旅立ち
朝起きて、いつもルーティンのように朝食の用意をしに来てくれるゼンが、まだ家に来てくれていない事に気が付いた。
家の中に人の気配がしない。
ああそっか!そういえばレインもいるし、二人に来て貰うのは申し訳ないから、これからはゼンの家で朝ごはんを食べる事にしたんだった!
バタバタと大急ぎで支度をして、家を出た。
ゼンの家に着いて、玄関口で適当にノックをして扉を開ける。
誰もいない。
それどころか、人の気配が全くしない。
人の気配はないのに部屋には良い匂いが漂っていて、誰もいないリビングの食卓には三人分の朝ごはんが並んでいる。
クロワッサンサンドとコンソメスープ。
スープからは湯気が立っていて、出来立てほやほやだという事が分かる。
まるで普段の日常から人物だけを消し去ったような不自然さに背筋がゾッとした。
一応全ての部屋をチェックして回る。
隅々まで探してみたけど、結局家の中には誰もいなかった。
も、もしかしたら、途中ですれ違ったのかも!
すぐ隣の家だからその可能性がないのは分かっていても、僅かな希望にすがりたくてゼンの家を出る。
そうして外に出て、私は気付いてしまった。
生き物の気配が全くしない事に。
人の気配どころじゃない、鳥もいなければ、虫一匹さえ見当たらない。
生物全てが滅亡した世界に一人取り残されてしまったかような感覚に血の気が引く。
どうして、なんで誰もいないの。
!そうだ、大通りに出れば、誰か一人くらい、もしかしたらいるかもしれない。
もしもそれでも誰もいなかったらどうしよう、と恐怖で震える体を叱咤してふらふらと進む。
いつもお世話になってるパン屋さん。朝からこのお店のパンを食べると、とても幸せな気持ちで1日が始まる。
笑顔が素敵なお花屋さん。残念ながら花より団子な私はあまり利用した事がないけれど、毎日この道を通ると優しく挨拶をしてくれる。
色んな物が売っていて、見るだけでも楽しい雑貨屋さん。私の髪を結んでいるリボンはここのお店で買った物だ。
村唯一の装備屋さん。この村の人達はみんな防具や武器をここで買っていく。ゼンのメイスは鍛冶職人であるご主人が特注で作ってくれた物だ。
八百屋さん、お肉屋さん。ここは隣り合ったお店を夫婦でそれぞれ手掛けていて、八百屋さんを奥さん、お肉屋さんをご主人が経営してる。お肉屋さんでは狩人さんからお肉の買い取りもしてる。
錬金術師ギルドはよくわからない、関わった事がないから。
何だったか不燃性の資材で作られた頑丈そうで立派な見た目の建物だけど、やっぱり素朴な土地にそぐわない異質さでは冒険者ギルドが頭一つ抜けていると思う。
名前もないような辺鄙な村だけど、周辺の集落を含めて近くに自警団も何も無いから、民の安全のために村長さんが要請して建てられたらしい。
その冒険者ギルドの前に着いて、私はもう心が折れそうだった。
ここに着くまで誰一人として出会う事がなくて、相変わらず村全体が静寂に包まれている。
目の前の冒険者ギルドにも、誰もいない。
人がいた痕跡は所々あるし、お店だって全て開いて売り物だって並んでいるのに、人だけがいない。
誰もいないのをまだ認めたくなくて、重たい足を無理やり動かす。
そのままフラフラと村の中を歩いていると、いつの間にか裏通りの教会の方へと来てしまった。
孤児の私を育ててくれた神父さんや、一緒に暮らした仲間達。前世の記憶が甦った時に、しっかり自分を見失わずにいられたのは、私を大切にしてくれた家族のおかげだ。
でも、みんなみんなどこかへ消えてしまった。
本当に誰もいないんだ。私一人だけが残されて。
い っ そ 私 も 。
背負っている大剣に手を掛ける。
絶望に呑み込まれそうになったその時、ジャリッと砂を踏むような音が微かに聞こえて反射的にそちらを振り向く。
建物で隠れた影の向こうから、その人はじっとこちらを伺うように見ていた。
眉根を寄せてなんだか苦しそうな表情。
暁の空のような赤い瞳と新雪のような涼やかな白髪。魔術師みたいな黒いローブを身に纏った青年が離れた場所から何かを伝えようと口を開く。
声は届いて来なかったけれど、口の動きをなんとか読み取れた。
「廃教会で、待ってる……?」
言われた言葉を復唱した刹那、陽炎のように周りの景色が揺らめいて、そのまま弾けるような光りに包まれて視界が白く染まった。
「って今の人!推しキャラだ!!!!」
外見的特徴が友人に聞いた最推しキャラ、レグルスにそっくりだ!絶対そうだよ!
