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Sorĉado-20 使命

 



 紆余曲折の末、しばらくのあいだ叶奈は夢野家に身を隠されることになった。

 そもそも叶奈が警察に追われているのは、円花に忘却魔術をかけたことが発覚したためではないのだ。仮に忘却魔術の罪が許されたとしても、昴を吹き飛ばして怪我を負わせた罪が消えるわけではない。そういって叶奈は何度も警察への出頭を訴え出たが、敦子は頑として聞き入れなかった。しばらく警察には行かなくていい、落ち着いたら折を見て行けばいい──。傍目には意固地にも思えるほど強硬に促され、仕方なく、夢野家に隠れ住むことが決まった。衣類も、教材も、スマートフォンの充電器も、春風家に置いてきたものは何もかも敦子が魔術で取り寄せてくれた。

 その晩は敦子と、夜遅くまで居残った円花と、三人で夕食の席を囲んだ。ようやく落ち着きを取り戻してきた叶奈は、ここ数週間で起きたことを洗いざらい、順を追って白状した。昴に犯されそうになって防衛魔術を使ったことも、警察から逃げる途中に浅羽麻衣と会ったことも、余すことなく打ち明けた。円花に忘却魔術をかけた経緯のくだりに差し掛かると敦子の目も険しくなり、縮み上がった叶奈は半泣きで話を進めた。


「ずっと……言い出せなかったんだけどさ」


 時おり食器を置き、重たげに息を漏らしては、円花は少しずつ自分自身の話をしてくれた。

 クラスに友達のいない姿からも分かるように、もともと人付き合いが苦手で、誰かに親しくされる経験が浅かったため、気さくに寄ってきては親切を働こうとする叶奈の真意がどうしても図りかねていたこと。魔女は悪いことをする存在という先入観から、叶奈が魔女だと知った時にはつい責め立ててしまったが、実際には『良からぬことを企んでいる』という理由付けで安易に叶奈の行動を理解しようとしていただけで、魔女であること自体で叶奈を嫌いになろうとは思っていなかったこと。


「春風を初めから疑ってかかってた私にも落ち度があったんだと思う。私と仲良くしたがる子なんかいるわけがないって決めつけてなきゃ、春風に忘却魔術を使わせることもなかったのかな」


 ちっとも食の進まない叶奈を見やり、円花は「悪かったよ」と肩を落とした。すでに玄関の外で嫌というほど謝ったばかりだったのに、被害者に頭を下げさせた後ろめたさが募って、叶奈も「わたしこそごめんなさい」と謝り返した。またも不甲斐なさで溢れた涙が、味噌汁の水面にいくつも王冠を作った。

 朝方、叶奈と通学路で出くわした時から、挙動不審な叶奈の様子に円花は違和感を嗅ぎ付けていた。その違和感が現実と結びついたのは、登校してG組の教室を開け、クラスメートたちの大半が噂話に励んでいるのを聴きつけた時だった。『春風さん、魔女だったらしいよ』『隣のクラスの大鳥居くんを魔術で痛めつけたんだって』『有り得ないよね』──。彼女たちは気味悪げに、不安げに叶奈の話をしては、まるで叶奈の報復を恐れているかのように、落書きだらけの叶奈の机を何度も眺めていた。朝方の不審な様子を考え合わせれば、叶奈の身に何かが起ころうとしているのを察知するのは難しくない。このままでは何も聞き出せないうちに、叶奈が永遠に手の届かない人になってしまう。深刻な危機感でいてもたってもいられなくなった円花は、近所に魔女が住んでいるという噂話を耳に挟んだことがあるのを思い出し、すがる思いで敦子を探り当てて頼ったのだった。

 魔女の身分をまとっているだけで、気に入らない相手に報復を仕掛ける人間とすら誤解される。むろん、人々にとってそれは誤解ではなく、誰もが抱いて当然のステレオタイプな印象に過ぎない。円花の話に耳を傾けながら、叶奈はいよいよ腹を括らざるを得なくなったのを理解した。もはや小雪の影響力どうこうの問題ではない。クラスの子たちは他ならぬ自分自身の意思で叶奈に幻滅し、夢から醒めたように叶奈のもとを離れていったのだ。

