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脅威の来襲

 この窮地に気づいたのは館の中でもほんの数名。『慧眼』のカインとその指示を受けた騎士達程度だった。


 他はとにかく魔物がまた現れたらしい、だけど自分たちの手には負えないようだという認識でしかなかった。


「ほう。ずいぶん立派な屋敷ではないか。仮眠をとるには十分だ……しかし、目障りな虫けらが居るようだな」


 そして、魔王はエンレダデーラ家へと目を付けた。見栄のため、自らの欲のために飾り付けられ、改装し尽くした結果……哀れ魔王のお眼鏡に適うことになってしまったのだ。


『聞け、虫けら共よ』


 その中でも一番大きな部屋に陣取った魔王は、そこから満を持して魔法による声の拡散を行った……というより、自然と伝わってしまうのだ。


 魔王の余りに大きな魔力故に、その魔力の範囲内にいる者は耳を塞ぐことすらままならない。。


 そして、魔王が自然に体から溢れさせている魔力とは、エンレダデーラ領全土にまで広がるのである。


『この千年、待っては見たが……人間とやら。もう出がらしだな。勇者は現れずただ家畜のように肥え太るのみ。もう見飽きた。よって、我が支配する。これからの世界を動かすのは、魔族である』


 その声を聴いた者は戦慄したという。その口調と魔力はたとえ一つの森を支配する魔物でも数千里は先に逃げるだろうという圧倒的な強さを含んでいた。


『繰り返す。数を増やすしか脳の無い繁殖動物よ。これからの時代は、魔族によって作られる。貴様らの時代は、終わったのだ』


 ――絶望が、舞い降りたのだ。


 ◇


「……お父様。あれは、一体……」

「静かに。おそらく、まだ私達には気付いていない……。だが、なんだ。この魔力量はっ……! こんな魔族など見たことも……いや、まさかこれこそが魔王……!?」


 魔王が君臨した館では、多くは逃げ出したものの……まだ数人の人間が残っていた。気配遮断の結界を敷いている部屋に、彼らは逃げ込んでいた。


 それは救助に徹していたカインとトゥトゥ。そして、荷物が多すぎるために逃げそびれた当主とそれに付き合わされた侍従長のサーシャだけであった。


 あとは残された騎士が数名と、そのくらいか……。


 その当主はというと顔を真っ青にしておいおいと泣き叫ぶだけである。


「お、お、お……お終いだ! あんな魔族が来るなんて聞いていない! ああもう、逃げるしかない!」

「貴様も黙っていろ! 今は一刻を争うんだ!」


 思わずカインは身分も恩義も関係も忘れて叱責していた。だが、彼の腕の中には濃厚すぎる魔力に当てられ震えている愛娘がいるのだ。


 命に代えても守り抜くと誓った少女である。それを思えば、脳がないだけが取り柄の当主への礼儀など、即座に切り捨てて当然なのである。


「お父様。でも、私達も逃げなければ……!」

「どこに逃げるか、それが大事なんだ。トゥトゥ。私のスキル、『千里眼』で視た限りでは……その名の通り、千里において安全な場所などない。残念だが……あれに気付かれないように身を潜め、嵐が通り過ぎるのを待つしかないのだよ」


 かろうじて自分達は敵の足下……最も見えづらい位置に潜んでおり、国宝級の結界までついている。闇雲にここから抜け出すのは下策だ。


 しかし、もしあれの視線が不意に動くようであれば……指先をこする程度の力で、自分達は死んでしまうことだろう。


(どうする。どうする。どうする――。あんなものを前にして、打てる手など……!)


「……父上。お任せ下さい」


 その声を発したのは……あまりに自然で穏やかな声を発したのは、いつからそこにいたのか、ヴァインだった。


 既にその身は満身創痍の様相。魔王が現れた余波で傷ついたのだろうか……。


「ああ。なんだ。いたのか」


(……)


 この窮地において、傷だらけの自分の息子に対して、この態度。やはり、エンレダデーラ家に愛はなさそうだと現実逃避めいたことを考えるカイン。


 当のヴァインはあくまで自然体で、上位の者に対しての最大限の礼をし、腰を折った。


「ごらんの通り、僕はもう逃げることも叶いません。せめて、かの魔族の気を逸らします。どうか、父上達はその隙に魔力範囲の外へ。領民には指示を出して、既に西方へ固めてあります。後を頼みます」

「……ヴァイン君。それは……」


 あまりに現実の見えていない発言だった。どこからやってきたかは知らないが、カインの考える限り、まだ外の惨状を見ていない。


(……ん? 本当にこの少年、どこからこの結界の中に入ってきたのだ?)


