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ヴァインという男

 ヴァイン・エンレダデーラが率いる世界最悪のレジスタンス組織――その名を【カズラの樹】。


 それは聞くものが聞けば震えが止まらないほどの悪名だ。西の大陸では王族を一人子残らず虐殺した無法者と云われる。南の大陸では島一つを獄炎に墜とした悪魔だと云われる。


 だが、その正体は誰にも知らされない。それは、どんな子供でも一度はこう聞くからだ。


『良い子で生きていたければ、【カズラの樹】には近づいちゃだめよ』


 この牢獄に集まる奴隷の少年少女でさえ、もちろんそう言われて育ってきた。


 だからこそ、信じられなかった。まさか自分がその【カズラの樹】に拉致監禁されようとは。これからいっそ、豚のような貴族に飼われた方がよっぽどマシだと皆涙していた。


「いつまで泣いてんだ、ガキ共!」


 見張りに立っていた兵士が苛立たしげにそう怒鳴るが、そんなもの恐ろしくなかった。たとえ子供であっても奴隷だ。それ相応の扱いは受けてきた。


 ただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と自分のこぼした涙をボロにしか見えない服で拭く様はとても見ていられるものじゃない。


「ちょ、ちょっと君たち! 子供たちになんてことをさせるんだ! 人質なら我々大人たちだけでいいだろう。この子たちは解放したまえ!」


 それは、同じ牢獄にいた男も同じ思いだったようで、そう叫んだ。身なりをみるに貴族だ。それを見て兵士はまた余計に眉をつり上げる。


「あん? 人質ねえ……んなもん、多い方がいいに決まってんだろうが」

「おい、やめないか。そろそろヴァイン様に怒られてしまうよ?」

「ヴァイン様の何が怖えっつーんだよ。俺はそれより、この貴族共って連中が気にくわねえんだよ!」


 見張りは二人だった。一方は髪を刈り上げいかにも強面な男。一方は女性の騎士といった佇まいで、とてもレジスタンス組織には似合わない美人だった。


 それに対抗して見せた人質の男を奮い立たせたのは正義感か、もしくは貴族としてのプライドか。


「わ、私たちは暴力には屈しない! こんなことをすれば、国王軍が黙っちゃいないぞ。【カズラの樹】だろうと、奴らはどこまでも追いかけてくる。王国を守るためなら何でもする国王様だからね!」

