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一日目

あっさりしたものが書きたくて始めました。

よろしくお願いいたします。

 私の名前は佐藤友子。とてもありふれた同姓同名が全国に数百人もいそうな名前。

 見た目は地味で大人しそうな三十代半ばの女性。現在の身分は某県アンテナショップのパートタイマー。

 都会では簡単に埋没できる、「離婚とともに新しい生活を始める必要に迫られ慣れない場所でパートを始めた元主婦」ということになっている。


 私の本当の職業は覆面調査員だ。


 ただし、客として店や施設を訪れて感想を報告、という仕事内容ではない。

 それをやっている知人も多いけど、そっちは本当に普通の主婦が時給千円くらいで請け負う。

 私の顧客は通常で企業や施設のトップ。たまに国家権力からの依頼も舞い込んでくる。そうなると非公式の潜入捜査のようなことをする場合もあり、護身術や逃げ足を鍛えることは欠かせない。

 私の仕事は、従業員として潜り込んで顧客の懸念に白黒付ける情報を掻き集めることだから。


 今回の依頼人は某県の知事。過去に何度か依頼してきた大病院の経営者からの紹介だ。

 個人経営の病院の覆面調査依頼は結構ある。国家資格保有者はそうでない人間を見下す本心を抱える者も多く、そういう意識は患者やその家族という「お客様」にも伝わる。

 SNSが日常ツールとなっているこの御時世で、未だに口コミの怖さを知らない「接客業」の人間が多い。

 所謂「店員さん」や「受付窓口」だけが接客業の自覚を持てば問題が起こらないわけではない。

 患者やその家族を金蔓という客扱いする病院なら、それと直接接する機会のある医師も看護師も、他のあらゆる病院スタッフが接客業者だ。そういう人たちの態度が病院経営に口コミで簡単に跳ね返ってくるのだから。

 そうして病院経営者の横の繋がりで他にも金払いのいい上客を紹介してもらったりしている手前、今回の知事からの依頼を受けたのだけど。


 こりゃすげえな。


 初日の初対面からアウトな内容が怒涛のように押し寄せてきて、内心で吐露する。


 知事の話では、このアンテナショップは売上が良いしメディアに取り上げられたことも数度あり、その時の評判も悪くなかった。

 だが、ふとした偶然で目にした匿名の口コミサイトでの評価が引っ掛かったそうだ。

 私もサイトを確認したけど、口コミいわく、「商品はいいけど二度と行きたくない。次はネット注文で通販にする」「空気悪い店。偉そうなオバサンがマジメそうな店員いびってる」「知り合いがバイトしてたけどパワハラで病んだ」「人手足りないのかな。待たされる」「声かけるなの雰囲気が怖いです」などなど、結構なパワーワードが現れている。


 このアンテナショップは店長が県から派遣された県職員で、残りはアンテナショップがある土地での採用だそうだ。

 地元を離れての単身赴任か長期出張となるため、延長の希望が無ければ店長の任期は二年だが、前任者の四十代女性は任期半ばで鬱病により休職。先月急遽決まった新任の三十代男性は、一月も経たない内に異動願いを出してきた。

 前任者の報告書に店内の問題などは上がってきていない。新任の店長も、土地が合わないことで健康上の問題が起きたという一身上の都合での異動願いを出している。


 まぁ、この店が問題だらけだという報告だけでいいなら半日で証拠集めも終わったけど、どうしてそれを店長たちが報告できなかったのかは謎だ。

 休職療養中の前任者も、異動願い中の新任店長も、頑なに店内の問題は口にしないようだし。


 既に客の立場での覆面調査員は放って報告書を回収したそうだけど、せいぜい「男の人が忙しそうだった」「お店はキレイだけど、なんか空気悪い」くらいで、口コミサイト以上の内容は出てきていない。

 知事が視察に行った時には、実に丁寧で礼儀正しくもてなされ、明るく朗らかな接客態度に安堵したと言うけど。


 当たり前だろうが!