 非常用の特別製結界である。持ち主の臆病さが見て取れるほど頑丈なそれは、不用意に人が通ればかき消えてしまうほどの繊細さも持つ。コンマ数量の魔力の組み合わせによってギチギチに魔方陣を固めてあるようなものなのだ。


 それを乱すでもなく、壊すでもなく、なんてことはない顔で結界内に侵入する。そんな芸当ができるのは、カインの知る中では宮廷魔道士となった旧友か、自身の興味のために魔王の住む暗黒大陸へ赴くような気が触れた魔法職人くらいだった。


(……いや、気がつかないほど気配がなかっただけか。この状況で私も混乱していると見える)


 カインは密かに額にかいた汗を拭い、説得を続けようとした。その瞬間だった。


「いい加減なことばかり言わないでください! ヴァイン様、今この屋敷には未曾有の大危機が襲っているのです。いつまでもそんな夢みたいなお話をされている場合ではないのです。私達は、もう……」


 言葉の尻に行くにつれて、トゥトゥの花が咲いたような瞳からは熱い滴が零れていた。カインは声をかけるべきだった。大丈夫だ、と。ただ一言そう言うだけでもトゥトゥの気持ちは変わっていたことだろう。


 だが、それこそそんな夢物語。今にも死んでしまうかもしれない綱の上で、虚勢を吐くわけには行かなかったのだ。


 愛娘との最期の会話が、嘘となるなんて……そんなこと、カインにはできなかった。


 だが、少年は続ける。瞳に常にない炎を燃やし、病人めいて見えた頬には朱が差し、声には明確なまでの殺意が籠もっていた。


「あれはただの魔族だ。慢心して力の上にあぐらをかいている俗物。付けいる隙があるなら突くべきだ」

「世迷い言を……!」


 なおも食い下がろうとするトゥトゥに向かって、ヴァインは無礼にも人差し指を顔に突きつけ、言い聞かせるように深い声を出す。


「ならば、聖女であるお前は、なぜこんな箱の中に引きこもっている? 文句があるなら、その恵まれた光のスキルでもなんでも使って、奴を殺せばいい。それができないなら、お前こそが黙っていることだ」

「……」


 怒りと混乱のあまり、トゥトゥはついに何も言えなくなった。だが、それはヴァインの言うことがある意味正鵠でもあったからである。


 弱きこそは、無力こそは悪だ。ならば、今この場において……魔王という最強の存在に何もできないのならば、ヴァインもトゥトゥも立場は同じ。


 いかにトゥトゥに白金ランクのスキルが備わっているとて……。それはただ、在るだけだ。その使い方も、大きな魔力量の適切な出力も知らないトゥトゥは、戦力ではない。


「失礼ながら、ヴァイン様。それは屁理屈です。魔物一匹倒すことができないあなたに、それこそトゥトゥ様を傷つける権利などありません」

「おや、我が侍従長はいつの間にセイクリッド家の家臣になったんだい? まあこんな家、見放して当然だが」

「……ご自分の家でしょう。今魔王が座っているのは、将来あなたが継ぐべき椅子なのですよ。今焼かれている街は、あなたの故郷なのですよ」

「だからこそ、俺が出ると言っている」


 あくまで疑問を持たず進言するヴァインに、サーシャは常のポーカーフェイスも忘れて苛立った。


 確かに、常ならばそれでいいのだ。そう、普通ならば。自分の領地における脅威に対して、領主が出てくるのは当然のこと。領主とは最強の存在でなくてはならず、貴族とはそういうものだ。


 だが……ここはエンレダデーラ領。慧眼を持つカインに没と言わせしめた腐った領地。そして、そこに訪れたのは魔王という大陸最悪の悪夢。


 ならば……何が正解だとか、言葉の上では結論が出ることはないのだ。だが、そういう時ほど人間は正論に、正しいと見える方向へ飛びつく。


「くず鉄ランク程度のあなたが。この領地において最弱のあなたが、出る幕では無い。と……そう言っているつもりです。ですが、あなたは恐れ多くもエンレダデーラ家長男。この先、路頭に迷った領民を見捨てるおつもりですか?」

「路頭に迷う? 馬鹿かお前は。もうそういう段階の話じゃないだろう。断言しよう。この先一日とこの領地に魔王が居座れば、大陸が滅びる。そうした災事において、領民の命など、犠牲者としてまとめられる数字でしかない」

「ヴァイン様……!」

「だけど、くず鉄ランク程度のたかが雑魚が命を懸けるだけで、その危機が回避される可能性がコンマ数パーセント存在する。それを無視するのか?」

「それならばこの私が!」


 トゥトゥの目から見て。どう考えてもヴァインの物言いは狂っていた。どの視点に立とうともサーシャの言っていることの方が正しかった。


 ヴァインの言い分なら、白金ランクスキルを持つ同じ年齢のトゥトゥの方がコンマゼロゼロゼロ数パーセント、勝率は上がるはずだ。つまりは詭弁。自殺の口実とでも言ってくれた方が気が休まるという話だ。


(……えっ。まさか本当にヴァイン様は命を……?)

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