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Sorĉado-27 仲間

 



 日々は忙しなく過ぎていった。

 科目数の多い期末試験を必死に乗り切りながら、同時に強姦未遂の容疑を背負った昴のことで事情を話すべく、叶奈は友枝警察署に何度も足を運んだ。魔女の持つ“(エテロ)”が接触者の精神に影響を及ぼすことを警察は理解しており、「普段の昴は本当に温厚だったのか」などと叶奈に確認を繰り返した末、ようやく嫌疑不十分で昴を解放した。

 お前が魔女だろうが何だろうが、傷つけるような行動を取ったのは俺の責任なんだ。本当に悪かった──。そういって昴には頭を下げられたが、その謝罪を素直に受け入れていいものか分からなかった叶奈は、ただ首を横に振って「ううん」と誤魔化し笑いを浮かべることしかできなかった。無意識に昴を煽動した魔女の叶奈と、無意識に操られたまま叶奈を襲った一般人の昴と、そのどちらが有罪かを判定することは難しい。ただ一つ、決して疑いようのない事実があるとすれば、それは叶奈と昴が未来永劫、恋人としてやり直すことはできないという点だけだった。

 結局、昴を嫌いになどなれなかった。ひとりぼっちで孤立していた叶奈を、誰の目も気にすることなく救い出してくれた昴の笑顔は、いつだって叶奈のわずかな希望の光であり続けた。もっとも、それもこれもふたを開けてみれば、叶奈の特異な力が招いた偶然の作用に過ぎない。()()()昴は叶奈のような魔女など決して眼中には入れてくれない。その埋めがたいギャップが毎晩のように胸をやつして、切なくなって何度も泣いた。誰かの幸せを一方的に祈らねばならない立場のつらさを、骨身に染みるほど思い知った。

 傷心の叶奈を助けてくれたのは、円花と小雪だった。いまだ多くのクラスメートたちが魔女の叶奈を遠巻きにする中で、二人は畏怖や拒否の反応を示すことなく、様々な頼み事を持ち掛けてきた。ノートの返却を手伝ってほしいだとか、花瓶の水を換えてほしいだとか、そんな些細で面倒な頼み事だらけだった。相変わらず円花はぶっきらぼうだし、小雪の物言いもどこか上から目線だったが、それが偽らざる素の二人の態度であることを知っている叶奈にしてみれば、むしろ気を遣わずに接してくれることがどれほどありがたかったことだろう。もっと頼られたくて、話しかけられたくて、叶奈も得意の魔術で頼み事に食らいついた。そんな関係がしばらく続いて、頼み事の連発が叶奈に話しかけるきっかけ作りだったのだとようやく気づいた頃には、すっかり距離感を掴みきった叶奈は二人のもとへ自然に話しかけられるようになっていた。

 もう、ショッピングモールへの同行を願い出ても、雨の中を二人で帰ることを申し出ても、小雪も円花も拒まない。それぞれの言葉選びで「いいよ」と応じてくれる。性格も、立ち振る舞いもまるで違う二人だが、いまや自他ともに認める、この世界でたった二人の叶奈の友達だった。

 元の三人に戻った春風家も、以前とは違う形で平和な日常を築きつつあった。母の芽久はそれまでのような残業地獄を切り上げて帰宅するようになり、咲季や叶奈とともに居間で過ごす時間を徐々に増やしていった。魔女であることが大々的に発覚した以上、もはや家族に隠れて魔術を使う必要はない。大義名分を得た叶奈は家事の大半を堂々と魔術で片付けるようになり、その分、空いた余暇を母や妹と話す時間に充てた。母も、咲季も、魔女の存在をそれぞれに敬遠してはいたが、魔女になった叶奈の働きぶりを見ていてそれなりに思うところもあったようだ。それまで気遣いのあまり何気ない会話さえも交わすことのできなかった家族が、少しずつ、少しずつ、声や手の届く場所に近づいてきている感覚があった。

