柔らかい声が響く。振り向くと、店の奥に小さなカウンターがあり、そこに座っている初老の店主が穏やかに微笑んでいた。その微笑みに促されるように、自然と足が本棚へと向かう。
濡れるのを嫌って入ったはずなのに、何か素敵な本との出会いが待っているような予感がした。