ガタッガタン!ガシャンッ!
驚いた勢いのままガバッと立ち上がる。立った勢いで椅子が倒れ、カトラリーが床に落ちた。スープは振動で少しテーブルの上に零れたが、揺れただけで済んで無事だった。
「こら、急に立つんじゃない、行儀悪いぞ」
「えっと、どうしたの?」
クロエの突拍子もない行動に慣れていて冷静にたしなめるゼンと、驚いて目を丸くするレイン。
そうだ、今は皆で朝食を食べていたんだった。どうやら白昼夢を見てしまったみたいだ。
今日の朝食メニューはスクランブルエッグとハムを挟んだクロワッサンサンドと具沢山のコンソメスープ。
皆がいない夢の中でゼンの家に用意されていた食事と全く一緒な事に気が付いて、なんだか胸がざわついた。
「ごめんごめん、なんか一瞬寝てたかも」
へへへ、と笑って椅子を起こしてカトラリーを拾い、座り直す。
「今日はギルドに行くのやめとくか」
「そうだね、疲れてるんじゃないかな?ゆっくり休んだ方がいいよ」
ゼンが落ちたカトラリーを私の手の中から抜き取り、卓上のカトラリーケースから新しいのを取って交換するように握らせた。甲斐甲斐しいな、お母さんかな?
「ありがとう、大丈夫だよ!あ、でも、他に行きたい所が出来ちゃったんだ、ちょっと遠いんだけど、廃教会に行かないといけなくて」
スプーンでスープを掬って飲む。うん、美味しい。
さっきのがただの夢とはどうしても思えないし、呼ばれたからには行かないとね。
この世界では創世神が唯一神で、全ての民が信徒として大なり小なり教会のお世話になっている。
創世神信仰はかなり根深くて、その信仰心から教会が廃れる事はまずないから、廃教会といえば心当たりは一つしかない。
その昔、世界を救った救国の勇者を称え、その魂を安寧へと導く為に立ち上げられたとされる教会。
不思議な程に、いつ、何から、どうやって、どういう経緯で世界を救ったのかその全てが何故だかあやふやで、眉唾物のその成り立ちにいつしか信徒が集まらなくなり、いつの間にか教会として機能しなくなったらしい。ただ壊すのも罰があたりそうでそのまま放置してあるんだとか。
現在地から南へ進み何個か街を超えた先にある港湾都市ポルトラメール、そこから更に南下した位置にあるノトスという小さな村にその教会があるらしい。
この村からはかなり遠くて、馬車で1ヶ月以上はかかるかも。
もしかしたら二人はこの村を離れたくないかもしれないから、その時には私一人ででも行こう。
「わかった、じゃあ準備しよう、急げば昼前には出発出来るだろ」
「えっ、廃教会!急に?…えー、それってどーーしても行かないといけないの…?」
当然のように受け入れるゼンと嫌そうに渋るレイン。
本当に唐突だし、気分が乗らないのは当然だと思う。
ゼンは私が以前神託を授かった時の事を話した事があるから、もしかしたら何かを察したのかも。
そうじゃなかったらイエスマンすぎてちょっとこわい。もっと自分の意思を大切にして欲しい。
「行きたくないなら待っててもいいんだよ、用事がすんだら帰ってくるから!」
「行きたくないとは言ってないでしょ、置いて行かれるくらいならついてくよ、……でもその用事ってなに?あんな所わざわざ行ってもなーんにもないよ?」
「えーーーっと…」
夢で人に呼ばれたからとか、もし行かなくて、もしも万が一あの生命が消えた世界が形になったら怖いからとか、理由はあるけどちょっと言いにくい。
もしついてきてくれるなら長距離を移動する事になるのに、理由が夢で見たからって。
人を振り回す理由としては駄目すぎて、つい言葉に詰まってしまう。
「…まぁ、あらためて観光してみるのも楽しいかもね、僕、湾岸都市の海鮮サラダ食べてみたいなぁー、寄ってもいーい?」
海鮮サラダはポルトラメールの名物料理だ。生の鮮魚を新鮮な野菜と一緒に食べられる都市はあまりない。
言いにくそうにしていたクロエを気遣って、レインが話題を転換した。
深く追及されなかった事にクロエは申し訳なく思いつつも、ホッと胸を撫で下ろす。
「もちろんだよ!私も食べたい!」
「やった、楽しみだなー」
へへ、と楽しそうに笑うレインにクロエも笑みを返す。
