第5話 場所取り
「それでマスターになると決めたのはいいんだが、なにかやるべき事はあるのか? 例えば……契約書を書くとか」
「いえ、ルーサは何もしなくても結構よ。契約はダンジョンを生成すれば自動的に成り立つから」
レティシアはそう言うと腰につけているポーチから、仄かな蒼い輝きを放ち続ける正八面体の美しい結晶を取り出したのだった。
俺にはその結晶に見覚えがあった。大きさは違えど、ダンジョン攻略で最奥部に鎮座する神聖な光を放つあの結晶と瓜二つ、間違いなくダンジョンコアだ。
「それがダンジョンコアだな?」
「ご明察。それにしてもよく知っていたわね、もしかしてルーサは冒険者かなにかだった?」
「まあな、化け物が巣食う迷宮の踏破には少々自信がありましてね」
「それはそれは。今度は貴方が踏破される側になるけど、大丈夫かしら?」
「構わないよ。未練や心残りがない、と言ったら嘘になるけど」
ただ追放処分を言い渡された身としては冒険者として街に居座る理由がなくなってしまったのもまた事実だ。
昔みたいに隠居して自給自足の生活を送ろうにも、心にぽっかりと空いた穴は埋められない。
なにか心機一転、別のことをして悲しみや怒りを忘れ去ったほうが精神衛生的にもいいだろう。
「それではダンジョン契約の儀を……と行きたいところなんだけど、場所の希望はある?」
「場所の希望――そうか、それを使った場所が俺のダンジョンになるんだな」
「はい、後から動かすこともできなくはないけれど、かなり面倒な手続きが必要になるから気をつけてね」
「わかった。けれど場所にそこまでこだわりはないなぁ」
そう言いながら俺はバックパックから手で握り締められるほど小さな球体を取り出して起動させる。
するとそれは手のひらの上でクルクルと回転し始め、虚空にここら一帯の空中写真が映し出してくれる。
「……なんなんです、それ?」
「地図だよ。空から撮った航空写真を大量に撮影してそれを繋ぎ合わせてつくったこの森の地図だ」
「へぇぇ、凄いわねこれ。人間の技術も大分進んだものねぇ」
「いや、俺が情報収集のために趣味の範囲内でつくったものだけど」
「……え?」
目を丸くして首を傾げている彼女を横目に、俺は赤いピンの刺された場所を探して自分の今の居場所を確認する。そして次にこの場所から最も近くに流れている川を探したのだった。
ダンジョンを作る場所を指定できるのであれば、水源が簡単に確保できる場所が間違いなく良いだろう。
まだ機械も魔法も生み出されていない頃の文明は川の近くで発展したと言われているほどだし。
それとなにかあった時のために近くで食料も調達できるとなおよしだな。だから森の中かつ川の近くを満たした風景がきれいな場所を探すとしよう。
「この辺りとかいいかもしれないな」
「……なにか理由でもあるの?」
「まず川が近くに流れているから水源が確保できる、これでレティシアがぶっ倒れて動けなくなるような心配はなくなるだろう。それにこの辺りは果物の群生地だった気がするから、非常食にも困らないはずだ」
「水や食料ならダンジョンからも支給されるけど」
「生活用水や最低限の食料だけじゃ足りないだろ? 周囲の資源が豊富なのに越したことはない」
特に水は機械製造の過程で膨大な量を使うことになるだろう。
金属を冷やしたり、水圧で材料を切断したり、特殊な物質の溶媒にしたりと用途は多岐にわたるからな。
「その場所なら、私としてもなにも問題はないわ。草原や荒野のど真ん中に作るとか言われたらどうしようかと思ったけど」
「ダンジョンの入口って確か、小規模な遺跡と転移結晶で構成されていたよな」
「はい、だから変に目立つ場所に建てると生存確率が大きく下がってしまうの」
「そんなことだろうと思ったよ。人間からヘイトを買うようなことはあまりしないほうがいい」
ヘイトを買う――すなわち人間側に危険視されるような行動はダンジョン消滅に直結する。
今まで壊す側だったからこそ人間の恐ろしさはよく分かる、人間が本気を出して徒党を組んだら例え最凶と名高いダンジョンであろうと簡単に瓦解してしまうのだ。
「異論がないなら、早速この場所に移動するか。……ところで妖精って飛べるの?」
「魔法を使えば飛べるけど、フラウ氏族の妖精は基本飛ばないわよ」
「そうか。なら、特に急いでもいないし、歩いていくとしよう」
妖精って言われたらなんというか、背中に羽が生えているイメージが非常に強かったからな。
ただいざ本物を目の前にしてみると……見た目や思考があまり人間と大差なくて驚いた。
種族が違っても、結局生き物というものは根本的には同じなのかもしれない。
☆ ☆ ☆
レティシアと談笑しながら精霊の密林を歩くこと約数時間、俺たちはようやく広場のような開けた場所に出た。
国境の目印ともなっている山の中腹まで登ってきたものだから、結構疲れたが――
「こりゃ、いい景色だな」
「この森にこんな場所があっただなんて……探して見るものね」
目の前に広がるのは広大な森と地平線を描く草原。耳を澄ますと、川のせせらぎと葉っぱが風に揺れる音が聞こえてくる。
なにか考えたい時に一人でリラックスするにはもってこいの場所だった。
「川の流水量も申し分なさそうだし、周囲を見渡せる程度には視界も開けている。俺としては十分すぎるほどいい立地だと思うんだが、どうだろう?」
「高低差は問題なし。障害物もなし。魔素濃度は……」
「ここの辺りだと大体、2%弱だな」
「よく、そんな具体的な値まですぐに分かるわね。魔素を検知する魔法具でももっているの?」
「魔法具というよりは機械だな。この魔素探知機の“タンチくん15号”ならば魔素濃度計測なんて朝飯前だ」
「な、なるほど……随分と不思議なものを持っているのね」
レティシアは愛想笑いを浮かべながらポーチから分厚めの本を取り出し、ページをパラパラとめくって内容を確認する。
「……他の条項も問題なしっと。ここならばダンジョンを創れるわね。それじゃ、始めるとしますか」
蒼い結晶を手にしたレティシアは歯を見せてニカッと笑うとゆっくり、俺のそばに近づいてきた。
その瞬間、ほんのりと花の甘い香りが俺の鼻腔をくすぐる。今までにもレティシアが俺の側に来た時はあったが、こんなにも心地よい香りがしたのは初めてだった。
「俺はどうすればいいのかな?」
「貴方はこのダンジョンコアに触れるだけで十分よ。儀式は私の魔力と生命力で行うから」
「わかった、それなら君に任せるよ」
緊張しながらも、俺は恐る恐るレティシアが持つその蒼い結晶に優しく触れた。
刹那――目が開けられなくなるくらいの強烈な光が結晶から溢れ出して、俺とレティシアをあっという間に包み込んだ。
これは、魔法なんかじゃない。今の魔法学や物理学では説明できない超常現象。
世界の理から外れた虚空の狭間に亀裂が入り、そこに新たなダンジョンが誕生する合図だ。
「――世に命の光を灯すべく、我の覚悟をここに示さん。全てを焼き尽くす戦火に終止符を!」
レティシアの声が響き渡ると同時に俺の視界がぐらりとゆらぎ、輝きに包まれた世界が旋回を始める。
浮遊感に全身を支配される中、俺は唐突に薄れゆく意識を手放してしまったのだった。