懐かしい夢をみた朝
ふ、と意識が浮上して目を覚ます。
両サイドにすり寄るようにして眠っているのは、五年ほど前に家族になった猫毛の双子だ。五年で随分と大人びた顔立ちになったと思ったけれど、寝顔は今も変わらない。
ぼんやりとした思考のまましばらくそれを見つめてから、起こさないように上半身だけ体を起こした。
双子は前の世界でもあったように、この世界でも一部の地域で忌避されている。特に男女の双子は、前世で結ばれなかった男女が心中したものとして手ひどく扱われる傾向にあったようで、この二人も遠い東にある村で冷遇されていたところを連れ帰ってきた。
その村に何度か訪れていたにも関わらず気づくのが遅れたのは、村人達にも良くない事をしている認識があって外部の者に見えないようにしていたからだろう。
嫌がらせのひとつなのか、家人が食事の時に敢えて外に出されていた。
寂れた長屋の裏、虚ろな目をしている二人は客観的に見て非常に哀れで。嫌がらせにしては悪質すぎだと胸が痛くなったのを覚えている。
それは打ち付けるような大雨の夕暮れ。
雨で撥ねた泥で汚れ、ちいさな爪先は冷えて青くなっていた。泣きもせず、身を寄せ合って暖を取ろうとする薄い肩。それが目に入ってしまってからはもう駄目だった。
カーっと頭に血が昇り、村長に半ば強引に金を握らせた。たじろぐ老人を冷たい笑顔で制して、我に返ったときには二人の小さな手を両手に握って孤児院への帰り道を歩いていた。
戸惑うようにこちらを見上げる二人の蒼い瞳に泣きそうになって、思わず抱きしめる。本来泣きたいのは二人の方だろう。
硬直する小さな体が少しでも温まるように優しく摩った。すえた動物の匂いがして胸が苦しくなる。汚れて束になった麦色の髪は、きっと洗えば落ち着いた金色だ。
人買いのようにしてしまったことで二人を傷つけてしまったのではないかと後悔したが、二人は小さくても賢かった。帰路の途中、野営をしたときにきちんと話をしたことで納得してくれた。
ひとりに一つずつ手渡されたお椀に戸惑い、粗末なスープを大事に食べる二人の姿。
揺れる焚火の灯りに照らされた光景を今でも忘れられない。
あのとき見つけられたのは、本当に運がよかったと今でも思う。
私は細く長く息を吐いた。
薄暗い室内はあの日の暗さと少し重なる部分があるからだろうか。夢の中でも、起きてまどろみの中にいても、引き出される記憶の多さに自嘲した。
あそこの竹で作られた工芸品を愛用していたが、その時の記憶がマイナスイメージとなってしまって、つい足が遠のいている。
あの村長は知らなかったようだが、双子は生家で虐待されていただけでなく労働力としても搾取されていたようで、幼い当時でも売り物にできるほどの品をつくる腕前を持っていた。
したくもない事を無理にする必要などないと言い聞かせたが、双子はやることが無い状態だと不安なようだったので好きにさせることにした。結局買ってきた材料がなくなるまで創作してくれたため家の小物が増えてすごく便利になり感謝している。
最初は私のリアクションにただただ驚いていたようだったが、人馴れしてきた後に褒められた二人の可愛いことといったら。
今あるものを修理するくらいならこの街でもできるとのことで余計にあの村へ行く理由は少なくなっている。
あの村からしてみれば、行く頻度は少ないけれど遠路はるばる行商もかねて訪れる旅人が一人減ったため多少は収入に響いているのではないだろうか。
双子の知らないところで、ささやかな復讐を遂げられていることに満足しながらその柔らかな髪を撫でた。
「…ママ」
「かあさん」
寝起きなのに揃って返事をする双子。まだ開き切らない瞼が愛おしい。双子のうち、男のほうの目頭で固まっている汚れを優しく取り除いてから、私は「まだ早いから寝ていていいんだよ」と囁いた。
二人の瞳はもうよどんでいた蒼色ではない。精神的な回復と共に、美しい藍色へ変貌した。
ちょうど今のような、暁の前の空の色に似ている。とても綺麗だ。
「ん~。もう起きる」
「はよ。チビ達は寝かしといていい?家のことが進むから」
その言葉に小さく吹き出してしまった。
男の子なのに、すっかり主婦のような性分になってしまったな。と苦笑する。
「ルルとトキもゆっくりしていいのに」
