嬉しい知らせは無限に聞きたいものね!
王宮に用意された客室。オリクトの自室には劣るものの、これもまた豪勢な部屋だった。調度品、机、ソファ、どれも年期がありながらも輝いている。
「アンガス様とノルマン様が到着されました」
「通しなさい」
侍女達も忙しく駆け回る。それもそのはず。これから一人の乙女の人生が決まる。それもオリクトの手でだ。
仲人なんてお節介なオバサンみたい……そう思うも前世との年齢を合計すれば気にならなかった。むしろ楽しいと思っている自分がいる。未来の義妹にあれこれと手を回すのはなかなか愉快だ。
日本の感覚なら余計なお世話と言われるだろう。しかしここは違う。家の繋がりやら政略結婚は当たり前。ならばその中でもお互い良い出会いとなるよう考え、当人同士も寄り添うべきだと考えている。
何よりも義妹、アトロクの事を考えると笑いが止まらない。いずれ本当の家族となる者。前世ではいなかった妹。考えるだけで胸が踊るような気分だ。
「失礼します」
低い声で我に帰る。大きく重い足音を響かせながら二人の男性が部屋に入った。
今回のお見合い、もう一人の主役。ブラーク家の次男にてオリクトの再従兄弟、ノルマン。その隣には兄でありオリクトにとっては義兄のアンガスがいた。
「ご無沙汰しております殿下」
「ええ、お久しぶりですアンガス様」
にこやかに挨拶するも、ノルマンだけはいつもより落ち着いていなかった。
当たり前だろう。今日は彼にとっても大きなイベントだ。緊張して当然だろう。
「あの、殿下?」
ノルマンの声からは不安と言うよりも困惑が感じられる。その理由は彼女も察していた。
「ご指示の通りにしましたが……何故騎士服なのですか?」
そう、彼は学生服でも礼服でもない。黒を基調としたブラーク軍の騎士服姿だったのだ。
この場に相応しい服装なのかと聞かれると少し違う。貴族令息なのだ、お見合いの場には着飾るのが当然だろう。本職ならともかく、ノルマンがこの格好なのは少し違う。
だからこそオリクトの指示とはいえ、この格好に疑問があったのだ。
「これが良いのよ。あの娘好みだろうし」
「そういうもんですかねぇ…………」
困惑しているように見えるがオリクトは微笑むだけ。楽しみ、そう言いたげだった。
それよりも気になる事が一つある。
「そう言えばフリーシアは?」
ノルマン側の付き添いはアンガス一人でも充分だろう。しかしいつも一緒にいるフリーシアがいないと、どうも物寂しさがある。
「フリーシアでしたら邸でドレス選びをしています。王妃殿下のパーティーですからね。久しぶりに気合いを入れてますよ」
「そんで、【リュカオンを籠絡してグラファイト家を乗っ取ってやりますわ~】だそうです。相変わらず姉上は図太いと言うか」
思わず吹き出しそうになる。
ラゴスの言う通り、フリーシアを心配するのは樹優だった。いや、むしろ彼女はこれをチャンスだと考えている。
そう、余計なお世話だったのだ。
「そうね。彼女らしいわ」
「全くです……っと、兄上」
何か思い出したように目配せをする。その視線にアンガスはハッとした。
「そうだ。今日は殿下に報告しなければならない事があったのでした」
「あら? それは良い知らせなのかしら?」
「ええ。とても」
興味深い。アンガスだけでなくノルマンも何か知っているようだ。
何があるのだろうか、どんな知らせだろうか。期待に胸が高鳴る。
「……シルビラが懐妊しました」
時間が一瞬止まる。アンガスの言葉を脳に浸透させながら心の奥へと伝わる。
胸が歓喜に震えた。
「そう……」
声が出ない。辛いのではない。嬉しいからこそ言葉が出ないのだ。
「それは、とても素敵な事だわ。おめでとうございます、アンガス様」
「ありがとうございます」
姉の懐妊。これを喜ばないはずがない。なんて素晴らしい知らせなのだろうか。よく考えてみれば、もう子ができてもおかしくはない頃だろう。
「お姉様が……ふふっ、これで私も叔母かぁ。ノルマンも叔父になるのね」
「はい。感慨深いものです」
不意打ちの拳が顔面に当たったような衝撃。しかしこれは良い意味での衝撃だ。きっとウルペス達にも連絡が入っているだろう。孫を喜ぶ両親の顔が目に浮かぶ。
ああ、こうして嬉しい事があると心が洗われる。はっきり言って悪い知らせなんか聞きたくない。しかしそんな我が儘は通らない。清濁併せ呑むのが責任というものなのだ。
それでも……
「本当、今日は最高の一日になりそうね。これでアトロクとノルマンの縁談が上手くいったら、もっと素敵だわ」
まだ今日は終わっていない。本来の目的もまだこれからだ。
「ええ。ブラーク家としても武具の調達にマグネシアとの縁は必要不可欠。ノルマンとの縁談も良い話しなのですが……」
アンガスはちらりとオリクトの方を見る。
「保守派の連中が不安ですね。王家を中心に強固なものになっていますが、警戒や敵対心を煽る事になるでしょう」
「そうですね。まぁ、上手く飴も与えておきましょう。グラファイトのように利益を求めて寝返ってくれると良いのですが……」
結託が強くなるのは良い。しかし敵から見れば脅威が強くなる事だ。何か手を打つ可能性もある。
勿論敵対し争うが、今回の件のように懐柔する手段もあるだろう。政治争いはまだまだ続く。いや、終わりなどあるのだろうか。
考えるのは後だ。今はもっと楽しい事を、嬉しい事だけを考えていたい。
「まっ、それを考えるのは今じゃないわ。それよりもアトロクとノルマンよ」
「あー、殿下?」
こんな中、ノルマンだけ何処かソワソワしている。
当たり前だ。彼は今日の主役の一人。緊張するなと言うのも酷だろう。
「ところでアトロク嬢……でしたっけ? どんなご令嬢なのですか? ああ、もちろんドルドンの妹なら人なりは信用できますが」
歯切れが悪い。人格というよりも十二歳の娘というのが引っかかっているのだろう。
大人になれば四歳差なんて大した事ではない。しかし十六の彼からすればアトロクは子供に思えてしまっても仕方ない。前世で例えるなら、高校生と小学生がお見合いをするようなものだ。
「大丈夫大丈夫。あの娘、けっこう大人びているこだから。きっと上手くいくはずよ」
「そ、そうですか。大人びたねぇ……」
苦笑いを溢しながらも、何処か楽しそうにも見える。この顔がどうなるか、想像するだけで愉しい。
「オリクト様」
彼女の気持ちを察するようにマムートが耳打ちをする。ついに本番の時間だ。
「通して」
「承知いたしました」
胸が高鳴る。
扉が開き、先に部屋へ足を踏み入れたのはドルドンだ。そして彼の後ろにアトロクが隠れるように続く。
「お待たせしました。ほら、挨拶を」
恥じらう妹をエスコートする、この光景にデジャヴを感じた。
そう、オリクトの狙い通りに進んでいる。
「…………殿下?」
兄弟揃った懐疑に満ちた声。引き攣った頬。ノルマンはその中にも喜びが見えたような気がする。
何もかも思い通り。
「その驚いた顔が見たかったのよ」
そうオリクトの悪戯っぽく笑みを返すのだった。




