慧眼のカイン
「ダメです。あれは」
カインが当主との面談を終え、部屋に戻ってくるとそこには、ぷん、と頬を膨らまし、これ以上なく分かりやすく怒っているトゥトゥがいた。
父親のカインからしても、随分久しぶりに見る表情である。
「そんなにだったのかい。やっぱり噂は本物だったか……」
正直を言えば、カインはヴァインに対しては僅かな希望を抱いていた。それは、門の前で見た彼の瞳に何かを感じた……わけではなく、それ以上に父親である当主がダメダメだったからである。
先の対談にしてもそうだ。もはやこちらの意見を取り入れようともせず、淡々と式の段取りなんかを決めてきた。挙げ句の果てに、娘は成人次第こちらの領地へ、と来た。
百歩譲って結婚させるとしても、婚約は今では無い。学生時代くらいは自由に学ばせるのが当然だ。それを、子供の意思など関係ない。大事なのは親の意見だ……と言った。そんな旧態依然とした思考の持ち主がまだ身近にいるとは考えていなかった。
「私もね。この家はダメだと思うよ。正直な所ね……」
「そうでしょう!? お父様、今すぐこんな館からは出ましょう!」
ポロリとカインが本音を漏らすと、猛烈にトゥトゥが食いついてきた。ここに来るまでは意思なき婚約も覚悟しています、といった風体でいたのに、この変わりようは一体なんだと思うほどに。
「恩と言ってもどうせお金でしょう。私が倍額を稼いで顔に叩きつけてやります! それまで適当にしていればいいんです」
「はっは……。相当だね。いやしかし、念のためヴァイン君のことは聞いておきたいんだがね。もしやスキルを持っていなかったってわけでもないだろう?」
カインはこの家に関して、ある疑問を持っていた。それは、父親である当主が本気で息子のことを気にかけていないという話しぶりだった点だ。
普通、人の親であるなら少しは意識が向くはずなのだ。カインとて貴族の端くれ。言動からそういったものをくみ取る力に長けていないわけじゃない。
息子を家の汚点としている家も確かにある。だが、そういう家では当たり障りなく話そうだとか、徹底的に嫌おうだとか、そういった意思が見えるものだ。
だが、エンレダデーラ家当主にはそういった風も、自慢しようとする態度もなかった。まるで子供を持っていない男と話しているのか、とカインが錯覚するほどに、だ。
「持っていましたよ。見せてくれました。くず鉄ランクの植物化スキルですけどね。指先が。うにょうにょーって。それだけです」
目を半分つむって指をくねらせるトゥトゥを見て、カインは苦笑を漏らす。
(実の親は存在すら忘れている様子だったのに、会ったばかりの娘がヴァイン君のことばかりとはね……親としては、なんとも言えない所だ)
「そうですよ。挙げ句の果てに、魔王を殺すだなんて戯言を……」
「……魔王を?」
「へえ……。そんな台詞、久しぶりに聞いたな。魔王が眠って以来、どの勇者も見ないふりをしていたというのに……」
「止めて下さい。言うのなんて自由ですよ。それだけであの方が勇者だなんて……あれ、そういえば勇者だなんて言いませんでしたね。何でしたっけ……」
まあそれもそうか、とカインは剃髪をなで上げる。だが、感心してしまうのは止められない。今は目立った悪行をなしていないとはいえ、魔王なのだ。
トゥトゥはまだ知らないだろうけれど、その実力だけはあらゆる記録に残っている。
腕の一振りで大陸を沈めて世界を半分にしただとか、そういうおとぎ話のような伝説だ。
(それを知ってもなお、魔王を殺すと言っているのなら……。その勇気と正義があるのなら。彼はきっと勇者なんだろうと思うけどねえ)
これだけ憤慨している娘の前では言えないが。カインはロクに話もしたこともない少年に、同じ男として握手したい気分だった。
だが、トゥトゥの八つ当たりにも似た愚痴は終わらない。