「はっ、その王様のチイ・ソンゲンのために何人が腹ぁすかして死んでったんだろうなぁ」

「お、王を侮辱するか!? ヴァインなんて小物なんてすぐに――」


 いよいよ一触即発か、という時……その男は現れた。


 やや赤みがさした黒髪は清潔感を保ちつつ伸ばされ、しかし見る者すべてに威圧そのものを与える目つきは鷹より鋭い。


 見た目年齢としては二十をやや超えた頃。噂とは違い病弱な少年を宿したような儚さを感じさせるために、怖がったらいいのか悩む者も牢獄の中にはいた。


 しかし、その肉体は並々ならぬ努力によって鍛えられているように見えた。


 これが、【カズラの樹】の頭……ヴァイン・エンレダデーラだ。


「そこまでにしとけ、ビーン」

「ヴァ、ヴァイス様……? 私は彼を止めようとしたんですよ?」


 そんなヴァインが手で制していたのは女騎士のビーンだった。血気盛んな兵士ではなく……だ。


「その剣から手を離せと言った。二度言わせる気か?」

「っ……! お見通し、でしたか。しかし、こいつはヴァイン様の!」

「忠誠心などいらん。俺に必要なのは命令を素直に聞くコマだけだ。ここで降りるか、ビーン?」


 その言葉に屈したようにビーンは手にかけていた剣から言われた通り手を離し、跪いた。


「はん、オレはなんでもなかったっすよー。ヴァイン様」

「貴様の心配などいつした。交渉前に人質を殺してしまっては成るものも成らんだろう」


 そう、斬られようとしていたのは暴れようとした兵士じゃない。人質の男の方だったのだ。


「き、キミがヴァインとやらか。ふん、ただのガキではないか……いいか、すぐにこの子たちでも元の場所に戻すのだ!」

「元の場所? それはあのヒューマンショップか? 地下牢獄か? スラム街か? それともクズ貴族のベッドの上か?」

「そ、それはっ……!」


 顔をかあっと赤くして、しかし言葉に詰まる貴族の男。そこへヴァインはいつも以上に目をキツくして指を突きつけた。


「奴隷の扱いがなっていないんだよ。貴様の国は。より良い教育と鍛錬を強いれば従うのが正しい奴隷のあり方だ。そして最も力を発揮できる場へ送り込むことで初めて奴隷の仕事というものが発生するのだ。それすらわからん愚図の王から奪い取って何が悪い?」


 今度こそ、ヴァインは自らの口から王を……その下で暮らす貴族の目の前で侮辱した。


 だが、その威圧感と憎悪と呼ぶのすらためらうほどの黒い影を見て貴族の男は口をつぐんだ。


「な、なら……キミはこの子たちをどうするつもりだ? どうせ戦争のコマにでもするのだろう!?」

「それが最適ならそうするに決まっているだろう。相応の報酬を受けて相応の仕事をして帰ってくるのが仕事というものだ」


 それを聞いて、今度は奴隷の子供たちが互いに目を見合わせて希望というものに……人生で初めて手を伸ばそうとした。


「お兄ちゃんは……わたしたちを助けてくれるの?」

「僕、こんな僕でもできることがあるなら、人の役に立てることができるなら、やりたいよぅ……!」


 だが、ヴァインの前で涙も子供も言い訳にすらならない。


「馬鹿か、誰が貴様らのような何の能力もない子供を助ける? いいか、貴様はただの交渉材料に過ぎん。王との交渉が上手くいかなければそれまでだ」

「そんな……それじゃ、やっぱりヒーローなんかじゃないんだ……」

「ヒーロー? それはどこのおとぎ話で読んだ? 俺はただ俺の思うがままにやるだけだ。子供だろうが女だろうが利用し尽くしてくれる、それだけのことだ。こんな世界で生きていきたければ、二度とそんな夢物語を口にしないことだな」


