第4話 僕がなりたかったもの(後編)
ゴブリン。
この世で最も数が多いとされる下級モンスター。
人間の子供ぐらいの背丈で非力で浅知恵だがその数と残虐さによって人里の平和を脅かしている。
村はずれに住む農家がゴブリンに襲われて財産を奪われた挙句、皆殺しにされるなんてのはこの世にはとてもありふれた出来事である。
牛小屋には7、8匹のゴブリンがいた。
奴らは人間から奪っただろう刃物を使って牛達を次々に殺しにかかっていた。
『リスタ! ゴブリンだよ!』
「み、見れば分かるよ!」
セシリアに反論しながら僕は奴らに背を向けて走り出した。
『ちょっ!? 何やってるの!!
ゴブリンだって言ってるじゃん!
早く殺さないと牛たちが全部持ってかれちゃうよ!』
「殺すって……そんなのできるわけないだろう!」
ゴブリンは単体なら非力で大人なら容易く倒せるレベルだ。
だが複数になると話は別だ。
自己犠牲の精神は無いが同胞を犠牲にする手段は知っている。
作戦を立てる頭脳はないが、人間の嫌がる事を本能的に知っている。
一匹がやられている間に背後から襲いかかったり、弱い者を執拗に狙ったり、火や毒を使ったりするから状況次第では騎士ですら遅れを取ることがある。
って! 教えてくれたのはセシリアじゃないか!
恐怖が怪談の域だったんですけど!
「僕は丸腰だぞ!
勝てるわけないだろぉっ!」
『これから冒険者になろうって男の子が何を情けないことを言ってるの!
戻って戦えっ!』
セシリアは僕を叱りつけるがそれよりも死の恐怖が勝る。
牛達はかわいそうだけど僕が戻ったところでどうなるものでも————
『待ってくれえっ!! 助けてくれっ!!』
野太い男の声が脳内に響いた。
モロゾフさんのものではない。
僕は声の主を見た。
この家の長男と思われる青年――ロンの霊だった。
無言で突っ立っているだけだった彼は、悲壮な顔をして僕に迫りながら懇願する。
『頼む……オヤジを助けてやってくれ!
オヤジはモンスターが怖くて、仕方ないんだ!
今もきっと腰を抜かしてる!」
振り返ると彼の言ったとおり、モロゾフさんは尻もちをついてその場から動けなくなっている。
そんな彼にゴブリンが迫る。
モンスターと獣の違いは人間に対する殺意。
獣が人を襲うのは飢えている時と危険を感じた時のにだが、モンスターは満腹だろうがご機嫌だろうが人間を殺そうとする。
そこに一切の情け容赦はない、と聞かされていた。
僕が行ったところで、どうにかなるものじゃない。
「……くっ! そおおおおおおおっ!」
モロゾフさんは大人なんだから自力で逃げるべきだ————
「セシリアっ! どうやって戦えばいい!?」
武器もない。
戦闘経験もない。
そんな子供がゴブリンの群れを倒すなんてできるわけがない————
『よしっ!
実戦修行その1!
あのオッサンに近づいてくる奴を片っ端から殴り倒す!
まずはそこから!』
取り憑いてきた女幽霊はムチャクチャ言うばかりで手を貸してくれるわけでもない。
強面の鎧を着た幽霊も喋ったと思ったら、助けてくれなんて頼んでくる。
どうして僕が?
本当にそう思うよ————だけどっ!!
僕は踵を返して牛小屋に戻る。
地面を蹴った瞬間、空気が変わるのを感じた。
時間がゆっくり進んでいるような感覚というべきか。
ご主人様にナイフを突き立てようとするゴブリンがじわじわとしか動かず、僕は間に合った。
「僕だって! ランパード家の男だアアアアアアっ!!!」
父も兄も僕を嫌っていた。
だけど、二人のような騎士に憧れていた。
弱き民を守るために命を賭け戦う二人のように僕もなりたかった。
だから「助けてくれ」と言われたのなら、怯えきって戦えない人がいるのなら、僕は戦わなきゃいけない!
走り込んだ勢いそのままに拳を放ちゴブリンの顔面にお見舞いした————瞬間、
バフォッ!
と音がして、ゴブリンの首が外れた。
身体に対して奴らの頭は大きい。
その大きな頭が大砲のような勢いで飛び、後ろにいたゴブリンの頭に直撃する。
グシャッ!
と、投げつけられたトマトのように互いの頭が潰れて黒みがかった緑色の血が煙のように舞った。
「…………え?」
今、何が起こった?
一瞬呆けた僕だったが、近づいてくるゴブリンの気配を察知すると反射的に左脚で蹴りを放っていた。
包丁を持つゴブリンの腕をへし折った後も勢いを殺さず振り切った蹴り脚。
斧の威力で首も叩き折った。
当然、ゴブリンは絶命する。
一瞬で、三匹の仲間がやられたことで動揺した奴らは僕から距離を取ったまま動かなくなった。
『ヒューッ、カッコいいじゃん!
僕もランパード家の男だー、なんて!』
セシリアがケラケラと僕を揶揄うように笑う。
そして付け加えるように、
『だけど、私の修行の事を忘れないでほしいな。
天下に鳴り響いた大冒険者『姫騎士セシリア・ローゼン』の手ほどきを受けた子ならゴブリンなんか百匹相手にしても負けるわけないじゃん」
と言って僕の背中を叩いた。
百匹だなんて、誇張し過ぎだと思う。
「だけどっ!!」
一足飛びに僕は離れた場所にいるゴブリンの懐に飛び込み、アッパーカットで顎から頭を叩き割った。
絶命の瞬間までゴブリンは殴られたことにすら気づいていなかったようだ。
それを繰り返す事、五度。
一分もかからず、牛小屋の中のゴブリンは全滅した。