 と内心呆れながら適当に相槌を打っていた。


 さて、私が初日だけで体験できた「店内の問題」をまとめてみよう。

 まずは、店長に人員補充で採用した新人パートとして店舗スタッフたちに紹介された初っ端から。ちなみに、店長も私の正体を知らない。

 名乗って挨拶をした私に挨拶を返したスタッフ0人。好意的な視線は一つも無かった。人手不足は本当なんだけどね。ハロワにも人員補充で募集出してるし。私はちゃんとハロワ経由で応募して店長と面接して正規ルートで受かって採用されている。

 知事の話では、アンテナショップの印象が悪くなれば県の印象にも繋がるから、挨拶と笑顔は基本として徹底しているとか何とか言ってたけど。

 滅茶苦茶悪いよ、印象。初対面の相手に攻撃的な悪意の視線を向けて挨拶も返せないなんて、社会人として大人として以前に、人間としてどうだろうね?

 お客様の前でだけ似非笑顔を振り撒けば問題無いと思ってるのかな。


 初日から、求人票に明記してあった「研修があるので未経験でも安心してください」を無かったことにしたのか研修無しで通常業務に放り込んだ店長も店長だけど。

 アンテナショップ出店当時からいるベテランスタッフ2名と数年以上ここで働いている中堅スタッフ5名も頭オカシイ。


 新人パートにとっては初めて来た店、初めて見る商品。商品の種類は細かく分けたら二百以上。

 何故か新人パートの私は、その全商品の正式名称とパッケージの見た目と値段と陳列場所を「初めて見たのに」把握していて最初から素早く陳列できなくてはならない。

 ベテランいわく、店長が店内のトイレやイートインコーナーやレジの場所を案内した時に棚も見ただろう、ということらしい。

 おかしいなぁ。ハロワの求人票には「瞬間記憶能力の超能力を持っていること」なんて条件は無かったのに。

 店長以外の7名のスタッフが全商品を把握してるということは無い。自分の担当ジャンル以外の商品は我関せずだ。

 店長は、一応全商品の暗記はしている。赴任する前にカタログ丸暗記したらしい。来る前はやる気もあって責任感もあったからなんだろう。


 素早く陳列、と一口に言っても、求められるレベルが如何ほどかは判断がつかない。

 とりあえず、大手土産物屋に店員として潜入した時より少し遅いくらいのスピードで丁寧に作業した。この時点で本当はおかしい。研修とか一切やってないからね。求人票に明記していて知事も必ずやってると思ってる研修。それをやらずに商品に直接触らせて問題が起きたらどうするつもりだ。


 県のアンテナショップで取り扱う商品は食品が多い。それ以外の商品でも、直接肌に触れる化粧品やTシャツが人気だ。

 研修無しで直に触る新人が悪意を持って異物混入などしなくても、扱い方が適切ではなくて想定外の商品劣化や、破損からの把握できない異物混入が起きるかもしれない。


 ゾッとする。


 これは確かに、このアンテナショップで店頭販売されている商品は買いたくないかもしれない。通販だとアンテナショップを通さないから、ここで買うより安全な気がしてしまう。

 そして求められたレベルは大手土産物屋の店員の3倍のスピードだった。

 遅い、もっと考えて効率よく動けと言われた。

 私は大手土産物屋の他にも財閥系末端会社が経営する業務用スーパーや会員制高級食品専門店、複数店舗を展開する酒屋や老舗薬問屋が経営するドラッグストアなどにも潜入して品出し作業はしてきたが、求められるスピードで作業する店員は見たことが無い。

 もちろん、現在潜入しているアンテナショップにもそんなスピードで品出しするスタッフは存在しない。


 店長は商品知識はあるけど本職が県職員だから店員としては素人だ。

 店長に研修を担当させてもコンプライアンスについての研修くらいしかできないだろう。

 私は知事から本来遵守することになっている内容については聞いていたけど、まぁ、まるで守られていない現場だ。店長は赴任前に面談で聞かされてるはずだけど、この現場に物申すことはない。少なくとも私が入った後に物申している場面を見たことはない。