 魔術のおかげでみんなの役に立てていた、満ち足りていた頃の自分に戻りたいと思った。いじめられていようとも臆することなく隣に寄り添い、「好きだよ」といって頭を撫でてくれる人のいた頃に、今すぐにでも戻りたかった。みんなで囲む教室の空気は暖かかったな、大鳥居くんの右手も温かかったな──。浴槽いっぱいの湯に身を沈め、かりそめの温もりで身体を満たすたび、彼方へ遠ざかってゆく優しい日々の残り香に浸っては、傷む心を抱えながら(むせ)び泣いた。泣きながら邸内をうろつく叶奈はさぞかし鬱陶しかっただろうに、敦子は叶奈を咎めることもせず、静かに「おやすみなさい」とベッドへ送り出してくれるばかりだった。



 敦子はかれこれ二十年以上、この夢野家に独りで暮らしている。邸宅自体も独り暮らしを始めてから建てたものだそうだが、その割には二階建てで寝室が三つもあり、広大なリビングダイニングも備え、キッチンの面積も単身者向けとは思えないほどに広い。いつだったか、そんな家の構造を不思議に思って尋ねたことがあるが、敦子は「来客用だよ」と笑うばかりで、あまり真面目に取り合ってはくれなかった。

 居候となった叶奈の日課は、この広い屋敷を手入れすることだった。日課など与えるつもりはない、好きに過ごしなさいと敦子からは言われていたが、迷惑をかけて居座っている以上、何もしないわけにいかないと叶奈も言い張った。しぶしぶ邸内を歩き回った敦子は、庭の草刈りという仕事を見つけてきて叶奈に託した。


「魔術を使えば一瞬で終わるでしょう。あとは適当に庭先の花にでも水をやって、簡単な剪定でもしてくれたら十分だからね」


 幸い、前日に引き続いて曇天だった。敦子が奥に引っ込んだのを見届けるや、叶奈は勇んでシャツの腕をまくり、草刈り鎌を手にして庭へ出た。

 魔術を使う気など、初めから毛頭なかった。

 細い腕で鎌を振るい、雑草を引き抜き、黙々と汗を流し続けた。

 小一時間も経つ頃にはゴミ袋いっぱいの雑草の山が積み上がった。ただでさえ灼熱の真夏の昼間、魔術を使わない形で重労働に励むのは久々のことで、しばらくするとクタクタの身体が思うように動かなくなる。ぐったりと縁側に腰掛け、汗だくの背中を冷やしていたら、不意に現れたチョコが『獲物を見つけた』とでも言わんばかりの顔で叶奈の膝に飛び乗ってきて、あっという間に寝息を立て始めた。

 微笑ましさに耐え切れず、叶奈はちょっぴり笑ってしまった。「よしよし」と背中を撫でてやると、チョコは大あくびを一つして、また目を閉じた。

 拾ったばかりの頃、ほんの小さな毛玉でしかなかったチョコは、敦子の庇護のもとですくすくと元気に育ちつつある。この数ヶ月、わたしはちっとも成長できなかったのにな。込み上げた物悲しさで丸くなった背筋が、風にあおられて冷たさを増した。

 足音が近づいてきた。


「進んでないじゃないの」


 敦子の声だった。悪事を見咎められた気分になった叶奈は、首をすくめて敦子を振り返った。ついでにチョコも顔を上げた。


「ごめんなさい。暑いのと、きつくて」

「どうして魔術を使ってないの?」

「……使うのが怖いから」


 ポケットの奥に革手袋を押し込みながら、叶奈はうなだれた。

 本来、防衛魔術は禁忌に相当する代物ではないが、その防衛魔術を使って叶奈は昴に怪我を負わせてしまった。魔女として未熟な今の叶奈では、そのつもりのなかった魔術でも思わぬ被害を出したり、誰かに危害を加えたりしかねない。制御できる保証のない力を意のままに行使する勇気など、心の弱りきった叶奈には到底、持てそうもないのだった。