 未来は行動次第でいくらでも変えられる。閉塞的だった叶奈の未来には、いつしか何筋もの光が木漏れ日のごとく差し込もうとしていた。──もっともそれは、なおも目を覚ます気配の見えない敦子のことを除いて、という重大な前提のもとではあった。



「夢野さんはね、魔女の中でもとびきり特異な力を持つ人だったの。それこそ一瞬で堤防を組み立てるみたいに、誰ひとり真似のできないような芸当を平気でやってのける人だった」


 宮藤は終始、眉を伏せていた。病院への搬送直後、朽ち果てた面持ちでベッドに眠る敦子を見つめながら、彼女は叶奈に敦子の隠し続けていた本性を話してくれた。


使い魔(ファミリアーラ)のことは知ってるよね。私たち魔女は普通、ペットのように特別な親交を結んだ動物との間でしか、力のやり取りを行えない。夢野さんが他の魔女と違っていたのは、使い魔(ファミリアーラ)にする対象との間に特別な親交を必要としていなかったことなの。そのへんで無関係に生きている動物の力を、夢野さんは無差別に取り込んで魔術に利用することができた。もちろん()()には人間も含まれる。要するに四十万人の友枝市民が全員、夢野さんの使い魔(ファミリアーラ)みたいなものだった」


 その名を【魔女王(レヂーノ)】──。全世界に分布する約八〇〇〇人の魔女のうち、わずか十人にも満たないといわれる特異能力者だ。人並み以上の力を基本的に持ちえない魔女たちの中で唯一、自然を超越した莫大な力を行使することのできる、真の意味で救世主となり得るべき存在。敦子が叶奈の前で隠し続けてきたもう一つの本性とは、他ならぬ魔女王(レヂーノ)のことだったのだ。

 叶奈は少しも気づいていなかったが、敦子の魔女としての特異性は日常生活にも表れていた。箒のような無機物を執事として無期限に使役する物体服従魔術は、実際には『持ち主がいっときも休まず数十年間連続で箒を使い続ける』のと同じだけの(エテロ)を消費する、普通の魔女には到底困難な代物なのだという。この能力は叶奈にも遺伝している可能性がある、今はまだ未熟だから分からないだけかもしれないといって、宮藤は傷心の叶奈をひとしきり怖がらせた。

 大量の砂利やコンクリートを操り、消波ブロックや堤防を一瞬にして生成するなど、人ひとりの力でなし得ることではない。けれども数十万、数百万の人々が持つ潜在的な力をもってすれば、必ずしも不可能ではなくなる。その可能性に一縷の望みをかけた敦子は、自らの老体に過剰な負担がかかるのを承知の上で、膨大な力を注ぎ込んだ魔術を駆使し続けた。結果、耐え切れずに身体が壊され、自分自身のエテロを失った敦子は昏睡状態に陥った──。それが、現在の容態から推定される敦子の現状だった。

 昏睡してしまった敦子を取り戻すにはどうすればいいのか、宮藤も「わからない」と正直に白状した。喪失した(エテロ)をふたたび込めたところで、身体機能や脳機能が損傷している以上、どのみち敦子が目を覚ますことは難しい。あらゆる医学に通じている魔女か、それこそ敦子のような特異能力を持つ魔女王(レヂーノ)でもない限り、治療はおろか意識を呼び覚ますこともままならない。


「とにかく今のあなたにできることは何もない。まずは見習いを卒業して、いっぱしの力を奮える魔女になることから考えないと」


 そういって宮藤が薦めてくれたのは、国中の魔女たちが所属している組織への加入だった。その名を『魔女集会(マクロ・デ・ワルプルギス)』といい、本来ならば見習いの魔女では所属できない団体だが、今回は師を失った叶奈のため、特別に宮藤が推薦状を書いてくれるという。加入すれば他の魔女たちに混じって魔術の練習を積めるようになり、見習いを脱する道筋が立つ。