長い旅になるので、行く先々で村や町には立ち寄る必要がある。そして湾岸都市には元々寄ろうと思っていた。もしかしたらそこまで考えて提案してくれたのかもしれないと思うと、レインの優しさになんだか暖かい気持ちになる。
ふと、クロエは先程からゼンが紙とペンを取り出して卓上でなにやら書いているのが気になった。
体を乗り出して覗き込んでみる。
「テント、仕切り用天幕、シュラフ3つ、ランタン、塩、スキレット、鍋、サバイバルナイフと…え、もしかしてこんなに沢山荷物持ってくつもりなの?」
そこにはズラーっと持って行く物のリストが書かれていて、悩んだのか途中何個かバツで消してある物もあった。
持てるのは持てるけど、こんなに沢山持っていったら戦闘になった時には邪魔になっちゃうかも。
「状況によっては夜営になるかもしれない、色々持っていかないといざという時困るだろ」
「それはそうかもだけど…、テント関連は外さない?地べたでも工夫すれば寝れるし、持ってくとどうしても荷物が大きくなっちゃうよ」
「あ、それは気にしないで大丈夫だよ、僕お手製鞄持ってるからゼンくんに貸したげる、バツで消してあるやつも纏めてぜーんぶ持ってっちゃおーよ、そのくらいなら余裕で入るし」
「えっ、マジックバック!?」
ふふふん、とドヤ顔でレインは卓上にシンプルな黒い横掛け鞄を置く。クロエは羨望の眼差しでレインと鞄を交互に見詰める。
え、なにそれ凄い!ファンタジー!この世界にもそんな便利な道具があったんだ!
いや、元私がいた世界にもそんな便利な道具はなかったけどね。マジックバックは異世界ファンタジー物では良く聞くし、リアルに欲しい物ベスト5には入るからちょっと興奮してしまう。
「ありがとう、お前もたまには役に立つんだな」
「でしょ?たまになら利用してくれてもいいよ」
ひどい言われようにひどい返しようだなぁ。
それにしても、良いなぁマジックバック、便利そう、私も一つ欲しいなぁ。
「良いなぁマジックバック、一つ売って欲しいなぁ」
ぽろっと思わず口から出てしまったクロエの言葉に、レインは逡巡し、指をピッと三本立てた。
「材料費だけで土地含めた家三軒分くらいだけど、払える?」
「ごめんね、あきらめるよ!」
「だよね」
材料費だけで家三軒分!!!製作費用はその数倍、もしかしたら数十倍はするだろうし、合わせたら一体いくらなんだろう、貴族くらいしか買えないのでは??いや、もしかしたら冒険者として大成したらいけるかな?どうかな?錬金術師こわい。
「よし、そろそろ買い出しに行ってくる、クロとレインは家で荷物を纏めといてくれ、…鞄借りてくぞ」
リストの整理が終わったゼンが紙をポケットに入れて、マジックバックを持って立ち上がる。
「はーい」「りょうかーい」
二人して座ったまま緩く返事を返して、家を出ていくゼンを見送る。
「じゃ、僕たちも準備しよっか。一旦解散して、準備が終わったらまたここに集合って事で」
「りょうかーい」
ガタンと席を立つレインをクロエが追うように立ち上がる。そのままクロエは部屋の出入口までタタタッと走り、出る直前で振り返ってレインに手を振る。
「じゃ、また後でね!」
「ん、あとでねー」
レインが手を振り返すのを見てから、クロエは玄関口から外に出た。
旅の準備か…、この世界に産まれてからずっとこの村で過ごしてたし、ファンタジーな世界で旅に出るのは何気に初めてなんだよね。
そう考えると何だか少しドキドキワクワクしてしまう。夢の直後はテンションが上がらなかったけど、いざ準備となると今更ながらソワソワしてきた。
急いで家に戻って、寝室に向かう。
クローゼットを開けて、適当な袋に着替えを詰め込む。
その後も家中を駆け回り、お金とか必要な物を詰めていく。
バタバタと慌ただしく荷物を詰め終えると、最後に外に出て家に鍵を閉めた。
忘れ物は無いかな?まあ何か忘れてたら現地で買えばいいか、旅の思い出にもなるし。
「みんなで旅行かぁ、……枕投げでもしちゃおうかな?」
あ、しまった、枕を入れ忘れた。…いいや、仕方ない、早速最初の村で買っちゃおう!