 ため息を吐いた敦子が叶奈の隣にしゃがみ込んだ。


「熱中症で倒れる前に魔術を使ってちょうだい。掃除の魔術ごときに失敗も何もないでしょうに」

「でも……」

「私が見ていてあげるから」


 促されるまま、仕方なく叶奈は革手袋と魔法円を取り出した。まだ魔女語(エスペーロ)を習いたての頃、こうしてじかに敦子の手ほどきを受けながら魔術の練習をしていた頃のことが、遠い昔のように懐かしく思えた。


「……Matu la herbaĉojn(雑草を刈れ)」


 おっかなびっくり詠唱するや否や、庭中の雑草たちが一目散に抜けてゴミ袋へ飛び込んでゆく。瞬く間に草原から庭園に変貌した庭を、ほっと胸を撫で下ろしながら叶奈は見回した。分かり切っていたこととはいえ、やはり魔術の仕事の早さは尋常ではない。


「学校や家で魔術を使っている時よりも威力が高いでしょう。それと、多少は疲れにくくなっているはずだよ」


 縁側に腰掛けた敦子が、叶奈の膝からチョコを奪った。


「そうかもしれない。よく分かんないよ」

「この子がまだ幼いせいかもしれないね」

「チョコが? どうして?」

「魔術の源になるのは人の身体に宿る“(エテロ)”だって、前に説明したでしょう」


 敦子の指がチョコの喉に伸びた。心地よい刺激にチョコは身体を丸め、ぐるぐると唸りながら目を閉じた。


「エテロを持っているのは人間だけじゃないんだよ。多かれ少なかれ、動物は等しくエテロを持っている。とりわけ親しくなった動物に対しては、魔女はその子のエテロを借り受けて魔術の源にすることができるの。そうすれば魔女の使える魔術はより強大に、より広範囲に、より精密に、力を発揮できるようになる。そうやってエテロを提供してくれる友好的な動物のことを、魔女の言葉では使い魔(ファミリアーラ)って言うわ」


 叶奈は吞気な顔で丸まっている色黒の毛玉を見下ろした。甘えた相手にエテロを奪われている自覚など、無邪気な彼は少しも持ち合わせていなさそうだった。

 西欧諸国には『黒猫は魔女の手下なので恐れるべし』という迷信があると聞く。白や茶色の猫と比べ、暗所に馴染む闇色をまとった黒猫が相対的に気味悪く思われるのは無理もないところだが、その艶のある毛並みも隠れ場所も全てひっくるめて叶奈はチョコが好きだ。チョコ自身も隙あらば叶奈の懐に潜り込み、足にすり寄り、子供ながらに愛情を全身で示してくれる。

 わたしの使い魔(ファミリアーラ)になることを、きっとチョコは嫌がらないだろうな。

 そっとチョコの頬に指先を当て、くすぐると、切ない感情が鼻先を抜けて空に消えた。今ごろ使い魔(ファミリアーラ)など手に入れたところで、もはや叶奈には強力な魔術の使いどころも、使う意思もない。もっと早くに知っていれば何かの役にも立ったのだろうに。


「チョコはおばあちゃんの使い魔(ファミリアーラ)になったらいいと思う」


 寂しくなって口にすると、「どうして?」と敦子が尋ねた。


「だって、何にもならないよ。誰にも親切にできないわたしが魔術なんか使えたって……」

「今ここで私のために庭の草を刈ってくれたじゃないの」

「おばあちゃんがやったらもっと一瞬だったでしょ。わたしがやるより早かったよ」

「親切っていうのは効率を求めてするものじゃないでしょう」


 後ろ向きな叶奈に辟易したように、敦子は大きく伸びをした。膝を追い出されたチョコは目を覚まし、ふたたび叶奈のもとへ逃げ込んできた。


「いい。魔女はね、遥か昔は天候の予測や占いに従事することで、人々の安全で発展的な社会生活を支える役割を担っていたの。巫女とか呪術師(シャーマン)と呼ばれていた古来の女性たちはみんな、今でいう魔女と同じ存在だった。日本史上でいえば卑弥呼なんかが代表例に当たるかしらね」