 いくら説明を受けても不安を拭い切れなかった叶奈は、結局、宮藤の提案をしばらく受け付けることができなかった。長らく敦子以外の魔女を知らず、学校のクラスにさえ馴染めなかった叶奈が、魔女ばかりの集まる組織に溶け込める保証はどこにもない。たったひとり見習いの身で仲間入りをしようとする魔女のことなど、誰も好意的な目で見てはくれないのではないか。ひとりで悩み続けたのでは埒が明かず、意を決して家族に相談を持ち掛けると、母も、妹も、存外あっさりと叶奈の背中を押してくれた。


「誰だって仲間が増えるのは嬉しいものでしょ。ましてや新入りの叶奈が敦子(あのひと)の孫だったなんて聞けば、かえってみんな興味を持つくらいじゃないの」


 そういってビールを(あお)る母の横顔に、難色の気配は不思議と伺えなかった。愛娘が魔女に育ってしまったことへの嫌悪感はどこへ消え失せたのだろう。おっかなびっくり「わたしが魔女であることは構わないの」と尋ねたら、缶を放り出した母は不機嫌丸出しの声で「構わないわけないでしょ」と唸った。


「だから叶奈には立派な魔女になってもらわなきゃ困るの。誰も傷つけない、誰のことも幸せにできる、誰の前でも誇れる魔女であってもらわなきゃね」


 魔女だった祖母の起こしたトラブルで不幸を経験した母にとって、その言葉がどれほど重い意味を包含していたものか叶奈には想像もつかない。ともかく母の言葉が最後の一押しになって、翌日、叶奈は教えてもらっていた宮藤の連絡先に電話をかけ、推薦の件を頼み込んだ。ようやく叶奈が勇気を出したことに宮藤は思いのほか喜びを見せ、「もちろん」と二つ返事で引き受けてくれた。

魔女集会(マクロ・デ・ワルプルギス)』の会合は月に一度、山奥にある大型の貸し別荘を借り切って開催される。そこには叶奈が見たこともない数の魔女が(つど)っていた。まだ十歳にもならない女の子から、魔女の身分を隠して働くキャリアウーマン、大学生、専業主婦、果ては敦子以上に歳を取った九十八歳の老婆に至るまで──。彼女たちは縮こまっていた叶奈を部屋の真ん中まで連れてきては、嬉しそうに相手をしてくれ、悩みの相談にまで乗ってくれようとした。まだ見習いであることを吐露すると、同年代の少女たちが数名「私たちが手伝ってあげるよ」と名乗りを上げてくれた。どの子たちも学校の制服に身を包み、傍目にはありふれた中学生や高校生にしか見えず、おまけに叶奈と同じような魔術の失敗談をいくつも持っていた。魔術のせいで彼氏に振られたことを話すや、いっせいに「それは男が悪い!」「犯そうとしたくせに魔女だからって理由で振るとか意味わかんない!」「最低!」「殺せ!」と激しい同情を受けて、かえって叶奈のほうが困惑を隠しきれなくなるほどだった。

 恵まれた仲間のもとで、叶奈の鍛錬の日々がふたたび幕を開けた。より難易度の高い魔女語の習得にはじまり、魔術の出力やベクトルを調整する練習、より省力的に魔術を使う練習、魔術行使の後始末を行う練習……。高校受験生として試験勉強に励む傍ら、まるで性質の異なる魔女の訓練に同時並行で取り組む日々は相変わらず過酷だったが、叶奈は投げ出さなかった。いくら泣き言が口をつこうとも、嫌気が差そうとも、歯を食いしばって鍛錬に励んだ。

 何がなんでも一人前になる。

 大好きな祖母と交わした約束を、何がなんでも遂げてみせる。

 その確固たる信念だけが、叶奈の胸に宿る炎を煌々と焚き続け、決して絶やすことなく未来に繋いでいた。





「色んなことが変わったよ。色んなことが分かったよ。ほんとに話しきれないくらい、色々あったんだから……」


▶▶▶次回 『Sorĉado-Laste ひとりだち』

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