「偉いね」とそのまま頭を撫でれば、双子の女のほうであるルルがくすぐったそうに笑い、男のトキは照れ隠しに伸びをしてベッドから降りた。ちょうど変声期を迎えつつある彼と一緒に眠れるのは、身体的な理由よりも精神的な理由で早まりそうだなと少し寂しく思う。
私は指先で小さく円を二つ描いた。
一人で着替えを持ち、洗面所へ歩いていくトキの背を2つの水球が追っていく。
「お水入れといたから、ルルも顔洗っておいで」
そっと背を押して促すと、ルルは「はぁい」と嬉しそうに笑って兄の後に続いた。彼女のはちみつ色の声が、差し込んできた朝日に優しくなじむ。
ぴょんとベッドを降り、ぱたぱた足音を立てて小走りでいくものだから「チビたちが起きるだろ」と小声でトキに叱られているのが聞こえた。
それにクスクスと笑いながら3人で寝ていたベッドを整え、私も手櫛で髪を束ねながら寝室をあとにする。痛んでいた髪は、今ではすっかり様変わりした。
「フフ…当たり前か」
だってあれから、もう百年以上経ったのだから。
虐げられていた幼少期の思い出はもうずいぶん風化しつつある。
苦労した記憶を忘れることはないだろうけれど、悲しい気持ちや悔しい想いは、二人をはじめとする孤児院のみんなとの忙しい毎日が上書きしてくれたからだ。
今朝夢で見た場面も、本当に久しぶりに思い出した。
あれから私は、従順なふりをしつつ練習を重ねて楽になるための魔法や魔術を練習した。
火種を灯したり、飲料水を湧かしたりする魔法、身体能力を上げる魔術、少し運がよくなるお呪い、作った料理や薬の効果を少しだけ上げるスキル、気配を薄くする身のこなし方など、そういったものを家仕事の合間に少しずつ身に着ける。
この世界では魔力なんていう不思議な力があるからか、何かしらの澱みが新しい存在を生み、その駆除が必要になっている。メカニズムがどうなっているのかは未だに理解が出来ていないけれど、つまりは魔法や魔術はそれらを駆除するために必要な技術であり、攻撃的な使い方ができる者が重要視されるため、全く異なる伸ばし方をした私への評価はさらに悪くなった。
さもありなん。生活が楽になる魔法も使い方によっては殺傷に転用できるのだけれど、有用とされ囲まれるのは本意ではなかったので沈黙を貫いた。
あいにく成長と老化が遅く長命な種族だったのか、苦行のような日々が想定より長く続いたことには苦労した。前世読んだ物語で言うエルフのような特性を持つ種族で、食べられる野草や薬に関する知識に富み、自然に寄り添う生き方をしていた。そんな毎日に気力が擦り切れそうになるのを必死に耐え、部内でマタギを担う者たちの荷物持ちとして外にでられるようになった際、隙を見て逃げ出した。
それからいろいろなところを転々と旅して、今に至る。
その話は追々、する機会があれば。
そっと忍び足で寝室から移動しようとして、ふと寝室の続き部屋に目を向けた。
扉替わりにしている厚手のカーテンを静かによけて中をのぞくと、まん丸になったお腹を上にして十歳以下の子供達が規則正しく寝息を立てている。
出会ったばかりの頃はやせ細っていた子もいて、ふっくらと丸みを帯びた頬が嬉しくそっと指で撫でた。もじもじと逃げるように顔の向きを変えるけれど、安心しきっているのか目覚めることはない。
どう動いたのか想像もつかない寝相に笑いを噛み殺しながら掛布団を掛け直して、今度こそ部屋を後にした。
洗面所に近づくにつれ、微かに水の音がする。
すでに身支度を整えた二人が洗顔に使った水を花壇に撒いていた。
この孤児院、というか世界では上下水道が普及していないため、一般的には甕に井戸から汲んできた水を大事に大事に使うのだ。水の魔法や魔術、それらが込められた魔道具を使うのも手だが、先に言ったように魔力をたくさん持っているものは軍や自衛団等に起用されるため、生活で水魔法を活用できるのは、貴族や富豪だけだったりする。
魔力がなくなると強い疲労を感じるため、魔力持ちでも総量が低い一般人は人力で何とかする者がほとんどだ。家事やら畑仕事やらで仕事が多い庶民にとって、朝の水くみだけで動けなくなるのは割に合わない。
魔力で作り出した水が合うのか、ささやかな花壇の花々は色鮮やかに咲いていた。