 で、非現実的な瞬間記憶だのハイレベル過ぎる作業スピードだのを求められながら新人の私は様々な指示をされるわけだけど。

 各々がマイルールを持っていて、「この店のルール」が統一画一されていないから、私がAというスタッフから指示された通りに作業を済ませるとBというスタッフから「何やってるんだ違う」と叱責される。

 こう指示されましたと言うと、口答えするなんてやる気がない証拠だと言われる。

 作業の進め方に個人差があるのはおかしくないが、「この食品は形状や重量的に重ねるのは何段まで」とか「値札やポップが何%以上隠れない位置までしか置かない」のようなルールまで個人差があるのはねぇ。

 ミーティングでは事務的な連絡事項のみを伝え、店内ルールの確認やスタッフ同士の意識のすり合わせが行われることは無い。

 ホウレンソウが圧倒的に足りないだろう。


 店内の清掃もスタッフの業務内容に含まれるけど、私が入るまでは店長が一人で全部やっていたらしい。女性用トイレも。

 開店時間中は店長がやるのはマズイでしょうと言うと、だから急いで女性スタッフが欲しかったという答え。

 前任者が女性だったから清掃が全部店長の仕事で問題は起きなかったと言われ、更に「私達は店の方が忙しいんです」と言われて、清掃は店長が一手に担っていた。

 前任者が中年女性だったとしても、掃除婦の格好ではなく店舗の制服を着た女性が男性用トイレに入り込んで清掃することに抵抗を感じる男性客は少なからずいただろう。スタッフ7名の内2名は男性なのに、トイレの清掃のやり方や道具の置き場すら知らない。

 それに店長が公休の日は誰が清掃していたのかと訊ねたら、店長はアンテナショップの定休日以外に休みを取らないことになってると言う。前任者もそうだった、と。


 いや、おかしいよね? 労働基準法違反になるよ。

 このアンテナショップの定休日は月に2回。第一第三火曜日だけだ。


 店長が赴任してくる前から、家庭持ちのスタッフたちが土日祝日は必ず休むシフトで生活サイクルが成り立っているから、店の売上に貢献できない人はそのくらい役に立ってくださいと、清掃を毎日するよう要求されて飲み込んだそうだ。

 独身のスタッフも法令違反にならない日数の休みを当然確保しているし行楽のための連休も申請する。申請を受けてシフトを組んでいるのは店長だが、全員の要求を満たしたシフト表を配布しないと非難轟々でやり直しさせられるらしい。

 私は新人で覚えなければならないことが多いから、店長と休みを合わせるようにベテランから言われた。


 フルタイムパートなのに休日月2回を強要。

 はいアウト。録音済。

 会話の中に「それだと私の休みは月に2回だけになってしまいますが」「ハローワークで労働基準法についての説明があったのですが」というセリフを混ぜたら、彼女は店長の休みが定休日の月に2回だけなのを知っていたし、労基違反なんかアンタが黙ってればいいだけでしょ、まだ何もできないくせに休めると思ってるの、少しは頭使いなさい、などと楽しい証拠セリフをペラってくれた。


 初日だけで大漁だねぇ。

 閉店作業を済ませて仮宿として借りたアパートに帰宅。入浴しようと服を脱ぐと、一般人より随分鍛えている私が腕や足に結構な数の痣を作っていた。

 始業の8時から閉店作業が終了する21時まで、一時間の昼休憩以外は20キロ以上の重量のものを運んだり積み下ろししたり、10センチの幅の鉄柵の間に体を押し込んだりしてたもんね。

 これは久しぶりだ。腕が鳴る。

 痣の写真とできた理由も報告書に付けよう。

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