「どうせ人生に飽き飽きしてるんですよ。領民からの支持もなく、スキルも最弱で、愛想もない。あと口も悪いし嫌味ったらしいです。それであんなに歪んでしまったんです。そうに違いありません」
「トゥトゥ……」
「ここの奥方も、そんな家に嫌気が差して出て行ってしまわれたに……」
「トゥトゥ」
その瞬間だけ。カインは貴族の仮面を脱ぎ去り親としての顔を見せた。それはトゥトゥからすれば、懐かしい鬼の形相である。
「エンレダデーラ家の奥方は……亡くなられている。まだヴァイン君も小さかった頃の話だ」
「……そう、なんですか?」
「詳細は分かっていないがね。魔物に食われたとも暗殺されたとも言われている。だけど、どちらにしてもヴァイン君には酷な話だったはずだ。そんな風にだけは、言っちゃいけないよ。それは、トゥトゥ。君自身の尊厳のためにもね」
「……はい。すみませんでした」
理屈さえあれば、素直になれる。この子はやはり上物だと、カインは今度は親として普通に喜んだ。さあ、と空気を切り替えるように手を叩いて、すっかり暗くなってしまった窓の外を眺める。
「まあ、いい。確認できたのはここの領民の丈夫さくらいだったねえ」
「……? どういうことですか?」
「いやなに、偶然だとは思うけどね……。魔物との戦闘ともなれば、それなりに怪我人は出るものさ。しかし、ここしばらく……年単位で負傷者は出ていないそうだ。まあ、報告書を読まずに捨ててしまったあたりがオチだろうけれどね」
本当に、得たものはそれくらいだ。そもそも何を期待していたのだという話だ。この地に訪れたのは支援金を融通してもらった礼のためだけ。交流する価値も侵略する価値もなかった。それだけの話。
「……夜の間に、こっそり抜け出してしまおうか」
「え、お父様。いいんですか?」
「もう会うことも無いだろうしね。何か言ってくればまた対応するよ。トゥトゥがそれだけ居たくないと言うなら、一晩の時間すら惜しいだろう?」
「え、ええ……まあ……」
トゥトゥはどこかもじもじと。しかし、それ以上は何も言わなかった。
「なら行こう。なに、ここから我がベヤック領までなら、そう大した魔物も……」
その時だった。すぐ目の前の森が、やけに明るく光っているのにカインは気がついた。炎の様子がただの小火ではない。炭すら残さぬ灼熱である。
察しの良さに定評のある『慧眼』のカインだ。客人であることも思わず忘れ、廊下に飛び出して、勤めていた兵士に向かって叫んだ。
「魔族が出た! すぐに領民を非難させなさい!」
人類が何より恐れる魔物を、さらに高みから統べる種族。その通称が、魔族である。
◇
「……随分と辺鄙な場所に下りてしまったな。ここに美味いものがあると聴いて寄ったというのに……何もないではないか。我の鼻も鈍ったか?」
その襲撃……森を一つ焼き払った魔族は、ぽつりと呟いた。
「千年もの眠りはやはり長すぎたか……。いやしかし、人間の寝具が上等すぎるのが悪いな。寝心地が良くてついつい寝過ごしてしまった。しかし、しばらく勇者も攻めてこないし、ようやく人間も我に支配される準備ができたと見える」
魔族は知らない。人間の寝具と呼んだそれが、数百人の勇者が魔力を込めて、伝説の勇者と呼ばれる者が生命と引き換えに施した封印であることを。
魔族は知らない。人間などという下等生物が自分のことをなんと呼んでいるかを。大陸を沈め、野に魔物を放ち、人間への最大の脅威となった自身の名を。
「ちっぽけな村だが、まあ……身体をほぐすには十分か」
魔族は知らない。彼にとって準備運動にすらならないその行動を、人間は悪夢と称することを。
「さて、我を楽しませるほどの勇者は、この千年で現れたか……?」
魔族は知っている。自分だけが強者たり得ることを。その孤独を知っている。だというのに、人間はいつまでも五十歩百歩の争いをしている。その退屈を知っている。
そして……今この場において、ある少年だけがその魔力を知っていた。
魔王が現れたのだと、気がついたのだ――。