花壇といっても、もとは子供らが採ってきた野草だったりするのだが、街の花売りが売っている切り花に見劣りしないように思う。
追加で出した水で洗顔と歯を磨き、同じように別の花壇へ撒いてから台所へ向かった。
ルルが畑の水やりを、トキが鶏の世話をしてくれているのを横目に朝食を作る。
無発酵のパンと雑穀が入ったスープが出来上がり、獲れたばかりの卵と豚に似た家畜の燻製を薄く切って焼き始めたところで、匂いにつられて年少組が起きてきた。
「おはよう」
そう声をかければちゃんと「おはよう」と言ってくれる子、はにかみ笑顔を見せる子など、それぞれの朝の挨拶を返してくれる。まだきょとんとしたままの子もいるが、いずれにせよ可愛いものだ。
火を使う台所はまだ危ないので「よくできました。みんなでお顔洗いにいくからちょっと待っててね」と順番に頭をなで、廊下の途中で待機させる。
竈のスープに水を足し、おかずの火を止めてから、まだ寝起きで泣いてしまう子がいるために寝室へ向かう。薄暗い寝室では年少組のうち一番年上の女の子、ミラがぐずっている子を宥めていた。「優しいお姉ちゃんね」とミラを撫で、世話を代わる。
「よしよし、サーちゃんおはよう」
ミラにお礼を言い、まだ夢うつつに泣いているサーシャを抱き上げる。
廊下から鈴なりに寝室を覗き込んでいる子達に声をかけた。
「みんな揃ったね。さ、お手洗いとお顔洗いにいくよ」
ぞろぞろと連れだって向かった洗面所ではトキとルルが待ち構えていてくれた。
サーシャをあやしながら、片手で円を描き洗面器に水を入れていく。
そうして私は順番に皆のトイレを補助し、終わった子からルルとトキによって洗顔と歯磨き(まだできない子は顔をぬぐったりうがいをさせたり)をさせ、せわしなく朝の支度を進めていった。
「おかあさんはご飯の準備してくるからね。朝のお仕度が出来た子からご飯食べるお部屋にきてね」
「はあい。サーシャ、ルルねねとだっこしようね」
サーシャをルルに託し、途中で洗面所を後にする。
温かいスープは器が小さいものから順によそっていく。小さい子のものから冷めるように。
パンをちぎり、スープに入れてサーシャ用のパン粥もどきを用意する。
カウンターに並べておけば、年長組くらいの子達は長机にそれぞれ自分で持って行ってくれるのだ。みんな腹ペコだから、ご飯に関するお手伝いは文句を言わずに動いてくれるので助かる。連携もちゃんととれていて、カトラリーを並べていてくれた子の分を何も言わずとも別の子が運んでいるのを見ると賢くなったなと感心する毎日だ。
今日カトラリーを並べてくれたのは七歳のリト。赤い栗毛とそばかすが可愛い、年少組の男の子たちのまとめ役の存在だ。
途中で止めていたおかずに火を通し、大皿にのせれば朝ごはんが揃う。
そわそわと臨戦態勢に入った子供達だが、箸をつけるのはおうちルールで必ず皆でいただきますをしてから。おしゃまなミラが、隣の腰を浮かせた男の子をそう言って叱っている。声色がトキに似ているのに笑ってしまう。
子ども達の食事前のお祈りは縛らず個人の自由にさせていた。
宗教的な意味合いもあるのか出身地によって祝詞が少しずつ異なっていたのだが、お祈りをしたことが無い子達に教えていた短くて簡単な前世のいただきますが浸透し現在に至る。
年齢の高い子の中にはお箸を習得した子もいるが、基本的にはスプーンとフォークだ。ガツガツと食べたい子ほどその傾向が強いように思える。私もサーシャを膝にのせて、スープでふやかしたパンの柔らかいところを食べさせていった。
サーシャの緑の瞳がもっともっととねだってくる。待ち構える口の開き方がまんま雛鳥のそれだ。食べられて偉いねえと脂下がっていたら、赤ちゃん返り気味な四歳の男の子のマークがじっとこちらを見ていた。
くるくると指先を回す。
あたたかい風でマークの頬をくすぐって自分で食べるように促した。目線で愛情を伝える。今日はこれで満足してくれたのか、はにかんで食事を再開した。あとでうんと撫でてあげよう。
柔らかく煮た人参をきちんと食べられたサーシャを大げさに褒めてから、私も食事を開始した。
まだ紹介しきれていないけれど、今孤児院にいるのは私も入れて十名。もう巣立っていった子達もいるが、みんなまとめて愛しい家族だ。