「……うん。本で、読んだ」

「呪術によって雨を降らせ、狩りの成功を祈り、病を患った人々を治療する。そういう普通の人には担えないサービスの提供を生業としていたシャーマンは、一説には宗教の生まれる前から存在していた、人類最古の職業だったともいわれているくらいだよ。そんなシャーマン──いえ、古代の魔女が人々から最も頼られていたのは、一体どんな場面だったと思う?」


 こまごまとした些細な相談事ばかりを魔術で解決してきた叶奈には、古代の人々の考えることなど想像も及ばない。頭が煮詰まって「なんだろう」とうつむくと、敦子は反対に空を振り仰いだ。


「災害だよ。地震、火山の噴火、津波、山火事、台風、干ばつ……。科学技術の存在しなかった古代、人々の力では自然災害に抗うことは不可能だった。唯一、超自然的な力で災害に立ち向かうことのできた魔女(シャーマン)だけが、人々に残された最後の希望だったの」

「わたしたちだけが……?」

「災害だけじゃない。これだけ科学の発達した現代でも、人々の知恵だけでは乗り越えられない困難が、世の中にはたくさん転がっているでしょう。私たち魔女の力は本来、そこに還元されるべきなんだよ。日々の暮らしの中で役に立てなくたって、あなたの未来にはもっと大きな仕事が山のように待ち受けてる。いま腐っても仕方ないんだからね」

「そ……そんなこと言ったって」


 チョコを抱き締め、叶奈は敦子を見上げた。そんな重みのある使命を藪から棒に押し付けられたところで、ちっぽけな叶奈にしてみれば愚かしく困惑を覚えるより他になかった。

 魔女の人口比率は百万人に一人といわれる。全世界の魔女を合計しても、わずか八〇〇〇人にしかならない。たったそれだけの戦力で、いったい人々のために何ができるだろう。ただでさえ普通に生きているだけで忌み嫌われ、敬遠され、挙げ句の果てには迫害される存在ですらある魔女が──。


「あなたが私の監督下で見習いをしている限り、一度や二度の禁忌魔術は見逃してあげられる。叶奈が禁忌の意味を理解していないとは思っていないからね」


 敦子は叶奈を見なかった。


「その代わり、叶奈。あなたはもっと勉強して、鍛えて、強くなりなさい。誰にも文句を言わせないくらい強い魔女になって、いつか誰にも文句を言わせない仕事ぶりで世界を救ってちょうだい。そこで結果を出せるかどうかが、私たち魔女の未来を決めるでしょう。あなたのような若い魔女の肩には、文字通り魔女の存亡がかかってる。それはもしかしたら魔女だけじゃなく、人類全体の存亡なのかもしれない。あなたの右手がそれだけ大きな希望を担っていることを、叶奈にはきちんと覚えておいてほしいんだよ」


 敦子は叶奈に顔を見られたくなかったのかもしれない。手元の猫に視線を反らしながら、叶奈はぐったりと重たい息を漏らした。孫ほどの年齢の少女に背負わせるには酷な運命であることを、きっと敦子は自覚していたのだろうと思った。

 世界を救う?

 目の前の小雪(クラスメート)一人の願いも遂げられなかった魔女が?

 末恐ろしさのあまり想像も及ばない。


「……そんなの無理だよ」


 唇を噛んだ痛みで己の不甲斐なさを中和しながら、蚊の鳴くような声で抗議を試みた。けれども敦子はそっぽを向いたまま聞き流すばかりで、ついぞ反応を示してくれなかった。





「おばあちゃんに迷惑かけないように、自分の罪はちゃんと自分で背負うから」


▶▶▶次回 『Sorĉado-21 登校』

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