 そう吐き捨てて、ヴァインは踵を返す。ただ、一言だけを添えて。


「欲しいものがあるなら、つかみ取る努力をしろ。生まれ育ちなどを言い訳にするな」


 それは、なんてスパルタだろうか。奴隷として生まれ育った子供たちに言い放つには酷にも程がある言葉だった。


 しかし、それでも子供たちは凍り付いた心に何か染みるものを感じた。それは上っ面の言葉なんかじゃないと、そう無意識に感じ取ったのだ。


 そこに困惑するのは、またも貴族の男だった。これが世界最悪のテロリストの言うことか? と。そんな奴の言葉で徹底して心を殺された奴隷の心が揺さぶられるものか、と。


「はっ、よくわかったかクソ野郎! うちのリーダーはこんなのでも案外――」


 ドン! と発砲音がして、頭を撃ち抜かれた兵士はズルズルと崩れ落ちる。そのピストルを持っていたのは、何も感じていないような顔をしたヴァインだった。


 味方を撃ち殺してこの態度、こんなヒーローはもちろん居るわけがない。その事実に子供たちはまた絶望の前に膝をつこうをする。


「俺は行くぞ、ビーン。あの肥え太った城……あれが崩れ落ちる時、どれだけ耳障りな断末魔をあげるか楽しみだ」

「はい。ご武運をお祈りしております。ヴァイン様」


 倒れた兵士を残して行ってしまうヴァインを見て、牢獄内はすっかり暗い闇に包まれた。やはり、世間の言うとおり……【カズラの樹】は最悪の組織だ、と。


 そんな時間がいつまで続いただろうか。ある時、むくりと立ち上がった兵士を見て、ビーンを除いた全員が目をむいた。


「あー、よく寝たぜ……」

「全く、余計なことを言おうとするものだからだよ。あの人が照れ屋なんてものじゃない事くらい知っているだろうに」

「悪かったっつーの。つい口が……おっと、また撃たれちまう。地獄耳にも程があるっつーの、あのお方は」


 わなわなと唇を震わせるのは、いや最早この場でまともに声を発せられるのは貴族の男だけだった。


「な、何だこれは……頭に銃弾を撃ち込まれてなんで生きてるんだ!? 【カズラの樹】が不死身だって噂は本当だったのか!?」


 聞いて、二人は目をぱちくりと。そしてワハハと笑い合った。


「おっさん、銃弾ってのはこいつの事を言ってんのか?」


 そう言って兵士がこめかみから引き剥がしたのは、植物のように見えた。


「こいつぁ、ヴァイン様お手製の麻酔弾だ。尋常じゃねぇ回復エネルギーがこもってるせいでうっかり寝ちまうけどな」

「ま、ますい……ちゆ……」


 そして、ついにまともに声を出せる者はつい居なくなった。


 ◇


 夜闇に紛れて高くそびえ立った場内へ飛び込む男はただ一人。しかして、そこにいた王はその顔を知っていた。いや、知らないわけがない。


 王もまた、こう言い聞かされてきたからだ。


『悪いことをしてると、【カズラの樹】が来るよ』


「な、何をしにきた……お主の望むものはなんだ!?」

「俺がどうして来たかって……? 耐えぬ悪政……忠誠を誓わぬ一族を奴隷とし国を支配、己に都合の悪い役人軍人の暗殺。国を潰すのにこれ以上理由が必要か?」

「そのどれがお主に関係ある!? 兵、兵よ! なぜ現れん!?」

「この国は俺が殺しに来た。そう言ったら軟弱者どもは血相を変えて出て行ったぞ。大したトップの器じゃないか。なあ、王様?」


 ついに顔面を蒼白にした王様はただ叫ぶ。


「お主は……何が目的だあああ!?」

「俺の目的は、ただ――」


 現れたのは、一本の蔓。それが王の体に巻き付いて、魔力をただ吸い尽くしていく。それがヴァインのスキル。世界最悪と云われた能力である。


 気が遠くなる王は、聞き違えか、こんな言葉を聞いた。


「ただの、慈善稼業だ」


 その次の日、周囲八国を巻き込んだ戦争を仕掛けられそうになっていた国の悪王の死が全世界に知らされた。


 それによって死なずに済んだ命がどれだけあっただろうか。救われた心がどれだけあっただろうか。起こらなかった争いがどれだけあっただろうか。


 だが、それは結果としてみればただ何も起きていないだけ。その平和の真相が語られる事は決してない。


 ただ紡がれるはこの一言のみ。


『悪いことして死にたくなければ、良い子に生きていたければ、【カズラの樹】に近づいちゃだめよ』


 ◇


 一方、【カズラの樹】の牢獄ではこんな会話があったとかなかったとか。


「知っていたさ……王の悪性がどれだけ人々を苦しめていたかなんて。だけど、私だって必死だったんだ。家族を守るためだ! 目をつむる……ただそれだけで、私たちは平穏に暮らしていけたんだ……必死だった!」

「おめえだけが悪ぃなんて言わねえよ。それに、ヴァイン様は正義でも何でもねえっつーの。やってる事ぁただの私刑だ。だけど、嫌いになれねぇんだよなぁ」

「私たちは、いや、この子達はどうなる……?」

「【カズラの樹】が陰から支えてる……っと、これ秘密なんだった。ま、とある孤児院に引き取られるだろうぜ。おっさん達も家に帰れる。王との交渉は『上手くいった』んだろうぜ。知らねーけど」


 奴隷たちは、鉄格子の向こうで城中に上がる白旗の意味をわかっていないだろうが……ヴァインが何かをして、救われた空気だけは感じ取っていた。


「どうして……あのお兄ちゃんは、こんな事をしてくれるの?」

「そういう人なんだよ。不器用というか捻くれているというか……。まあ、まともな人間じゃない事は確かだから、仕事が済んだら関わらない方がいいよ」

「じゃあ、お姉ちゃんたちはどうしてお兄ちゃんについて行っているの?」


 訊かれて、ビーンはいつかの風景を思い起こしてふっと笑いを零した。


「そりゃあ……あのお方が魔王を殺した、その瞬間を見たからだよ。一目惚れさ」



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